……ん、もふ……
(……めよ)
頭の中に何かの声が響く。
いつものレヴィラスの声じゃない。
だ……誰……?
(我を崇めよ……!)
「は……っ!崇め……っ!?どなた!?」
ハッとして目を開ければ。ふかふか。ふかふかのベッドの上のまま。他にすることもなくて、部屋の中の大きなベッドに横たわった。こんな大きなベッド、使ってもいいものなのか、不安だったけど。レインが言ったことに嘘はないと分かっていたし、いつの間にか寝入ってしまっていたのだが……一体、何事……!?
しかしすぐに違和感に気が付く。
背中にあるもふもふ。しかも、温かい。
さらには腕の中に何かもふもふの温かいものが……。
「ニャーッ」
(我を崇めるのだ……!)
あ……さっきから脳裏に響いてきた声、このこのだ。力が発動しにくいといっても、至近距離だとさすがに響くのか……。それに動物と言葉を介すなら、その声が読み取れた方が便利だ。もしかしたら無意識にこのこの声を拾おうとしたのかな。
――――――しかし。
「にゃんこだ」
「ナーッ!」
(にゃんこだ……ではない!我はお猫さまぞ……!お猫さまを……崇めよ……!)
何だろうこのこ、かわいいな。
「名前は?」
「にゃ……」
(うぐ……っ、我の気迫に何一つ動じないとは……やはり、還ってきたのだな……)
「え……」
このこも、俺を知っているの……?
「まぁ、それならよいにゃ」
「しゃべったぁ――――――――っ!?」
「ふむ、ニャーをただのにゃんこと思うことなかれ!」
そ……そりゃ……そうだよな。だってしゃべるにゃんこ……!こちらではこれが普通なのだろうか……?まだ、思い出せないけど……。
「ニャーこそは……」
「う、うんっ」
ドキドキ。
「お猫さまであるぞにゃ!!」
「いや、そのままじゃ……」
にゃんこだもの。
「ニャーっ!!」
びくっ。
「お猫さまを崇めよ、さすれば救いをもたらさん……」
「それ、何か違うような……?」
知っているものと……どこか違う?
「あーがーめーよー、にゃっ」
「……っ!?」
いや、ほんとビビるのだが……!?それにしても……。
「もふもふだ」
もふもふにゃんこ。長毛種と言う猫だろうか?しっぽまでもっふもふだ。
「こ……この毛並みに……ひれ伏すがよいにゃあぁぁっ!」
「よ……よく分からないけど……」
「にゃんとぉっ!?」
そう、言われても……もふもふにゃんこだし……。
「わふっ、それくらいにせぬか。ご主人に怒られても我は知らぬぞ」
その時、後ろでもこもこが動いて、後ろにもいたのだと思い出す。
そして急いで後ろを振り向けば。
「わふっ」
「ひゃっ」
迫力満点、しゃべる狼がいた。グレーの毛並みの……もっふもふなのだが……。
「何で……ベッドに……」
「うむ、我らのご主人はまだ暫く行けぬがゆえ……ご主人の主をよろしくと頼まれたのだ」
「その主って……」
「汝である」
懐かしい響きの言葉だ。でもそれは、俺を示す言葉。
「君たちのご主人は……レヴィラス?」
「うむ、そうだ」
やっぱり……。
「君たちは……ただの狼と猫じゃぁ……」
「お猫さまにゃあぁぁぁぁぁ――――――――っ!」
それは……分かってるけれど。
「我らは、魔狼と魔猫。魔物の狼と猫だな」
「ニャーッ!我は神獣にゃっ!魔物と一緒にするにゃっ!」
「……まぁ神に仕える獣である」
「それでしゃべれるんだね」
猫がおしっぽをばたばたさせているが……。神の、遣いか……。
「ご主人の与える加護ゆえ」
「うん、すごいね」
レヴィラスは……あの拙い言葉を唱えていたこは……多分もう……何度も生まれ直して立派になっているのだろうな。
「レヴィラスは……まだ暫く来れない?」
「何だかもめているようだ。竜が帰ってくれば、ご主人の元に行けるかどうか聞いてみるがよい。我らはご主人には、ご主人の主を連れてきてもよいか、聞いても却下されるだろう」
