私の沈みゆく心情とは裏腹に、窓の向こうの世界は、美しい夕焼けに染まっていた。
大和さんは、『連れが待っているから、そろそろ帰るよ、お大事に』と言って去っていった。従兄弟に付き添ってもらっていたのだという。
「樹里亜は、あんな夢を持っていたんだな。知らなかった」
「私も幸から聞いてたけど、そのことで揉めてたってことは、知らなかった」
姉妹仲は良好で、何の波風もないかと思っていたので、大和さんから聞いた話は意外なものだった。
「樹里亜も気の毒だね。仲直りできないまま、こんなことに……」
「――そうだな」
空気がいっそう重いものになる。少々気まずくなり、何もない虚空を無意味に眺める。
そんな雰囲気に耐えかねたのか、八代が立ち上がった。
「手洗いに行ってくる」
「あ、うん」
八代の背中を見送る。
しかし数秒経って、思いのほか尿意があることを自覚した。
そろそろとベッドを出て、いつもよりほんの少しだけゆっくり歩んでいく。
少し進んでいくと、すぐに八代が目に入った。八代の足取りは重く、思い悩んでいる様子がありありと伝わってきた。
八代はある部屋の前で足を止めた。
「薄井幸。ここが――」
「うわっ」
部屋の前のプレートに書いてある名前を読み上げると、八代はビクッと身体を震わせた。人の気配にまったく気付かなかったようだ。
「ごめん。驚かせて」
「お、おう。——若葉もトイレに?」
「そのつもりだったけど……」
言葉を止めて、病室の扉へと視線を移す。
「ここに……居るんだよね」
口の中でゆっくり咀嚼するように言う。
「ああ」
八代が頷くのを見て、病室のドアへ手を伸ばす。
冷たい金属の感触を指先に感じる。自分の目的とは裏腹に、そこから先に進むことは難しかった。
「お願い。私の代わりに開けて、ほしい……」
弱々しい私の訴えに、八代は静かに顎を引くと、こちらを気遣うように、じわじわと引き戸を開けた。
室内が完全に見えるようになった時、私が、いや私たちが感じたものは、予想だにしていなかった驚きだった。
私と八代の視線は、幸の眠るベッドではなく、窓辺にいる人物に注がれてた。
「な、なんで……あんたがここにいるの!?」
指さした先にいたのは、さんざん私たちを悩ませてきた不審者だった。幸に付きまとい、殺そうとまでした少年。
フードを取って、顔面をあらわにしているそいつは、位置的についさっきまで幸を見下ろしていたのだろう。
窓辺の少年は、こちらを見て大きく顔を歪めた。失態を犯してしまったことを、悔いている様子だ。
当然と言うべきか、少年は逃げ出そうとする。ここは三階だ。必然的にドアを目指してきた。
突進してくる少年に、身体が強張る。通してはならない、と思っているのに、身体が石になったように動かない。
けれど八代が素早く反応してくれた。
八代は少年の肩を両手で押さえつけると、そのままの姿勢でずんずんと病室の中へと足を進めていき、壁際に追いやった。
「うっ……」
追い詰められた少年がうめく。反抗的な眼差しで、八代を睨み付けている。
「良かった……また会えて」
八代の言葉に、嬉しさが含まれているように感じて、奇妙な気持ちになる。
八代の『良かった』には、懐かしの友人に会えたかのような響きがあった。
八代は、少年の毛穴までをも覗き込むように、カッと目を見開いて叫ぶ。
「何があったんだ。理人!」
理人――。
「弟君!?」
驚きのあまり、今日一番の大声が出る。
『いつか弟に会えたらいいなって思う』
八代がずっと会うことを願っていた弟。
それが幸のストーカーだったなんて。
私は呆気にとられ、口を鯉のようにぱくぱくと動かすことしかできなかった。
大和さんは、『連れが待っているから、そろそろ帰るよ、お大事に』と言って去っていった。従兄弟に付き添ってもらっていたのだという。
「樹里亜は、あんな夢を持っていたんだな。知らなかった」
「私も幸から聞いてたけど、そのことで揉めてたってことは、知らなかった」
姉妹仲は良好で、何の波風もないかと思っていたので、大和さんから聞いた話は意外なものだった。
「樹里亜も気の毒だね。仲直りできないまま、こんなことに……」
「――そうだな」
空気がいっそう重いものになる。少々気まずくなり、何もない虚空を無意味に眺める。
そんな雰囲気に耐えかねたのか、八代が立ち上がった。
「手洗いに行ってくる」
「あ、うん」
八代の背中を見送る。
しかし数秒経って、思いのほか尿意があることを自覚した。
そろそろとベッドを出て、いつもよりほんの少しだけゆっくり歩んでいく。
少し進んでいくと、すぐに八代が目に入った。八代の足取りは重く、思い悩んでいる様子がありありと伝わってきた。
八代はある部屋の前で足を止めた。
「薄井幸。ここが――」
「うわっ」
部屋の前のプレートに書いてある名前を読み上げると、八代はビクッと身体を震わせた。人の気配にまったく気付かなかったようだ。
「ごめん。驚かせて」
「お、おう。——若葉もトイレに?」
「そのつもりだったけど……」
言葉を止めて、病室の扉へと視線を移す。
「ここに……居るんだよね」
口の中でゆっくり咀嚼するように言う。
「ああ」
八代が頷くのを見て、病室のドアへ手を伸ばす。
冷たい金属の感触を指先に感じる。自分の目的とは裏腹に、そこから先に進むことは難しかった。
「お願い。私の代わりに開けて、ほしい……」
弱々しい私の訴えに、八代は静かに顎を引くと、こちらを気遣うように、じわじわと引き戸を開けた。
室内が完全に見えるようになった時、私が、いや私たちが感じたものは、予想だにしていなかった驚きだった。
私と八代の視線は、幸の眠るベッドではなく、窓辺にいる人物に注がれてた。
「な、なんで……あんたがここにいるの!?」
指さした先にいたのは、さんざん私たちを悩ませてきた不審者だった。幸に付きまとい、殺そうとまでした少年。
フードを取って、顔面をあらわにしているそいつは、位置的についさっきまで幸を見下ろしていたのだろう。
窓辺の少年は、こちらを見て大きく顔を歪めた。失態を犯してしまったことを、悔いている様子だ。
当然と言うべきか、少年は逃げ出そうとする。ここは三階だ。必然的にドアを目指してきた。
突進してくる少年に、身体が強張る。通してはならない、と思っているのに、身体が石になったように動かない。
けれど八代が素早く反応してくれた。
八代は少年の肩を両手で押さえつけると、そのままの姿勢でずんずんと病室の中へと足を進めていき、壁際に追いやった。
「うっ……」
追い詰められた少年がうめく。反抗的な眼差しで、八代を睨み付けている。
「良かった……また会えて」
八代の言葉に、嬉しさが含まれているように感じて、奇妙な気持ちになる。
八代の『良かった』には、懐かしの友人に会えたかのような響きがあった。
八代は、少年の毛穴までをも覗き込むように、カッと目を見開いて叫ぶ。
「何があったんだ。理人!」
理人――。
「弟君!?」
驚きのあまり、今日一番の大声が出る。
『いつか弟に会えたらいいなって思う』
八代がずっと会うことを願っていた弟。
それが幸のストーカーだったなんて。
私は呆気にとられ、口を鯉のようにぱくぱくと動かすことしかできなかった。