「は――」
 「恋愛的な意味だからね」

 ポカンとした顔に、追い討ちをかける。

 「いつからだよ……」
 「自覚したのは、下校中に理人君が絡んできた日の夜に、八代と電話してた時だけど……それよりも前から、私は恋心を抱いてたと思う。ただ素直になれなかっただけで」

 あの日私は、マミと腕を組んで歩いている八代を見て、心がざわついた。それが引き金となり、自分の気持ちに気づいたのだ。

 「マジか……」
 「そんなに意外に思うようなこと?」

 信じられない、という風な態度を、疑問に感じる。
 今思い返すと私は、好意が伝わってしまうような行動を、わりと取っていたのではないかと思う。だから彼がここまで衝撃を受けているのは、意外だった。

 「そりゃあ俺だって、結構いい感じの雰囲気出てるんじゃないか? なんて思ってたけど――若葉が家庭の話をしてくれた時、自惚れだってわかった」
 「自惚れ?」
 「ああ。若葉が恋愛に対して、強烈な苦手意識を持ってることがわかって、今まで脈ありだと思ってたのは、勘違いだって思い知らされたよ。ここまで恋愛を怖がってる奴が、ありえないだろ、と」

 八代は、恥じ入るように、そう吐き捨てた。

 「それからこう考えた。若葉の隣にはもっと、しっかりした――生涯において、何の曇りもない人間が、いるべきだって。若葉なら、いつかそんな奴と一緒に幸せになれる、とも思った」

 八代は、心づけるように、笑ってみせた。

 「若葉はきっと、素晴らしい人間と巡り会える。過去のことなんて、気にならなくなるくらいに。だから俺は、相応しくないと思って――」

 中途半端なところで言葉が切れる。
 彼は、失言した、というように口を押さえた。
 しかし私は、聞き逃してやらなかった。

 「自分じゃ相応しくない、ってどういう意味? 八代も……私と同じ気持ちってことなの?」

 両想いへの期待に、胸が膨らむ。どきどきしながら訊ねると、「いや……」と浮かない声が返ってきた。

 「さっき言ったろ。若葉は、もっとしっかりした奴と一緒になるべきだって。その方がずっと幸せなはずだし――」
 「私の幸せとかは、関係ない。八代は、私のことどう思ってる? 本当にただの友達としか思ってないの?」
 「……好きだよ」

 少しの間を挟んで、八代はそう言った。

 「でも俺は、同年代の中でも、特殊な生き方をしてる。過去だって色々良くないことがあったし……。お世辞にも、ちゃんとした人間とは呼べねぇんだ。そんな俺が、複雑な事情を抱えた若葉と、どうこうなんて、無理だと思う」

 弱気な発言をする八代。
 私は、八代の言葉を頭の中で反芻していた。
 なんだか違和感があるような……。

 八代の『自分じゃ相応しくない』という考えは、私への思いやりから来ている。それはわかっている。優しい彼らしい。
 しかし私には、それを理由に難しい問題から逃げているようにも、感じられた。

 頭をひねって、考える。少しの時間を有して、ピンときた。
 そして、たどり着いた結論に、泣きそうになる。

 そりゃあ、そうだよね。
 八代は、私が傷つかないように、と自分に非があるような言い方をしてくれたけれど、つまり――。

 「私が面倒くさい奴だってのは、わかるよ。でも、もっと普通の断り方でいいんだよ? 私に気を遣って、自分を貶さなくても……」
 「違う!」

 突如放たれた大声に、ビクッとなる。
 力の入った肩を、八代の手が掴む。強制的に、彼と向き合わされた。

 「体よく告白を断ろうと思ってるわけじゃない。俺だって若葉のことが、好きだ。心の底から。こんなに人を好きになれるなんて、自分でも信じられない。それくらいどうしようもなく、好きだ!」

 彼の眼差しは、どこまでも真っ直ぐで、真剣な思いが伝わってきた。
 八代の言葉が本心だとわかり、顔に熱が集まり、心拍数が上がる。

 「私の過去の話を聞いて、『こんな面倒くさい女、手に負えない』って思ったんじゃ……」
 「そんなこと、思うわけあるか!」

 全部言い終わらないうちに、全力で否定される。肩に置かれた手に、力がこもったのがわかり、歓喜に包まれる。

 「本気だから……若葉には、幸せしか味わってほしくないから、俺みたいな奴と恋愛して、嫌な思い出を作ってほしくないんだよ。大事な初恋を、他の相応しい人間のために、取っておいてほしい、と思ったんだ」

 先ほどよりも落ち着いた口調で、八代はそう言った。
 そしてこれ以上、接触することを避けるように、そっと手を引き、私から距離を取ろうとした。

 私は、感情に突き動かされるままに、彼に力強く抱きついていた。
 逃げられないように。腕の中に閉じ込めるように。

 「他の人なんて、考えられない。考えたくもない。私は、八代がいい。八代と恋人になりたい。絶対に上手くいく、なんて無責任なことは、言えない。言えないけど……」

 彼の耳元で、心の奥から溢れる思いを、紡いでいく。

 「たとえ傷つくことになっても、怖くない。私が一番怖いのは、大好きな人と向き合えないまま、後悔を抱えて生きていくこと。八代への気持ちを無視すれば、一生悔いが残る」
 「若葉……」
 「過去を引きずって生きるのは、もう嫌なの!」
 「……!」

 最後の言葉に、八代の身体が跳ねた。

 「あっ……ぅ……!」
 全て出しきった喉が、震えていく。
 抑えなきゃ。八代を困らせてしまう。
 そう思うのに、身体は言うことを聞いてくれない。

 「……悪い」
 「良い、のっ。私が、勝手に、泣いてるだけ、だからっ。八代は、何も悪く……」
 「そうじゃなくて。――若葉のため、みたいに言いながら、結局は俺が怖じ気づいてただけだったんだ。若葉の真っ直ぐな言葉で、それに気づかされたよ」

 八代は、震える私の背中に、そっと腕を回した。そして、落ち着かせるように、一定のリズムで優しく叩く。
 心地よいその感触に、だんだん力が抜けていった。
 しだいに嗚咽が落ち着いてきて、涙を拭い、ゆっくり身体を離す。

 「ごめん、取り乱して……困らせちゃったよね」
 「気にしなくていい。俺が煮え切らないこと言ってたのが、悪いんだから」

 決まり悪そうな姿に、さっき彼が言っていたことが気になる。
 その気持ちを汲んでくれたのか、「聞いてくれるか?」と改まった風に訊ねてきた。

 「うん」
 「タイムリープのことも併せて話すよ。俺がいつ能力を使ったのかとか、その時の状況も含めて」

 八代はすでにタイムリープ能力を使用していたらしい。何となく察してはいた。
 彼のこれまでの人生で、過去に戻りたい、と思うことは、幾度となくあったのではないか、と。

 八代は、ベンチの隅に追いやられた手帳を、自身の膝の上に持ってきた。
 表紙を撫で、遠い目になる。

 そして、長い話の開始を告げるように、息を吸い込んだ。