実家に到着した。しかし私は、荷物を置いてすぐに、また靴を履く。

 「幸。ちょっと出掛けてくるから先に部屋で待っててくれる?」
 「わかった。何か用事?」
 「うーん……ちょっと野暮用」

 幸を置いて、私は再び彼女の家ヘ向かった。
 二階の窓で見かけた八代のことが、無性に気になったのだ。

 まだ居るだろうか――。
 幸の家ヘと続く上り坂に差し掛かったとき、八代が坂を降りてくるのが見えた。
 思わず近くの電柱に身を潜める。

 べつにこの時代の八代と遭遇しただけで、いきなり殺されることはないとはわかっている。
 しかし相手は、将来惨たらしい殺人を犯す危険人物だ。
 実際私も殺されかけたのだし、どうしても逃げたい隠れたいと思うのはしょうがない。

 八代は私に気づかないまま通りすぎていった。
 ちょうど帰るところだったらしい。

 八代の背中を見ながら、私は幸の家に行ったとして何をしたかったのだろうと思った。
 八代のことが気になって、なんの考えもなしに八代に会おうとしたが、会って話してもきっと何も変えられない。

 「あなたは悪い人なので幸と今後関わらないでください」と言ったところで向こうも、は? となるだけだろう。

 いやそもそも八代に頼むより、幸を『エリちゃんはすごく良い人』という思い込みから目覚めさせるべきだ。

 幸に納得してもらって縁を切らせた方が良いはず。
 そのためには、あいつの“悪”の証拠を掴まなくては。
 探っていけばあるはずだ。私は八代を尾行することにした。
 遠ざかりつつある背中を、足音に気をつけながら、小走りで追いかけた。


 八代は特に怪しい動きのないまま、歩いていった。

 それどころか、どうやってバランス取ってるのってくらいの大荷物を背負って歩いてたおばあさんから、荷物を取り上げると、家の前まで運んでいる姿を見た。おばあさんも八代もすごいと思う。
 他にも歩道橋の階段から転げ落ちそうだった男性を助けていたり、車にひかれそうになっていた猫を助けて、安全な場所に避難させたりなど行っていた。

 どういうことだ。まるで幸の言うとおり底抜けの善人みたいじゃないか。
 どんどんやる気が、しぼんでくる。

 地元ではあるが、あまり通ったことのない道を歩いていくうちに私は、行き当たりばったりの行動を後悔し始めた。
 尾行していったら何か掴めるだろうという自身の短絡的思考を恥じる。

 悪人だって毎日悪事を行うわけではない。帰宅するのにもいちいち事件を起こしていたら、とっくに何かしらの罪で逮捕されているだろう。
 これではストーキングしてる私の方が、よっぽど怪しい危険人物のようだ。

 やる気がしぼみつつあったからか、いつの間にか八代を見失っていた。
 けどもういいかな。このまま続けても意味ないと思うし。時間の無駄に終わりそう。

 諦めて家に帰ろうとしたところで、
 「おい、いい加減にしろよ!」
 八代の怒鳴り声が聞こえてきた。
 一瞬、自分に向けられたのかと思って飛び上がる。
 急いで声がした方へ向かう。
 大通りから外れた狭い道で、中学生らしき男子二人を八代が睨み付けていた。

 「いいから財布出せよ」
 八代が二人を詰める。
 カツアゲだ! しかも中学生相手になんて卑劣な。
 やはり、こういうことをする人間だったんだ。本性を表したな!
 あの子たちを助けなければ。

 「だから早く返せって!」
 八代が予想していなかったセリフを言う。
 え? 返せってどういうこと?
 「ちっ、邪魔しやがって!」
 二人組みの一人が財布を八代に投げつける。そして彼らは、こっちに向かって走ってきた。

 「どけ!」と進路をふさぐ私に怒鳴ってくる。
 慌ててよけたが、肩同士がぶつかって、私はしりもちをついてしまった。
 彼らは振り返らずに走り去っていった。

 「お姉さん、大丈夫ですか?」
 まだ幼さを残した声に話しかけられる。
 気付かなかったが、少し離れた場所にもう一人いたらしい。
 ランドセルを背負った小学4、5年生くらいの子だった。

 「大丈夫だよ、ちょっとぶつかっただけだから。心配してくれてありがと」
 少年にお礼を言って、スカートの乱れを直しながら立ち上がる。

 「若葉? こんなとこで何してんだ?」
 八代も私のところへ駆け寄ってきた。
 「散歩です」
 「そうか。嫌なもん見せちまったな、悪い」
 「いえ大丈夫です」

 八代の片手には、投げつけられた財布が握られていた。
 少年がパッと顔を明るくさせる。

 「ありがとうございます、お兄さん!」
 「ああ、取り返せて良かったな」
 「はい!」

 八代が握っていた財布を少年に渡す。
 和やかな空気が流れる。私一人だけ状況についていけず、しばし呆気に取られていたが、ハッと思い至り、八代に訊ねる。

 「その子カツアゲされていたんですか?」
 「そうだな。無理やり盗られたところに出くわしたから、声かけたんだ」
 「財布貸してって言われて、嫌です! って言ったら肩押さえつけられて盗られちゃったんです」
 少年も説明してくれる。

 「お兄さんが来てくれなかったら、取り返せませんでした。ありがとうございました。さようなら!」
 「気をつけて帰れよ―」

 少年が手を振りながら去っていく。八代も柔らかな笑顔を見せ、振り返す。
 私はしばらくポカンとしていたが、しだいに可笑しくなってきた。

 「っく……、ふふっ」
 八代がギョっとした顔で見てくる。
 「どうした? 急に。何かあったか?」
 「だって……、財布出せよ、なんてそっちが脅してる風にしか聞こえな……あははっ」

 私の言葉を聞いて、八代は自分の言動を思い返しているようだった。

 「ははっ! 確かにそうだな。俺が中学生相手にカツアゲしてるように見えただろうな!」

 私たちは、なんだかツボに入ってしまい、しばらくの間二人で笑い続けた。