「樹里亜さんの彼氏に会ったことってある?」
翌日。夏休みに入る前に八代と来たファミレスで、ランチをとっていた。
まず最初に大和さんと面識があるのかを確かめなければ。
「ない。幸ですら昨日初めて会ったんだと」
顔を見たこともないようだ。ならば――。
「樹里亜さんのこと、どう思う?」
「どうって……」
八代が返答に詰まる。目をつぶり顎に手を当てて、考え込んでいる。
「まあ思うところはある」
「っていうと?」
「幸に対して冷たいんだよな、家にずっと一人でいさせるし。幸が言うには毎日のように外泊してるみたいだ」
「樹里亜さんは、幸のことが嫌いなの?」
「いや、嫌いとすら思ってないんじゃないか。どうでもよさそうな感じだ」
でも気軽に会える家族は妹一人なのに。両親は海外にいるのだから、なかなか会えることはないだろう。
「けど幸は樹里亜のことが好きなんだ。あの広い家に一人でいるのは寂しいってのもあるんだろうが」
私にならって樹里亜呼びにしている。
「中学の頃から二人暮らししてきたんなら思い入れもあるだろうしね。甘えられる唯一の存在だったかもだし」
「遠方にいる親を心配させたくないしな」
だからさ、と八代が続ける。
「もうちょい幸を気にしてやってほしいっつーか……たまに話しかけたかと思えば頼みごとがほとんどなんだよ」
都合のいいときだけ声をかけるってことか。それは幸が気の毒だ。
「そんなことを幸は嬉しそうに話してくるんだ。『久しぶりに会話できたの』って。あいつは断れない性格だし、樹里亜に頼られたことが嬉しいのか、頼みごとも全部聞くんだ」
「八代はもう樹里亜とは全然話さないの?」
敬称が自然と外れる。話を聞いて彼女に怒り、と言うほどではないが、嫌な感情を抱いたからだ。
「ああ。仲良かったのなんか、歳が一桁のときくらいまでで、小学校を卒業したらまったく口聞かなくなっちまった。別に気まずいとかではないんだけどな」
幼馴染みなんてそんなもんか。私は幼稚園時代に、ずっと友達だよ、と約束した女の子がいたことをふいに思い出した。
今となっては名前も覚えていない。
「思うところはそのくらいだ。俺個人としてはそんなに関わりないしな」
「憎しみとかはないんだね?」
「は? 急に何だよ。そんなのないに決まってんだろ」
八代は怪訝な顔をしながらも、きっぱりと言った。
「俺、そんなに怖そうに話してたか?」
「いや、気にしないで」
八代の態度から憎悪は感じられなかった。樹里亜や大和さんへの殺意はゼロのようだった。
「思ったんだけど中学の出来事もさ、樹里亜は知らないのかな」
無関心だという話なら、幸の異変にも高確率で気づかない感じがする。
「俺も気付かなかったから、学校ではそれほど話題になってなかったと思うが……一緒に住んでればおかしいって感じることはあったかもな」
「持ち物を隠されたりとかあったしね」
「けどたとえ知ってたとしても、樹里亜は何も言わないような気もするんだよな」
「まあ、さっき聞いた感じだと、無関心って印象だからなぁ……」
「中学時代の二人については、俺もよく知らないが、今はホントにそんな感じだよ」
「じゃあマミがやったことを知ったとしても、無駄になっちゃいそう」
樹里亜に伝えたところで、何も変わらない気がする。
「マミのことを伝えれば、もう関わらないんじゃないかと期待したんだけど」
「またマミが家に来る可能性あるからな。樹里亜と仲良い限りは」
「今まで誰かを家に連れてきたりしなかったなら、大丈夫かなとは思うんだけどね」
「幸は『お姉が友達を連れてきたことはない』って言ってた。昨日も忘れ物取りにきただけだし、もう来ないんじゃないか」
「そう願うよ」
それにしても。
樹里亜は幸にとって良くない気がする。彼女は幸を愛していないようだし。
幸は姉のことが好きで、もっと親しくなりたいと願っているのに。一方通行の愛情だ。
彼女が頑なに私たちが来ていることを隠そうとしたのも、今なら納得できる。友達を家に上がらせたという、樹里亜の意にそぐ行為を隠したかった――少しでも嫌われたくなくて、必死だったのだ。
幸は、哀しみを抱えて生きてきたのだろう。中学生のときは、家でも学校でもひとりぼっちが長く続いたのだ。
以前の私は全然わからなかった。幸の孤独感を。やるせなさで顔に熱が集まる。
