その日の練習を終えて部室に入ると、いつも通り及川先輩が本を読んでいた。いつもと少しだけ違うのは、普段は専攻の心理学の本を読んでいるはずなのに、今日は何か雑誌のようなものを捲っている。
「……どうかしたのか?」
 部室の入口で立ったままでいる私に及川先輩が怪訝そうに顔を上げる。いつもと変わらない先輩の姿。でも、いつもってなんだったのだろう。練習前に姫香先輩から聞いた言葉がグルグルと頭から離れていかない。
「調子悪いなら無理するなよ? 今日の練習、何か美咲らしくなかったし」
 ぶっきらぼうだったり不愛想だったり、そんな先輩だけど私のことを気にかけてくれていて。そのことが今は却って胸の中にぽっかりと空いた穴を拡げていく。練習中もずっと胸騒ぎみたいなものが止まらなかった。何だろう、この感覚は。
「あの、先輩」
 声が震える。及川先輩は様子を伺うような顔で頷いて私に先を促した。
「今日はこのあと、予定ってありますか」
「まあ、もう年末だし。そろそろ卒論にメド付けないといけないしな。あ、だけどさ――」
「どうして」
 何か続きを言いかけた先輩を遮るようにして口から言葉が溢れてきた。
「どうしてって……」
「どうしてそんな嘘をつくんですか」
 及川先輩の反応は明らかにそれまでと違っていた。バッと顔を上げると同時に読んでいた雑誌が机の上にばさりと落ちた。こんな風に動揺している及川先輩を見るのは初めてだ。
「姫香先輩に聞きました。練習終わってから研究室に戻ってないんですよね。ずっと私のこと、騙してたんですか」
 及川先輩の視線が答えに迷うように部室内を彷徨う。そこに浮かんでいたのは明らかにバツの悪い表情で。その仕草や表情はどんな言葉よりも雄弁だった。そしてそのことがぽっかりと空いた穴にナイフを付きたてるようにザクザクと傷を抉っていく。
「悪かった」
 謝ってほしくなんてなかった。ただ、嘘じゃないと言ってほしかった。
 その時、先輩が読んでいた雑誌の内容が目に入る。この辺りの観光スポットの写真とともにデートスポットという文字が躍っている。パチパチとピースが頭の中で組み上がっていく感じ。ああ、そっか。そうだったんだ。
「彼女がいるなら、別にコソコソせずに堂々としてればいいじゃないですか。部室なんて来る暇あったらさっさと会いに行ってあげればいいじゃないですか!」
「実咲、これはっ」
 これ以上、先輩の言葉を聞きたくなかった。これ以上聞いてしまったら、本当に全部崩れ落ちてしまいそうで。
 部室を飛び出すと、クリスマスムードとは裏腹に痛いくらいに冷たい風に包まれる。先輩が私に隠し事をしていたことにどうしてこんなに傷ついているのか、気づいてしまった。ここ最近、ずっと誰かと話し足りないと感じていたのは“先輩”との会話が減ったからで、それは誰でも補えるものではなかったんだ。
――そんなこと、今になって気づきたくなんてなかった。