慣れたとは言え、人一人殺した疲れからか、少し転た寝をしてしまっていたようだ。窓から差し込む夕陽はすっかり落ちかけている。オルタンシアも、部屋の隅で布団にくるまって眠っているようだった。

 シャワーを浴びて、変装用の着替えを済ませる。新しい上着を羽織り、帽子を目深に被った。
 彼女を起こさないようそっと部屋を出て、今度こそ食料調達のために町に繰り出す。

 行き掛けに男を殺した路地裏を横目に見るが、日が落ちてしまい暗くてよく見えない。死体は表通りから死角になる位置、街灯の明かりも届かない路地裏。警察どころか覗こうとする者一人居ないようだった。
 これなら放っておいても、その内カラスか野犬か何かに食われるだろう。

「いらっしゃい、おや、お兄さん見ない顔だね。観光かい?」
「ええ、ホテルで待つ彼女に、何か美味しいものを食べさせてあげたいんです。おすすめはありますか?」
「それだったら、こっちの串焼きなんておすすめだよ、地元の牧場で育てた肉なんだ」
「へえ、ならそれを二本。……ところで、この辺りは治安が良いですね」
「そうだろう、平和なだけの田舎だからねぇ、事件ひとつ起きやしない」
「そうですか、それは何よりです」

 顔を覚えられるのはまずいが、情報は必要だ。こうして買い出しの際に世間話を装って聞き込みをした。
 彼女との生活を続けるためだ。綻びがあるのなら繕わなくてはならない。

 幸い男の失踪について広まっている様子はなかったが、田舎であるほど噂の回りの早さはあっという間だ。今夜にでも別の町に移動しようと心に決める。

「ああ、でも、ここより東のイースタンって町で化け物が出たって噂だよ」
「……? 化け物、ですか?」
「なんでも、資産家の男が化け物に食われちまったらしい」
「……それは、怖いですね」
「はは。おおかた通り魔だとか、遺産目当てのいざこざなんだろうけどね。まあ、お兄さんも気を付けな」
「そうですね……ご忠告感謝します」
「それじゃあ、串二本ね。毎度あり! 彼女さんにもよろしくね!」
「ええ、ありがとうございます」

 美味しそうな匂いのする商品を受け取り、帽子を被ったまま会釈する。
 東の町、イースタン。僕達が先日滞在した町だった。そして資産家の男というのにも、心当たりがある。
 愛想よく笑顔を浮かべながらも、内心冷や汗が止まらなかった。

 しかし、化け物に食われたというのはどう言うことだ。死体は近くの山に隠したが、熊にでも荒らされて発覚したのだろうか。
 食われたのなら詳しい死因は発覚しないだろうが、いずれにせよ、関与した事件が表沙汰になるのは心臓に悪い。急ぎ足で他にも幾つか食べ物を見繕い、彼女の待つ部屋に戻ることにした。
 少食な彼女が好む物があるといい。大変で心を磨り減らす生活でも、彼女を想うだけで幸せに満たされた。

「ただいま。オルタンシア……? まだ寝てるのかい?」

 人目を忍び空き家に戻るも、出迎えの声がなかった。電気の通わない暗がりで、窓から差し込む街灯の明かりを頼りに布団に近付く。

「オル……、……!?」

 彼女が寝ていると思っていた布団は、もぬけの殻だった。
 よく見ると膨らみを偽装するように、僕が先程脱いだ血塗れのコートが詰め込まれている。布団は触れるとひんやりとしていて、彼女が居なくなってもう随分時間が経っているようだった。

「オルタンシア……!?」

 彼女が居ない現実にようやく理解が追い付き、さっと血の気が引く。
 僕は部屋を飛び出し、目立たないようにと気を配る余裕もなく、彼女の名を繰り返しながら駆け出した。

 狭い町だ、すぐに見つかるだろう。けれどもし、僕から離れてたった一人で町から出ていたら。もし、既に奴等に見つかり連れ戻されていたら。
 嫌な考えばかりが浮かんで、平常心では居られない。

「ちょっと、さっきのお兄さんじゃないか、どうしたんだい?」
「か……彼女が、居なくなったんです! 知りませか!? 美しい青い瞳で、長い髪をした……とても綺麗な、世界一愛らしい女性で……!」

 先程串焼きを買った店の店主が、心配そうに声を掛けてくる。けれど僕の圧に押されたように、すぐに店主は僅かに身を引いた。その様子にはっとして、少しだけ冷静さを取り戻す。

「さあ……見てないねぇ」
「そう、ですか……すみません」
「あ、でも、さっき向こうの教会通りに武装した人達が向かってったよ。エリア一帯を立ち入り禁止にしていたから、何か事件でもあったのかも……」
「……!」
「お兄さん……!? 酷い顔色だ……大丈夫だよ、彼女さんが巻き込まれたと決まった訳じゃ……」

 向こうの通りには、犯行現場がある。オルタンシアが居なくなって、殺害まで発覚してしまったのだろうか。

 何も考えられずに、僕はふらふらと歩き出す。店主の心配の声は、もう耳に届かなかった。


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