1
君のことが嫌いになった。
ゴールデンウィークが終わり、初夏が始まろうとしていた公園で、僕は君といろんな話をした。まだ、黄緑がかった木の下にあるベンチで、君――。芽衣(めい)とたくさんのことは話すことは出来なかった。
それはお互いにまだ、緊張していたからかもしれない。だけど、芽衣はなにかに悩んでいるようだったから、僕は芽衣の心ができるだけ遠くならないように言葉を選ばないようにした。
「優斗(ゆうと)くん。どうして、そんなひどいこと言うかな」
芽衣のショートボブの毛先が風で揺れた。その毛先は午後の白くて直線的な光を浴びて、茶色くキラキラしていた。芽衣がそう言ったことは、風の音でかき消されるくらい静かで、鍛えすぎて細すぎないその腕や、脚の所為か、制服のスカートは似合わないように感じた。
「そんな泣き言なんて言わないほうがいいよ。もっと強くなったほうがいい」
「ねえ、そんなに人って、ストイックになれると思う?」
芽衣の声は震えていた。両膝に置いてある両手でスカートをギュッと握りしめ、わずかにスカートの裾が上がった。芽衣は2年生になり、クラスガチャはうまくいったらしい。馴染める環境だったのに、いじめが起こらないように、うまく立ち回ろうとしたみたいだった。
目の前に見えるタイル張りの広場の真ん中には、噴水があり、重力に逆らう水がキラキラしていた。夏の始まりを感じさせるくらい、眩しくて、それだけでも涼しげに見えた。
そんなに爽やかな気持ちなのに、いじめの話なんて、どうでもいい。
どうして、そうなったかを突き詰めたら、いじめの原因は絶対、自分にあるはずだ。
「強くなったほうがいいよ。そうしないとどうしようもならない時だってあるだろ」
「――そうかもね。私が悪いのかもしれないね」
どうして――。芽衣のこんな精神状態じゃ、僕の気持ちが伝わってるわけがないよね。
「だから、頑張ったほうがいいし、負けない勇気も必要だと思う」
「――もう、無理!」
辺りに芽衣の声が響いた。その芽衣の声で、近くを通っていた何人かの人が振り向かなったのは不思議に感じた。もしかしたら、その声は僕にとって、とてもインパクトがあっただけで、思った以上に芽衣の声は小さかったのかもしれない。
「無理なものは無理だし、私だって頑張ってるんだよ! どんくさい私だって、それなりに認められるように頑張ってるの!」
「頑張ってなんかないのはわかるよ」
「あー、ホント最悪なんだけど。もういい、帰るね。あと、別れようね」
両手で頭をくしゃくしゃとして、髪を揺らしたあと、芽衣はすっと立ち上がり、そして、噴水の方へ歩き始めた。だけど、僕はそれを座ったまま眺めることにした。
「待たなくていいよ。わかってたから」
そう言うと、芽衣は僕の方を振り向き、鋭い目つきで睨みつけてきた。その両目からはすでに何粒もの涙が次々に溢れていて、芽衣の頬は午後の光で輝いていた。
「私、優斗くんってもっと、わかる人なのかと思ってた」
「わかるわけないじゃん」
「最低」
小さくて、低い声でそう言い残して、芽衣は去っていった。僕は座ったまま、最低で似合ってない芽衣の制服姿と、噴水、そして、辺りの新緑色した木々を見て、ちっとも絵にならないなって思った。
大嫌いだったのに。君のこと。
僕はそんな思いを伝えて、最高だ。
2
私は優斗くんと公園で別れたあと、このことを客観的に見るために、このことを思い出せる限りノートに書いた。今朝、嫌な夢を見たから、ベッドから起き上がり、そのノートを開き、そのときの内容を読み返したけど、やっぱり優斗くんは最悪な人である印象は変わらなかった。
優斗くんと別れてから1ヶ月経ったとき、学校で、優斗くんが退学した噂を聞いた。
