津久居氏はやはり来なかった。LINEの既読がつかない。電話にも出ない。俺は何度か自宅を訪ねようと考えたのだが、思い留まった。津久居氏が美知香の付き人だったのなら、北見氏が死んだこともすでに知っているはずだ。北見氏が亡くなってからも俺が連絡を取らずにいれば、「杉村さんとは関わり合いになりたくないと思っているのだ」と解釈できるだろう。それで構わないと思ったし、事実その通りなのだが、俺の気持ちとしては気がかりでならなかった。せめて葬儀には出席すべきではなかったのか。参列しないにしても、北見氏の友人代表として弔辞を読むとか、そういう形でも良かったのではないか。そうすることで、北見氏の死に対する彼の責任を果たしたように思うのだが、どうも俺の考え過ぎのような気もしてくる。津久居氏は俺と違って常識的な人間だから、北見氏の訃報を受けて、真っ先に駆けつけるべきだったと反省しているのかもしれない。
それとも、他に理由があるのか。
北見氏が亡くなったことを知らせるメールを津久居氏に送ったのは、彼への義理を果たすためではない。美知香の件を隠し続けるために、俺と津久居氏とが無関係であることをアピールする必要があったからだ。俺は北見氏と知り合いだったが、彼は俺のことを知らない。だから、俺が北見氏に連絡を取ろうとしても無駄であると津久居氏に思わせる必要があった。
北見氏の死に関して、津久居氏がどこまで把握しているのか、俺は測りかねていた。
北見氏が美知香を自宅に泊めたこと。
美知香が北見氏の経営するクラブで働くようになったこと。
北見氏が美知香に、自分の息子にならないかと持ちかけたこと。
美知香がそれを断り、津久居氏を頼ってきたこと。美知香が北見氏を殺したらしいということ。
北見氏が美知香を庇って亡くなったらしいということ。
津久居氏は何も知らなかったようだ。津久居氏は美知香が北見氏のところへ転がり込んだ経緯について何も知らず、北見氏が美知香のためにマンションの一室を買ったことさえ知らなかった。津久居氏は、北見氏の死を知らされても驚きもせず、取り乱しもしなかった。
北見氏の交友関係を知っていたからだろう。北見氏が誰とどんな付き合いをしていたのか、津久居氏はすべて承知していたはずだ。
北見氏が美知香の面倒をよく見てくれていたことも、津久居氏はよく理解していた。だからこそ美知香は津久居氏に助けを求めてきたのだ。
津久居氏の方から、美知香が北見氏から受けている援助を打ち切るという選択肢はなかった。
津久居氏は、美知香の味方をしてくれるだろう。
美知香の境遇に同情し、北見氏を恨む。そして、美知香が自分にとって有利な証言をするように、美知香を誘導する。
俺が危惧したのは、津久居氏が、美知香の供述を鵜呑みにしてしまうのではないかということだった。
だが、津久居氏はそんなことをする男ではなさそうだ。津久居氏の人となりが、俺はだんだん分かってきていた。
津久居氏の職業は何だろう。弁護士だろうか。津久居氏からは、知性の匂いが漂ってくる。頭の回転が速く、冷静で、計算高い。ただ、それだけの印象だ。津久居氏は北見氏に対して、恩を感じてはいなかったろうか。あるいは、北見氏に恨みを持っていただろうか。
北見氏は、津久居氏を信頼しきっていた。津久居氏も北見氏を敬愛していたように見えた。二人は対等のパートナーであり、北見氏は津久居氏に対して、家族のように甘えを見せていた。
北見氏は、津久居氏にだけは、自分が美知香にしたことを話していたのではないか。
美知香の供述に信憑性がないことを、津久居氏は北見氏に告げる。北見氏は、美知香を疑う。美知香は嘘をついている。津久居氏は美知香の側につくだろう。美知香は、津久居氏にすべてを告白したのではないか。
美知香は、津久居氏を味方に引き入れたかったのだろうか。
北見氏は生前、美知香を後継者として育てようとしていた。北見氏は、津久居氏を信用していた。津久居氏が美知香の証言を信じれば、美知香は津久居氏に裏切られることになる。
津久居氏は美知香の弁護を引き受けるのかもしれない。
津久居氏が美知香の弁護人になれば、美知香は有利になるだろうか。
いや、違う。津久居氏は美知香の味方にはならない。北見氏を殺したのは美知香だと決めてかかるに違いない。
美知香は、津久居氏を味方につけようとしているわけではない。
