「来てくれてありがとう」
 部屋に通されてすぐに、マミがそう言ってペコリと頭を下げる。今までの彼女らしくない殊勝な態度に、私は面食らった。
 「それはいいから、内容を早く話してほしい」
 「うん。話は遡るんだけど――」


 わたし中学の頃、彼氏がいたの。今では別れて、未練は完全にないんだけど。
 その元カレは、わたしと付き合っていながら、幸を好きになってたんだ。
 ケンちゃんの気持ちに気付いたのは――あ、ケンちゃんって元カレのことね。
 ケンちゃんの気持ちに気付いたのは、付き合って結構経ってからだった。
 わたしはもちろんショックだったけど、それよりも怖いって気持ちの方が強かった。
 ケンちゃんは、幸を好きになってから、様子がおかしくなっていったの。
 わたしと話してる時も、ボーッとしていつの間にか幸の方を見てた。
 あとやたらと幸のことを、わたしに訊いてきたりもした。
 趣味や好きな物についての質問はまだ普通だけど、身長や体重なんてことまで知りたがるんだよ? 自分の彼氏ながら、気持ち悪いな、と思った。
 そんなケンちゃんだったけど、幸に直接何かするとかはなかった。
 それというのも、当時クラスには幸に話しかけにくい雰囲気が出来てて、幸に恋心を持ってるなんてバレたら、ケンちゃんまで何を言われるかわからなかったの。
 だからケンちゃんは、ただ幸をねっとりと見てるだけに留めてた。でもさ、授業中ずっとだよ。黒板なんて全然見てないわけ。
 わたし怖くなってきて。それで別れたの。
 ケンちゃんのことを、最近はすっかり忘れてたんだけど、樹里亜先輩から不審な男の話を聞いて、ふっと思い出したの。それと同時にもしかして――って思った。
 ケンちゃんが幸のストーカーになってるんじゃないかって。


 「悠ちゃんは、この前うちに侵入してきた男を特定したがってたでしょ? だからマミの推論を聞かせようと思って」
 「それはわかりましたけど……どうして樹里亜さんも交えてなんですか? わざわざここに連れて来なくても、学校で折野さんと話すことはできるのに」
 「うん。悠ちゃんとマミを集めたのは、二人にお願いしたいことがあるからなんだ」
 「お願い?」
 「うん。悠ちゃんはいつも幸と一緒に登下校してるよね?」
 「はい」
 「そこにマミも加えてほしい。人数は多い方が、向こうも手出ししにくいと思うから。マミ的には大丈夫?」
 「全然良いですよ! 樹里亜先輩。という訳で、わたしからもお願い。若葉さん」

 マミが両手を合わせて、頼み込んでくる。
 これからマミと登下校する、と考えたらとんでもなく気が沈んできたが、樹里亜の言うことはもっともだし、しょうがない。

 「わかった。登下校の時間が危険だろうし、しばらくは三人で帰ろう」
 「ありがとう! よろしくね若葉さん。あっ、悠って呼んでいい? これからよく行動するようになるんだから、いつまでも他人行儀じゃあれだよね?」
 「私は気にしないけど……そう呼びたいなら、好きにしてよ」
 「じゃあよろしくね、悠!」

 マミが馴れ馴れしいのは、樹里亜先輩の前だからなのか。普段の私への態度からは考えられないフレンドリーさに、酷くうろたえた。

 「これは私からのお願い。実はマミも悠ちゃんに頼みたいことがあるんだって」
 「折野さんも?」
 「マミでいいよ。わたしも名前で呼ぶんだし」

 マミはコホン、と喉の調子を整えて、ピンと背筋を伸ばす。

 「わたしはこれからケンちゃんが犯人かどうかを、確かめようと思うの。その調査を悠と襟人さんに手伝ってほしい」
 「私と八代に?」
 「うん。もしケンちゃんが犯人だった場合、元カノのわたしが説得すれば、幸を怖がらせるのをやめてくれるんじゃないかと思うんだよね。けど一人でヤバいかもしれない人に立ち向かうのはやっぱり怖いし、そもそも男性が無理になっちゃったってのもあるから……悠と襟人さんに協力してほしいんだ」
 「私だけじゃ駄目なの? あと元カレの連絡先とか知らないの?」
 「中学の時は、お互いケータイ持ってなかったから……固定電話の番号も、家族に会話を聞かれるのが恥ずかしいからって、教えてもらえなかった」

