「すぐつくから」
 少し前を走る樹里亜が、乱れた息で言う。

 樹里亜の背中からは、早く彼の元へ行きたい、という念が、ビシビシと伝わってきていた。

 『私たちなら大丈夫』
 彼女の言葉がよぎる。

 樹里亜は、罪を償ったあとで、大和さんと幸せに過ごせるだろう。
 理人君にも、八代がいてくれる。もう悲しいことは起こらない。
 2022年に起きる殺人事件を未然に防ぐ、というミッションは、無事に完遂した。
 後は、幸が目を覚ましてくれれば――。

 「あそこだよ」
 樹里亜が指差した先には、こぢんまりとした公園があった。

 遠目に見えた二足のスニーカーで、二人の人間が、ベンチに座っていることがわかった。
 木で隠れて、二人の顔は見えないが、あれが大和さんたちだろう。

 「あっ、ちょっと!」
 樹里亜が急激にスピードを上げた。大和さんがいるとわかって、気が急いたんだ。

 樹里亜は、公園の入り口へと通じる横断歩道を、渡ろうとして――その途中で、ピタリと足を止めた。
 追い付いた私が、歩道から呼びかける。

 「そんなとこで立ち止まると、危ないって。一体どう、した、の……」

 抗議の声が、途切れ途切れになる。

 私の視線は、公園内の光景に釘付けになっていた。それは樹里亜も同じだろう。
 先ほどまでとは違い、座っている二人の全身が、見えるようになっていた。

 そこにいるのは、確かに大和さんだった。
 しかし、彼と一緒にいる相手は、友達ではないようだ。

 大和さんは、同い年くらいに見える女性と、キスしていた。
 彼は、女性の後頭部に手を回して、逃げられないようにしていた。キスをしている間、手慰みに彼女の長い髪をすいている。
 ややあって、重なりあっていた二人が、離れる。こちらには、微塵も気づいていないみたいだった。

 「私でいいの?」
 キスされていた女性が、遠慮がちに尋ねる声が、聞こえてきた。
 「君がいいんだ!」
 大和さんが、叫ぶ。
 「君は、僕の運命の人だと思う! 僕と付き合ってください!」

 何の後ろめたさもなしに、腹の底から出したような声で、断言した。何も知らない人間が今の彼を見たら、その真摯な態度をきっと称賛するだろう。
 しかし私は、抱き合う二人を見て、世界から音がなくなったような感覚になった。

 「大和……」
 樹里亜の声で、普段の感覚に戻る。
 彼女へと視線を戻し——息が止まった。
 横断歩道の途中で立ちすくむ彼女の右側から、大型トラックが迫っていた。
 あ、と反応した時には、もう遅かった。

 スピードを緩めることなく、トラックが樹里亜を跳ねた。
 聞いたことのない衝撃音がして、そのあとすぐに、重くて柔らかいものが高いところから落ちたような音が、少し離れた場所からした。
 音がした方へ首を動かすと、数十メートル行った先、赤い人間が道路上に倒れているのが見えた。

 「樹里亜!」
 彼女へ駆け寄る。顔を覗き込んで、後悔した。

 鼻がぐんにゃりと曲がっていて、目は眼球がこぼれ落ちそうなほどに、見開かれている。顎が外れているらしく、ぽっかりと開いた口の中には、闇が広がっていた。
 この世のものとは思えなかった。

 「うっ……」
 胃液が込み上げてきそうになり、口を押さえて、膝から崩れ落ちる。

 樹里亜の身体は、全身血まみれで、四肢があらぬ方向へ曲がっていた。魂がない、と明らかなことも合わさって、お化け屋敷に置かれている、マネキンのようだと感じた。