殺してくれてありがとう

 「君に僕の気持ちなんて、わかるわけない! 親友もいて、兄さんと良い関係を築いていて――孤独を感じたことのない人間が、邪魔をするな!」

 孤独を感じたことのない人間――。
 放たれたその言葉が、ぐさりと刺さって、上手く声が出なくなる。

 「こいつを殺せば、彼女は僕を見てくれるはずなんだ! そうしたら僕は――」

 そこで言葉を区切り、少しの間をおいて、一際大きな声で叫ぶ。

 「独りじゃなくなる! 彼女は唯一僕を受け入れてくれる人なんだ! 彼女に離れられたら、僕はこの世でひとりぼっちなんだ!」

 喚き散らす理人君の目から、涙が一滴溢れ出す。
 それは止まらなくなり、いくつもの水滴が、彼の頬を伝う。

 「違う!」

 八代が空気を切り裂くように、異議を唱えた。
 その気迫に、肩で息をしていた理人君が、フリーズする。
 ざわめいていた周囲も、水を打ったように静まり返った。

 「聞け、理人」

 八代が、有無を言わせぬ雰囲気を纏って、理人君を納得させようと、言い聞かせる。

 「お前は一生孤独にならない! お前を受け入れる人間となんて、これからごまんと出会える!」
 「なっ……」

 八代の発言に、カチンときたように、理人君は前のめりになりながら、言い返す。

 「都合良いことばっか言わないでよ! じゃあ実際に、ここの人たちに訊いてみようよ!」

 そう言って、集まっている人たちを、ぐるりと見渡す。

 「この中に、僕と親しくしたい、って人はいますかー!?」

 その問いかけに対する反応は、当然沈黙だった。
 さまよう視線とかち合わないように、俯く者、誰かの背中に隠れる者など、賛同者はまったく現れない。

 私はといえば、投げられた言葉がしつこく胸に刺さっていて、声を出すことも、挙手することもできなかった。
 理人君は、満足げに――それでいて落胆したように、真っ赤な目で八代を睨んだ。

 「ほらね、こんなもんじゃん。綺麗事や理想論で、僕が感動するのを期待したの? 残念だったね。やっぱり僕と一緒にいてくれる人なんて、いないんだよ。きっとこれからも現れない」

 壊れた機械のように、べらべらと喋る姿を見て、もうやめてくれ、と思った。
 これ以上は、辛くて直視できない、と瞼を閉じようとした瞬間、
 「ここにいる!」
 ハッとして、隣の八代を見る。

 顔は苦しげに歪み、目は赤く充血していて、今にも血涙が出てきそうだった。
 しかし、それを伝えることが自身の天命だ、とでも言うように、震える唇から言葉を紡いだ。

 「少なくとも一人いる! お前を受け入れる奴がここに! 俺はお前を見捨てたりなんかしない!」

 手のひらを心臓に叩きつけ、八代は必死に伝える。

 「な、なんで……? だって僕は、兄さんに相談もせずに、黙ってあの家を出たんだよ? あの居心地最悪の場所に、兄さんを置き去りにしたんだよ?」

 あの兄弟も死んでれば良かったのに、なんて言っていた親戚たち。
 その人たちから離れたくて、理人君は姿を消した。誰にも何も言わずに。生き残ったたった一人の家族にも、行き先を告げることなく。
 理人君は、泣いていた。全身の怪我の痕から傷が開いたみたいに、痛そうな表情をして、ボロボロ涙を溢れさせていた。

 「わかってるんだよ! 兄さんが僕を恨んでるんだ、ってことは! 再会した時から、ずっと怒ってる雰囲気だったから!」

 そう叫ぶ理人君は、迷子の子どものようだった。
 心細さや不安が、極限にまで達したみたいな顔で、八代に向かって一歩身を乗り出す。

 「俺が怒ってた理由は、お前に頼ってもらえなかった自分への不甲斐なさからくるものだ。理人がこんなに思い詰めるまで、何も出来なかった。そんな自分が憎かった」

 八代は悔しげに、唇を噛み締める。

 「理人を恨んだ日なんて、なかった。本当だ。俺は、お前にずっと会いたかった。それ以外に思うことは、なかった」

 そして、震える理人君に向かって、一歩前へと進み出た。

 「お前は、弟だから。これからもそうだ。お前が嫌がろうと、一生兄貴でいてやる」
 「あ、うわ、あぁっ……!」

 理人君の口から嗚咽が漏れだし、ブルブルと震えた手から、ナイフがするりと落ちた。
 人質が脱兎のごとく逃げ出し、行きがけにナイフを、遥か遠くへ蹴っ飛ばす。
 ナイフは、私の目の届かないほど後方に飛ばされた。きっと近くにいる人が、拾ってくれるだろう。

 ドサッと音がした。理人君が崩れ落ちたのだ。全身の力が抜けたように、床にしりもちをついた彼は、それでも顔を上げて、八代から目を離さずにいた。
 八代が光の速さで、理人君のそばに駆け寄る。

 近づかれた理人君は、不安と期待がない交ぜになった目付きになる。怯えたように息が詰まる音が、聞こえてきた。
 そんな様子の彼に、八代は安心させるように、笑いかけた。私の一番好きな表情。
 そして、固まった理人君を、力強く抱き締めた。

 体温を余さず送るように、背中に腕を回し、優しく包み込む。
 周囲の人々も、そして私も、黙り込んで事の成り行きを見守っていた。
 この場にいる全員が、時が止まったように、二人から視線を外せずにいた。
 八代が、腕の中の大切な家族の耳元で、強く断言する。

 「理人。俺はお前がどんな風になっても、お前のために何かできることはないか、考える。たとえ人の道を外れたとしても、だ。どんなことがあっても、俺は理人の味方だ」

 その言葉は、無事に彼の心に届いたらしい。
 理人君は、おぼつかない手付きで、でもしっかりと、八代の背中に腕を回した。
 そして、八代の肩に顔をうずめて、うめき声を上げる。
 くぐもっているが、泣き叫んでいるのだとわかった。

 その声は、つい先ほどまでの叫びとは、まったく異なる響きを伴っていた。
 意識が正常に動き出した周囲の人々が、再びざわつき出す。

 「警察に連絡――」「もうしてます!」という会話がして、もうすぐ警察官が理人君を連行するだろう、と思った。

 私は、何かが引っ掛かるような気がして、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。

 何だろう。閃きが落ちてきそうな予感がする。ずっと抱えていた重大な謎が、判明するような。そんな予感が――。