 無念……とばかりに唇を尖らせるマミ。

 「襟人さんにも協力してほしいのは、男の人についててもらいたいから。襟人さんなら体格いいし度胸もあるし、何よりすごく幸を思ってくれてるから、力になって頼もしいなって」
 「悠ちゃんだって襟人が居てくれたら、安心だよね?」

 樹里亜が問いかける。その口調は、私が承諾することを信じきっているようだ。
 しかし実際のところ、私は少し迷っていた。
 マミの発言は、いまいち信じられないからだ。さっきの話もまったくの嘘かもしれない、と疑っている。
 マミは嘘つきだ。
 幸に“あんなこと”をした理由について、いけしゃあしゃあと嘘八百を並べた女を、私は信用する気になれない。
 今回だって、何か良からぬことを企んでいたりするのでは――そんな疑念が拭えない。
 マミからの提案が、善意のものとは思えない。それくらい私の中では、彼女は油断ならない警戒すべき人物だった。

 「悠が嫌なら、無理にとは言わないけど……」
 決まりが悪そうに、マミは指を弄びながら付け足す。
 なかなか返事をしない私をちらりと見て、樹里亜がマミに話しかける。
 「悠ちゃんが無理だったら、襟人だけ誘ってみるの? マミ」
 「はい。断られるかもですけど――誘うだけ誘ってみます」
 その会話を聞いてハッとする。

 八代が断るわけがない。危険に首を突っ込む人をほっとけないだろうし、幸に付きまとう恐怖を払うためなら、尚更協力したいと言うはずだ。
 真偽が不明でも、何も行動しないよりは、とマミの誘いに乗ることが予想できる。

 「ごめん悠。さっき言ったことは、忘れて――」
 「待って」
 マミと八代を二人にしたくない。その思いが強く、私の中に立ち上ってくるのを感じる。
 「協力するよ。一緒に“ケンちゃん”について調べよう」
 マミは、パッと顔を明るくさせて、私の両手をがっしりと掴んでくる。

 「本当!? ありがとう! OKしてくれないんじゃないかって不安だったからさ。嬉しいよ、ホンットありがとね、悠!」

 掴んだ両手をブンブンと上下させながら、感謝を述べてくる。
 その勢いに若干気圧され、気付かれないように少し身を引いた。

 「ありがとう、悠ちゃん。私もマミだけで調査するのは、心配だったから、悠ちゃんがOKしてくれてホッとしたよ」

 樹里亜が安心したように肩の力を抜いて、ふーっと息を吐き出す。

 「マミが心配で同席したんですか?」
 「そうだね。私の頼み事はそのついでみたいなモノ。マミは大切な後輩だから、そりゃあ心配にもなるってもんだよ」
 「樹里亜先輩……!」
 ジーンとした様子で、樹里亜を見つめるマミ。
 「わたしも先輩のこと大好きですっ! 心配してくれてありがとうございますっ!」

 ガバッと頭を下げるマミを見て、この二人は本当に親しい関係なんだな、と感じて、私も学生の頃、慕ってくれる後輩が欲しかったことを思い出す。

 「じゃあ私はもう帰りますね」
 長居する気にはなれないので、さっさと失礼させてもらう。
 「うん。わざわざ休日に来てくれてありがとう。バイバイ」
 「また学校でねー!」
 樹里亜とマミが、手を振って笑いかけてくる。
 私も軽く振り返して、マミの家を出ていった。