互いに入浴を済ませて、夕飯も食べた後、八代とリビングのソファーに座り、テレビ番組を見る。
特に見たいわけでもなかったのだが、何もしないでいるのも、気が滅入ってしまうと思ったので、適当にやっていた番組を視聴していた。
私たちは、基本的に無言だった。時折テレビの中の芸能人の発言に、かすかに笑ったり、短いツッコミをするのみで、会話らしい会話はしなかった。
八代が一度自宅に戻った後、再び私の家に来た時から、なんとなく気まずい空気が流れている。
私たちの間に漂っているその雰囲気は、居心地悪いような、良いような――不思議な感じだった。
手指を組み合わせて、ほどいて――といった仕草を無駄に繰り返してしまう。
八代もさっきから、やたらと足を組んだり崩したりしている。相手がおぼつかない感覚でいることを、両者とも無言で察していた。
液晶に目を奪われているフリをしながら、横目で彼の様子を窺う。そんなことをもう何度もしていた。
うっかり目が合いそうになって、慌てて視線を反らすのも、一度二度ではなかった。
八代も、きっと私と同じことをしている。私が彼を見ていない時、隣からビシビシと視線を感じるから。
互いに目が合いそうになったら、反らして――また盗み見てを、繰り返している。
爽快感溢れる飲料水のCMが、場違いに響く。
「若葉は――」
突然名前を言われて、どきりとする。肩がわずかに跳ねたのを自覚して、少し恥ずかしくなる。
「何時に寝るつもりなんだ?」
八代が発したのは、もっともな問いだった。時刻はまだ、19時になろうとしているところだったが、疲労回復のために早めに寝るのかもしれない、と思ったのだろう。
「えっと……21時くらいかな……」
実際に今日は、いつもより早くベッドに入ろう、と考えていたので、非常に健康的な就寝予定時刻を伝える。
「色々あったからな」
労るように言う。
「それとも、八代的にはもっと早い方が良い? なら合わせるけど……」
「いや、俺もそんくらいの時間が良いと思ってたから、大丈夫だ」
「そっか……」
また会話に行き詰まってしまう。何かないかと脳内を探るが、残念なことに良い話題は見つからなかった。
降参するように、テレビを見る。
「あっ……」
思わず声を洩らしたことを、瞬時に後悔する。
私の視線に引き寄せられて、彼もテレビに目をやってしまったからだ。
いつの間にか別の番組に変わっていたらしく、画面の中では、男女のキスシーンがアップになっていた。
数年前に社会現象にもなったドラマの再放送のようだ。恋に苦しむ者たちを描いた作品で、多くの人間の心を掴んだテレビドラマ。
恋っていいよね、好きな人がいるっていいよね。中学の時のクラスメイトたちは、うっとりとした表情でそう語って、校内で恋愛ブームが巻き起こった。
私も何度か話しただけの男子に、告白されたことがある。
方々で浮かれムードが漂っていた。もっともそれは、ひと月かふた月そこらで収まった。
寒空の下にホットラテを置いた時のように、彼ら彼女らの愛は、あっという間に冷めていった。
当時の私は、ほらね、と失笑したものだ。
恋愛なんて、こんなものだって。一時的な気の迷いで、そこに尊さなど存在しないのだと。
次々と消滅していくカップルを、ひそかに嘲笑うことで、誰のことも信じようと努力しない自分を、正当化していた。
私は、画面の中の男女から、目が離せなくなっていた。八代もただ黙って、物語の流れを見守っている。
ドラマは、ヒロインが涙を流しながら、想い人に過去のトラウマを打ち明けるシーンに入っていた。
「まだ幼い頃、両親が離婚して――あんなに仲が良かったのに何で、って気持ちでいっぱいだった。おしどり夫婦として、近所でも評判だったくらいなのに……」
子ども時代の彼女は、怖くなったのだと言う。人を愛することは――愛し続けることは、とても困難なのだ。
「だから貴方に、何度も好きだと言われても、信じられなかった。どうせ今だけだ、って。でも――」
ああ、私が嫌いだった場面が、もうじきやってくる。
「『10年後も気持ちが変わらなかったら、会いに来て』なんて約束を、守ってくれたなんてね。貴方は大馬鹿者よ」
