「山田は午前中部活らしいので、ちょっと遅くなるかもです」
ランチ時のファミレスでマミはそう言って、ドリンクバーから取ってきたココアをストローでかき混ぜた。
氷がぶつかり合う音を聞いて、山田、早く来てくれないかなぁ、と窓から見える雲を眺める。
居心地がよくない面子だ。この間マミへの認識をちょっとは改めたものの、正直あまり仲良くできそうにない。
彼女をどうにも好きになれないのは、恋敵だからという理由もあった。
「昨日の台風すごかったですよね~。大丈夫でした?」
マミが、八代に向かって問う。頬に手を当てて小首を傾げる仕草は、同性から見ても可愛かった。
「うん。何ともなかったよ」
「良かったです~。あ、悠はあの後大丈夫だった? ごめんね、ハブったみたいになっちゃって」
マミの言葉で、昨日の記憶が次々と蘇ってきた。
雨の中八代に出会い、背負われたことから始まり、彼の家に上がったことや、お風呂に入ったこと。服を貸してもらったこと。
そして抱き締められたこと。
私は、動揺が顔に出ないようにヒヤヒヤしながら、答える。
「うん、大丈夫。平気だった。あれは別に気にしなくていいよ」
隣に座る八代の存在を意識させられ、テーブルの上で組んでいた手にギュッと力がこもる。
マミは私をまじまじと見た後、八代に視線を移した。
そして一瞬だけ訝しげな表情を見せた。が、すぐに愛嬌たっぷりの笑顔になる。
「なら良かった! 幸も気にしてたんだよね。悠ちゃんは無事に帰れたかなーって」
そう言いながら、マミは携帯を取り出して、少し操作した。通知でも来ていたのだろう。
「あ、今何分?」
携帯を仕舞おうとするマミに尋ねる。もう12時を過ぎてけっこう経つ気がするのだが、まだ来ないのか。
「12時半だよ。部活って片付けとかもあるし、時間かかんのかもね」
さすがに一時間以内には来ると思うが、こうしてじっと待っているというのは、落ち着かない。
逸る気持ちを抑えようと、ぬるくなったコーヒーを飲み干した。
「襟人さんは部活とかやってましたか?」
マミが興味津々に顔を覗き込む。
「いや、どこにも入ってなかった」
「そうですか~。ちなみにわたしはテニスやってました! 高校に入ってやめちゃいましたけど……。あ、樹里亜先輩もテニス部だったんです。その時から良くしてくれてて」
「樹里亜さんとはどんな感じだったの?」
マミが樹里亜に特別懐くのには、何か理由があるのか気になって、尋ねてみる。
すると、よく訊いてくれた、と言わんばかりに、マミが得意げな顔になった。
「樹里亜先輩はね、わたしを助けてくれたんだ」
マミは、大事な思い出を懐かしむように語り出した。
「わたしが入ってた女子テニス部にはさ、部員同士のいざこざとか意地悪が頻繁にあったんだ。まあ女子しかいない部活では、ありがちな話だよね。
わたしが部内で浮いてた時期もあった。最初のうちは我慢できてたんだけど、時間が経っても治まらなかったから、ホントは嫌だったけど退部しようと思ったの。でも……退部届出そうとした時、樹里亜先輩に声かけられて」
『大丈夫? 私に出来ることがあったら言って。力になるから』
そう言ってきた樹里亜に、マミは全て話した。
樹里亜は部内でそんなことがあったとは気付かずに、話を聞いて大層驚き、憤慨したという。
「樹里亜先輩ってそういう鈍いところがあるんだよね。まさかまったく察知してない部員がいたなんてびっくりだよ」
樹里亜は相当に鈍感らしい。その鈍感さが八代には幸への無関心に見えたのだろう。
「でも部内の状況を理解した後の先輩の行動はすごかった」
当時のことを思い浮かべたのか、マミは恍惚としたため息を吐いた。
「嫌がらせとか積極的にやってた三年生たちに渇を入れていって――言って聞かせたところで逆効果だ、って思ったんだけどね」
「上級生たちに直接抗議したんだ。度胸あるね、樹里亜さん」
「うん、すごいでしょ。ただの一部員でしかないわたしのために本気で怒ってくれて……じーんと来ちゃった」
「樹里亜の行動で、先輩たちは態度を改めたのか?」
今まで黙って話を聞いていた八代が、疑問をぶつけてくる。
「はい。こんなに簡単に反省してくれるんだったら、もっと早くちゃんと向き合えば良かったのかな、って思ったんですけど、考えてみれば、樹里亜先輩だったから、部員たちも素直に聞き入れてくれたような気がします」
「樹里亜は人望があったのか?」
「はい。先輩は、寄ってくる人に対して優しくて、力になってくれるんです。人の悩みを聞くのが得意だって、いつだったか本人も言ってました」
樹里亜はこれから良い姉になっていくだろう、と私は確信に近い思いを抱く。
これは持論だが、後輩に慕われる人に悪い人はいない、と思う。
