『それはまずいんじゃないか?』
八代に、今日幸の家であったことをメッセージで伝えると、緊迫した文面が返ってきた。
『だよね。けど情報が何にもないし、手も足も出なくない? それがムズムズして、すごく嫌な感じ』
手掛かりがゼロでは、手の打ちようがない。
こんなふうに一歩も動けずにいる間に、もしも幸に何かあったら――。
そう思うだけで、不安と恐怖で寿命が削れるようだ。
『身の回りを注意深く観察するのと、幸を絶対に一人にさせないようにするくらいか。俺も出来るだけ気に掛けるよう努めるけど、悔しいが仕事もあるし、そこまで一緒には居られないんだよな……ごめん』
『八代は仕方ないよ。生活がかかってるんだから。そういうことなら私に任せて』
『頼もしいな。だが若葉も気をつけろよ。ヤバい事態になったら、無理に深追いすんな。自分のこともちゃんと大切にしろよ』
『わかった。十分に気をつけるよ。心配してくれてありがとう』
今はとにかく、幸の周りに気を配らねば。
逸る気持ちを抑えるように、ゆっくりと深呼吸した。
「お姉が悠ちゃんと話したいって言ってるんだ」
翌日の学校にて、幸から告げられた言葉に、目を丸くする。
「何で?」
「それはわかんないけど……昨日家に帰ってきた時に、悠ちゃんと内緒で話したいことがあるって言ってたの」
「内緒話……」
重要そうな響きに、ひどく興味を惹かれる。樹里亜は、何か大切なことを私に伝えたいのでは――。
思い当たるのは、幸に関することだ。であれば、断る道理はない。
「わかった。OKって伝えておいて」
そして訪れた約束の日。
日曜日の昼下がりに、駅前で樹里亜と落ち合う。
そのまま彼女に導かれるまま、住宅街を歩いていた。
もしや大和さんの住まいに向かってるのか? 半同棲しているという話だし、そこで内緒話をするのかもしれない。
人に聞かれたくないことを話すのだとしたら、外だと安心できないだろうし。
「ねぇ悠ちゃん。――幸が私についてあなたに話したことってある?」
半歩前を歩く樹里亜が、そんなことを訊いてくる。
気のせいかもしれないが、少しだけ声色が硬いように思った。
「ある。家にほとんど帰ってこない、って話してて、あなたについて話すときは、いつも寂しそうだった」
「そうか。やっぱりそうだったよね……」
私が少し咎めるように言うと、樹里亜は後悔するかのようにうつむいて、しんみりと呟いた。
その落ち込んでいるらしい様子が不思議で、私は自然と疑問が口をついて出ていた。
「何であなたは、幸にずっと素っ気なかったの? 家族なんだから、少しくらい気に掛けてくれても良かったじゃない」
そこで樹里亜は、滑らかに進めていた足を、ピタリと止めた。
「依存させたくなかったから。私は幸に、外の世界に目を向けてほしかった」
振り返った樹里亜を見て驚く。
彼女は、切なげに瞳を潤ませていて、今にも雫が目の端からこぼれ落ちそうだった。
「あの子は元々内気な性格だったけど、両親が海外に行ってから、それに拍車がかかってね。そばに残った唯一の家族の私に、より一層懐くようになった。それは嬉しいことだったけど……」
彼女の喉がゴクン、と動く。まるで震えそうになる声の調子を、必死に整えるように。そうして数秒の間をおいて、ゆっくりと口を開いた。
「ある時幸が言ったの。『私にはお姉がいないと駄目なの。だからずっと一緒にいようね』って。そう言われてから、私がいつまでもそばに居続けると、あの子は自分の道を見つけられないかもしれない、って不安でしょうがなかった。私もあのままじゃ幸に頼りきっちゃいそうだったから、外の交流に力を入れ始めた。このままじゃ、お互いにとって良くない。狭い世界の中で依存し合うなんて絶対に駄目だ、って」
樹里亜が語る真意に、私は目から鱗が落ちた気分だった。
冷酷にまで思える塩対応は、幸を疎ましく思ってのことじゃなかったのか。
呆然とする私を見て、樹里亜は目元を潤ませたまま、笑いかけた。