その理由はクラスで、言い争いをして、トラブルメーカーになり、それを繰り返しているうちに自分の居場所を失い、自分から退学したらしい。
最初、その話を聞いたとき、やっぱりそうだよねって思った。
去年の12月、高校1年生だった私たちが付き合い始めたときは、優斗くんは本当に優しかった。私が友達と喧嘩して、落ち込んでいた日の学校の帰り道で、優斗くんは話かけてきた。
あと1週間で冬休みに入ろうとしていて、玄関のロッカーから、ブーツを取り出し、履こうとしたとき、低い声で名前を呼ばれた。呼ばれた方を見ると、ネイビーのウールコート姿の優斗くんが右手を胸元の高さで小さく振りながら、私の方に近づいてきた。
同じクラスでたまにクラスのノリとかで話すことはよくあるけど、優斗くんとふたりきりで話すのは、初めてだった。
「珍しいね、私だけなのに声かけるなんて」
「気になってたからだよ。芽衣ちゃんに、うかない顔なんて似合わないよ」
そう言って、微笑んで、行こうって言われて、気がついたら私は優斗くんの隣を歩いていて、ローソンに連れて行かれて、ホットレモネードを2つ買ってくれて、冷たい風が吹く中で、公園のベンチに座っていた。
そして、座ってすぐに優斗くんはビニール袋から、ペットボトルを一つ取り出して、ホットレモネードが入っている250mlのペットボトルを渡してくれた。
私はそれを両手で受け取り、両手をホットレモネードで温めながら、小さな声でありがとうと言うと、いいえと低い声で返しながら、また微笑んでくれた。
公園のベンチで私と優斗くんは横並びでこうしているのは不思議だった。息を吐くと白い息がでるくらい寒かったけど、寒さなんて忘れるくらい、私は急に緊張してきた。
「飲もうよ」
そう言われたから、私は頷き、ペットボトルのキャップをひねり開けると、ペットボトルの口からわずかに湯気が揺れながら上がり、ゆっくり冷たい空気の中に消えていった。左手にペットボトルを持ったまま、その様子を見ていると、右側から、優斗くんが私のペットボトルに自分が持っているペットボトルをこつんと当てた。
「いただきます」
「いいよ。今はこれくらいしかできないけどな」
あ、察してくれてるんだ――。
その瞬間、やっぱり優しいんだなって、素直に思いながら、ホットレモネードを一口飲んだ。
「――嬉しいよ。あんな惨めな私のこと、気にかけてくれるんだね」
「当たり前だろ。ずっと、気になってるんだから」
「えっ」
私はその言葉の真意が理解できないまま、急に耳の温度がわずかに上がり始めたような感覚がしたから、慌ててホットレモネードをもう一口飲んだ。
「芯がある強い感じだよな。俺、そういうの好きだな」
「――ありがとう」
なんて言えばいいのかわからないから、とりあえずお礼を返すことにした。
「ただ、弱くてもいいよ。頑張りすぎなんだよ」
そんな言葉かけられるなんて思わなかったから、思わず私は優斗くんを見た。すると、優斗くんはまた微笑んでくれた。
なぜかわからないけど、優斗くんのその微笑みが私を安心させるための微笑みに感じた。
いじめや悪口が大嫌いだから、いじりを超えた、人格否定をしたあいつが許せなかった。だから、我慢できずにリーダーの女子に口を出して、口喧嘩になった。
そのことに触れているようで触れていない優斗くんのその優しさに私の心はゆっくりと揺れ始めた。
インスタのDMで3日、やり取りが続いたあと、それだけじゃ足りなくて、優斗くんと交換していなかったLINEを交換して、2日間、夜中まで通話をした。
寝不足のまま、クリスマス・イブになり、一緒に恋愛映画を観て、最後にイルミネーションとそこそこ大きいクリスマスツリーを眺めたあと、私たちは自然な流れで付き合うことになった。
そこから2月まで、私たちはずっと上手くいっていた。
