「お風呂ありがとう。すっかりあったまったよ」
 「それは良かった。服大丈夫か?」

 袖の余ったパーカーと何回も折ったズボンを見下ろす。しかし、肩は見えないし、ズボンだって紐をきつめに縛れば、ずり落ちないので、問題ない。

 「大丈夫。ありがとね、ホントに。すごい助かる」
 私は、部屋を見渡してみる。

 きれいに片付けられた和室だ。というかほとんど物がない。
 入り口から見て左側にシングルベッドが置かれており、そこから少し離れたところに小さな本棚があった。右側に押し入れがあるのみだった。
 スペース自体はそんなにないはずなのに、私の部屋よりもずっと広く感じた。
 真正面の窓からベランダに出れるようになっている。八代の部屋は二階にあるため、夜になればギラギラと明るく騒がしい街の様子が見えるのだろう。
 もっともこんな天候では、さすがに営業しないんじゃないか、とも思うが。

 「きれいな部屋だね。ちゃんと整理整頓されてる。私の部屋とは大違い」
 「普通だろ」

 八代が一つしかない座布団を差し出してくれる。断ったところで押しきられるのが見えているので、礼を言って座らせてもらった。

 彼と向き合う形になる。黙ってるのも気まずいので、
 「雨、すごいね」
 と窓の外へ顔を向ける。
 「だな。雷はどっか行ったけど」
 「雷、苦手?」
 「いや、そんなに。落ちるのはごめんだが。――若葉は苦手そうに見えたけど」

 背負われていた時に、雷鳴が強く響く度、ビクッと震えていたのが、伝わっていたらしい。
 少しばつが悪くなり、指を組んだりほどいたりしながら、説明する。

 「う、うん。恥ずかしながらこの年になっても、かなり怖いんだ。昔、目の前で落ちたことがあって」
 「なるほど。そういうことがあったなら怖いに決まってるな。そんな中一人で帰ることになったら地獄だよな」
 「そうなんだよ! 幸と帰れる予定だったんだけど、大和さ――樹里亜の彼氏さんが車で迎えに来ててさ、座席が足りなかったから断っちゃった」
 同調されて嬉しくなり、声が弾む。

 「樹里亜も乗ってたんだ。マミと幸を乗せてくつもりだったみたいで」
 「最近、姉妹仲良いみたいだな」
 八代がしみじみと言う。その発言によって、風呂場で固めた決意を思い出した。
 背筋を面接時のようにピンと伸ばし、おずおずと切り出す。

 「あの……さ。前に弟のこと話してくれたじゃん?」
 「ああ。それがどうかしたか?」
 予期せぬ話題に、八代は切れ長の目を見張った。

 「弟に会いたいって言ってたよね?」
 「ああ。――若葉が嬉しいこと言ってくれたから、よく覚えてる。あいつも俺に会いたいはずだ、って」
 「うん。八代って絶対良い兄だったでしょ。私が弟ならまた会いたいって思うな。まあ一度離れた手前、また顔合わせるのは勇気いるかもだけど……」

 私にも八代みたいな兄弟がいてくれれば、両親が見てくれなくても、悲しくならなかったのに、と思う。

 「せめて元気なことが分かれば、安心できんだけどな。頼りに来ないってことは逞しくやってんのかな」
 不安と期待を含ませて、八代が呟いた。
 「弟を探したりしたの?」
 「現在でも捜索中だよ。あんまパッとしないけど。遠くの地方にでも行ってんのかもな。全然手がかりないし」

 そう言って憂鬱にため息を吐く。諦めたくないが、諦めかけてるといった様子だ。

 「ねぇ、八代」
 「ん?」
 「私も手伝うよ。弟さんを探すの。私にできることって少ないかもしれないけど、協力させて」

 私がそう言うと、八代は不思議そうな顔をして尋ねた。

 「何で若葉がそこまでしてくれんだ」
 「何でって――」

 理由は沢山ある。
 八代の役に立ちたいから。色々助けてもらった恩を返したいから。
 八代の孤独を和らげたいから。

 「色々あるけど、やっぱり一番は――八代に幸せになってほしい、からかな」

 この場所に連れてこられてから、よりいっそう強く願うようになった。
 彼が家族に会いたいのなら、会わせてあげたい。せっかく大切に思える家族がいるのに、一生会えないなんて、そんなのは悲しすぎる。

 「私がそうしたいだけなの。八代のことが大事だから、何もできないのが苦しい」
 「はっ……!?」
 八代の顔が朱に染まり、表情が固まる。
 自分がどれだけ思わせ振りなことを言ったのか、私も遅れて気付く。

 「あっ、違っ……数少ない大事な友達だし、ってこと! 変な言い方してごめんなさい!」
 ワタワタと無駄に身振り手振りをして、やけくそ気味に勢いよく謝る。

 「あ、うん……」
 控えめな声で返される。うつむいた顔が、気のせいか少し残念そうに見えた。

 「と、とにかく! 幸の件が片付いたら、二人で改めて調べようよ!」
 「いいのか?」
 「言ったでしょ。私がやりたいからやるんだって。八代には色々助けてもらったし、このままじゃ私の気が済まないの。今もこうして多大な迷惑をかけてるわけだし」
 「俺は迷惑なんて思ってないが……若葉がそう言うなら手伝ってもらおうかな。若葉がいてくれれば、大丈夫な気がしてくるんだから、不思議だ」

 そう言って、彼はフッと柔らかく笑う。八代の見せる表情の中で、私が一番好きな顔だ。
 頬が紅潮する。視線の置き所がわからなくなり、八代の後ろにあるベッドに行き着いた。
 あっ、と思い至る。そうだ、さすがに夜には帰らなくてはいけない。
 時計を見ると、17時近くになっていた。もうそんなに経ったのか、と驚く。

 「八代。さすがにもう帰るよ。ごめんね、私のわがままに付き合わせちゃって。制服も結構乾いただろうし、着替えてくるよ」

 立ち上がり、台所で扇風機の風を当てていた制服を、取りに行こうとした。しかし、八代が慌てたように言う。

 「待てよ。外かなり荒れてんだろうが。今帰るのは危険だ」

 雨や風は、治まるどころかどんどん激しくなっていた。窓にゴーゴーと叩きつける音がするほどだ。
 天気予報では夜がピークとのことだから、これから天候は荒れる一方だろう。

 「でもさすがに泊まるのは……ちょっと……」

 寝る時どうするのだろう、という心配が念頭にあった。一人暮らしで友人も招けないだろうこの家に、余分な布団なんて、十中八九ないだろう。
 もう一晩中起きてようか。明日は土曜日で、学校は休みなんだし。