気が付くと足を運んでいた教会近くは、確かに立ち入り禁止のテープが張り巡らされていた。
結局オルタンシアは、何処にも居なかった。彼女の居ない世界に価値はない。いっそ自首してしまおうと、自暴自棄になりテープを跨ぐ。
案の定犯行現場の狭い路地裏を囲うように、大勢の人が居た。けれど警察ではなさそうだ。厳重に武装した連中が銃を構えて並ぶ姿は、田舎町に不釣り合いだった。
「あ、おい、一般人立ち入り禁止だぞ!」
「危険だから下がって!」
「おい、あれ、ラントじゃないか……?」
僕に気付いた何人かが、慌てて僕に駆け寄ってくる。危険なのはその僕なのだ。その先にいる男を殺したのは僕なのだ。そう説明しようとした矢先、突然名前を呼ばれて、一人の男に突き飛ばされた。
「……! ラント、危ない!」
「え……うわ!?」
強かに地面に身体を打ち、すぐに文句を言おうと顔を上げる。
けれど僕を突き飛ばしたその男は、視界に何か青い物が横切った直後、聞いたこともないような変な音を立てて、目の前から消えてしまった。
身体の武装はそのままに、中身だけ無くなったようにその場に崩れ落ちたのだ。
今までそこにあったはずの頭も、フルフェイスのヘルメットが地面に転がるばかりで、綺麗になくなっていた。これでは、僕の名前を呼んで助けくれたらしい彼が、知り合いだったのかさえわからない。
その場に座り込み呆然とする僕に対し、他の武装した男達は仲間の脱け殻に怖気付いたように後退りする。
不意に、彼等の向こうにもう会えないと覚悟した愛しい姿が居るのに気付いた。
「オルタンシア……?」
「……ラント」
やはり彼女だ。探し求めていたオルタンシアとの再会のはずなのに、今しがた起きた目の前の冗談みたいな光景と、最愛の女性が武装した奴等に銃を向けられ囲まれている状態に、現実味が湧かない。
彼女が銃を向けられている。助けなくては。けれど目の前の男は、何故消えてしまったのだろう。銃ではない、特殊な武器なのか?
けれど転ぶ寸前、一瞬見えた気がする青。あれは花弁だ。それが何故今、彼女の周りに漂っているのだろう。
青や紫の可憐な花弁を纏うオルタンシア。その瞳が、青空ではなく夕暮れ色に染まっているのは、その愛らしい手や唇が赤く濡れているのは、一体、どうして。
いろんな疑問に頭が追い付かない。そんな異常事態の中、怯えるでも暴れるでもなく変わらず美しく佇む彼女だけが、やけに目を惹く。
「ねえ、ラント、わたし……」
「触手による隊員の捕食を確認、本部より紫陽花姫の処分許可が下りた! 総員、撃て!」
一瞬の出来事だった。伸ばした手は届かずに、目の前で彼女は赤い花を咲かせる。
永遠にも感じられる銃声の雨と硝煙の匂いの中、彼女の最後の声も、僕の叫びも届かない。
「……生体反応の消滅を確認! 撃ち方、やめ!」
「オルタンシア……?」
最早駆け寄ることも出来ず、よろよろと立ち上がり近付く。銃声が止む頃には、彼女は物言わぬ花となっていた。
しかしそこに死体はなく、文字通り、血のように赤い花弁が石畳に散らばっていたのだ。それはいっそ、美しい光景だった。
先程から、訳のわからないことばかりだ。夢でも見ているのかもしれない。
制止を無視して、銃を下ろした男達の隙間から僕はその花に近付く。その場に膝を付き花弁を手に取ると、温かく少し湿っていた。
「お前は、ラント・レーゲン? 生きていたのか……!」
ヘルメットを外し僕に近付いてきたのは、先程射撃を指示した大男だった。こいつが、オルタンシアを殺したのだ。僕は相手が武装しているのも気にせず、衝動的に掴み掛かる。
「……何故、彼女を撃った……丸腰の女性を、あんな大勢で、一体、何故!」
「ああ……お前にはアレが無抵抗な女に見えていたのか」
「……は? 何を……」
「俺達には、触手を伸ばして仲間を食い殺した花の化け物に見えたんだがな」
「花の、化け物……?」
男の言葉に、脳が鷲掴みにされたような感覚に陥る。先程見えた美しい花弁、そして、今散らばっている無数の赤。しかし立ち込める香りは、噎せ返るような血の匂いだ。
「紫陽花姫に洗脳されて、認知機能まで弄られたか……」
「何を、言って……」
「なあ、何処まで覚えてる? お前は、俺達の組織の仲間だ。花の化け物……紫陽花姫の研究者、ラント・レーゲン」
「……やめろ」
「お前のゴーグルが研究室に残ってた。うっかり外した時に、紫陽花姫の瞳を見ちまったんだろうな」
「やめてくれ……」
訳の分からない言葉達に、耳を塞ぎたくなる。けれど、男に掴み掛かったままの手が、震えてしまって解けない。
混乱と戸惑いの中、彼女を喪った悲しみがようやく追い付いてきて、じわじわと視界が滲む。
「普段は花と触手に覆われてるが、その奥の紫陽花姫の瞳を直接見ちまうと、人間の脳なんて簡単に洗脳される。そうして奴はお前を操って、自分を研究所の外に連れ出させたって訳だ」
「そんな、ちがう、僕は……閉じ込められて酷い目にあっていた彼女を、助けるために……!」
「閉じ込めてたのも、生体実験してたのもお前だろうが」
「ちが……僕、は……」
掴み掛かった手は、既に立っている為に縋るものへと変わっていた。涙が溢れ、止まらなくなる。強い悲しみが頭に膜を張り、自分の記憶すら曖昧だ。それなのに、憎むべき仇のはずの男の言葉が、やけにしっくりと来てしまう。
僕が殺しを厭わなかったのも、一撃で仕留めるための急所に詳しかったのも、生体実験の名残だったのだろうか。
オルタンシアが傍に居る間は、彼女の瞳さえ見詰めていれば他に何も考えずに居られたのに。ただひたすらに、幸せで居られたのに。
今は、現実と幻想の境目に取り残されたように、世界が揺らぐ。
「オルタンシア……」
「なあ、その手に持ってるの、お前には何に見えてる?」
「……赤い、花弁」
「そうか……死んでも尚、洗脳は解けないんだな。……紫陽花姫は、最後までお前に綺麗に見られたかったのかもな」
手の中のしっとりとした小さな花弁。男の目にはどう映っているのかは、何となく聞けなかった。
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