「ねえねえ先輩! これとか可愛くないですか?」
 練習後の陸上部の部室でネックレスの写ったスマホの画面を見せると、及川先輩は実用性重視で短く切りそろえられた髪に手を当てながら呆れたように目を細めた。不愛想な顔と相まって、先輩に慣れてない1年生とかをよく怖がらせてる仕草。
「あのさ、実咲。この前は別のネックレス欲しがってなかったか?」
 よく覚えている。及川先輩はついこの前の話みたいに言ってるけど、そのネックレスの話をしたのは2ヶ月ほど前、まだ夏の気配が色濃く残った10月上旬頃だった。
「あれは欲しいっていうか憧れちゃっただけですし。そもそも、私じゃ背伸びしても買えないですもん」
 2か月ほど前、街でたまたま見かけたネックレス。ハートを四葉のクローバー風にアレンジしたネックレスのデザインに惹かれたのだけど、部活の合間にちょこちょこバイトをして遠征費をどうにか捻出しているような私には手が届く金額ではなかった。
「先輩、来年から社会人でガッポガッポですよね。そしたら奢ってくださいよ」
「奢るって金額じゃなかっただろ、あれ。社会人1年目の給料に夢見すぎだ」
 及川先輩のつれない反応に唇を尖らせてみるけど、それで心が揺れてくれるような相手じゃなかった。及川先輩はパラパラと捲っていた心理学の本を鞄に投げ込んで立ち上がる。
「え、もう行っちゃうんですか?」
「そろそろ卒論も大詰めだから研究室戻らないと。練習来てるだけでもすごいと思ってくれ」
「それはそうですけど」
 陸上部の他の四年生の先輩達は殆ど引退してしまって練習に顔を出すこともない。それに比べれば未だに練習に来てきっちりメニューをこなしていく及川先輩は凄いと思うのだけど。でも、10月頃までは部活が終わった後部室でしばらく他愛もない話をしてから帰るのが日課だった。その頃を思うと味気ない。
「お前もあと2年もすればこっち側の人間なんだから、今のうちに部活もそれ以外も納得いくまでやりこんどけよ」
「なんですか、それ以外って」
 鞄を背負った及川先輩は顎に手を当てて短く思案する。
「なんでも。色々あるだろ、恋愛とか」
 なんか、凄い似合わないことを言い出した。確かにうちの陸上部でも部内恋愛してる人もいれば、高校時代からの彼氏と遠距離恋愛をしてる純情派の先輩だっていたりする。だけど、4年間陸上バカで浮いた話の一つもなく終わろうとしている及川先輩には言われたくなかった。
「ぶぶー、残念でしたー。私は陸上が恋人だから、絶賛大恋愛中なんですー」
 及川先輩は一瞬ハッとしたように息を呑んで、それから呆れたように息をついた。
「そうかい。それならいいけどさ」
 そう言って及川先輩はドアに手をかける。
「あっ、先輩。最後に」
「まだ何かあんの?」
 及川先輩がぎゅっと顔をしかめた。ぶっきらぼうで下級生にビビられている先輩に構ってあげる数少ない後輩をそんなに邪険に扱わなくてもいいのに。頬を膨らませてみながら、さっきとは違うスマホ画面を先輩に向ける。
「さっきのネックレスとこっちのイヤリング。どっちがいいと思いますか?」
 及川先輩は凄く何か言いたそうな顔をしたけど、諦めたようにしかめ面のまま画面を覗き込む。少しの間節制した生活を頑張れば手が届くくらいのアクセサリ。12月ということで自分へのご褒美を探していたときに見つけたシンプルなネックレスと華やかなイヤリング。両方買えないけど、決め手に欠けていた。
「さっきのネックレス」
 しばらく画面と睨めっこして、及川先輩が結論付ける。
「あれだったら走ってるときつけても邪魔にならないだろ」
 陸上バカの及川先輩らしい理由だった。まあ、陸上を恋人とか言っちゃう私も同類だけど。
 もういいだろ、と言いたげに先輩が部室のドアを開ける。12月上旬の冷たい風が部室の中に吹き込んできた。その風の流れにつられるようにちらりと先輩がこちらを振り返る。
「それに、実咲にはシンプルな方が似合ってると思うし」
 そう言い残して及川先輩はドアを閉じて部室を出て行ってしまう。先輩がどんな顔をしてそんな言葉を口にしたのかはわからなかった。一人取り残された部室には先輩の残り香のような冷たい空気がまだ微かに居座っている。