だけど、優斗くんが2月に風邪を引いて、数日間、高熱を出し、数日で熱が下がり、ケロッとして帰ってきたあとから、少しずつ会話が噛み合わなったように感じた。
最初は小さな違和感だったけど、それが日を追うごとに大きくなっていた。
しかも、私のクラスガチャは見事に失敗して、噛み合わない日々が続くわけがなく、私が12月に正義感振りかざしたことをネタにされてからいじめられるようになった。
春になって、なにもかも上手くいかなかった。そして、優しかった優斗もたった数ヶ月で変わってしまった。
あの日だって、きっかけは些細なことだった。
別れ話に発展したのは『クラスで孤立してるのが嫌だったら、もっと頑張れよ』って優斗くんに言われたからだった。その会話になったきっかけは、私が作ってしまった。
それは私の弱いところだったし、別れる前、優斗くんに弱音ばっかり言って、優斗くんに甘えすぎていたのかもしれない。
だから、別れ話のきっかけを作ったのは私だった。
『もうクラスでやっていくの無理かもしれない』って、思ったことをそのまま口になんか出さなければよかったのに。
本当に私はバカだった。
優斗くんに傷つけられた心の傷は今も胸に残ったままだし、今もショックが続いている。
私が弱いから悪いのかもしれない。
だから、あのとき『弱くてもいいよ』って言ってくれたのはすごくその言葉だけで息詰まるような感覚を忘れることができたのに。
それなのに、どうして――。
「あんなに好きって言ってくれたのに」
独り言をぼそっとつぶやいても、誰も返してくれることはなかった。
今朝もそんなことを考えながら、キッチンに向かい、トースターでトースト2枚を焼き、それを白い丸皿の上に乗せた。そして、皿を両手で持ち、すり足でゆっくり、リビングに行き、テーブルの上に置いた。
そして、パジャマのポケットからiPhoneを取り出し、それもテーブルの置いたあと、私は椅子に座った。
テーブルに置いたiPhoneを右手の人差し指をなぞり、タイムラインをたどりながら、朝食のバタートーストを食べ始めた。
トーストを一口食べたあと、それに飽きた私はトレンドタブをタップした。
『真逆風邪』
この単語が上位トレンドになっていた。
「なにこれ」
なにに対して真逆なのかわからないまま、『真逆風邪』を右手の人差し指でタップした。
すると、ニュース記事がいくつも出てきていて、『感染者数、急増。新たなパンデミックか』と見出しと、ニュース動画がいくつも出てきた。
恐る恐る動画をタップすると、緊迫した様子で男性のキャスターが概要を語っていた。
「日本で初めて発見された真逆風邪の症状は潜伏期間が3ヶ月程度と比較的長期間であること、発病すると言語野に影響を大きく与え、自分の意思とは真逆のことを言ってしまう症状がでることから、注意喚起がなされています。現在、全国で少なくとも1634名の感染が確認されており、これは先週より約1000名以上感染者が増えています。感染者が増加傾向であることから、政府は状況を注視するとしつつも、場合によっては2類に引き上げることも検討すると見解を示しました」
もしかして――。
私はそう思うと、いてもたってもいられなくて、思わず立ち上がった。
そして、iPhoneを持ち、優斗くんとのやり取りが残っているノートを真逆に読み直すために自分の部屋へ戻った。
3
隔離された白い部屋の中で、僕は仰向けになっている。なんでこんなにことになったんだろう。
数ヶ月ぶりに思考が反転しずらくなった頭はまだ、ぼんやりとしていた。この春は最悪だった。医師が昨日言っていたのは、薬が効き始めて、言語野が回復しつつあるって言われた。
だけど、僕はその間にたくさんの大切なことを失った。
