まさしの話はこうだ。
 雪山で遭難しているまさしじいちゃんを発見し、自分の住み処で介抱した。まさしとじいちゃんは意気投合したそうだ。そしてまさしじいちゃんは元気になっが、どうやら記憶を失ってしまっていたらしい。
「記憶なぞなくても、これから記憶を作ればいいだけのこと! 今日からは新しい俺! 新生まさし!」
 まさしじいちゃんはそう豪語したが「だが、なんか守ってやらなきゃならん子がいた気がするんだよな……」と考え込んでいたという。 そこでまさしは一肌脱ぐことにした。わざと人面犬ショップの周りをうろつき保護してもらう。まさしじいちゃんの匂いに近い人間の匂いを辿ってショップを転々としていたらしい。
「転々トシスギテ土地勘ガナクナッテイタガ思イ出シタゾ。マサシノ居場所ヲ教エテヤルカラナ!」

 次の土曜日。まさしと満里奈と電車に乗ってまさしじいちゃんが遭難した山に向かった。空は気持ちのいい五月晴れだ。
「ヨカッタ。コレデオレモ安心シテ山二帰レルトイウモノ」
 まさしが安心したように尻尾を振る。
「え? まさし山に帰っちゃうのー? 今まで通りりょーちゃんとこにいればいいじゃん」
 満里奈は目を丸くした。俺もまさしが山に帰るとは初耳だったので驚いた。
「そうだよ。一緒に暮らそうぜ」
 まさしは眉を下げた。
「オレハ人間デ言ウト七十近ク。今サラ人間ノ中デハ暮ラセン」
「えー、そんなー」
 満里奈が不満そうに呟いた。
「一緒にいようよー、せっかく仲良くなれたんだしー」
 満里奈がまさしを撫でる。まさしは瞑想するように目を閉じた。
 もしかしたら。
 俺は思った。
 動物は自分の死ぬ時には身を隠すという。
 ーーまさしも俺たちに自分の死を見られたくないのではないか。
 俺を悲しませたくないということもあるかもしれない。まさしじいちゃんを失って憔悴した俺を見てきたまさしだから。
 これが、七十年近く野生で生きてきたまさしのポリシーなのかもしれない。
 まさしはゆっくりと目を開いた。
「ーーヨシ! ナラリョウイチノ所デオ世話ニナルカ!」
「えっ!」
「やったー!」
 思わず驚きの声を上げてしまった俺を、まさしと満里奈が半目でみつめた。俺は弁解した。
「いや、そうじゃなく。まさしは長年野生で生きてきたから、嫌なのかなって」
 まさしはにっと笑った。
「ソンナコトカ。マア長年ト言ッテモ長イ人面犬生カラ見タラ大シタコトナイ!オレナドヒヨッコ!」
「え、でも人間で言うと七十近くって」
「人面犬ハ人間デ言ウト五百歳クライマデ生キル!」
「それ、人間で言うと、って言わないんじゃ……」
「わーい、まさしー! これからもよろしくね!」
 満里奈が喜んでまさしに飛びついた。
 それを見ていたら、俺もなんだか心が軽くなってきた。
「オ、ソノ笑顔ダ」
 まさしがグッジョブとでも言うように手を上げた。
 俺は車窓から近づいてきた山を見つめた。
 まさしじいちゃんに会ったら何から話そう。会社を辞めたことも報告しなければ。あと、あのショップにお礼にも行きたい。
 心が弾んでくる。
「リョウイチ。駅弁ハナイノカ」
「いや、短いローカル線にそんなたいそうなものは」
「次の駅でなんか食べてこうよー!」
 皆と一緒なら。
 また元気を取り戻せる気がした。