やって来た降臨祭の最終日、ギュンターが朝一番に確認したのは本日の予定だった。
 何事も事前に把握したいタイプの国王陛下は、精霊との約束までに至る行程としてもちろん十日間とも予定を組んであるが、特に最終日は細かい手順まで頭に叩き込んでおきたかった。ついでに何事も紙で見たいタイプでもあったので、朝から入念に書類を読み込んでいた。
 そんなギュンターの元にゲシヒトはやって来て、今日も今日とて仕事を押し込んでくる。
「陛下。辺境から挑戦状が届きました」
 ギュンターの本日の予定でまだ決まっていないのは一番重要な最後のダンスの相手だったはずだが、直前になって飛び込んでくる予定外のことももちろんある。
「常々、予定とは事前に知らせておくものだと」
「辺境に王都の決まり事は通用しませんから」
 舌打ちをして文句を言いかけたギュンターに、辺境の常識人ゲシヒト総帥は澄んだ目でうなずいて手紙を差し出した。
 ギュンターは渋々手紙に目を通すと、そこは寛大な君主らしくわかったと言いかけて、別紙の末尾の方で目を留めた。
「……父上のなさることらしい」
 少しだけ笑みをこぼして手紙を折りたたむと、ギュンターはカテリナに振り向いて出発を告げた。
 馬車で半刻、国王陛下はヴァイスラント国民の憩いの場である中央広場に来ていた。ここは噴水から放射線状に石畳が伸び、市場も劇場も、もちろん王城も徒歩圏内に位置するヴァイスラントの中心地点で、数々の祝祭の開始を見届けてきた場所でもあった。
 本日は最終日ということもあり、集まった国民たちの衣装もまた手が込んでいた。ふんだんにレースのあしらわれたドレス姿の女性もいれば、視線を集めるほど短いスカートと見えるか見えないか程度に胸を隠した女性もいて、ヴァイスラントの夏がどれほど開放的か証明していた。
「カティ、近衛兵の中に隠れているように」
 その中には結構な数の動物の被り物をした男たちがいて、ギュンターは薄々と嫌な予感はしていた。首を傾げたカテリナに念を押してから、広場の中心に用意された開会の演台に向かう。
 暗記はしているが一応手元に用意したあいさつ文に目を落として、ギュンターが祭りの始まりを宣言しようとした、そのとき。
「よく聞け! ここは俺たち辺境の戦士が乗っ取った!」
 人波の中から声が上がって、動物の被り物をした男たちが女性たちの手をつかむ。
「娘ども、言う事をきかねぇと食っちまうぞ!」
 悲鳴というより黄色い声を上げて逃げ惑う女性たちを追って、広場は騒々しさに満ち溢れた。ここぞとばかりに女性に触る男、それを叩き返す女性、舞い上がる土埃に誰かが落とし物を探す声、国一番の広場が狭く感じるほど人が方々に散っていく。
 ギュンターが朝聞かされたこの公式行事は、今現在辺境で田舎暮らしをしている前国王が参加者を急募したもので、辺境の戦士が攻めてきたという設定だ。前国王自ら宣戦布告の手紙をギュンターに送ってきて、そこには戦わなければ予告した女性たちをさらうと書いてあった。
「おっと、美人発見! もらってくぜ!」
 予定通り辺境の戦士が列席していたローリー夫人をみつけて、その手をつかんだ。ギュンターの視線に気づくと、にやりと笑って何かを投げてくる。
 ギュンターに投げられたのはとうもろこしだった。これで叩きあうのが公式ルールとのことだが、それを国王にも適用するところがヴァイスラントだ。
 朝から体力を使う行事をふっかけてくるなと、ギュンターは遠い目をしながらとうもろこしを受け取った。国王として祭りが盛り上がるのは喜ばしいが、ただでさえお祭り好きのヴァイスラント国民をさらに過熱させないでほしい。
 ついでにさらう女性リストにカティの名前もあったので、ギュンターは一抹の不安がよぎって少年騎士を振り向いた。
「陛下! がんばってください!」
 カテリナはというと、自分が狙われていることなど露知らず、どこからか取り出した狼の被り物をして拳を握りしめていた。その童顔で被ると子犬にしか見えなくて、周りの近衛兵たちはほのぼのした目をしてカテリナの被り物をぽんぽんと叩いていた。
「よそ見をしてる場合か?」
 被り物をした男たちは役柄そう言ったのか、素朴に国王に訊きたかったのかはわからないが、ギュンターは決闘を挑まれた国王の役になりきらなければならないのを思い出す。
 ギュンターがとうもろこしを持って進み出ると、辺境の戦士たちは自ら道を開いてギュンターを戦いの場へ導いた。その中から獅子の被り物をした一人の戦士が進み出て、ギュンターに対峙する。
 背格好からするとギュンターと同じくらいの背丈の青年で、年も近いように感じた。無類のお祭り好きの父が現れると思っていたので、ギュンターは多少訝しみながらもとうもろこしを構える。
 一振り目でぶつかったときから、相手は剣を振るったことがあると気づいた。ギュンターは戦争を経験していないとはいえ剣技の訓練は受けているが、ぶつかったときの握力は相手の方が上のように感じた。
 声援を受けながら二度三度ととうもろこしを交わし合って、この男はどこかで会ったことがあると思った。ただその正体を詮索するより気にかかるのが、視界の隅で戦うカティの姿だった。
 事もあろうにゲシヒト総帥にとうもろこしで挑むカティは、素手のゲシヒトの方が圧倒的に優勢だった。子犬のように飛びつくカティを、ゲシヒトはなんだか嬉しそうにあしらっていた。
 これは余興の一つで、負ければ確かに国王として格好は悪いだろうが、本気で国を奪われるわけではない。
 そうはいっても、ギュンターだって面白くないことはある。
「馬鹿者、相手を考えろ!」
 ただ国王の誇りとして叫んだというより、反射的に視界の隅の少年騎士を叱る言葉で、ギュンターは対峙した相手のとうもろこしを弾き飛ばしていた。
 いかん、今完全に素の自分だったと反省しながらギュンターが上がった息を落ち着かせていると、弾き飛ばされた相手が口を開いた。
「……そりゃわかってるけど、やっぱ腹立つじゃんよ」
 聞き覚えのある声にギュンターが目をまたたかせると、彼は獅子の被り物を外してみせた。
「バーバラの旦那は俺なのに」
 ローリー夫人が息を呑んで、祭りに浮き立っていた周りの国民たちも思わず二度見した。
 子どもがすねて甘えるような顔でローリー夫人を見た男、行方不明になっていた彼女のご夫君、ヘルベルト・ローリー将軍その人がそこにいたからだった。