「竜……」
「ご主人の主の騎士ぞ」
そうか……竜の……騎士がいるんだ。どんなひとかな……。ひとじゃないかもしれないけど。
「竜の騎士なら、連れてってくれる?」
「ご主人の主が望むのなら、かなえない騎士はおらぬであろう」
……確かに。彼らは、俺の命ならば何だって……。どうしてかそれを知っていて、知っているのはこの世界に還って来たからなのだと知っている。だからこそ、心配になってしまう……。
「……考えてみる……けど、ソラだよ。俺は、ソラ」
「ぐぬぬ……ご主人よりも先に呼べば何と言われるか分からぬ……ご主人が呼んでから、お呼びいたそう」
「……うん」
レヴィラスは……嫉妬深いのだろうか。いや、何だか子どもの我が儘のようにも聞こえてしまうのは気のせいだろうか?
「我はお猫さまにゃ!恐れないにゃ!ソラよ……!我を崇め……っ」
「こら、【さま】をつけぬか」
あ、お猫さま、狼に叱られた。その崇めよ……もそのご主人に似たのかな……?何だか微笑ましくなってしまう。いや……レヴィラスは……【崇めよ】ではなかったか。
確か……。
【願え】
【乞い願え】
【冀え】
「レヴィラス……」
まだ、レヴィラスには会えないのか……。
あの声に耳を傾けるかのように、深く意識のそこに沈もうとしていれば、唐突に足音が響いてきた。
レインでは……なさそう……?
そして勢いよく扉が開いた。しかも入って来たのは……。
「じゃじゃじゃぁ――――――――んっ!我が君よ、そろそろもふもふが恋しくなって来たのではなくて?お姉さんのもっふもふの……出番であることは分かっているわ……!」
ひぇっ!?さらに濃ゆいもふもふ来たぁ――――――っ!?
「……って……もふもふ既にいるじゃない――――――――っ!!?」
部屋に入ってくるなり悲鳴をあげたのは、真っ白な雪のような白い髪に金色の瞳を持つ美女で、狐耳としっぽがある……。しっぽは……もふもふすぎて入り口に埋まるように大量にもふまっているのだが……7本だ。彼女のしっぽは7本、あるはずだ。
それが分かってしまうのは、やっぱり……。
彼女はもふしっぽをもふもふっと部屋の中に招きいれながらも、悠然とこちらに歩いてくる。それに……。
「その服……着物?」
「この世界に召喚されたかつての勇者が広めた衣よ。似合うでしょう?」
「……うん」
勇者、か。そう言う存在は……繰り返しこの世界の輪廻を巡る俺たちのように存在するのだ。
まぁ、彼らはいつも同じ魂じゃなくて、召喚、なんだよね……。彼女の言葉も参考に、パズルのピースを集めていく。
そして彼女がその勇者が広めた衣を着ていると言うことは、俺たちと彼らの関係が決して争い合うだけのものではないことを示している。
こうしてこの森の中の屋敷で眷属神たちと暮らすことを選んだきた歴代の自分は……争うことを、望まなかった。
繰り返された戦……あの表の顔と裏の顔を持つ鐘が響く記憶があるのなら、戦はあったのだ。
しかし今は、それを望まない。少なくとも俺たちは、だ。
この世界のひとびとはどうだか分からないけど……それでも、平和だといいなと、ついつい思ってしまうのは、日本人の感性ゆえだろうか。
「ご挨拶が遅れまして、我が主」
「あぅ……その、えと、あなたも俺の眷属神、なんですよね」
「敬語はよろしくてよ。レインからも通信を受け取ったから、大体のことは分かっているつもりよ」
「……う、うん」
眷属神たちは、互いに【通信】までできるんだな……。何から何まですごいな……。
「我が名はスノウ。あなたの眷属神」
「うん」
でも……眷属……眷属神。
「あの、しっぽは」
「もふってみる?主なら大歓迎よんっ!」
もふぁさあぁぁぁっ!