もし、過去に戻れるなら、5月、芽衣にひどいことを言った日に戻りたい。
君のことが好きだった。
ゴールデンウィークが終わり、初夏が始まろうとしていた公園で、僕は君といろんな話をした。まだ、黄緑がかった木の下にあるベンチで、君――。芽衣と少なくとも話すことは出来た。
それはお互いにもう、緊張なんかしていなかったかもしれない。だけど、芽衣はなにかに悩んでいるようだったから、僕は芽衣の心ができるだけ近づけるように言葉を選ぶことにした。
「優斗くん。どうして、そんなひどいこと言うかな」
芽衣のショートボブの毛先が風で揺れた。その毛先は午後の白くて直線的な光を浴びて、茶色くキラキラしていた。芽衣がそう言ったことは、風の音でかき消されるくらい強くて、鍛えて”いない”細すぎな、その腕や、脚の所為か、制服のスカートは似合うように感じた。
「そんな泣き言、言ってもいいんだよ。もっと弱くなったほうがいい」
「ねえ、そんなに人って、ストイックになれると思う?」
芽衣の声は震えていた。両膝に置いてある両手でスカートをギュッと握りしめ、わずかにスカートの裾が上がった。芽衣は2年生になり、クラスガチャは失敗したらしい。馴染めない環境から、いじめが起こってしまい、うまく立ち回れなかったみたいだ。
目の前に見えるタイル張りの広場の真ん中には、噴水があり、重力に従い水がキラキラしていた。夏の始まりを感じさせるくらい、眩しくて、それだけでも涼しげに見えた。
そんな爽やかな気持ちだけど、いじめの話なんて、どうでもいいわけがない。
どうして、そうなったかなんて突き詰める必要はない、いじめの原因は相対ではなく、相手にあるはずだ。
「弱くてもいいんだよ。そうしないとどうしようもならない時だってあるだろ」
「――そうかもね。私が悪いのかもしれないね」
どうして――。芽衣はこんな精神状態だけど、僕の気持ちが伝わるといいな。
「だから、頑張らないほうがいいし、負ける勇気も必要だと思う」
「――もう、無理!」
辺りに芽衣の声が響いた。その芽衣の声で、近くを通っていた何人かの人が振り向いたことに不思議に感じた。もしかしたら、その声は僕にとって、とてもインパクトがあっただけで、思った以上に芽衣の声は大きかったのかもしれない。
「無理なものは無理だし、私だって頑張ってるんだよ! どんくさい私だって、それなりに認められるように頑張ってるの!」
「頑張ってるのはわかるよ」
「あー、ホント最悪なんだけど。もういい、帰るね。あと、別れようね」
両手で頭をくしゃくしゃとして、髪を揺らしたあと、芽衣はすっと立ち上がり、そして、噴水の方へ歩き始めた。その姿を見て、僕は思わず追いかけたくなった。だけど、身体はなぜか言うことを聞かなくて、ベンチに座ったままだった。
「ちょっと待って。違うんだ」
そう言うと、芽衣は僕の方を振り向き、優しくて、冷たい目をして寂しさを感じた。その両目からはすでに何粒もの涙が次々に溢れていて、芽衣の頬は午後の光で輝いていた。
「私、優斗くんってもっと、わかる人なのかと思ってた」
「わかりたいよ。芽衣のこと」
「最低」
小さくて、低い声でそう言い残して、芽衣は去っていった。僕は座ったまま、最高に似合っている芽衣の制服姿と、噴水、そして、辺りの新緑色した木々を見て、ものすごく絵になるなって思った。
大嫌いだったのに。君のこと。
「あ、まだ治ってないんだ」
小さなぼそっとした声が情けなく静かな部屋の中で響いた。
息を吐くといつもより熱く感じ、喉が締め付けられる感覚がした。
だから、右手の人差し指を右目の目頭に当てると、指先はしっとりとした。
酷い言葉で悲しんだのは、芽衣のほうなのに、なんて、僕は無力だったんだろう。
――僕はそんな思いを伝えて、最低だ。