では、何だ? 美知香は何を考えている? 美知香が北見氏を殺していないとしたら、津久居氏は美知香をどうするつもりなのだろう。
美知佳の一件を津久居氏が知ったなら、どう動くか。俺の頭に浮かんだのは、美知佳が家出した時のことだ。あの時、津久居氏は俺に協力してくれた。
美知佳が家出をした理由は、北見氏の娘になったせいだ。しかし、北見氏の娘になることを拒んだから、家を追い出されることになった。津久居氏にとっては、北見氏は保護者であると同時に最大の支援者でもあったはずだ。それが、北見氏がいなくなって美知佳は困っている。津久居氏なら、美知佳の力になってくれるのではないか。そう思って、俺はLINEのIDを教えてもらった。津久居氏は快諾してくれた。これで美知佳を何とかできる。そう期待してメッセージを送り始めた。
津久居氏は多忙らしく、すぐには返信がなかった。一週間後、津久居氏から電話がかかってきた。「何か分かったんですね」と尋ねると、津久居氏は「いえ」と言った。「私はお手伝いできません。あなたにしかできない仕事でしょう」
俺は驚いた。「どういうことです」津久居氏は説明した。「北見様のお宅の防犯カメラを調べたんです。するとですね」俺は息を飲んだ。「美知佳さんの部屋の中に北見さんがいた形跡が見つかったそうです。もちろんそれは合成で、実際は美知香さん一人でした。美智香さんが帰宅してから録画された映像です」
津久居氏は言った。「つまり北見さんは生きていたということです。そして美知香さんは、北見さんを殺していない」
美知佳は津久居氏の手引きで、自分の部屋の中を盗撮されていたことになるわけだが、それに気づいていないのだろうか。
北見氏が美知佳に与えた携帯電話の解析は進んでいないらしい。そのことも、北見氏が健在であるという可能性を強めていると、彼は言う。
美知佳が北見氏を殺害したと決めつけてしまえばいいと、俺なんかは考えてしまうのだが、津久居氏の立場は複雑怪奇なものらしい。美知佳と津久居氏には浅からぬ繋がりがあり、美知佳を悪者扱いすることには大きな抵抗があるのだという。
津久居氏が美知香について調べていることについては、何も聞いていないそうだ。
それを聞いて安心するような、残念に思うような、妙に複雑な気持ちになった。津久居氏はどこまで知っているのか、美知香の正体を察しているのか。
俺の仕事も忙しかった。北見氏の件とは別にして、津久居氏を頼れるなら心強い。だが彼も俺同様忙しい身だし、それに北見氏が死んだばかりだから無理だろうと諦めかけていた。そこに、彼からの呼び出しがあった。仕事終わりの夜七時に新宿東口の喫茶店で落ち合う約束をするまでに、それほど時間はかからなかった。
2章
それとも、他に理由があるのか。
北見氏が亡くなったことを知らせるメールを津久居氏に送ったのは、彼への義理を果たすためではない。美知香の件を隠し続けるために、俺と津久居氏とが無関係であることをアピールする必要があったからだ。俺は北見氏と知り合いだったが、彼は俺のことを知らない。だから、俺が北見氏に連絡を取ろうとしても無駄であると津久居氏に思わせる必要があった。
北見氏の死に関して、津久居氏がどこまで把握しているのか、俺は測りかねていた。
北見氏が美知香を自宅に泊めたこと。
美知香が北見氏の経営するクラブで働くようになったこと。
北見氏が美知香に、自分の息子にならないかと持ちかけたこと。
美知香がそれを断り、津久居氏を頼ってきたこと。美知香が北見氏を殺したらしいということ。
北見氏が美知香を庇って亡くなったらしいということ。
津久居氏は何も知らなかったようだ。津久居氏は美知香が北見氏のところへ転がり込んだ経緯について何も知らず、北見氏が美知香のためにマンションの一室を買ったことさえ知らなかった。津久居氏は、北見氏の死を知らされても驚きもせず、取り乱しもしなかった。
北見氏の交友関係を知っていたからだろう。北見氏が誰とどんな付き合いをしていたのか、津久居氏はすべて承知していたはずだ。
北見氏が美知香の面倒をよく見てくれていたことも、津久居氏はよく理解していた。だからこそ美知香は津久居氏に助けを求めてきたのだ。
津久居氏の方から、美知香が北見氏から受けている援助を打ち切るという選択肢はなかった。
津久居氏は、美知香の味方をしてくれるだろう。
美知香の境遇に同情し、北見氏を恨む。そして、美知香が自分にとって有利な証言をするように、美知香を誘導する。