ぎゃーっ!?もふもふの波ぃ――――――っ!?
「ニャーッ!?おらにゃっ!埋もれるにゃろがにゃっ!」
あ、猫が一緒に抗議してくれた。
「いいじゃないのよー。もふもふに埋もれるなんて、幸せなことよ」
確かに……そうだけども。
でも……ほんとふわふわ。
「にゃふーっ!?おみゃぁ、お猫さまの毛並みと狐の毛並み、どっちが大事にゃんんんっ!?」
えぇ――――――っ!?そこで争うの!?
「お狐さまの毛並みだって敗けやしないわっ!」
もふっもふもふっ!
わぁっ!?もふもふ攻撃が……攻撃が襲ってくるうぅぅっ!?まぁ、幸せな感触なんだけども……!?
「レヴィラスちゃんったら!一足先に主にもふもふを差し向けるなんて……!ぬかったわっ!」
「では、そなたがくるまで、ご主人の主はもふ不足であったが……よいのか?」
「はぅーんっ!それはいけないわぁっ!!!」
「にゃーっ」
最後は狼のひと言で……2人の争いはおさまった……。よ……良かったぁ……。
「あの……スノウ」
「なぁに?我が主ちゃんっ」
ちゃ……ちゃんって……。主にもつけるのか……知らなかったけど。
「ソラと、呼んで欲しい……なっ、て……」
「んまぁ……っ!もちろんよ、ソラちゃん!」
うん……やっぱりこっちの方が……さっきよりも好きかな。
スノウと共に微笑みあっていると、またバタバタと駆けてくる音が響いてくる。これは多分。
「ソラ――――――――っ!」
元気のよい声と共に、なにやら荷物をたくさん抱えたレインが入ってきた。
「ソラに頼まれた、ハァハァ……ソラに似合いそうな……ハーパンとニーハイ、ハァハァ……たくさん買ってきたよ……!ハァハァハァッ」
いや、何を買いに行ってたんだよ、レイン!?
あとそんなの頼んでないけど……!?そしてセリフの途中に怪しい効果音いれないで!怖いんだけど……!?
しかし、ここには他にも心強い味方がいる。スノウが俺とレインの間に立ちはだかったのだ。す……スノウなら、レインのショタコンにも物申してくれるかも……!
「はぁ……!?アンタ何言ってるのよ、レイン!」
スノウ……!やっぱり……っ。
「ソラちゃんにはショーパン黒タイツに決まってるじゃないの!私はひと目で見抜いたわよ!!」
え……えぇ――――――――――っ。
何か……スノウまで特殊な趣味を……!?
「ふっ、まだまだ甘いな、スノウ!」
「何ですって!?変態!」
やっぱりレインへのみんなからの認識は……変態で間違いないらしい。
「確かにショーパン、タイツはショタッ子にナイスなチョイス」
レインの頭の中にはもはや、ショタッ子のことしかないのか……。俺もう16歳なのに……。
ショタコン変態なのに欧米風オトナな美青年のレインに言われると……何だかひどくコンプレックスを刺激されるような……。
「だがしかし!ショタッ子の奥義・絶対領域は……ハーパンニーソでしか摂取できない……!」
そんな奥義いらないよおぉぉ~~っ。
「そん……なっ、負けたわ……っ」
負けないでぇ、スノウぅぅっ!崩れおちないでぇっ!!?
「でも……でも、ひと言だけ言わせて頂戴……っ」
す、スノウ……?
