ひとしきり笑った後、八代が言った。

 「今日は若葉んちに行くんだな、幸。ちょっと前にメッセージ来た」
 「は、はい。警察に相談しに行ってくれたりとかありがとうございました」
 「年近いんだからタメ口でいいぞ」
 「わかりました……あっ」
 「そんな丁寧になんなくてもいいって」

 ハハ、と屈託なく笑う八代。
 笑った顔の方が断然良いな。素直にそう思った。笑うと強面が目立たなくなり、近寄りがたい雰囲気がなくなる。

 「散歩って言ってたけど、この辺治安悪いから一人でうろつかない方がいいぞ」
 「そうなんだ」

 確か近くに歓楽街があるんだった。幼い頃に私を無視して外出する父を追いかけて、その存在を知ったんだ。

 「安全なところまで送ってく」
 「いやいいよ。悪いし」
 「さっきみたいな不良とかが夜になるとたくさん出てくるんだよ。頼むから送らせてくれ」
 「じゃあお言葉に甘えて……」

 まだ八代のことは怖いが、何か起こってしまってからでは遅いので、二人で帰るとする。
 歩き始めると、どこかの家から夕食のにおいが漂ってくる。
 辺りも薄暗くなり、夜が近付いているのがわかった。

 「八代さん……いや八代はこの辺に住んでるの?」
 「そうだな。けど俺ん家がある場所はもっと荒れてるぞ」
 「どれくらい?」
 「基本夜出歩かないくらい。俺は男だからまだしも女は絶対出歩かない方がいい。こわぁいツレでもいんなら別だけどよ」

 八代は夜の街に住んでいるのか。

 「あんま居心地は良くねぇけど、家賃がやっすいからそこのアパートで暮らしてる」
 それより、と八代が話題を切り換える。
 「幸って学校でどんな感じなんだ? 楽しそうか?」

 子どもが学校でうまくやれてるか気になる親のような質問だった。

 「楽しそうだよ。私もいるし」
 「そうか。良かった」
 「……ねえ幸って中学の頃大丈夫だったの?」
 おそるおそる尋ねる。

 「中学の話聞いたのか?」
 八代が険しい顔をする。
 「酷かったとしか聞いてないけど……」
 「そうか。やっぱ“あの事”話してないのか……」

 八代は険しい顔のまま、ポツリと気になることを口にした。

 「どうしたの? 幸に何かあったの?」
 とても気になる。もしや重い問題を抱えているのではないか。

 「けどもう夕食の時間だろ? そろそろ帰んなきゃじゃないか?」
 八代が呟いてしまったことに慌てて、話題を避けようとしている。
 けど聞き逃せない。

 「じゃあ今日は帰るけど、今度じっくり聞くから連絡先交換してくれる?」

 八代は、私よりずっと幸を知っているのかもしれない。幸が頼りにしているのは八代だけかもしれない。
 そう思ったら、悔しくなってきた。私だって親友だし、苦しんでいる事があるなら解決できる。
 八代よりずっと幸の理解者になれる。
 私の中に八代への対抗心が芽生えた。

 「わかった」
 八代は観念して携帯を取り出した。


 「おかえりなさい。けっこう遅かったね」
 部屋に帰ると、幸が座布団に座って待っていた。

 「私さっき八代に会ったよ」
 「エリちゃんに?」
 「うん。それでちょっと話してたの。連絡先交換とかしてたら時間かかった」

 幸は一瞬目を丸くしたが、やがて嬉しそうに口元をニンマリさせた。

 「へえ~そうなんだぁ」
 「……なに?」
 「まあエリちゃん強面だけど格好いいからね」

 私は慌てて否定する。

 「ちがっ……別にそんなんじゃなくて」
 「あははかわい~。顔赤~」

 反論したかったが、いい言葉が出なくてやめた。
 まさか幸の暗い過去を探りたいから、接近したなんて、本人にはとても言えない。