「だから今は安心してるの。また幸に向き合える気がしてる。悠ちゃんみたいな友達思いな子が、幸のそばにいてくれてるから。あの子にも私以外に大切な存在ができたんだって」
そこで樹里亜の顔に、陰が射す。すまなそうに眉を下げたかと思えば、軽くお辞儀をしてきた。
「この前は私、キツイこと言ったけど、悠ちゃんなりに幸を思ってのことっていうのは、ちゃんと理解してるんだ。幸を大切にしてくれて、本当にありがとう」
「いえ、そんな……親友なんですから、当然です」
私の返答を聞いて、樹里亜は目尻を軽く拭う。
「中学の時のことは、最近になってからわかったの。『幸と距離を置かなければ、当時の内に気づけてたのに』って思って……聞いてからずっと後悔してた」
「マミが告白してきたんですか? 中学の時のこと」
「うん。幸の高校に転校してきた頃に、打ち明けられたの。嫌われることを承知の上での懺悔だった。私はもちろんものすごく怒ったけど、『もう二度と人を陥れる真似はやめて』って約束させた」
私は、あのマミが馬鹿正直に謝るなんて、信じられない思いだった。
それが顔に出ていたのだろう。樹里亜は、深く頭を下げ、懇願するように言った。
「マミを好きになってくれ、とは言わない。でもマミに力を貸してほしいの」
「力を貸すって、どういうことですか?」
「それについて、これから話そうと思う」
樹里亜が顔を上げる。その視線の先には、『折野』と書かれた表札があった。
そびえ立つ一軒家を見上げる。
「ここ……マミの家?」
「そう。マミも交えて話したい」
「私は……マミとどう話せばいいか、わからないです」
「大丈夫、私もいるから。悠ちゃんにとって大事な話だと思うから、お願い」
樹里亜は宥めるように言って、インターホンを押した。
「はーい」とマミがドアを開けて、出迎える。
マミは、珍しく顔をどんよりと曇らせていた。
話というのは、なかなか重い内容のようだ。私も声を硬くして、「お邪魔します」と門をくぐった。
八代に、今日幸の家であったことをメッセージで伝えると、緊迫した文面が返ってきた。
『だよね。けど情報が何にもないし、手も足も出なくない? それがムズムズして、すごく嫌な感じ』
手掛かりがゼロでは、手の打ちようがない。
こんなふうに一歩も動けずにいる間に、もしも幸に何かあったら――。
そう思うだけで、不安と恐怖で寿命が削れるようだ。
『身の回りを注意深く観察するのと、幸を絶対に一人にさせないようにするくらいか。俺も出来るだけ気に掛けるよう努めるけど、悔しいが仕事もあるし、そこまで一緒には居られないんだよな……ごめん』
『八代は仕方ないよ。生活がかかってるんだから。そういうことなら私に任せて』
『頼もしいな。だが若葉も気をつけろよ。ヤバい事態になったら、無理に深追いすんな。自分のこともちゃんと大切にしろよ』
『わかった。十分に気をつけるよ。心配してくれてありがとう』
今はとにかく、幸の周りに気を配らねば。
逸る気持ちを抑えるように、ゆっくりと深呼吸した。
「お姉が悠ちゃんと話したいって言ってるんだ」
翌日の学校にて、幸から告げられた言葉に、目を丸くする。
「何で?」
「それはわかんないけど……昨日家に帰ってきた時に、悠ちゃんと内緒で話したいことがあるって言ってたの」
「内緒話……」
重要そうな響きに、ひどく興味を惹かれる。樹里亜は、何か大切なことを私に伝えたいのでは――。
思い当たるのは、幸に関することだ。であれば、断る道理はない。
「わかった。OKって伝えておいて」
そして訪れた約束の日。
日曜日の昼下がりに、駅前で樹里亜と落ち合う。
そのまま彼女に導かれるまま、住宅街を歩いていた。
もしや大和さんの住まいに向かってるのか? 半同棲しているという話だし、そこで内緒話をするのかもしれない。
人に聞かれたくないことを話すのだとしたら、外だと安心できないだろうし。
「ねぇ悠ちゃん。――幸が私についてあなたに話したことってある?」