君のことが嫌いになった。
ゴールデンウィークが終わり、初夏が始まろうとしていた公園で、僕は君といろんな話をした。まだ、黄緑がかった木の下にあるベンチで、君――。芽衣(めい)とたくさんのことは話すことは出来なかった。
それはお互いにまだ、緊張していたからかもしれない。だけど、芽衣はなにかに悩んでいるようだったから、僕は芽衣の心ができるだけ遠くならないように言葉を選ばないようにした。
「優斗(ゆうと)くん。どうして、そんなひどいこと言うかな」
芽衣のショートボブの毛先が風で揺れた。その毛先は午後の白くて直線的な光を浴びて、茶色くキラキラしていた。芽衣がそう言ったことは、風の音でかき消されるくらい静かで、鍛えすぎて細すぎないその腕や、脚の所為か、制服のスカートは似合わないように感じた。
「そんな泣き言なんて言わないほうがいいよ。もっと強くなったほうがいい」
「ねえ、そんなに人って、ストイックになれると思う?」
芽衣の声は震えていた。両膝に置いてある両手でスカートをギュッと握りしめ、わずかにスカートの裾が上がった。芽衣は2年生になり、クラスガチャはうまくいったらしい。馴染める環境だったのに、いじめが起こらないように、うまく立ち回ろうとしたみたいだった。
目の前に見えるタイル張りの広場の真ん中には、噴水があり、重力に逆らう水がキラキラしていた。夏の始まりを感じさせるくらい、眩しくて、それだけでも涼しげに見えた。
そんなに爽やかな気持ちなのに、いじめの話なんて、どうでもいい。
どうして、そうなったかを突き詰めたら、いじめの原因は絶対、自分にあるはずだ。
「強くなったほうがいいよ。そうしないとどうしようもならない時だってあるだろ」
「――そうかもね。私が悪いのかもしれないね」
どうして――。芽衣のこんな精神状態じゃ、僕の気持ちが伝わってるわけがないよね。
「だから、頑張ったほうがいいし、負けない勇気も必要だと思う」
「――もう、無理!」
辺りに芽衣の声が響いた。その芽衣の声で、近くを通っていた何人かの人が振り向かなったのは不思議に感じた。もしかしたら、その声は僕にとって、とてもインパクトがあっただけで、思った以上に芽衣の声は小さかったのかもしれない。
「無理なものは無理だし、私だって頑張ってるんだよ! どんくさい私だって、それなりに認められるように頑張ってるの!」
「頑張ってなんかないのはわかるよ」
「あー、ホント最悪なんだけど。もういい、帰るね。あと、別れようね」
両手で頭をくしゃくしゃとして、髪を揺らしたあと、芽衣はすっと立ち上がり、そして、噴水の方へ歩き始めた。だけど、僕はそれを座ったまま眺めることにした。
「待たなくていいよ。わかってたから」
そう言うと、芽衣は僕の方を振り向き、鋭い目つきで睨みつけてきた。その両目からはすでに何粒もの涙が次々に溢れていて、芽衣の頬は午後の光で輝いていた。
「私、優斗くんってもっと、わかる人なのかと思ってた」
「わかるわけないじゃん」
「最低」
小さくて、低い声でそう言い残して、芽衣は去っていった。僕は座ったまま、最低で似合ってない芽衣の制服姿と、噴水、そして、辺りの新緑色した木々を見て、ちっとも絵にならないなって思った。
大嫌いだったのに。君のこと。
僕はそんな思いを伝えて、最高だ。
2
私は優斗くんと公園で別れたあと、このことを客観的に見るために、このことを思い出せる限りノートに書いた。今朝、嫌な夢を見たから、ベッドから起き上がり、そのノートを開き、そのときの内容を読み返したけど、やっぱり優斗くんは最悪な人である印象は変わらなかった。
優斗くんと別れてから1ヶ月経ったとき、学校で、優斗くんが退学した噂を聞いた。