俺が危惧したのは、津久居氏が、美知香の供述を鵜呑みにしてしまうのではないかということだった。
だが、津久居氏はそんなことをする男ではなさそうだ。津久居氏の人となりが、俺はだんだん分かってきていた。
津久居氏の職業は何だろう。弁護士だろうか。津久居氏からは、知性の匂いが漂ってくる。頭の回転が速く、冷静で、計算高い。ただ、それだけの印象だ。津久居氏は北見氏に対して、恩を感じてはいなかったろうか。あるいは、北見氏に恨みを持っていただろうか。
北見氏は、津久居氏を信頼しきっていた。津久居氏も北見氏を敬愛していたように見えた。二人は対等のパートナーであり、北見氏は津久居氏に対して、家族のように甘えを見せていた。
北見氏は、津久居氏にだけは、自分が美知香にしたことを話していたのではないか。
美知香の供述に信憑性がないことを、津久居氏は北見氏に告げる。北見氏は、美知香を疑う。美知香は嘘をついている。津久居氏は美知香の側につくだろう。美知香は、津久居氏にすべてを告白したのではないか。
美知香は、津久居氏を味方に引き入れたかったのだろうか。
北見氏は生前、美知香を後継者として育てようとしていた。北見氏は、津久居氏を信用していた。津久居氏が美知香の証言を信じれば、美知香は津久居氏に裏切られることになる。
津久居氏は美知香の弁護を引き受けるのかもしれない。
津久居氏が美知香の弁護人になれば、美知香は有利になるだろうか。
いや、違う。津久居氏は美知香の味方にはならない。北見氏を殺したのは美知香だと決めてかかるに違いない。
美知香は、津久居氏を味方につけようとしているわけではない。
では、何だ? 美知香は何を考えている? 美知香が北見氏を殺していないとしたら、津久居氏は美知香をどうするつもりなのだろう。
美知佳の一件を津久居氏が知ったなら、どう動くか。俺の頭に浮かんだのは、美知佳が家出した時のことだ。あの時、津久居氏は俺に協力してくれた。
美知佳が家出をした理由は、北見氏の娘になったせいだ。しかし、北見氏の娘になることを拒んだから、家を追い出されることになった。津久居氏にとっては、北見氏は保護者であると同時に最大の支援者でもあったはずだ。それが、北見氏がいなくなって美知佳は困っている。津久居氏なら、美知佳の力になってくれるのではないか。そう思って、俺はLINEのIDを教えてもらった。津久居氏は快諾してくれた。これで美知佳を何とかできる。そう期待してメッセージを送り始めた。
津久居氏は多忙らしく、すぐには返信がなかった。一週間後、津久居氏から電話がかかってきた。「何か分かったんですね」と尋ねると、津久居氏は「いえ」と言った。「私はお手伝いできません。あなたにしかできない仕事でしょう」
俺は驚いた。「どういうことです」津久居氏は説明した。「北見様のお宅の防犯カメラを調べたんです。するとですね」俺は息を飲んだ。「美知佳さんの部屋の中に北見さんがいた形跡が見つかったそうです。もちろんそれは合成で、実際は美知香さん一人でした。美智香さんが帰宅してから録画された映像です」
津久居氏は言った。「つまり北見さんは生きていたということです。そして美知香さんは、北見さんを殺していない」
美知佳は津久居氏の手引きで、自分の部屋の中を盗撮されていたことになるわけだが、それに気づいていないのだろうか。
北見氏が美知佳に与えた携帯電話の解析は進んでいないらしい。そのことも、北見氏が健在であるという可能性を強めていると、彼は言う。
美知佳が北見氏を殺害したと決めつけてしまえばいいと、俺なんかは考えてしまうのだが、津久居氏の立場は複雑怪奇なものらしい。美知佳と津久居氏には浅からぬ繋がりがあり、美知佳を悪者扱いすることには大きな抵抗があるのだという。
津久居氏が美知香について調べていることについては、何も聞いていないそうだ。
それを聞いて安心するような、残念に思うような、妙に複雑な気持ちになった。津久居氏はどこまで知っているのか、美知香の正体を察しているのか。
俺の仕事も忙しかった。北見氏の件とは別にして、津久居氏を頼れるなら心強い。だが彼も俺同様忙しい身だし、それに北見氏が死んだばかりだから無理だろうと諦めかけていた。そこに、彼からの呼び出しがあった。仕事終わりの夜七時に新宿東口の喫茶店で落ち合う約束をするまでに、それほど時間はかからなかった。
2章