「お邪魔します……」
 そう言って、おずおずと足を踏み入れる。
 ここが八代の住んでいるところ――。

 「ちょっと待ってろ。タオル取ってくる」
 八代は、玄関から左手にあるドアを開ける。洗面所なのだろう。タオルを取り出す気配と湯を沸かす音がする。

 「はい。まずは軽く拭いとけ。その後風呂使えよ」
 「本当に申し訳ない……図々しくお風呂までいただいて……」
 「いいから。ちゃんと浸かれよ? 身体を冷やすな」
 「うん……」

 靴の中までびちゃびちゃだ。靴下を脱いで絞ると、かなりの水分が出てきた。
 ゴシゴシと頭を拭く。

 「これ着替え。こんなのしかないけど、まだ使ってないやつだから」

 八代が厚手のパーカーとズボンを見せてくる。新しい服の匂いがした。最近手にしたばかりの物なのだろう。

 「大きいだろうけど我慢してくれ。脱衣所に置いとくからな」
 「何から何まで、本当にありがとう。――ではお借りします」

 ドキドキと鳴る胸に手を置いて、脱衣所へ入室する。
 洗面所の鏡に映る自分を見て、顔にカッと熱が集まった。これから八代の家のお風呂に入ることを意識させられる。
 八代もここで服を脱いでいるんだ、という考えがふいに頭に浮かんできて、慌てて首をブンブンと振る。
 制服を脱ぐ行為が普段よりうんと恥ずかしかった。裸になった自分をなるべく見ないように視線を彷徨わせながら、熱い湯を張った浴槽に全身を沈める。

 「あったかい……」
 全身の毛穴から、安らぎがじわじわと染みてくる。身体が温まると同時に、精神も順調に回復していった。
 先ほど通ってきた歓楽街へ思考を巡らす。

 “そっち系”のお店がところ狭しと並んでいて、台風のせいで人っ子一人いないというのに、身を隠したくなった。一度、昼間のキャバクラの前を通ったことがあるが、その辺りよりもずっといかがわしい看板で埋め尽くされていた。
 子供に存在すら知られてはいけない場所だ。

 さすがに今は、誰も歩いてなかったが、確かに普段は絶対に誰かを連れてきたくないだろう。
 アパートにはどんな人が住んでいるのか。八代はどんな気持ちで毎日ここで寝起きしているのか。実際に危険な目に遭ったこととかあるんだろうか――。

 お祭りの夜に聞いた壮絶な境遇を思い出す。
 父に殺されかけてどんな気分になったんだろう。親戚に疎まれ、唯一残った家族である弟が姿を消して、こんな場所で独り暮らすなんて――。
 彼がまだ未成年なことを思うと、私の胸は引き裂かれるようだった。

 「……よし」
 湯船の中で、私は一つ決意を固めた。