「ご両親も可哀想だよね……こんな不幸な出来事が立て続けに起きて――辛くて見てられなかった」

 私たちは、外のベンチに移動していた。
 人が少ない場所を求めていたら、ここに辿り着いていたのだ。

 「ああ、本当に……気の毒なことだよ」

 他人事みたいな台詞だけれど、私と八代ももちろん気が気でなかった。
 このまま永遠に目覚めなかったら――むしろ容態が悪化して、救済の道が閉ざされたら。
 幸が、死んでしまったら。

 「大丈夫。大丈夫。大丈夫……」
 半ば自分に言い聞かせるように、繰り返す。しかし、口にしたその励ましに、言霊が宿っているとは、思えなかった。



 それからしばらく経ってから、再び院内に戻る。
 しかし、行き先は病室ではなく、窓口だ。

 『薄井幸さんの容態について、詳しく教えてほしい』と伝えたら、少し待っていてほしい、とのことだった。
 やはり医師というのは多忙なようで、大人しく待つことにする。
 大きめの病院だ。それなりに混んでいるし、呼ばれるのは何時になるのやら――。

 けれどもこのまま帰る気にもなれないし、何も収穫が得られなかったとしても、幸のために出来る限りの行動をしたかった。
 辛抱強く椅子に座って待つ私の目の前を、同い年くらいの女子が通る。それがきっかけとなり、そういえば――と思い、隣の八代に話しかける。

 「マミは退院したのかな」
 「ああ。無事に回復したそうだ。俺のとこにメッセージが来た。若葉のところには、来なかったのか?」
 「うん。来てない」

 ベッドで泣いていた彼女を思い出す。
 あれからどうなったのだろう。マミの心境に変化はあったのだろうか。

 「マミは回復の報せ以外に、何か言ってた?」

 八代は、そう訊かれることを待っていたように、滑らかに語りだした。

 「『今まで色々騙していて、本当にすみませんでした。もう連絡はしてこないので、返信はしなくて大丈夫です』だってさ。多分連絡先も消されてるな」

 マミは、これ以上八代を追うのを辞めたようだ。

 「そっか……反省したってことかな」
 「多分な。自分のこれまでの行いが、どれほど罪深いものか、わかってくれたら良いんだが」
 「そうだね……けど大丈夫なんじゃないかな。マミはきっと、変わったはずだよ」

 彼女に話を聞きにいった日の去り際について思い返すと、多少なりとも改心したのではないかと感じる。
 そうであれば、けっこうなことだ。
 良い報せのおかげで、少し気分が晴れてきた時、看護師が歩み寄ってきた。

 「お待たせしました。準備が整いましたので、診察室にどうぞ」



 「こんなにすぐ呼ばれるなんて、思ってませんでした」

 驚きのあまり、つい口に出してしまう。
 医師は、椅子ごとこちらを向いて、言う。

 「八代さんが、ほとんど付きっきりになっていたことは、院内で有名でしたので。緊急性のない患者さんは、後回しにさせていただいたんです」
 「そこまでしてくださったとは……本当にありがとうございます」

 二人で頭を下げる。

 「あと、若葉さんの経過も知りたかったんです。どうですか? お変わりないでしょうか」
 「はい、大丈夫です。入院中は、お世話になりました」
 「いえいえ。これが仕事ですから」

 そう言って、安心させるような笑みを見せた。

 「それで……幸はどうなんですか? あれから進展とかありましたか?」

 八代が質問すると、医師の顔に陰が差した。
 不吉な予感がして、身構える。

 「薄井幸さん、なんですが……実はあんまりよろしくなくて――」
 「詳しく教えてください」

 身を乗り出して、医師の顔を食い入るように見つめる。
 医師は、まだ歯切れ悪そうに、喋り出す。

 「その……明け方ごろ、本当に少しの間だったんですが……心臓が停止しましてね……迅速に対処したので、今は問題ないのですけれど……」
 「心臓が……どうして? もう大丈夫なんですよね!?」

 思わず立ち上がってしまった私に、医師がなだめるように、着席を促すハンドサインをする。私はほぼ反射的に、再び腰を下ろす。

 「落ち着いて聞いてください。――薄井さんは、このままでは、脳死する可能性が高いです」

 頭を思いっきり殴られたような衝撃が、降りかかる。
 目の前が真っ暗になり、全身に力が入らない。自分が診察室にいるという実感が、急速に薄れていく。

 「……い、おい、若葉!」

 揺さぶられて、ハッとする。
 前のめりに倒れそうな私を、八代が支えてくれていた。

 「あ……ごめん。ちょっと飛んでた」
 「若葉さん、大丈夫ですか? もし辛いようなら、席を外しても――」
 「いいえ。全部聞きます。中断させてしまって、すみません」

 心配する医師に、きっぱり伝える。
 正直続きを聞くのが、怖くてたまらないけれど――ここで聞かなければ、絶対に後悔する。

 それに、八代を一人にするわけにはいかない。私が事実から目を背けていては、駄目だ。
 八代にだけ、辛い現実と直面させるのは、駄目だ。

 隣にある手を掴む。彼の手も震えていた。そのことに少し勇気付けられる。

 「ごめん。ちょっと掴ませてて」
 「ああ……」

 力なく返事する八代の顔色は、青白かった。私もきっと似たようなものだろう。
 不安そうにする医師に、「続けてください」と告げる。

 「では、話を進めさせていただきます。お二人は、脳死と植物状態の違いはわかりますか?」
 「はい。植物状態なら、意識を取り戻す可能性がありますが、脳死は完全な“死”――絶対に助からない状態のことですよね?」
 「はい、そうです」

 沈痛な面持ちで、医師が頷く。
 脳死になったら、全て終わりだ。今まで信じていた可能性が断たれる。
 恐怖が、足先から這い上がってくる。

 「脳死する可能性が高い、って――具体的に何パーセントくらいの確率なんでしょうか」

 恐る恐る訊ねると、繋いでいた八代の手に力が入った。
 彼も私と同じくらい、緊張しているのだろう。
 彼の手を、強く握り返す。恐怖を分け合うように。
 医師が重い口を開き、返答を吐き出す。

 「80パーセント前後になります」
 「は――」

 開いた口から、か細い声が洩れる。喉が固まったみたいになって、上手く発声できない。

 「80パーセントって――めちゃくちゃ高いじゃねぇか!」

 八代の叫び声が、三人しかいない静かな診察室に響く。
 目の前の医師のことを、完全に忘れてしまっている。
 さすがの八代も、冷静さを欠いたみたいだ。それもそうだ。

 可能性が高い、と言われても、どこかでそこまででもないのではないか、という期待があったのだ。
 医療の世界ならば、50パーセント未満でも、高確率と呼ぶのでは――なんてことを、どこかで思っていたのだ。

 「もちろん、脳死にならない可能性だって、十分ありますよ」

 だから落ち着いてください、と言うように、医師が付け足す。

 「こちらも、全身全霊で対応しています。しかし――すでに手は尽くしました。そうなると、運を天に任せるしかない、ということに……」

 無念そうに顔を歪ませる医師を見て、本当なのだ、と実感がわいてくる。

 幸とは、もう会えないかもしれないんだ。
 私はまた、親友を失うのか――。