ヒロインは、涙を拭って、美しく微笑む。
「私の負け。貴方を信じてみることにする。結婚しましょう」
そう言って、彼女の方から再びキスをする。
熱く抱き合う恋人たちを見て、自然と目頭が熱くなった。
最初にこのシーンを見た時は、こんなふうにはならなかった。白々しい気持ちで、いっぱいだったのに。
友達の話についていくために、しょうがなく見ていたドラマだった。最初から最後までまったく心動かされなかったのに。
「私さ、このシーン大嫌いだったんだよね」
ぽつりとこぼす。八代が怪訝そうな目を向けてくる。
「たぶん、羨ましかったんだと思う。私もいつかこんな恋愛ができるかも……なんて、ほのかな期待を抱きそうになって――いや、そんな夢を見ちゃいけない、これは所詮フィクションだ、って諦念で塗りつぶした」
だって、傷つきたくなかった。いつかは失われるだろうあやふやなものに、それでも希望を求めながら手を伸ばす覚悟は、私にはなかった。
「それで、どこか斜めに構えながら、このドラマを見てた。全部見終わって抱いた感想は、くだらないな、っていう冷めたものだった」
「今は違うだろ?」
八代が、すでにわかりきっていることを、確かめるように訊ねる。
それもそのはずだ。私は、熱い涙を絶えず流していた。冷めた感想を抱いている人間から、そんなものは出てこない。
「うん。純粋に感動してるよ。――想像もしてなかった。ラブシーンに泣ける日が来るなんて」
エンディングが流れていく。胸に染みるラブソングが、部屋の空気をセンチメンタルなものに変える。
ティッシュで目元を拭き、彼に向き直った。
「八代。私の恋人になってくれない?」
「え……」
私の申し出に、彼は間抜けな声をあげる。
それもそうだろう。朝方に私は、『今はそういうこと考えるのは難しい』と言ったばかりなのだ。
「気が変わったの。……私、どこかで“付き合う”ってことを浮わついたものだと思ってた。こんな大変な時に、うつつを抜かすなんて、言語道断だって」
幸が死ぬかもしれないのに、私だけ享楽に浸るわけにはいかない。そんなふうに考えていた。
「でも違う。交際は真剣なもので、浮かれた気持ちなんて、私たちの間には存在しない――それがわかったの」
「ああ、そうだな。俺はいたって真剣だよ。互いが互いを支え合える関係を、若葉と築いていきたいと思っている」
八代が、真摯な眼差しで告げる。そんな彼を見て、覚悟が決まった。
「普通のカップルみたいに、デートとかは、しばらく出来ないだろうけど――それでも私は、八代と付き合いたい。八代は、どう思ってるの?」
首を傾げて訊くと、彼は私の肩に手を置いて、真正面から瞳を覗き込んだ。
心臓が跳ねる。
「俺も若葉を恋人にしたい。恋人らしいことが何も出来なかったとしても、関係ない――」
彼はそこで言葉を区切り、気合いを入れるかのように、息を吸い込んだ。
「俺の恋人になってくれ。絶対に後悔させない。若葉をもう悲しませないように、俺頑張るから」
「うん。えっと……不束者ですが、よろしくお願いします」
頭をペコリと下げると、「ああ、こっちこそよろしく」と八代が微笑んだ。
「……抱き締めてもいいか?」
「う、うん」
優しい力で、全身を包み込まれる。彼の心臓が早鐘を打っているのが、伝わってきた。
「私、八代にこうされるの大好き」
彼の広い背中に手を回し、自身の身体を押し付ける。
「八代とひとつになれるような気持ちになれるの。身体だけじゃなくて、心の距離も近づく感じがして――ああ、幸せだなぁって思う」
私を抱き締める八代の手に、ぐっと力がこもった。そして深いため息と共に、「お前なぁ……」と呆れたような声を出す。
「本当だよ。この一瞬が永遠になれば良いのに、なんてことまで思っちゃう」
「別に疑ったわけではねぇよ……」
今彼はどんな顔をしているのだろう。ふと気になった。
一旦身体を離そうと、八代の胸に手を当てると、彼はそれを拒むように力を強くした。
驚いたけれど、同時になんともいえぬ恍惚が、身体の内側から湧く。八代に求められてる事実が、私を熱くした。
肩越しに見える彼の耳が、赤く染まっているのを見て、さらに気分が上昇していく。