八代も同じ気持ちらしく、「樹里亜にそんな一面があったとはな」と感心している。
「今まであいつのこと誤解してたの悪かったな……」
後悔を滲ませた声音だった。
八代は樹里亜を冷たい人間だと思ってたからな。
私もちょっと前までは、そうだった。
「きっと不器用だっただけなんだよ。今日だって幸とピクニックなんだって。お姉から誘ってくれた、って言ってた」
「へぇ、そうなんだ。楽しそうだね!」
マミが、微笑ましそうに目を細めた。
「そうなのか。こんな騒動も悪いことばかりじゃなかったのかもな」
八代も感慨深そうに頷く。
「怪我の巧妙ってやつだね。ストーカーのおかげでって言っちゃうと変だけど、樹里亜さんがちゃんと幸を大切に思ってたことがわかったから」
私も安心した。幸が私のような家族を持たなくて。
あれは本当に苦しいものだから。親友が私とは違うとわかって、嬉しかった。
「ていうか樹里亜先輩と襟人さんは、仲が良いんですか? 呼び捨てで親しげな感じしますけど」
どことなく不安げにしながら、八代の方へ身を乗り出すマミ。
「まあ、幼馴染みだったけど……今じゃ樹里亜とは全然交流ないよ」
「樹里亜先輩とは、ってことは、幸とは今でも仲良しなんですか?」
「幸とはそうだな。若葉と俺が知り合ってからは、三人でいることが増えた気がする」
「へぇ」
マミが私へと視線を流す。
「うん。夏休みは特によく会ってたよ。夏祭りも三人でいったし」
自慢と牽制の意を込めて、にこやかに説明する。マミの眉間に皺が寄る。悔しそうな様子だった。
しかしすぐに天真爛漫な表情に切り替わって、甘えるような声を出した。
「じゃあ来年はわたしと行ってくださいよ! 襟人さん」
「今から来年の話か。鬼に笑われるぞ」
本心から出た言葉か、誤魔化したくて出したのかはわからなかったけれど、私は彼が頷かずにはぐらかしたことにホッとした。
「それよりも。山田遅くない? 部活ってこんなにかかるもんなの?」
時計はもうすぐ13時を示そうとしていた。午前中まで、という話にしては時間が経ちすぎではないか?
自身の携帯の画面を見ていたマミが、
「居残りさせられてたりして~」
とおどけて、携帯をカバンにしまう。
「早いとこ来てほしいな……」
「まあまあ。お喋りでもして気長に待とうよ。わたしちょっとお花摘みに行ってきま~す」
カバンを持って立ち去った彼女にひらひらと手を振る。
ランチ時のファミレスでマミはそう言って、ドリンクバーから取ってきたココアをストローでかき混ぜた。
氷がぶつかり合う音を聞いて、山田、早く来てくれないかなぁ、と窓から見える雲を眺める。
居心地がよくない面子だ。この間マミへの認識をちょっとは改めたものの、正直あまり仲良くできそうにない。
彼女をどうにも好きになれないのは、恋敵だからという理由もあった。
「昨日の台風すごかったですよね~。大丈夫でした?」
マミが、八代に向かって問う。頬に手を当てて小首を傾げる仕草は、同性から見ても可愛かった。
「うん。何ともなかったよ」
「良かったです~。あ、悠はあの後大丈夫だった? ごめんね、ハブったみたいになっちゃって」
マミの言葉で、昨日の記憶が次々と蘇ってきた。
雨の中八代に出会い、背負われたことから始まり、彼の家に上がったことや、お風呂に入ったこと。服を貸してもらったこと。
そして抱き締められたこと。
私は、動揺が顔に出ないようにヒヤヒヤしながら、答える。
「うん、大丈夫。平気だった。あれは別に気にしなくていいよ」
隣に座る八代の存在を意識させられ、テーブルの上で組んでいた手にギュッと力がこもる。
マミは私をまじまじと見た後、八代に視線を移した。
そして一瞬だけ訝しげな表情を見せた。が、すぐに愛嬌たっぷりの笑顔になる。
「なら良かった! 幸も気にしてたんだよね。悠ちゃんは無事に帰れたかなーって」
そう言いながら、マミは携帯を取り出して、少し操作した。通知でも来ていたのだろう。
「あ、今何分?」
携帯を仕舞おうとするマミに尋ねる。もう12時を過ぎてけっこう経つ気がするのだが、まだ来ないのか。
「12時半だよ。部活って片付けとかもあるし、時間かかんのかもね」
さすがに一時間以内には来ると思うが、こうしてじっと待っているというのは、落ち着かない。
逸る気持ちを抑えようと、ぬるくなったコーヒーを飲み干した。
「襟人さんは部活とかやってましたか?」
マミが興味津々に顔を覗き込む。
「いや、どこにも入ってなかった」
「そうですか~。ちなみにわたしはテニスやってました! 高校に入ってやめちゃいましたけど……。あ、樹里亜先輩もテニス部だったんです。その時から良くしてくれてて」
「樹里亜さんとはどんな感じだったの?」