私は何もわからずにバカみたいに笑っていた。親友だと思っていたくせに、隠された哀しみに微塵も気付けなかった。
八代の方が理解者になれるのも当然だ。対抗心を燃やしていた自分が恥ずかしい――。
「ありがとな、若葉」
「え?」
私が自身の無能さに唇を噛んでいたら、八代が唐突にお礼を言ってきた。
「幸のそばにいてくれて」
「有り難がられることなんて何も出来てない。ただ一緒にいるだけなら誰にでも出来るじゃない」
「無理だ」
強めの口調で否定される。
「友情なんて脆いものだ。これと言った出来事がなくても簡単に人は離れていくし、それが普通だ。ましてや――」
真摯な眼差しが向けられる。
「そんなに他人のために怒ったりする奴は、希少だよ」
「でも……私はこれが当たり前だと思う。災難が友達の身に降りかかってたら、心をかき乱されるのは普通じゃないの?」
「そんなことねーよ。友達ってのは、なかなかそこまで思ってくれない」
八代は、尊敬するような眼差しで、私を見てくる。
「だから若葉みたいなやつがいてくれてすげー嬉しい。幸もきっとそう思ってるぞ」
「そう……なのかな。私ちゃんと何かしてあげられてたのかな」
「もちろん」
八代は大きく頷く。
せっかく過去に来たのに、何にも出来ていないって思ってたけど……そうか。
私がタイムリープしたのは無駄じゃなかったんだ。
「私、八代と会えて良かった」
「は? 何だよ急に」
「ありがとうってこと」
心の中の暗雲がスッと晴れていった気分だった。
「そんなん俺もだっつの」
八代が、ポツリとこぼした。
ベッドにごろんと仰向けになる。
樹里亜のことなんて全然わからない。マミみたいな人を友達にする思考も、家族を嫌ってるならともかく無関心だということも。
けれど理解できなくてもいい。マミと縁を切らせたかったけど、樹里亜が承知の上で交流を続けているなら、私に出来ることはこれまでと同じだ。
幸のそばにいること。そして――。
八代のことも気をつけて見なければいけない。彼が、人を殺す未来を抹消するために。
八代にそんなことをしてほしくない。
私は、強く思った。
翌日。夏休みに入る前に八代と来たファミレスで、ランチをとっていた。
まず最初に大和さんと面識があるのかを確かめなければ。
「ない。幸ですら昨日初めて会ったんだと」
顔を見たこともないようだ。ならば――。
「樹里亜さんのこと、どう思う?」
「どうって……」
八代が返答に詰まる。目をつぶり顎に手を当てて、考え込んでいる。
「まあ思うところはある」
「っていうと?」
「幸に対して冷たいんだよな、家にずっと一人でいさせるし。幸が言うには毎日のように外泊してるみたいだ」
「樹里亜さんは、幸のことが嫌いなの?」
「いや、嫌いとすら思ってないんじゃないか。どうでもよさそうな感じだ」
でも気軽に会える家族は妹一人なのに。両親は海外にいるのだから、なかなか会えることはないだろう。
「けど幸は樹里亜のことが好きなんだ。あの広い家に一人でいるのは寂しいってのもあるんだろうが」
私にならって樹里亜呼びにしている。
「中学の頃から二人暮らししてきたんなら思い入れもあるだろうしね。甘えられる唯一の存在だったかもだし」
「遠方にいる親を心配させたくないしな」
だからさ、と八代が続ける。
「もうちょい幸を気にしてやってほしいっつーか……たまに話しかけたかと思えば頼みごとがほとんどなんだよ」
都合のいいときだけ声をかけるってことか。それは幸が気の毒だ。
「そんなことを幸は嬉しそうに話してくるんだ。『久しぶりに会話できたの』って。あいつは断れない性格だし、樹里亜に頼られたことが嬉しいのか、頼みごとも全部聞くんだ」
「八代はもう樹里亜とは全然話さないの?」
敬称が自然と外れる。話を聞いて彼女に怒り、と言うほどではないが、嫌な感情を抱いたからだ。
「ああ。仲良かったのなんか、歳が一桁のときくらいまでで、小学校を卒業したらまったく口聞かなくなっちまった。別に気まずいとかではないんだけどな」
幼馴染みなんてそんなもんか。私は幼稚園時代に、ずっと友達だよ、と約束した女の子がいたことをふいに思い出した。
今となっては名前も覚えていない。
「思うところはそのくらいだ。俺個人としてはそんなに関わりないしな」