スノウは崩れ落ちながらも、キッとレインを睨み付ける。
「着物つんつるてんも……ショタッ子の極みではなくて……!?」
何それ!?着物つんつるてんまで何で知ってるの……!?歴代の勇者何してるのぉ――――――――っ!?
「何……っ、だと……っ」
そして驚愕しないでレインったら!!
「会議だ。これから眷属神会議を始める」
「いいわ、望むところよ」
よろよろと立ち上がったスノウ。そして険しい顔をして頷くレイン。
ぽすっ、もふぽすっと、扉の枠を越えて行くスノウのしっぽ。
2人は……何処かへ眷属神会議とやらへ向かったらしい。……扉、開けっ放しなのだけど。
「その……放っておいて……いいの……?」
「うむ?ハーパン、ショーパンとやらを、はかせられたいのか?汝よ」
との、狼の言葉に。
まさか、俺まで会議室とやらに向かえばそう言う流れに!?
「いや……その、ありがとう」
この狼のお陰で、大事なところを踏みとどまれた。
「礼などよい。それも我がご主人の願い」
「……レヴィラスの……」
今生でも俺のことを、思ってくれているんだな……。レヴィラス……。
「そう言えば……名前を聞いてもいい?」
まだ、知らなかったな……。
「我はグレイ」
「ニャーはブランシェと呼ぶがよいにゃ」
ブランシェも何故か教えてくれた。
でも、せっかく教えてくれたんだし。
「……ブランでいいかな?」
「にゃ!?なぜ縮めるにゃ……!?まぁいいにゃ。ご主人もそう呼ぶにゃ。主従そっくりにゃ」
そうだったんだ……レヴィラスと同じなのはちょっと嬉しいかな。
「我が主よ!」
「ひぃっ!?」
今度は何だ……!?いや、分かるけど。ここは俺に害を成すものが入ってくることはないと。知っている。眷属神たちが……それを許すことはない。特にレヴィラスは……レヴィラスは、確か。
しかし今は目の前の眷属神である。
「あの……」
「まだご記憶が定かではないとはお聞きしております」
開け放たれた入り口から入り、丁寧に扉を閉めたのは……。
美しい銀髪に切れ長のアメジストの瞳を持つ美男で、頭にはよくある魔族のような黒い角が生えている。背中からは折り畳まれた竜の翼が生え、その色は紫。また後ろから伸びている太く長い竜の尾の鱗も紫で、彼が長い脚で優雅に動く度に尾もまた流麗に動くのだ。レインとはまた違った意味で顔立ちの整った……まるで外国のモデルのようである。
「我が主にお仕えする竜神ヴィオル。ただいま参上いたしました」
そう言って俺の腰掛けるベッドの脇にさっと跪いて親愛の礼を示した彼は、その見た目の通り、竜の眷属神。
「うん、ヴィオル……俺は、ソラでいい」
「では、そのように呼ばせていただこう、我が主。いや、ソラさま」
さまを付けられるのは……。あ、そうだ。
「レインみたいに、呼び捨てでいいよ」
何だか兄がいたらああいう感じかな、と思った通り、レインはとてもフレンドリーだ。俺にハーパンニーソを穿かせようとしなければもっと……いや、それも今生のレインらしさなのだろうか……。……穿きたくはないけど。
そしてヴィオルにもできればそう呼んでほしいのだが。ヴィオルは結構……礼儀正しい……?でも、竜ってそうかもと言う感覚もある。もちろん荒くれ者もいるだろうが、恐らく……代々の主に仕えた竜神は、礼儀正しく真面目で……。
「何と……っ、レインとは、レインガルシュのことか……!うぐ……レインガルシュめ……!主をそのようにか……!?しかし……うーむ」
自由奔放、豪快、戦闘狂……ちょっとと恐い単語も思い浮かんだのだが、そんなイメージの強い代々のレインガルシュとは対極のような関係……なのだが。服装も、レインガルシュは軍服や騎士のような格好を好むが、ヴィオルは聖職者のような服が好きだったな……。眷属神だけど。