マミが樹里亜に特別懐くのには、何か理由があるのか気になって、尋ねてみる。
すると、よく訊いてくれた、と言わんばかりに、マミが得意げな顔になった。
「樹里亜先輩はね、わたしを助けてくれたんだ」
マミは、大事な思い出を懐かしむように語り出した。
「わたしが入ってた女子テニス部にはさ、部員同士のいざこざとか意地悪が頻繁にあったんだ。まあ女子しかいない部活では、ありがちな話だよね。
わたしが部内で浮いてた時期もあった。最初のうちは我慢できてたんだけど、時間が経っても治まらなかったから、ホントは嫌だったけど退部しようと思ったの。でも……退部届出そうとした時、樹里亜先輩に声かけられて」
『大丈夫? 私に出来ることがあったら言って。力になるから』
そう言ってきた樹里亜に、マミは全て話した。
樹里亜は部内でそんなことがあったとは気付かずに、話を聞いて大層驚き、憤慨したという。
「樹里亜先輩ってそういう鈍いところがあるんだよね。まさかまったく察知してない部員がいたなんてびっくりだよ」
樹里亜は相当に鈍感らしい。その鈍感さが八代には幸への無関心に見えたのだろう。
「でも部内の状況を理解した後の先輩の行動はすごかった」
当時のことを思い浮かべたのか、マミは恍惚としたため息を吐いた。
「嫌がらせとか積極的にやってた三年生たちに渇を入れていって――言って聞かせたところで逆効果だ、って思ったんだけどね」
「上級生たちに直接抗議したんだ。度胸あるね、樹里亜さん」
「うん、すごいでしょ。ただの一部員でしかないわたしのために本気で怒ってくれて……じーんと来ちゃった」
「樹里亜の行動で、先輩たちは態度を改めたのか?」
今まで黙って話を聞いていた八代が、疑問をぶつけてくる。
「はい。こんなに簡単に反省してくれるんだったら、もっと早くちゃんと向き合えば良かったのかな、って思ったんですけど、考えてみれば、樹里亜先輩だったから、部員たちも素直に聞き入れてくれたような気がします」
「樹里亜は人望があったのか?」
「はい。先輩は、寄ってくる人に対して優しくて、力になってくれるんです。人の悩みを聞くのが得意だって、いつだったか本人も言ってました」
樹里亜はこれから良い姉になっていくだろう、と私は確信に近い思いを抱く。
これは持論だが、後輩に慕われる人に悪い人はいない、と思う。
八代も同じ気持ちらしく、「樹里亜にそんな一面があったとはな」と感心している。
「今まであいつのこと誤解してたの悪かったな……」
後悔を滲ませた声音だった。
八代は樹里亜を冷たい人間だと思ってたからな。
私もちょっと前までは、そうだった。
「きっと不器用だっただけなんだよ。今日だって幸とピクニックなんだって。お姉から誘ってくれた、って言ってた」
「へぇ、そうなんだ。楽しそうだね!」
マミが、微笑ましそうに目を細めた。
「そうなのか。こんな騒動も悪いことばかりじゃなかったのかもな」
八代も感慨深そうに頷く。
「怪我の巧妙ってやつだね。ストーカーのおかげでって言っちゃうと変だけど、樹里亜さんがちゃんと幸を大切に思ってたことがわかったから」
私も安心した。幸が私のような家族を持たなくて。
あれは本当に苦しいものだから。親友が私とは違うとわかって、嬉しかった。
「ていうか樹里亜先輩と襟人さんは、仲が良いんですか? 呼び捨てで親しげな感じしますけど」
どことなく不安げにしながら、八代の方へ身を乗り出すマミ。
「まあ、幼馴染みだったけど……今じゃ樹里亜とは全然交流ないよ」
「樹里亜先輩とは、ってことは、幸とは今でも仲良しなんですか?」
「幸とはそうだな。若葉と俺が知り合ってからは、三人でいることが増えた気がする」
「へぇ」
マミが私へと視線を流す。
「うん。夏休みは特によく会ってたよ。夏祭りも三人でいったし」
自慢と牽制の意を込めて、にこやかに説明する。マミの眉間に皺が寄る。悔しそうな様子だった。
しかしすぐに天真爛漫な表情に切り替わって、甘えるような声を出した。
「じゃあ来年はわたしと行ってくださいよ! 襟人さん」
「今から来年の話か。鬼に笑われるぞ」
本心から出た言葉か、誤魔化したくて出したのかはわからなかったけれど、私は彼が頷かずにはぐらかしたことにホッとした。
「それよりも。山田遅くない? 部活ってこんなにかかるもんなの?」
時計はもうすぐ13時を示そうとしていた。午前中まで、という話にしては時間が経ちすぎではないか?
自身の携帯の画面を見ていたマミが、
「居残りさせられてたりして~」
とおどけて、携帯をカバンにしまう。
「早いとこ来てほしいな……」
「まあまあ。お喋りでもして気長に待とうよ。わたしちょっとお花摘みに行ってきま~す」
カバンを持って立ち去った彼女にひらひらと手を振る。