ショップから出ると、五月の暑い日差しが俺を射抜いた。
 ふと下に目をやると、隣で人面犬まさしが尻尾を振りながらとことこ軽やかに歩いている。その様子を見ていると、俺の顔は自然と笑顔になった。
 俺は店員との先程のやりとりを思い出した。
「えっと、首輪とかしたほうがいいですかね?」
 人面犬は高価なので、俺は散歩をしている人に遭遇したことがなかった。店員はてきぱきと説明した。
「どちらでも。この人面犬は人間で言うと七十歳近く。落ち着いております。そして、人面犬に選ばれたお客様の場合は逃げられることはまずありませんので」
 そう言われて、俺は首輪をつけるのをやめた。人間の顔をしている動物の首に首輪をつけるというのが、なんとなくかわいそうな気がして気がひけた。また正直なところ、特殊性癖を見せびらかしているような気がしてしまったからというのもある。
「高かったけど、やっぱり買ってよかったな」
 俺は一人言を呟いた。人面犬は「わう!」と応えてくれた。それが自分は一人じゃないと感じられて嬉しかった。
「あれ? りょーちゃん?」
 聞き覚えのある声に振り向いた。
「満里奈」
 彼女はこちらに手を振った。そして駆け足でやってきた。
「わあ! りょーちゃん、それ、もしかして人面犬!? 買ったの?」
 フレアスカートを揺らしてすごい勢いでやってきて、すとんと人面犬の前に腰を下ろす。
「ああ。初任給で奮発した」
「おおー」
 満里奈は顔だけ上げて笑った。まさしもわうわう鳴きながら俺を見上げた。
 満里奈は俺の叔母だ。俺よりふたつ年下だが。そして血は繋がっていないが。
 俺の父親は十年ほど前に一回り以上年の離れた若い女性と再婚した。その義母のそのまた年の離れた妹が彼女、満里奈だった。
 満里奈はしゃがみこんだままこてんと首を傾げた。
「初任給で両親にプレゼント、とかやらなくて良かったの?」
 無邪気に聞いてくる。俺はなんとか笑顔を作った。実は忘れていた。
「やるよ、一応。プレゼントっていうか、レストラン予約しようと思ってる。父さんと義母さんの予定聞いてから」
「そっかー」
 満里奈はそれよりも人面犬のほうに興味津々だった。「お手!」とかやっている。まさしはにこにこと笑いながらスルーしていたが。
「ねえねえ、まりなちゃんって言ってみて」
 満里奈は人面犬がすっかり気に入ったようでずっとしゃがみこんでいる。俺は「パンツ見えるぞ」と言う前にひとつ教えてやった。
「人面犬は人語を解さないらしいぞ」
「そうなんだ! ざんねーん」
 満里奈は口を少しすぼませた。まさしは不満そうに自分の脚を舐めていた。
「人面犬ちゃん、名前なんていうの?」
 俺は少し口ごもった。
「あー、えっと。まさし」
 満里奈は目を見開いた。
「りょーちゃんのおじいちゃんと同じ名前だね! 言われてみれば顔、似てるよ!」
 満里奈は「まさしー」と楽しそうに呼びかけた。まさしは今度は満足げに「わう!」と一声吠えた。尻尾の回転はちぎれんばかりだ。
 よっぽどこの名前が気に入ってるんだな。俺は不思議に思いながらもほっとした。
 俺の一人暮らしのマンションと満里奈の家は近いので一緒に歩く。
「そういえば、まさしさん、今頃どうしてるかなあ」
 満里奈は俺の祖父のことを「まさしさん」と呼ぶ。まさしじいちゃんは、俺の実の母親の父親で、満里奈とは縁が薄いからだ。
 俺は意味もなく腰を屈めてまさしの頭を撫でた。
「きっと元気にしてるよ」