「憎しみとかはないんだね?」
「は? 急に何だよ。そんなのないに決まってんだろ」
八代は怪訝な顔をしながらも、きっぱりと言った。
「俺、そんなに怖そうに話してたか?」
「いや、気にしないで」
八代の態度から憎悪は感じられなかった。樹里亜や大和さんへの殺意はゼロのようだった。
「思ったんだけど中学の出来事もさ、樹里亜は知らないのかな」
無関心だという話なら、幸の異変にも高確率で気づかない感じがする。
「俺も気付かなかったから、学校ではそれほど話題になってなかったと思うが……一緒に住んでればおかしいって感じることはあったかもな」
「持ち物を隠されたりとかあったしね」
「けどたとえ知ってたとしても、樹里亜は何も言わないような気もするんだよな」
「まあ、さっき聞いた感じだと、無関心って印象だからなぁ……」
「中学時代の二人については、俺もよく知らないが、今はホントにそんな感じだよ」
「じゃあマミがやったことを知ったとしても、無駄になっちゃいそう」
樹里亜に伝えたところで、何も変わらない気がする。
「マミのことを伝えれば、もう関わらないんじゃないかと期待したんだけど」
「またマミが家に来る可能性あるからな。樹里亜と仲良い限りは」
「今まで誰かを家に連れてきたりしなかったなら、大丈夫かなとは思うんだけどね」
「幸は『お姉が友達を連れてきたことはない』って言ってた。昨日も忘れ物取りにきただけだし、もう来ないんじゃないか」
「そう願うよ」
それにしても。
樹里亜は幸にとって良くない気がする。彼女は幸を愛していないようだし。
幸は姉のことが好きで、もっと親しくなりたいと願っているのに。一方通行の愛情だ。
彼女が頑なに私たちが来ていることを隠そうとしたのも、今なら納得できる。友達を家に上がらせたという、樹里亜の意にそぐ行為を隠したかった――少しでも嫌われたくなくて、必死だったのだ。
幸は、哀しみを抱えて生きてきたのだろう。中学生のときは、家でも学校でもひとりぼっちが長く続いたのだ。
以前の私は全然わからなかった。幸の孤独感を。やるせなさで顔に熱が集まる。
私は何もわからずにバカみたいに笑っていた。親友だと思っていたくせに、隠された哀しみに微塵も気付けなかった。
八代の方が理解者になれるのも当然だ。対抗心を燃やしていた自分が恥ずかしい――。
「ありがとな、若葉」
「え?」
私が自身の無能さに唇を噛んでいたら、八代が唐突にお礼を言ってきた。
「幸のそばにいてくれて」
「有り難がられることなんて何も出来てない。ただ一緒にいるだけなら誰にでも出来るじゃない」
「無理だ」
強めの口調で否定される。
「友情なんて脆いものだ。これと言った出来事がなくても簡単に人は離れていくし、それが普通だ。ましてや――」
真摯な眼差しが向けられる。
「そんなに他人のために怒ったりする奴は、希少だよ」
「でも……私はこれが当たり前だと思う。災難が友達の身に降りかかってたら、心をかき乱されるのは普通じゃないの?」
「そんなことねーよ。友達ってのは、なかなかそこまで思ってくれない」
八代は、尊敬するような眼差しで、私を見てくる。
「だから若葉みたいなやつがいてくれてすげー嬉しい。幸もきっとそう思ってるぞ」
「そう……なのかな。私ちゃんと何かしてあげられてたのかな」
「もちろん」
八代は大きく頷く。
せっかく過去に来たのに、何にも出来ていないって思ってたけど……そうか。
私がタイムリープしたのは無駄じゃなかったんだ。
「私、八代と会えて良かった」
「は? 何だよ急に」
「ありがとうってこと」
心の中の暗雲がスッと晴れていった気分だった。
「そんなん俺もだっつの」
八代が、ポツリとこぼした。
ベッドにごろんと仰向けになる。
樹里亜のことなんて全然わからない。マミみたいな人を友達にする思考も、家族を嫌ってるならともかく無関心だということも。
けれど理解できなくてもいい。マミと縁を切らせたかったけど、樹里亜が承知の上で交流を続けているなら、私に出来ることはこれまでと同じだ。
幸のそばにいること。そして――。
八代のことも気をつけて見なければいけない。彼が、人を殺す未来を抹消するために。
八代にそんなことをしてほしくない。
私は、強く思った。