病院は混んでいて、診察を終えて病院を出る頃には、昼食時になっていた。
 怪我は本当に大したことないようで、数日経てば完治するとのことだった。

 「ついてきてくれてありがとう」
 「どういたしまして。幸お腹空いてる? お昼どこかで食べない?」
 「そうだね。悠ちゃん何食べたい?」
 「私は暑いから麺食べたいな~」
 「夏が近づくと白米食べる元気なくすよね」

 歩きながらそんな会話をする。
 病院の中にいたときはとても涼しかったが、屋外に出たとたん、ムワッとした暑さが私たちを包む。

 「じゃあ学校の近くのうどん屋にしようよ」
 「いいじゃん。それなら店から出た後そんなに歩かないで済むしね。そこにしよ」

 懐かしいな。学校近くのうどんチェーン店には、テストなどで午前中に下校するときなどは、よく行ったものだった。
 こうやって二人で歩きながらとりとめのないお喋りをしていると、鼻の奥がつんとしてくる。

 24年間生きてきて、幸以上の友人はできなかった。

 社会人になってからというもの、学生時代の友達と会うことなどほとんどなかった。私が地元を出たというのも相まって、尚更疎遠になっていった。
 しかし会えなくてもたいした寂しさはなかった。

 もしも幸が生きていたなら、きっと大人になってからも、交流が途絶えないようにしたはずだ。
 他の友達とは明らかに過ごした時間の密度が違った。

 ***

 幸が死んだ日のことは、今でも鮮明に思い出せる。

 あの日、授業が3限に入る前の休み時間。いつものように幸と一緒に移動教室に行こうと思った時、彼女がこう言った。

 「ちょっと用事を済ませてから、理科室に行くね。授業に間に合わなかった時は、先生に伝えておいてほしい」

 私は一人で理科室に行った。幸は授業開始時間になっても来なかったので、先生に「薄井さんは遅れます」と伝えた。

 しかし幸は授業終盤になっても来なかった。
 わざわざ理科室まで移動させたのにも関わらず、その日は自習だった。理科の担当教師は居眠りしていて、周りをまったく気にしておらず、生徒は騒がしくならない程度に喋ったり遊んだりしていた。
 結局幸が来ないまま授業は終わった。

 私は、もしや急に具合が悪くなったのでは、と心配して、トイレを見に行こうと思った。
 その時、騒然とした気配が、近くでした。

 その気配の中に、女子の泣き声や真剣なトーンで「ヤバくない?」など話す声が混じっていたので、何事かと思ってそちらヘ向かった。

 声のする場所に着いてみると、十数名の生徒が廊下に集まっていて、窓から顔を突き出したり、動揺を隠せない様子で周りの子と話したりしていた。
 みんな窓の外の中庭を気にしている様子だ。
 誰か喧嘩でもしているのかと思って、私も窓に群がる生徒を掻き分けて外を見てみると――。
 その瞬間、自分の目を疑った。

 窓の外で、幸が倒れていた。頭から大量の血を流して。
 幸の近くには、ポケットに入れられそうなサイズのポーチが落ちていた。あれは生理用のナプキンを入れるものだ。

 現状を受け入れられずに、足がガクガク震えていく。程なくして先生がやってきて「教室に戻れ!」と周りの生徒に怒鳴った。
 しかしその場から動けない者が何人かいた。私もその一人で、自分が立っていることにも実感がわかなかった。
 『救急車!』と叫ぶ誰かの声もずいぶん遠くに感じて、やがて視界がぐらぐらしてきて、まぶたを押さえつけられるような感覚が襲ってきた。
 私は気絶した。


 幸は4階の窓から落ちて死んだ。
 どうしてそうなったのか。周りの教師や生徒はこんな推測をしていた。
 

 用を足した幸は、手を洗うためにトイレを出てすぐのところにある手洗い場を使った。
 もちろんトイレにも手洗い場はあったが、水がチロチロとしか出ないので、多くの生徒がそこを使用していた。
 けっこう汚かったので使い心地が良いとは言えなかったけれど。コンクリート製の、一生懸命掃除してもたいして変わらなそうな古びた手洗い場だ。
 幸は手を洗う間、窓枠の近くにポーチを置いていた。
 しかし、開きっぱなしの窓から風が吹いてきたのか、ポーチが飛ばされそうになる。
 幸は慌てて身を乗り出して、ポーチを掴もうとした。
 そのとき、手洗い場の縁に足をのせて前のめりになったのではないか。
 それでバランスを崩して、頭から落ちてしまった。
 

 以上が転落死の原因だと周りは見なした。

 確かに幸の近くにはポーチがあった。私も気絶する直前にそれを見たことを思い出す。
 幸は、何かに悩んでいたり追い詰められている風には見えなかった。

 先生に、最近幸の様子がおかしかったりすることはあったか何度も訊かれた。学校で幸と一番親しくしていたのは、私だったから。
 私はハッキリ「ないです」と答えた。幸が自殺なんてするはずない。断言できる。
 自殺や他殺の可能性はないと判断され、学校は事故死と保護者に伝えた。

 それから何ヵ月経っても、私の心はあの事故があった日に、囚われ続けた。
 そして月日は流れていき、高校生の頃の思い出を引きずったまま、身体だけが大人に変質していったのだ。