その後、しばらくさぼっていた掃除をした。客人である八代にも手伝わせることになって、少し恥ずかしい。

 「ごめんね、手伝ってもらっちゃって……」
 「俺だけ何もしないで座っているのも、落ち着かないし、いいんだよ」

 快く働いてくれた彼に、せめてもの報酬として、戸棚の奥にしまっておいた、とっておきのコーヒーをいれる。
 テーブルを挟んで、向かい合う。
 二人で熱いコーヒーをちびちびと飲みながら、一息つく。

 「ふふっ」
 「どうした?」

 唐突に笑い声を洩らした私を、八代は不思議そうに見遣る。

 「なんだか――良いなぁ、って思って。こうやって向かい合って、同じ仕草をするの。家にいる時、向かい側に人が座ってることなんてないから……ちょっと楽しくなっちゃった」

 基本的に、家の中は私一人しかいない。家族が帰ってくることがあっても、向かい合ってお茶など、絶対にしない。

 「八代と暮らせば、きっと幸せだろうなぁ」

 深く考えずに呟いたのだけれど、真剣な声音が返ってくる。

 「じゃあ……一緒に暮らさないか」
 「え?」
 「今は無理だけど――いつかは二人で暮らそうぜ」
 「いいの?」
 「俺は、若葉のそばにいたいから。若葉が生活の一部になればどんなに良いだろう、ってずっと思ってた」

 目頭がじんと熱くなってくる。
 彼が私との未来を考えていてくれたなんて。脆くなった涙腺が、破壊されそうになる。
 込み上げてくるものをせき止める。

 「私も同じ気持ち。私のこれからの人生には、八代がいてほしい。苦しい時は、そばにいてほしいし、逆に八代がきつい時は、私が支えたい。一緒に歩いていきたい」

 沸き上がる感情のままに話す。八代は目を見張って、私の言葉を聞いていた。
 勢いに任せて、すごく恥ずかしいことを口走ってしまった。しかし、まごうことなき本心なので、今さら誤魔化したりはしない。

 「あ、そうだ。確かお菓子があったんだ。用意してくるね」

 閃いた、というように手を叩いて、足早に台所へと向かった。
 適当に戸棚を探っているフリをする。
 お菓子なんて、本当はどこにもない。席を外すための言い訳でしかなかった。

 頬の熱が引くまで、少し時間を要した。八代の元へ戻った時にも、「ごめん。やっぱなかった」と言う声が、どこかぎこちないものになった。



 そんなこんなで、あっという間に夕方になってしまった。
 日が傾いていくのを見て、焦燥感が湧いてくる。

 「ねぇ、八代。やっぱり泊まってくれないかな」

 悩んだ末に、躊躇いがちに切り出す。

 「駄目そうか」
 「うん。寝ちゃえば大丈夫かな、とも思ったんだけど……絶対に夜中に目が覚めちゃうし」

 中途半端な時間に目が冴えてしまったら、最悪だ。深夜が一番精神的に危ないのに。

 「でも無理にとは言わないから……」

 申し訳なさからそう付け足すと、八代が問うてくる。

 「けど、俺が泊まらない、って言ったら、どうする気なんだ?」
 言葉に詰まる。どうするも何も――。

 「その場合は、しょうがないよ。なんとか気を紛らせられるように、頑張ってみる」

 前向きな口調でそう言って、ぎこちなく笑う。
 テレビで明るい番組でも見るしかない――いや、その方法はすでに失敗していたのだった。
 不安そうにしているのが、伝わったのだと思う。八代は、私をじっと見つめた後、しょうがない、という風に言った。

 「泊まることにする」
 「え? ホント?」
 「そんな顔してる奴を置いて、帰れるわけないだろ」

 私はそんなに酷い形相をしているのだろうか。顔に手をやって、表情筋をほぐす。

 「若葉が辛い時に、何もできないってのも、癪だしな」
 「ありがとう。八代がいてくれたら、きっと怖くない……と思う」



 それから八代は、泊まりに必要な準備をするために、一度家に帰った。
 私は、やけにそわそわと落ち着かなかった。

 八代の言葉を思い出す。
 私が八代の家に泊まった時とは、何もかも違う――。
 私たちは、まだ恋人同士ではない。

 しかし、今はそれどころではない、という理由から、交際を保留にしているだけで、私と八代は、すでに両思いの男女だ。
 彼が懸念していたように、間違いが起こるかもしれない。

 頭をブンブンと振って、邪な思いを打ち消す。
 駄目だ、しっかりしないと。
 彼となら、一夜の過ちもやぶさかではない――なんて。
 けっして考えてはいけない。