私は、大和さんが浮気していたことを、話した。その現場を、樹里亜と目の当たりにしたことも。

 「大和さんね、樹里亜にプロポーズしてたんだって。樹里亜が幸せそうに、話してた。大和さんのことを話してる時だけ、樹里亜はどこにでもいる乙女だった。それを見て思ったの。大和さんを愛してたから、彼との幸せを邪魔する人間は、許せなかったんだって」

 樹里亜が、あそこまで残忍になれたのは、大和さんへの恋心が、大きいのだと。
 そんなになるまで、愛していた人だったのに――。『私たちなら大丈夫』と断言するほどに、彼に一途に思われている、と信じて疑わなかったのに。
 最愛の人に、目の前で裏切られた。

 「大和さん、樹里亜にしたプロポーズの言葉を、浮気相手にも言ってたの。――あっちが本命だったのかもしれないけど」

 運命の人だと思う。
 大和さんは、樹里亜に会う前から、ずっとこの言葉を使ってきたのではないか、と思う。

 「樹里亜は、どんな気持ちで死んでいったんだろう、って考えると、心がぐちゃぐちゃになっていって……私、樹里亜の死体も見たの。それが脳裏にこびりついて。——夢にまで出てくるの」

 酷い状態だった。必死に意識の外へ追いやろうとしたが、油断すると直ぐに浮かびそうになって、気が休まらなかった。
 鳥肌が立った腕を撫でていると、頭のてっぺんに軽い衝撃が下りてきた。

 驚いて八代を見る。
 彼は、悔しそうな表情を浮かべていた。実力不足を嘆くような――不甲斐なさを感じているような顔。
 つむじを通して、手の温度が伝わってくる。熱かった。

 「よく今日まで、一人で耐えてたな。お前は、すごい奴だよ」

 そう言った後、まだ何か伝えようと、口を閉じたり開いたりを繰り返していた。しかし、次に出てきた言葉は、「すまない」とそれだけだった。

 「なんつーか……上手いこと言えない。役に立てないな、俺。威勢よく促したわりには、マジで聞くことしかできてない。壁に向かって話してるのと、同じだなこれじゃ」

 自嘲気味にそう言って、手を退ける。

 「そんなことない!」
 膝の上に戻そうとしていた八代の手を、両手で掴む。

 「そんな風に、一緒に悩んでくれるだけで、いいの。一人で抱え込むな、って言ってくれたこと、すごく嬉しかった。ありがとう。八代に話して良かったよ」

 熱が入ってくるのと同時に、握る手に力がこもる。
 ハッとして、慌てて解放する。

 「ごめん、急に。熱くなっちゃって……」

 繋いだ手の感触が、まだ残っていた。自身の大胆な行動に、恥ずかしくなる。

 「いや、その……ためになったんなら、良かった」

 彼も少し気まずそうにしていた。横目で盗み見ると、僅かに赤くなっているような気がして、期待に胸が高鳴った。
 無言が居たたまれなくなり、明るい声を意識して、話しかけた。

 「八代は、ちゃんと寝れたり食べたり出来てる? 倒れないよう気をつけなよ?」

 軽い調子で訊いているが、実のところかなり心配していることだった。
 最近、八代にのし掛かっているストレスは、尋常でない。身体にも、ダメージがいっているはずだ。

 「健康を損なわない程度には、気をつけてる。いつまでも気落ちしてられないしな」

 八代は私とは違って、自分の力で暮らしている。
 生活のために、悠長に落ち込んでいるばかりでは、いられないのだ。
 そう思うと、ますます心配になってきた。

 彼は、誰に寄りかかればいいのだろう。
 人は、他人に頼らなければ、生きていけない。強く立っているように見える八代も、人間だ。

 仲良くなって、八代への嫌な印象が消えた後、私は彼を頼りにするようになった。
 心を揺るがすようなことがあった時、すぐに八代が浮かぶようになった。

 私は彼を、精神の支柱にしていた。
 でも――それじゃ駄目だ。
 それだけじゃ、駄目だ。
 私は、八代に救われた。
 ならば、八代が困難な時には、私が彼を救いたい。
 八代が抱えている暗いもの全て、私に見せてもらいたい。

 ぐっと膝の上の拳に、力を込める。覚悟を決めて、切り出す。

 「八代。前に私が、幸のストーカーの件が解決したら、話したいことがある、って言ってたの、覚えてる?」
 「ああ。すごく神妙そうにしてたから、印象に残ってたけど」
 「それについて、話そうと思うんだ」

 そう言って、鞄の中に手を突っ込んだ。
 目的の物をつかみ、八代の眼前にかざす。

 「勝手に持ち出して、ごめん。どうしても気になる単語が見えて、居ても立ってもいられなかったんだ」

 八代の目が、大きく見開かれる。
 八代が抱えている暗いもの――。
 それは、この日記に起因するという予感があった。

 夏祭りの夜に少し見せてくれた、彼の過去と心に、今こそ向き合いたい、と私は強く思った。