今も黒一色だが、縦襟で膝下まである長い胴着の下に揺ったりとしたズボンを履いており、胴着自体は横にスリットが入っているので歩きやすくなっているし、尾や翼を出す場所もしっかりと装備されているらしい。
そして首には聖職者が身に付ける銀色のアクセサリーを下げている。
こちらの聖職者と言えば……こう言う格好や、胴着が足元まであるもの、いかにもなファンタジー風メイデン、神官、司祭服もある……。まぁ記憶の中のものとは変わっている可能性もあるが、ヴィオルの服はそこまで変わっていないスタイルのようだ。
「レインガルシュだけに主の寵愛を渡すわけには……っ」
そして対極のような存在だからか、何故かライバル視してるんだよなぁ……。そこも何となく懐かしいと言うか、微笑ましいと言うか。
因みにスノウは……代々のスノウは神秘的だったり奥ゆかしかったり。レインガルシュとヴィオルの熱と冷の争いみたいなのをちょっと離れたところから静観してたかなぁ……。今は……入ってきそうな勢いで、今も俺にショーパンタイツやつんつるてんをとレインと謎の眷属神会議に行ってしまったし。
――――――あ、でもレヴィラスは特別枠だったので、2人の痴話喧嘩のような喧騒の対象外……だったはず。
さすがに子ども相手に嫉妬したり、争いに巻き込んだりはしなかった。レヴィラスは……生まれたてで、身体は成人に見えても、そうではなかったし、2人もそれを理解していた。
今生のレヴィラスは……どうなのだろう?まだ再会できていないレヴィラスに思いを馳せていれば。
「では、ソラと」
ヴィオルもそう呼ぶことに賛成してくれるらしい。
「お会いできて嬉しゅうございます」
「う……うん」
少なくともヴィオルは……ハーパンとかショーパンは言ってこなさそうで安心した。
あ……そうだ。
「あの、ヴィオル。レヴィラスに会いに行きたいのだけど」
レヴィラスは……まだここに来られないようだけど。それでも会いたいと思ってしまうのは……保護者、だから?むしろ日本では、地球では俺の方が保護者を必要としているような感じだけども。
「レヴィラスに……ですか」
「その……ダメ、かな」
「そのようなことは。ソラの、主の意思を汲み取らない眷属神はおりませぬ。特にレヴィラスは……主は代々あれに対して過保護でしたから」
「……ん、うん」
否定などなできるはずもなく。
レヴィラスはずっとずっと……。
自身の掌を見つめると思い出す。記憶の中にある手はもっと大きくて、指も長いけれど。今ここにあるのは日本人の、ふにふにした短い指の生えた掌でしかない。
「まぁ、今生はそうでもありますまい」
「そう……なの?」
まぁ、グレイやブランを遣わしてくれたと言うことは、彼らの主も務めているわけだから、結構成長している……?
「むしろソラの方が保護者が必要な感じがしまする」
それは……否定できない。お風呂もレインがいなくては入れなかったし。
「日本では……向こうの世界ではそう言った年齢だったから」
代々の記憶も曖昧で、まだ全てを思い出せない。
「その、ヴィオルたちがいてくれて、心強い……よ」
「それはなにより。我らとしても嬉しゅうございまする」
うん……眷属神よりも主の方が保護者必須と言う状況なのだが……。でも頼りにできる彼らがいるのはありがたい。
「ではレヴィラスの元に行くとしましても……まずは着替えを、ですな」
「あ……うん」
完全にこれ、寝巻きだものね。
……はっ、待って。まさか。
俺はハッとしてヴィオルの意識に意識を向ける。
(……は……か)
あれ、何だろう……?
(ソラ、どうした)
今度ははっきり……聞こえる……?
