「ここにも誰もいない――か」
 「ほら~空耳だったんですよ、きっと」

 心臓がばくばくする。早く出ていってくれ。頼むから部屋の中を詳しく調べたりしないでほしい。
 私と八代は、ぎゅうぎゅう詰めになってクローゼットに隠れていた。
 大きめのクローゼットだが、服が入っているのでスペースはギリギリだ。
 だから私たちはぴったりと体を密着させて、息をひそめていた。

 八代の心臓も早鐘を打っていた。抱きしめ合うような姿勢になったので、互いの呼吸、心音がダイレクトに伝わってくる。
 こんなにも距離が近いことに対する戸惑いと、見つかるかもしれないという不安が同時に襲ってきて、頭の中は混乱状態だった。

 私、臭くないかな。少し身動きを取れば物音を出しそうだから、このままの体制をキープするしかないのだけど……すごく、すっごく落ち着かない。身体が熱くなって、汗臭いって思われたくないのに、発汗が止まらない。

 「うーんはっきり聞こえたんだけど」
 「わたしは全然わかんなかったですよ~」
 「あんたいつもボーッとしてるから」
 「そんなことないです!」

 お願い、早く出ていって!
 この状態にもう一秒だって耐えられそうにない。恥ずかしさで顔から火が出そう。
 両目をギュッと閉じて、二人が出ていってくれることをひたすらに祈る。

 「気のせいだったか」
 「車で大和さん待ってますし、早く行きましょうよ。忘れ物も取ってきたんですし」
 「そうだね。待たせちゃ悪いね」

 二人が幸の部屋のドアを閉じる。ほどなくして階段を下りる音がした。
 それが消えるのを待って、クローゼットの中からおそるおそる這い出る。

 「んっ。はぁっ……」
 無意識に呼吸を止めていたらしく、安心したとたんに息を大量に吐き出した。
 八代もシャツを掴んで、しきりにパタパタやっている。顔がずいぶん赤く、気まずそうな雰囲気を出している。
 それは私だって同じだ。妙な空気が部屋中に充満する。
 外で車が遠ざかっていく気配がして、少し経ったころ、幸がやってきた。

 「ごめんね二人とも! 大丈夫だった?」
 「あ……う、うん。大丈夫。問題ないよ」
 「悪い。勝手にクローゼットの中入っちまった」
 「ああいいよ、それくらい。お姉忘れ物取りに来ただけみたい」
 「後輩っぽい人もいたよな」
 「うん。ちょっとだけでいいから家を見てみたかったんだって」
 「そうか。……そいつさ、もしかして――」
 「まってエリちゃん」

 幸が片手を突き出して、それ以上いけない、とでも言うようなジェスチャーをする。
 「……?」
 私だけ何も分からずに、訝しげな顔になる。
 あとで八代から聞くとするか、と決意して、幸に訊ねる。

 「わざわざ隠そうとしなくて良かったんじゃ……お姉さん友達が家に来るの許してないの? 自分は連れて来てるのにそれはないんじゃない?」
 「うん。実はあまりいい顔しないっていうか……。禁止されてるわけではないから、そんなに心配しないで」

 そのわりにだいぶ焦っている気がしたが――。幸が言いたくないなら引き下がろう。
 これも八代に聞けばわかるのかな。
 いや、だけど――と私の脳裏に不安がよぎる。
 本人が隠したがっていることを、第三者から聞き出すってどうなんだろう。
 今更ながら考える。

 八代だって最初は、ポロッとこぼしたことを慌ててはぐらかそうとしていた。幸は八代を信用して秘密を話したのに、私は無理に探ろうとした。八代は悩んだ末に、マミがうちの学校にくるから、中学の経緯を話したのだろう。
 誰にでも隠しておきたいことがある。根掘り葉掘り探り出すのは、あまり良くないのでは……。

 「悠ちゃん?」
 幸の声でハッとする。私が黙り込んだから、どうしたのかと思ったのだろう。
 「あ、うん」

 「雨降りそうだな」
 八代が窓の外を見て呟く。遠くの方に暗い雲が覗いていた。
 「そういえば夕方から雨って天気予報が言ってたっけ」
 幸が、人差し指をピッと立てて、ひらめいたように言う。
 現在の時刻は14時半。

 「じゃあ降る前に帰るね。私傘持ってきてないし」
 「俺も帰るわ」
 「わかった。二人とも気をつけてね」
 幸は玄関前で右手をヒラヒラして、私たちを見送った。