21時になり、明日に備えてもう寝よう、となった。
 明日の早朝、八代が送ってくれるそうだ。人っ子ひとりいない状態だが念のため、とのことだ。
 私も一人であの通りを歩くのは怖かったため、八代がついててくれるのはありがたかった。
 寝場所の問題については、ベッドは家主が使うべき、と私の強い主張により、八代がベッド、私が床に布団を敷いて眠ることになった。

 「今日は本当にありがとう。おやすみなさい」
 「ちょっとは楽になれたか?」
 「うん。もう大丈夫。色々な事としっかり折り合いつけられたから。おかげさまでね」
 「良かった。若葉を見かけた時、何か雰囲気ヤバそうだったから、つい連れて来ちまったけど、正解だったみたいだな」
 「ねぇ八代」
 「ん?」
 「私を見つけてくれてありがとう。今日八代と出会えて本当に良かった」

 そして最も伝えたい大切なことを唇に乗せる。
 「私、救われたんだ。やっと」
 今私を満たしていたのは、これまでの人生でかつてないほどの幸福感と希望だった。

 「おやすみなさい。――また明日」
 明日の朝、目覚めて一番最初におはようと言える楽しみに心踊らせながら、布団に横たわる。
 「ああ。おやすみ」
 八代は安堵したように呟くと、電気を消した。


 「ん……」
 もぞ、と布団の中で身動きする。少しずつ頭が覚醒していき、今何時だ、と寝る前に近くに置いてあった携帯を手繰り寄せる。
 4時か。まだ眠れるけど……今からもう一度眠る気にもなれない。
 喉がカラカラに渇いていることに気付き、水を飲むべく台所に向かった。

 八代の家に紙コップがあって良かった。水音を立てないように蛇口をゆっくりひねる。
 台所の小窓のガラス越しに外を見ると、空が白み出していた。じきに太陽が濡れそぼった街を照らすだろう。
 無事に喉を潤し、ベッドにいる家主を窺う。
 規則的な寝息を立てている。起きる様子はなさそうだ。
 眠るつもりはなかったが、再び布団に横たわった。

 時間が経つのをのんびり待つか……。
 そう思って右向きに寝転ぶと、闇に慣れた目が何かを捉えた。
 目を凝らすと、それが四角く薄い物であるらしいとわかった。
 ベッドの下にあり、手を伸ばせば届きそうだ。
 八代がベッドの下に物を置く人間には見えなかったので、少しばかり好奇心が湧いた。もしかしたら失せ物かもしれない、と思い当たり、私はそれを引っ張り出した。

 触ってみるとどうやら手帳らしかった。スベスベした革の感触が指に馴染む。
 少し迷って、ベランダに出ることにした。外は既に結構明るいので、問題ないだろう。
 そう。私は手帳の中身を盗み見しようと思った。むろん葛藤はあったが、それよりも好奇心が勝っていた。
 八代の様子を気にしながら、そうっと窓を開けベランダに出る。起きる気配はなく、ホッとした。

 手帳には、そこだけ開きやすくなっている部分があった。何度もそのページだけ確認したようだ。
 気になって、冒頭を無視して開きやすくなっている箇所を開く。
 中身は日記のようだった。日付と共に文章が綴られている。
 上から順に読んでいって、これは八代の父が書いたものだとわかった。会社や息子・妻だと思わしき人の名前が、随所に散りばめてある。
 羅列されている文字の中から見つけたある文章に、私の目は釘付けになった。

 俺がタイムリープしなければ、襟人は生まれなかったんだよなぁ。

 タイムリープ。八代の父親がタイムリーパー? しみじみしたその文体を、食い入るように眺めた。

 「若葉? ベランダにいんのか?」
 後ろからした声に、ハッとする。カラカラと窓を開ける音がして、とっさに手帳を服の中に隠した。

 「目が覚めちゃって」
 手帳が落ちないように、両手を腹の前で組み合わせて、服の上から押さえつける。
 さりげなく出来ているだろうか。違和感がないように出来ているだろうか。内心バクバクしながら、笑みを浮かべる。

 「そうか。おはよう」
 「おはよう」
 挨拶を交わすと、すぐに八代は家の中に入っていった。
 私もそろそろ出る準備をしなければならない。