今なら、何でもできる。そんな気持ちにさえなった。
特に見たいわけでもなかったのだが、何もしないでいるのも、気が滅入ってしまうと思ったので、適当にやっていた番組を視聴していた。
私たちは、基本的に無言だった。時折テレビの中の芸能人の発言に、かすかに笑ったり、短いツッコミをするのみで、会話らしい会話はしなかった。
八代が一度自宅に戻った後、再び私の家に来た時から、なんとなく気まずい空気が流れている。
私たちの間に漂っているその雰囲気は、居心地悪いような、良いような――不思議な感じだった。
手指を組み合わせて、ほどいて――といった仕草を無駄に繰り返してしまう。
八代もさっきから、やたらと足を組んだり崩したりしている。相手がおぼつかない感覚でいることを、両者とも無言で察していた。
液晶に目を奪われているフリをしながら、横目で彼の様子を窺う。そんなことをもう何度もしていた。
うっかり目が合いそうになって、慌てて視線を反らすのも、一度二度ではなかった。
八代も、きっと私と同じことをしている。私が彼を見ていない時、隣からビシビシと視線を感じるから。
互いに目が合いそうになったら、反らして――また盗み見てを、繰り返している。
爽快感溢れる飲料水のCMが、場違いに響く。
「若葉は――」
突然名前を言われて、どきりとする。肩がわずかに跳ねたのを自覚して、少し恥ずかしくなる。
「何時に寝るつもりなんだ?」
八代が発したのは、もっともな問いだった。時刻はまだ、19時になろうとしているところだったが、疲労回復のために早めに寝るのかもしれない、と思ったのだろう。
「えっと……21時くらいかな……」
実際に今日は、いつもより早くベッドに入ろう、と考えていたので、非常に健康的な就寝予定時刻を伝える。
「色々あったからな」
労るように言う。
「それとも、八代的にはもっと早い方が良い? なら合わせるけど……」
「いや、俺もそんくらいの時間が良いと思ってたから、大丈夫だ」
「そっか……」
また会話に行き詰まってしまう。何かないかと脳内を探るが、残念なことに良い話題は見つからなかった。
降参するように、テレビを見る。
「あっ……」
思わず声を洩らしたことを、瞬時に後悔する。
私の視線に引き寄せられて、彼もテレビに目をやってしまったからだ。
いつの間にか別の番組に変わっていたらしく、画面の中では、男女のキスシーンがアップになっていた。
数年前に社会現象にもなったドラマの再放送のようだ。恋に苦しむ者たちを描いた作品で、多くの人間の心を掴んだテレビドラマ。
恋っていいよね、好きな人がいるっていいよね。中学の時のクラスメイトたちは、うっとりとした表情でそう語って、校内で恋愛ブームが巻き起こった。
私も何度か話しただけの男子に、告白されたことがある。
方々で浮かれムードが漂っていた。もっともそれは、ひと月かふた月そこらで収まった。
寒空の下にホットラテを置いた時のように、彼ら彼女らの愛は、あっという間に冷めていった。
当時の私は、ほらね、と失笑したものだ。
恋愛なんて、こんなものだって。一時的な気の迷いで、そこに尊さなど存在しないのだと。
次々と消滅していくカップルを、ひそかに嘲笑うことで、誰のことも信じようと努力しない自分を、正当化していた。
私は、画面の中の男女から、目が離せなくなっていた。八代もただ黙って、物語の流れを見守っている。
ドラマは、ヒロインが涙を流しながら、想い人に過去のトラウマを打ち明けるシーンに入っていた。
「まだ幼い頃、両親が離婚して――あんなに仲が良かったのに何で、って気持ちでいっぱいだった。おしどり夫婦として、近所でも評判だったくらいなのに……」
子ども時代の彼女は、怖くなったのだと言う。人を愛することは――愛し続けることは、とても困難なのだ。
「だから貴方に、何度も好きだと言われても、信じられなかった。どうせ今だけだ、って。でも――」
ああ、私が嫌いだった場面が、もうじきやってくる。
「『10年後も気持ちが変わらなかったら、会いに来て』なんて約束を、守ってくれたなんてね。貴方は大馬鹿者よ」
ヒロインは、涙を拭って、美しく微笑む。
