結局、好奇心に負けて、彼女を家に上げてしまった。
 「すぐに紅茶を用意しますので、少々お待ちください」
 「ありがとうございます。あっ、私の持ってきたお菓子、とても紅茶に合うんですよ。せっかくなので、一緒に食べてください」
 リビングに案内された彼女は、にこやかにそう勧めてくる。
 「じゃあ、一緒にいただきます」
 渡された箱の包装を開ける。マドレーヌのような焼き菓子で、確かに紅茶との相性は、抜群そうだ。
 「それで……私に話って何でしょうか」
 テーブルを挟んで、互いに向かい合う体勢になる。
 「はい。それなんですけれど……」
 田中さんは、少し前屈みになりながら、私と目を合わせる。
 「あなたは、タイムリーパーということで、間違いないでしょうか」
 一瞬何を言われたのか、わからなくなった。
 「は、はい? 何ですか?」
 質問の意図を掴めず、訊き返す。
 「時を遡ったことがあるか、ということです。私は、そのような事象があることを、知っています。取り繕おうとしなくても、よろしいですよ」
 彼女は、タイムリープ能力の存在を、知っている――。
 田中さんは、一体何者なのだろう。疑問は尽きないが、とりあえず待たせていた返答をする。
 「は、はい。私は未来から、やってきました。タイムリーパーで合っています」
 正確には、タイムリーパー"だった"だけれど――あの不思議な能力は、現在幸のところに移っているのだから。
 「そうですか。それを確かめた上で、見ていただきたいものがあるんです」
 そう言って鞄から出してきたものを、受け取る。
 「ここに書いてあることを、読んでほしいのです」
 差し出されたものは、手帳だった。
 困惑しながらも手帳を開き、記されていることに目を通す。
 それは、手記のようだった。

 ***

 早苗と結婚するんじゃなかった。
 若い頃、八代にフラれて傷心中のあいつを見た時は、チャンスだ! と心が沸き立ったというのに、いざ早苗と家庭を持ってみると、不満がみるみるうちに溜まっていった。
 一方、百合と結婚した八代は、幸せそうだった。俺はそれを妬ましく思い、あいつらが育児に忙しいのをいいことに、関わりを希薄にしていった。
 そんな時、ふと昔のことを思い出した。
 八代は、独身時代に二股をかけていて、百合と早苗、どちらと結婚すべきか悩んでいたが、ある日急に早苗をバッサリ切ったのだ。
 早苗を想っていた俺は、ありがたいと感じつつも、使用済みのティッシュみたいに早苗を捨てた八代に、怒りを覚えた。
 「どうして早苗をフッたんだ。お前つい最近まで、『やっぱ早苗かなー』とか溢してたじゃないか」
 八代の気持ちは、どちらかというと早苗に傾いていたはずだ。それなのになぜ――と当時の俺は、問い詰めた。
 するとあいつは、意味深な笑みと共に、こう言った。
 「早苗と結婚しても、イライラするばかりで、幸福にはなれないとわかったのさ。それに、この状況はお前自身が望んだことだろう? 良かったな、田中。お互いに幸せになろうぜ」
 大体こんな感じのことを言っていた。
 八代の言葉は、妙に現実味があった。実際に早苗と結婚したかのような空気感を、漂わせていた。
 それで、ピンときたのだ。
 あいつは、未来から来たんじゃないか? と。
 きっと未来のあいつは、早苗との結婚生活の不満を俺に話していたんだと思う。俺たちは何でも、相談できる関係だったから。
 八代なら、俺が早苗を好きだったことも、お構いなしに散々な愚痴を言うだろう。そういうやつだ。
 八代が結婚相手を選び直したい、と思っていることを知った俺は、“あの能力”をあいつに移したのではないか――。
 そんな考えが、浮かんだ。
 俺は、とっくの昔にあの能力を使ってしまった。
 俺は早苗を手に入れるため、過去に戻りたいと思っている八代に、能力を移したんだろう。きっとそうだ。
 高笑いしながら八代を刺す自分の姿が、容易く想像できた。
 糞が。
 余計なことをした未来の俺を殴り飛ばしてやりたい。
 早苗と結婚するべきではなかったのに。
 離婚してくれ、と早苗に伝えたら、「麗はどうするの!? 子どもには父親がいないと駄目よ!」とヒステリックな調子で、黙らされた。
 途方に暮れて、両親に「早苗との生活が、我慢ならないんだ」と相談した。
 息子が苦しんでいるのだ。両親ならば俺の願いのために動いてくれると信じていたのに——。
 返ってきた言葉は、散々だった。
 麗ちゃんはどうするの。早苗さん、いい人じゃない。お前、父親だろう。少しは周りのことを考えろ。
 もううんざりだ。麗さえ生まれなければ、俺は早苗と別れて、新しい人生を歩めたのに。
 あんなに可愛かった麗が、今はとてつもなく忌まわしい。俺が自由になれないのは、麗のせいだと思うと、とても幼い頃のように優しくできなかった。
 態度が変わった俺に、麗は戸惑った。ちょっと前までは溺愛してくれたのに、急に虫けらのように扱われれば、当然だろう。
 でもしょうがない。俺が今不幸なのは、全部あいつのせいなんだから。麗は、その報いを受けるべきなんだ。