その理由はクラスで、言い争いをして、トラブルメーカーになり、それを繰り返しているうちに自分の居場所を失い、自分から退学したらしい。
最初、その話を聞いたとき、やっぱりそうだよねって思った。
去年の12月、高校1年生だった私たちが付き合い始めたときは、優斗くんは本当に優しかった。私が友達と喧嘩して、落ち込んでいた日の学校の帰り道で、優斗くんは話かけてきた。
あと1週間で冬休みに入ろうとしていて、玄関のロッカーから、ブーツを取り出し、履こうとしたとき、低い声で名前を呼ばれた。呼ばれた方を見ると、ネイビーのウールコート姿の優斗くんが右手を胸元の高さで小さく振りながら、私の方に近づいてきた。
同じクラスでたまにクラスのノリとかで話すことはよくあるけど、優斗くんとふたりきりで話すのは、初めてだった。
「珍しいね、私だけなのに声かけるなんて」
「気になってたからだよ。芽衣ちゃんに、うかない顔なんて似合わないよ」
そう言って、微笑んで、行こうって言われて、気がついたら私は優斗くんの隣を歩いていて、ローソンに連れて行かれて、ホットレモネードを2つ買ってくれて、冷たい風が吹く中で、公園のベンチに座っていた。
そして、座ってすぐに優斗くんはビニール袋から、ペットボトルを一つ取り出して、ホットレモネードが入っている250mlのペットボトルを渡してくれた。
私はそれを両手で受け取り、両手をホットレモネードで温めながら、小さな声でありがとうと言うと、いいえと低い声で返しながら、また微笑んでくれた。
公園のベンチで私と優斗くんは横並びでこうしているのは不思議だった。息を吐くと白い息がでるくらい寒かったけど、寒さなんて忘れるくらい、私は急に緊張してきた。
「飲もうよ」
そう言われたから、私は頷き、ペットボトルのキャップをひねり開けると、ペットボトルの口からわずかに湯気が揺れながら上がり、ゆっくり冷たい空気の中に消えていった。左手にペットボトルを持ったまま、その様子を見ていると、右側から、優斗くんが私のペットボトルに自分が持っているペットボトルをこつんと当てた。
「いただきます」
「いいよ。今はこれくらいしかできないけどな」
あ、察してくれてるんだ――。
その瞬間、やっぱり優しいんだなって、素直に思いながら、ホットレモネードを一口飲んだ。
「――嬉しいよ。あんな惨めな私のこと、気にかけてくれるんだね」
「当たり前だろ。ずっと、気になってるんだから」
「えっ」
私はその言葉の真意が理解できないまま、急に耳の温度がわずかに上がり始めたような感覚がしたから、慌ててホットレモネードをもう一口飲んだ。
「芯がある強い感じだよな。俺、そういうの好きだな」
「――ありがとう」
なんて言えばいいのかわからないから、とりあえずお礼を返すことにした。
「ただ、弱くてもいいよ。頑張りすぎなんだよ」
そんな言葉かけられるなんて思わなかったから、思わず私は優斗くんを見た。すると、優斗くんはまた微笑んでくれた。
なぜかわからないけど、優斗くんのその微笑みが私を安心させるための微笑みに感じた。
いじめや悪口が大嫌いだから、いじりを超えた、人格否定をしたあいつが許せなかった。だから、我慢できずにリーダーの女子に口を出して、口喧嘩になった。
そのことに触れているようで触れていない優斗くんのその優しさに私の心はゆっくりと揺れ始めた。
インスタのDMで3日、やり取りが続いたあと、それだけじゃ足りなくて、優斗くんと交換していなかったLINEを交換して、2日間、夜中まで通話をした。
寝不足のまま、クリスマス・イブになり、一緒に恋愛映画を観て、最後にイルミネーションとそこそこ大きいクリスマスツリーを眺めたあと、私たちは自然な流れで付き合うことになった。
そこから2月まで、私たちはずっと上手くいっていた。