半歩前を歩く樹里亜が、そんなことを訊いてくる。
気のせいかもしれないが、少しだけ声色が硬いように思った。
「ある。家にほとんど帰ってこない、って話してて、あなたについて話すときは、いつも寂しそうだった」
「そうか。やっぱりそうだったよね……」
私が少し咎めるように言うと、樹里亜は後悔するかのようにうつむいて、しんみりと呟いた。
その落ち込んでいるらしい様子が不思議で、私は自然と疑問が口をついて出ていた。
「何であなたは、幸にずっと素っ気なかったの? 家族なんだから、少しくらい気に掛けてくれても良かったじゃない」
そこで樹里亜は、滑らかに進めていた足を、ピタリと止めた。
「依存させたくなかったから。私は幸に、外の世界に目を向けてほしかった」
振り返った樹里亜を見て驚く。
彼女は、切なげに瞳を潤ませていて、今にも雫が目の端からこぼれ落ちそうだった。
「あの子は元々内気な性格だったけど、両親が海外に行ってから、それに拍車がかかってね。そばに残った唯一の家族の私に、より一層懐くようになった。それは嬉しいことだったけど……」
彼女の喉がゴクン、と動く。まるで震えそうになる声の調子を、必死に整えるように。そうして数秒の間をおいて、ゆっくりと口を開いた。
「ある時幸が言ったの。『私にはお姉がいないと駄目なの。だからずっと一緒にいようね』って。そう言われてから、私がいつまでもそばに居続けると、あの子は自分の道を見つけられないかもしれない、って不安でしょうがなかった。私もあのままじゃ幸に頼りきっちゃいそうだったから、外の交流に力を入れ始めた。このままじゃ、お互いにとって良くない。狭い世界の中で依存し合うなんて絶対に駄目だ、って」
樹里亜が語る真意に、私は目から鱗が落ちた気分だった。
冷酷にまで思える塩対応は、幸を疎ましく思ってのことじゃなかったのか。
呆然とする私を見て、樹里亜は目元を潤ませたまま、笑いかけた。
「だから今は安心してるの。また幸に向き合える気がしてる。悠ちゃんみたいな友達思いな子が、幸のそばにいてくれてるから。あの子にも私以外に大切な存在ができたんだって」
そこで樹里亜の顔に、陰が射す。すまなそうに眉を下げたかと思えば、軽くお辞儀をしてきた。
「この前は私、キツイこと言ったけど、悠ちゃんなりに幸を思ってのことっていうのは、ちゃんと理解してるんだ。幸を大切にしてくれて、本当にありがとう」
「いえ、そんな……親友なんですから、当然です」
私の返答を聞いて、樹里亜は目尻を軽く拭う。
「中学の時のことは、最近になってからわかったの。『幸と距離を置かなければ、当時の内に気づけてたのに』って思って……聞いてからずっと後悔してた」
「マミが告白してきたんですか? 中学の時のこと」
「うん。幸の高校に転校してきた頃に、打ち明けられたの。嫌われることを承知の上での懺悔だった。私はもちろんものすごく怒ったけど、『もう二度と人を陥れる真似はやめて』って約束させた」
私は、あのマミが馬鹿正直に謝るなんて、信じられない思いだった。
それが顔に出ていたのだろう。樹里亜は、深く頭を下げ、懇願するように言った。
「マミを好きになってくれ、とは言わない。でもマミに力を貸してほしいの」
「力を貸すって、どういうことですか?」
「それについて、これから話そうと思う」
樹里亜が顔を上げる。その視線の先には、『折野』と書かれた表札があった。
そびえ立つ一軒家を見上げる。
「ここ……マミの家?」
「そう。マミも交えて話したい」
「私は……マミとどう話せばいいか、わからないです」
「大丈夫、私もいるから。悠ちゃんにとって大事な話だと思うから、お願い」
樹里亜は宥めるように言って、インターホンを押した。
「はーい」とマミがドアを開けて、出迎える。
マミは、珍しく顔をどんよりと曇らせていた。
話というのは、なかなか重い内容のようだ。私も声を硬くして、「お邪魔します」と門をくぐった。