赤い傘を持っていれば、自分がここにいる目印になる――これは以前、あの子が僕らに教えてくれたことだ。名前を知らなくても印象付けることができる。だからいつも持ち歩いていた。
 赤い傘は自分の目印。妻も同じことを思ったようで、思わず震える口元を手で覆う。
 息子は屈託のない笑顔でさらに続けた。

「お姉ちゃんね、パパとママにいっぱいありがとうって伝えてねって、言ってたよ」
「ねぇ、今度はいつ会えるかなぁ?」
「バイバイのときに、いつかこの傘をさして一緒に歩こうねって約束したんだ。だから――」
「……ママ? パパもどうして泣いてるの?」

 話を遮って、妻が息子をぎゅっと抱きしめた。震える後ろ姿はとても小さくて、今にも壊れそうだ。
 そんな僕も息子に指摘されて、涙をこぼしていたことに気付いた。妻もきっと、あの子の姿を思い浮かべたことだろう。
 たったひとりの、愛娘を。
 震えていた妻は袖口で強引に涙を拭うと、いつもの笑みを浮かべて息子と向き合う。
「お姉ちゃんと並んで歩けるように小さいのにしよう?」と優しく諭すと、息子は納得したように笑った。

「わかった! じゃあ小さいほうにする!」
「ママ、一緒に探して! パパもだよ!」

 息子はそう言って僕らの手を引いた。
 小さな体のどこにそんな力があるのか、子供の成長とは恐ろしいものだと感じた。
 息子のいうお姉ちゃんと一緒に歩くことは、この先どれだけ成長しても叶えさせてあげられない。
 それでもいつか、「君にもお姉ちゃんがいたんだよ」と話す日が来るだろう。
 真っ暗な場所で出会ったそのお姉ちゃんは、きっと君を迷わないように僕らのもとに送り届けてくれたんだよって伝えたら、どんな顔をするだろうか。
 時間はとてつもなく儚くて、気付かぬうちに壊れてしまうものだと、僕らは知っている。
 僕は父親として、あの子にちゃんと愛を伝えられていたのか、何年も時間を経た今でも不安で仕方がない。妻もそう、確認する術はもう存在しない。
 片時さえ忘れたことはない。忘れてたまるものか。
 今の僕らがいるのは、間違いなく君が繋ぎとめてくれたおかげだ。縁をさらに紡いでくれたというのなら、これ以上の喜びはない。
 そんな未来のことを想像しているうちに、息子が自分にピッタリの赤い傘を見つけて、僕らに向けて大きく掲げた。

「赤い傘は、ぼくとお姉ちゃんの目印!」

 にかっと眩しく笑ったすぐそばで、微笑む娘の姿が見えた気がした。