だけど、優斗くんが2月に風邪を引いて、数日間、高熱を出し、数日で熱が下がり、ケロッとして帰ってきたあとから、少しずつ会話が噛み合わなったように感じた。
最初は小さな違和感だったけど、それが日を追うごとに大きくなっていた。
しかも、私のクラスガチャは見事に失敗して、噛み合わない日々が続くわけがなく、私が12月に正義感振りかざしたことをネタにされてからいじめられるようになった。
春になって、なにもかも上手くいかなかった。そして、優しかった優斗もたった数ヶ月で変わってしまった。
あの日だって、きっかけは些細なことだった。
別れ話に発展したのは『クラスで孤立してるのが嫌だったら、もっと頑張れよ』って優斗くんに言われたからだった。その会話になったきっかけは、私が作ってしまった。
それは私の弱いところだったし、別れる前、優斗くんに弱音ばっかり言って、優斗くんに甘えすぎていたのかもしれない。
だから、別れ話のきっかけを作ったのは私だった。
『もうクラスでやっていくの無理かもしれない』って、思ったことをそのまま口になんか出さなければよかったのに。
本当に私はバカだった。
優斗くんに傷つけられた心の傷は今も胸に残ったままだし、今もショックが続いている。
私が弱いから悪いのかもしれない。
だから、あのとき『弱くてもいいよ』って言ってくれたのはすごくその言葉だけで息詰まるような感覚を忘れることができたのに。
それなのに、どうして――。
「あんなに好きって言ってくれたのに」
独り言をぼそっとつぶやいても、誰も返してくれることはなかった。
今朝もそんなことを考えながら、キッチンに向かい、トースターでトースト2枚を焼き、それを白い丸皿の上に乗せた。そして、皿を両手で持ち、すり足でゆっくり、リビングに行き、テーブルの上に置いた。
そして、パジャマのポケットからiPhoneを取り出し、それもテーブルの置いたあと、私は椅子に座った。
テーブルに置いたiPhoneを右手の人差し指をなぞり、タイムラインをたどりながら、朝食のバタートーストを食べ始めた。
トーストを一口食べたあと、それに飽きた私はトレンドタブをタップした。
『真逆風邪』
この単語が上位トレンドになっていた。
「なにこれ」
なにに対して真逆なのかわからないまま、『真逆風邪』を右手の人差し指でタップした。
すると、ニュース記事がいくつも出てきていて、『感染者数、急増。新たなパンデミックか』と見出しと、ニュース動画がいくつも出てきた。
恐る恐る動画をタップすると、緊迫した様子で男性のキャスターが概要を語っていた。
「日本で初めて発見された真逆風邪の症状は潜伏期間が3ヶ月程度と比較的長期間であること、発病すると言語野に影響を大きく与え、自分の意思とは真逆のことを言ってしまう症状がでることから、注意喚起がなされています。現在、全国で少なくとも1634名の感染が確認されており、これは先週より約1000名以上感染者が増えています。感染者が増加傾向であることから、政府は状況を注視するとしつつも、場合によっては2類に引き上げることも検討すると見解を示しました」
もしかして――。
私はそう思うと、いてもたってもいられなくて、思わず立ち上がった。
そして、iPhoneを持ち、優斗くんとのやり取りが残っているノートを真逆に読み直すために自分の部屋へ戻った。
3
隔離された白い部屋の中で、僕は仰向けになっている。なんでこんなにことになったんだろう。
数ヶ月ぶりに思考が反転しずらくなった頭はまだ、ぼんやりとしていた。この春は最悪だった。医師が昨日言っていたのは、薬が効き始めて、言語野が回復しつつあるって言われた。
だけど、僕はその間にたくさんの大切なことを失った。
