彼のことをもっと語りたいという気持ちに嘘偽りはない。できることなら、常に彼について語っていたいし、彼の優しいところ、楽しいところ、面白いところ、素敵なところ、彼の全てを語っていたい。でも、それは、時間が許してくれないし、何より、私だけが知っていたいという気持ちもある。実を言うと、彼との2人での旅は私にとって幸せでしかない。寝ても覚めても彼は隣にいる。こんなに幸せな時間を過ごせるのは本当に嬉しい。
 だけど同時に少し悲しくなる。私が愛してやまない彼は、本当に今の彼なのか、と時々思ってしまう。昔、彼は記憶がたたえなくなったとしてもそれは、魂の欠落ではないといっていた。つまり、記憶と魂は別々であって、本質そのものの変化は訪れない、と。
 だから、私はその度に彼を愛している私は、彼という肉体や記憶ではなく、彼自身を愛していると、そう考える。だからこそ、虚しくなってしまう。彼はどれだけ経ってもどこかよそよそしさを感じさせる。それはやっぱり彼からすれば私は昔の自分を知っているだけの他人なのだろう。それが無性に悲しい。彼の信頼に足る人物にまだ私はなっていない。
 さて、ここですこし、寄り道をしようと思う。そろそろ私は私について語らないといけないと思う。別に忘れていたわけでも、面倒だったわけでもない。私のことを私が語ることに少しばかり引け目というか、気恥ずかしさすら覚える。このまま明かさないでいいのならいいのかもしれないがしかし、信頼ある語り手になるにはここで私を見せる必要があるのかもしれない。そんな義務感に駆られて語ろうと思う。とはいえ、やっぱり私が私について語るということは私の意思で嘘と本当を混ぜることができるし、いつぞや彼が教えてくれたように嘘というスパイスは物語を美味しくしてくれる。嘘偽りのない、一切の混じり気のない物語など美味しくはないのだから。だから、あらかじめ伝えておかなければならない。これから伝える私は嘘偽りはないが隠し事はもちろんあると。こうやって宣言しているのだから、読み手の仕事は私を、読み解くことだし、私と彼の関係についてありもしない想像を膨らませることだ。
 とまあ、何か大それたことを言っているが、これから語る物語に差して大きな影響はきっとないと思う。
 だって物語はすでに起きたことなのだから。
 私はレギエーヌ。ランドルフ王国で生まれ育った、生粋のランドルフ人。幼い頃王立学校に入学して、そこで聖職者としての能力を身につけた。神聖魔法を得意として剣術と治癒魔法を学んだ。全ては、人を守るための技術。人を守り、癒す、それが私に課せられた義務で私はその義務を受け入れた。これは信仰の印だったし、そうなるよう昔から育てられた。
 15歳の頃、魔王軍の活動が活発化した。理由はわからない。数百年前のランドルフ戦役にて休戦協定が結ばれて以降、目立った行動はなされていなかった。それどころか、休戦協定でありながら、100年ほど前から向こうも世代交代したのか交易が再開された。魔族側は人間側に魔族領域では取得困難な塩などの嗜好品を。人間側は魔族間で起こった戦争で生まれた奴隷を高値で買い取り、仕事に従属させる。その仕事だ生まれた嗜好品をまた魔族に売る。いがみ合っている割には上手な商売システムが完成していた。
 この、歪な平和もすぐに終わりを迎えた。突如として現れた魔王と称する魔族の王はたった数年で魔族領域の全ての魔族を一つに束ね、そのまま、強固な軍を組織した。全12軍からなる魔族軍は、それぞれの軍団長をそれぞれの種族に握らせ、その代わりに参謀に他の種族をつかせた。それは、互いに監視する立場にあると同時に、種族間の連携を強化することが目的だった。その結果、もともと身体的にも魔力的にも人間より優っていた魔族の唯一の弱点だった、組織力の弱さは改善され、もはや最強と言っても過言ではない軍隊へと変貌した。
 魔王はある日突然人の領域へと侵攻を開始した。侵攻の目的は奴隷の解放。
 この参戦事由が本当だったかはわからない。事実として人間側は魔族を奴隷化していたし、その扱いも酷いものがほとんどだった。ただ、弱肉強食が前提となる魔族においていわゆる戦争に負けて生まれた弱者を救い出す、という理屈は理解に苦しむ。彼と旅をして、幾らかの街や村を開放して分かったのが、領域の拡大と同化が目的なのだろう。
 人間側は開戦当初かなり押された。組織的な攻撃、よく連携の取れた攻勢、鮮やかな撤退、そして何より各魔族の力量。全てにおいて人は負けた。魔族よりも人の方が狡猾で醜い戦い方をしていた。時には、奴隷を人質に、時には奴隷そのものを処刑し、できる限り醜くして放置。人間が人間としての尊厳をもはや持ち合わせていなかった。
 ランドルフ王国は人族の中でも優れた軍事力を持っていたため、すぐさま戦争に参加した。とはいえ、徹底的に防戦を強いられ、人的資源はすぐに尽きようとしていた。
 負けが見え始めた時、ある枢機卿が見つけた古文書から召喚の儀を執り行うことが決定された。もちろんここには政治的意図があるが、少なくとも、この枢機卿の活躍がなければ、そもそも戦争に勝てなかった。