「大変失礼しました……」
 「落ち着いたか?」
 「はい。おかげさまで」
 情けない姿を見せた後、私は八代と共に近くの公園のベンチに座り込んでいた。

 「ごめん。変なとこ見せちゃって」
 「気にすんなよ。何があったんだ? あ、言いたくなかったなら構わない」
 「いや、誰かに吐き出さないとどうにかなりそうだったから――聞いてくれる?」
 「ああ。話して楽になるなら、いくらでも聞く」
 「ありがとう。さっそく暗いこと言っちゃうんだけど――」
 こんなこと口にしていいものか悩みながらも、恐々吐き出していく。

 「私の存在とか――ここにいる意味って何だろうって思って……」
 駄目だ、重すぎる。こんなの聞かされたら八代だって困ってしまう。
 頭を垂れて、膝の上で握り締めた拳を睨み付け、言ってしまったことを激しく後悔する。
 二人の間に、しばらく沈黙が漂う。

 「ひとつ思い出話していいか」
 「えっ……?」
 八代が脈絡なくそんなことを言い出し、思わずうつむいていた顔を上げる。
 八代は、遠い昔の尊い記憶を懐かしむような、安らかで優しい顔をしていた。

 「俺がまだ10歳にもなんないような、ガキの頃の話だ」
 「う、うん」
 「幸が女子たちに暴力を振るわれてるところを見たんだ。なんとか幸を逃がしたんだけど、そいつらが俺に怒ってきて」
 聞いたことある。以前幸が語ってくれた話だ。
 「俺は、大勢に囲まれて、困り果てた。ずらかろうにも動けねぇし」

 頭の中にその光景が、フッと浮かび上がる。まるでそこにいたかのように、鮮明に。

 「その時、『コラーッ!』ってデカイ声がしたかと思えば、ランドセルを背負ったちっこい女子が勢い良く割り込んできた」
 ああ、そうだ。
 「その女子は、腕を通せんぼみたいにバッと広げたんだよね?」
 「思い出したか」
 「うん、聞いてるうちに思い出したよ。何年も前にこの場所で会った少年――八代だったんだね」

 今の今まですっかり忘れていた。私たちは、ずっと前に一度会っていたのだ。

 「にしてもあん時は驚いたぞ。突き飛ばそうとしてきた奴の腕に、カブリと噛みついたんだから」
 「うっ……だって普通に取っ組み合ったら負けるし。ああするのが一番怖がってくれそうだって思ったんだよ」
 「確かにそうだが。当時は目を白黒させたもんだよ」
 幼い私の目論見通り、八代を取り囲んでいた女子たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 「少しの間、ポカンとしてたけど、我に返ってその女子に頭下げたんだ」
 「うん。お礼したいから名前を教えてくれって言われて、お互いに教え合ったんだった」
 「お礼つっても、何も思いつけないでいたら――」
 「『もしまた会えたら友達になって』」
 何年か前に、私が言った言葉を復唱する。
 「そう言ってさっさと立ち去ったんだよな。台風みたいな奴だなって思ったよ」
 「あはは……実はあの時、クラスの子と待ち合わせの約束してたことに気付いて、慌てて駆け出したの」

 確かに八代からしてみれば、おかしな子だっただろう。恥ずかしさが込み上げてきて、もじもじと身動きする。

 「もしかして――幸の家で会った時から、私のこと気付いてたの?」
 「顔を見た時に、何か会ったことあるような――って感じたけど、わかったのは、名前を聞いた時だ」
 「そうだったんだ……」

 というか八代はよく覚えていたな。幼い頃の些細な出来事なのに。
 ずっと八代に覚えられていた――そのことが私の気分を謎に上昇させた。

 「ずいぶん昔の事だし、今さら話されても、は? って感じになるよなーって思って黙ってたんだけど」
 「じゃあどうして今話したの?」
 さっきの私の失言との関連性が、まるで感じられない。

 「また若葉に会えて、こうして話すようになってさ、あの頃とまったく変わんないなって思ったんだ」
 「えっ? ちょっとショックなんだけど」
 「違う違う。良い意味で、だよ」
 「良い意味?」
 「他人のために一切迷わずに動けるところ。若葉はその行動力で人を救える。俺はそう思う」

 そう言って、膝の上で固く握りしめられていた私の手を包み込む。
 八代の手は大きく、筋張っていて――温かかった。

 「だから若葉が考え抜いてやってることなら、絶対無駄じゃない。自分じゃ信じられないなら、俺を信じてくれ」
 力強い眼差しでそんな殺し文句を言ってくる。心臓の鼓動が早まっていくのを感じる。
 「それに俺は、若葉といるだけで暗い気持ちが消し飛ぶ。若葉に出会えたことは一生の宝物だ」

 もう勘弁してほしい。自分が今どういう顔をしているのか。想像しただけで恥ずか死にそうだった。
 そんな私とは裏腹に、八代は余裕そうだ。言い淀んだりとか全然しなくて、威風堂々といった様子。よくもまあ、それほど涼しい顔をしていられるものだ。
 私にはとても無理……ん? でも――。

 私の手を包み込んでいる彼の手が、明らかに熱くなっている。
 「――八代も照れてる?」
 「そうに決まってんだろ」
 八代は私から手を離し、自身の口元を覆い隠した。彼も余裕綽々というわけではないらしい。
 暗くて顔色がわからないのがもどかしい。

 「見たかったなぁ……」
 ポツリと心の声が漏れ出てしまう。言った後で、そう思った自分に驚く。
 「何か言ったか?」
 「何でもない。ねぇ八代」
 「何だよ」
 「ちょっと頼りたいんだけど――いいかな」