もし、過去に戻れるなら、5月、芽衣にひどいことを言った日に戻りたい。
君のことが好きだった。
ゴールデンウィークが終わり、初夏が始まろうとしていた公園で、僕は君といろんな話をした。まだ、黄緑がかった木の下にあるベンチで、君――。芽衣と少なくとも話すことは出来た。
それはお互いにもう、緊張なんかしていなかったかもしれない。だけど、芽衣はなにかに悩んでいるようだったから、僕は芽衣の心ができるだけ近づけるように言葉を選ぶことにした。
「優斗くん。どうして、そんなひどいこと言うかな」
芽衣のショートボブの毛先が風で揺れた。その毛先は午後の白くて直線的な光を浴びて、茶色くキラキラしていた。芽衣がそう言ったことは、風の音でかき消されるくらい強くて、鍛えて”いない”細すぎな、その腕や、脚の所為か、制服のスカートは似合うように感じた。
「そんな泣き言、言ってもいいんだよ。もっと弱くなったほうがいい」
「ねえ、そんなに人って、ストイックになれると思う?」
芽衣の声は震えていた。両膝に置いてある両手でスカートをギュッと握りしめ、わずかにスカートの裾が上がった。芽衣は2年生になり、クラスガチャは失敗したらしい。馴染めない環境から、いじめが起こってしまい、うまく立ち回れなかったみたいだ。
目の前に見えるタイル張りの広場の真ん中には、噴水があり、重力に従い水がキラキラしていた。夏の始まりを感じさせるくらい、眩しくて、それだけでも涼しげに見えた。
そんな爽やかな気持ちだけど、いじめの話なんて、どうでもいいわけがない。
どうして、そうなったかなんて突き詰める必要はない、いじめの原因は相対ではなく、相手にあるはずだ。
「弱くてもいいんだよ。そうしないとどうしようもならない時だってあるだろ」
「――そうかもね。私が悪いのかもしれないね」
どうして――。芽衣はこんな精神状態だけど、僕の気持ちが伝わるといいな。
「だから、頑張らないほうがいいし、負ける勇気も必要だと思う」
「――もう、無理!」
辺りに芽衣の声が響いた。その芽衣の声で、近くを通っていた何人かの人が振り向いたことに不思議に感じた。もしかしたら、その声は僕にとって、とてもインパクトがあっただけで、思った以上に芽衣の声は大きかったのかもしれない。
「無理なものは無理だし、私だって頑張ってるんだよ! どんくさい私だって、それなりに認められるように頑張ってるの!」
「頑張ってるのはわかるよ」
「あー、ホント最悪なんだけど。もういい、帰るね。あと、別れようね」
両手で頭をくしゃくしゃとして、髪を揺らしたあと、芽衣はすっと立ち上がり、そして、噴水の方へ歩き始めた。その姿を見て、僕は思わず追いかけたくなった。だけど、身体はなぜか言うことを聞かなくて、ベンチに座ったままだった。
「ちょっと待って。違うんだ」
そう言うと、芽衣は僕の方を振り向き、優しくて、冷たい目をして寂しさを感じた。その両目からはすでに何粒もの涙が次々に溢れていて、芽衣の頬は午後の光で輝いていた。
「私、優斗くんってもっと、わかる人なのかと思ってた」
「わかりたいよ。芽衣のこと」
「最低」
小さくて、低い声でそう言い残して、芽衣は去っていった。僕は座ったまま、最高に似合っている芽衣の制服姿と、噴水、そして、辺りの新緑色した木々を見て、ものすごく絵になるなって思った。
大嫌いだったのに。君のこと。
「あ、まだ治ってないんだ」
小さなぼそっとした声が情けなく静かな部屋の中で響いた。
息を吐くといつもより熱く感じ、喉が締め付けられる感覚がした。
だから、右手の人差し指を右目の目頭に当てると、指先はしっとりとした。
酷い言葉で悲しんだのは、芽衣のほうなのに、なんて、僕は無力だったんだろう。
――僕はそんな思いを伝えて、最低だ。