「あ……あの、ごめん」
「謝ることなど。我の意思を聞こうとしてくださったのだろう?とても懐かしく、嬉しく思いまする」
眷属神たちにとっては……やっぱり嬉しいこと……のようである。
「ありがとう……」
「いえ」
にこりと微笑むそのヴィオルの顔は……。
俺なんかが向けられていいのか悩む、女子が卒倒しそうな美しさであった。
「やっぱりこの部屋の中は広いにくくなっているね」
「それもありますが……恐らくは我が鱗の影響かと」
「えっ」
「壁に所々紫の鱗が埋め込まれているでしょう」
「うん……っ」
確かに……そうだよね。壁の装飾も見事だが、その紫の宝石……いや鱗を中心としている感じがする。
「その他はレヴィラスが集めてきた素材を用いておりますが」
レヴィラスが……?
いつの間に素材回収なんてできるようになったんだろう……。前は壊しまくってた……いや、それが本質だったような気もするのだが。
「あれには我が鱗を使っておりまする」
「ヴィオルの……!?」
確かにヴィオルの鱗も紫……!
「い……痛くない……?」
「……そのような心配は初めてでありまするな……ですが、ソラらしい所なのであろう」
俺……らしいところ……か。
先代たちはもっと……何と言うかボスっぽかったイメージが……いや、感覚があるのが確かに分かるのだ。
「あれは自然に生え変わるものを選んでおりまする。ソラを迎えるにあたり、レヴィラスに集めておいてくれと頼まれましてな」
レヴィラスが……?素材を集めるくらいだ。素材にまで詳しくなってる……?
「それなら……安心だけど。ヴィオルの鱗は……あ」
何か、思い当たるものがあるような。確かヴィオルの鱗は。
「その鱗は魔法や異能を無効化する」
もちろん、俺のも。だからこそここの装飾に使われている。
「そうですな。だが、ソラが本気を出せば、鱗の効果など意味を成すまい。気休めです」
「それでも……ありがたいよ」
眷属神たちの……レヴィラスからの心遣い。
「その鱗を纏っているから、ヴィオルの中は分かりづらい……?」
それもヴィオルの鱗特製装飾の部屋の中である。
「我が心を知りたければ、いつでも覗いてくだされ」
そうヴィオルが告げればその通り、ヴィオルの意識ごと入ってくるような不思議な感覚を覚える。
「美しい、渓谷だね」
脳裏に映されたのは、多分……。
「我が生まれ故郷。いつかソラにも見せて差し上げたい」
「うん……俺に行ければ、だけどね」
苦笑を返せば。
「真の力が目覚めれば、瞬間移動も空を飛ぶことも容易いことでございまする」
そう……そう…~なのだろうな。今は分からないし、どうすればよいのかも分からない。
「でも、ご心配なされますな。今回は我がソラを抱っこして飛ぶゆえ」
あ……うん。運んでくれるのはありがたいが……抱っこか。
「それに、外はソラにとっては騒がしい」
確かに……地球にいた時のような【アレ】が大量に入ってくるのだ。
「我が腕の中の方が安心でありましょう」
そうかも。ヴィオルの鱗の効果で守られるはずだ。
「いやはや、懐かしいですな。昔は歴代の主たちがレヴィラスに」
あぁ……何かそれ、分かる……。レヴィラスと共に飛んでいたかもしれない。レヴィラスは特に、代々にべったりだったもの。
「今回は、我がその役目を賜れる。とてもありがたいことでございまする」
「うん……まぁ」
抱っこされるの……俺だけども。
けど、レヴィラス……。
もうすぐレヴィラスに、会えるんだよな。
『コオテ……コオテ……、……毀て』
「……っ」
今、聴こえたのって……。
「……ら、我が主!……ソラ!」
ハッ。今、何か……意識がよく見知った闇の中に潜っていたような……?けど、ヴィオルに呼ばれて戻ってきた。
「な……何でもない……!あの、レヴィラスのところへ行かないと……!」
「えぇ、では早速着替えをいたしましょう。上空は冷えます。竜ならともかく、今の主は人間の身体です。服はレヴィラスがいくつな用意しているはずですので」
レヴィラスが服の用意まで……?
