私は生まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら笑っていた。
その子の顔はとても可愛かったが私は泣いていた。何故かと言うと赤ん坊の目は白目が黒ずんで血走っており瞼の辺りには黒いあざが出来ている。鼻の穴は潰れており、唇の端が紫色になっているので見るだけで吐きそうになる。肌の色は真っ黒でとても不健康そうに見える。私はそんな我が子を見ながら涙を流し続ける。生まれて初めて抱いた命はあまりにも重たくて、少しでも気を抜けば落っことしてしまいそうだと思った。けれど絶対に落としてはならない。なぜなら私は、母であり姉であり父でもあるからだ。私は笑顔でいなくてはならないのだ。しかし泣き笑いを浮かべるのは至難の業だった。
すると腕の中の赤ん坊が泣かなくなる。不思議に思ってそっと呼んでみると、にへらと微笑まれた。まるで私が泣くのを止めたのだと言っているみたいだ。私は呆れた顔をした。だが内心では安心すると同時にホッとしていた。私はやっと笑うことができた。すると、私を呼ぶ大きな声に気づく。
「おーい!お母さんが呼んでいるぞぉ!」
振り向くと父親が遠くの方で手を大きく振っている。
「お父さん!こっちよぉ~!!」
私は叫んだが今度は父親の姿が見えない。
おかしいなぁと思いながらも大声で呼んだり「こっちぃい!!!!」と言ったところ、今度は「うるせぇんだよ!!」と言われてしまった。理不尽だと思いながら渋々諦めたところで父親が現れる。父親は手に持ったスマホを掲げて見せると満面の笑みで言うのだ。
「見ろよこれ!凄いだろ!?ほら、ここ見て!俺とお前の名前が表示されてるだろ!?あ、でも『ちゃんと名前呼べ』って言われちまった。あははは」
私はそんな父親の手の中にあるスマートフォンの画面に目を向ける。『誕生日、出産祝い・両親揃っての初メッセージ記念日』と書かれているところを見ると誰かからのプレゼントのようだ。私が興味深そうに見入っているのに気づいてか、父は自慢げに説明を始める。
「実は今日、俺達の子供が産まれたって聞いて慌てて会社早退してきたんだ。そうしたら部長がこれをくれてさ。さっきまでは『仕事中にそんな暇ない!』とか文句言ってたんだけど『娘を抱っこしながら読めば?』なんて言われたもんで『よし分かった』ってことで今に至るという訳だよ」
はははと照れ臭そうな笑いが聞こえた。
そんな父の話を聞いていた私は、不意に不安を覚える。『今の話だと私達の子供の名前が呼ばれなかったのはなんでだろう』と。私と夫は二人きりで暮らしている訳ではないのだ。夫婦二人で決めた大事な名前を呼ばないということはないだろうし、それに、私と夫の名前を間違えるというのもちょっと変だと思う。私はもう一度よく見てみた。
『誕生日、出産祝い・両親揃っての初メッセージ記念日(妻:〇〇、夫:□□子供の名前は別途記載されています)』という文面の下に、二人の名前に被せるようにして私達の娘であろう名前が書かれていた。私はそこに書かれた文字を読んで、驚いた。それは、私達が付けた娘の名前の由来と同じものだったからだ。私は驚いて父親を見る。父親は得意気に言うのだ。
「どうやらこのスマートフォンには人工知能が搭載されているらしいぜ。その証拠に、親である自分達が名づけた子供の誕生日や出産祝いの文章が表示されるんだ」
それを聞いた私は「はは」と笑ってしまった。
「またそんなこと言い出して、さすがに無理があるわ。お父さんの会社にはそんな最新技術があるのかもしれないけど、いくらなんでもそこまでは」
だが、そこでふと違和感を抱く。先ほどから父と私の会話が全く噛み合っていないような気がするのだ。
「ねぇお父さん、その画面見せてくれる?」と尋ねるが返事がない。見ると、彼は自分の胸をぎゅっと掴んでいた。そして苦し気な声を上げる。
「苦しい……死ぬ……死にたくない……助けてくれ……お願い……だ……」
慌てて駆け寄ろうとする私の手を、彼の手が握り締める。「駄目……だ……」
その手を伝うように、ぽたり、またひとつ。
「俺は……まだ……死んだ……くない……死んでたまるか……こんなところで……死にたく……な……」言葉は途中で消え入る。「父さん……!?父さん!?何があったんだ!!返事をしてくれ!!」と叫んでも反応が無い。「どうして!?」と叫んでみてもそれは同じことだった。ただ父が握った私の手だけが、氷のように冷たくなるばかりだった。
それからしばらくしてから私は気がつく。
私の腕の中で赤ん坊が笑っていた。そして小さな手で私の頬に触れてくる。
私は思わず、はははと笑って、こう思ったのである。
『良かった。あの子は無事だったんだ』