「私の負け。貴方を信じてみることにする。結婚しましょう」
そう言って、彼女の方から再びキスをする。
熱く抱き合う恋人たちを見て、自然と目頭が熱くなった。
最初にこのシーンを見た時は、こんなふうにはならなかった。白々しい気持ちで、いっぱいだったのに。
友達の話についていくために、しょうがなく見ていたドラマだった。最初から最後までまったく心動かされなかったのに。
「私さ、このシーン大嫌いだったんだよね」
ぽつりとこぼす。八代が怪訝そうな目を向けてくる。
「たぶん、羨ましかったんだと思う。私もいつかこんな恋愛ができるかも……なんて、ほのかな期待を抱きそうになって――いや、そんな夢を見ちゃいけない、これは所詮フィクションだ、って諦念で塗りつぶした」
だって、傷つきたくなかった。いつかは失われるだろうあやふやなものに、それでも希望を求めながら手を伸ばす覚悟は、私にはなかった。
「それで、どこか斜めに構えながら、このドラマを見てた。全部見終わって抱いた感想は、くだらないな、っていう冷めたものだった」
「今は違うだろ?」
八代が、すでにわかりきっていることを、確かめるように訊ねる。
それもそのはずだ。私は、熱い涙を絶えず流していた。冷めた感想を抱いている人間から、そんなものは出てこない。
「うん。純粋に感動してるよ。――想像もしてなかった。ラブシーンに泣ける日が来るなんて」
エンディングが流れていく。胸に染みるラブソングが、部屋の空気をセンチメンタルなものに変える。
ティッシュで目元を拭き、彼に向き直った。
「八代。私の恋人になってくれない?」
「え……」
私の申し出に、彼は間抜けな声をあげる。
それもそうだろう。朝方に私は、『今はそういうこと考えるのは難しい』と言ったばかりなのだ。
「気が変わったの。……私、どこかで“付き合う”ってことを浮わついたものだと思ってた。こんな大変な時に、うつつを抜かすなんて、言語道断だって」
幸が死ぬかもしれないのに、私だけ享楽に浸るわけにはいかない。そんなふうに考えていた。
「でも違う。交際は真剣なもので、浮かれた気持ちなんて、私たちの間には存在しない――それがわかったの」
「ああ、そうだな。俺はいたって真剣だよ。互いが互いを支え合える関係を、若葉と築いていきたいと思っている」
八代が、真摯な眼差しで告げる。そんな彼を見て、覚悟が決まった。
「普通のカップルみたいに、デートとかは、しばらく出来ないだろうけど――それでも私は、八代と付き合いたい。八代は、どう思ってるの?」
首を傾げて訊くと、彼は私の肩に手を置いて、真正面から瞳を覗き込んだ。
心臓が跳ねる。
「俺も若葉を恋人にしたい。恋人らしいことが何も出来なかったとしても、関係ない――」
彼はそこで言葉を区切り、気合いを入れるかのように、息を吸い込んだ。
「俺の恋人になってくれ。絶対に後悔させない。若葉をもう悲しませないように、俺頑張るから」
「うん。えっと……不束者ですが、よろしくお願いします」
頭をペコリと下げると、「ああ、こっちこそよろしく」と八代が微笑んだ。
「……抱き締めてもいいか?」
「う、うん」
優しい力で、全身を包み込まれる。彼の心臓が早鐘を打っているのが、伝わってきた。
「私、八代にこうされるの大好き」
彼の広い背中に手を回し、自身の身体を押し付ける。
「八代とひとつになれるような気持ちになれるの。身体だけじゃなくて、心の距離も近づく感じがして――ああ、幸せだなぁって思う」
私を抱き締める八代の手に、ぐっと力がこもった。そして深いため息と共に、「お前なぁ……」と呆れたような声を出す。
「本当だよ。この一瞬が永遠になれば良いのに、なんてことまで思っちゃう」
「別に疑ったわけではねぇよ……」
今彼はどんな顔をしているのだろう。ふと気になった。
一旦身体を離そうと、八代の胸に手を当てると、彼はそれを拒むように力を強くした。
驚いたけれど、同時になんともいえぬ恍惚が、身体の内側から湧く。八代に求められてる事実が、私を熱くした。
肩越しに見える彼の耳が、赤く染まっているのを見て、さらに気分が上昇していく。
今なら、何でもできる。そんな気持ちにさえなった。