……じゃぁレインがハーパンニーソを買いに行く必要は……そもそもなかったのでは……。
「服はレヴィラスがいくつかサイズを用意しておりますな」
そう言ってヴィオルが部屋のソファーに広げてくれたのは、西洋風……と言うよりもアジアの民族衣装のようだ。
和服以外にもこう言うのがあったんだ。
「これは勇者たちが持ち込んだものとは……違う?」
ずいぶんと昔からあった……ような……?
「いえ、こちらはそれとは違うものですな。スノウが着ている着物はまさに、ですが」
「やっぱり……そうなんだ」
巻き衣のようなものや、詰襟、袷のあるチュニックのような上衣の生地が長めにある衣装。チュニック自体はヨーロッパのはずだが、刺繍や飾りなどの装飾や鈕などはアジア風で、横にスリットが入っている。
さらにズボンは揺ったりしたデザインのものが多く、こちらでは白か、上着と同じ色のものを選ぶことが多いようで、白いもでサイズがいろいろなものが多い。
「ソラはどれがお好みか」
「えぇと……」
今までは古びても着られるものを適当に着ていた。みんながいらないと言った古着。俺が着たものはおさがりでも着たくないと言われていたから。あとは制服くらい……かな。それも古着だったはずだ。それも、成長期があるからと最初からぶかぶかの……。その方が制服を取り替える必要がないと言う理由で。そしてその後俺が着た古着を着たコはいないと思う。俺の地球での、施設での扱いはそんなもんだった。
「どれでも……サイズが……合えば……?」
こう言うのはちゃんと答えた方がいいのだろうが。明らかに新品……だよな。そんな服を大量に用意されたら……どうすればいいか分からなくなるような環境にはいたからな……。
「ではこれなどどうだろうか……!」
ヴィオルがさっと差し出してきたのは……。全身東洋竜と雲がふんだんに刺繍された豪華すぎる上衣……っ!
ど……どんだけ自分大好きを推してくるの……!?
「いや、もっと地味なやつ……これとか」
あまり装飾のない、ベージュの上衣。それから……白いズボン。
「では、それにいたしましょう」
うーん……何だか最初からこうすれば俺が選べると分かっていたような……。見抜かれて……た?
でも、そんなところも、嬉しくて。気遣われたことなんて今までなかったから。
「上空は寒いでしょうから、これも」
こちらの服に着替えてみれば、脚にレッグウォーマーとブーツ、さらにはフード付きのコートを着せられる。
「えっと……これも用意してあったの?」
「ソラのためになら、何でも」
さらりと言ってのけるヴィオル。ブーツのサイズだって……俺のサイズを知らない以上……多分たくさん用意していたのだろうか……。
厚手の靴下とレッグウォーマーを付けてぴったりなサイズが用意されていたし……。
「まぁ、手配はほぼレヴィラスですが。しかし昔は代々の主がレヴィラスに用意しておりましたな」
「……うーん……そう、だったっけ」
その頃の代々の服のセンスとかは不明だが……でもレヴィラスの服って……服……。
レヴィラスって最初服着てたっけ。
「レヴィラスは最初真っ裸だったと記憶しておりまする」
その情報いるぅ――――――――っ!?
いや、そうだったかもだけど。レヴィラスは服を着ることも……知らなかったからな……。てか、堂々と真っ裸っめ……。
「最初は見かねた初代が初代の服を。サイズが全く合いませんでしたが」
うーん……そうだったのか。レヴィラスは最初から成人の身体を持っていた気がするけど……初代は俺より身長……いや先代も多分……でかかった気がする。俺の身長が……低いのかな。
「その後、サイズの合う服を用意しておられた」
「そうか……」
うーん……俺ってもう、背は伸びないのかな……。
俺が背のことを気にしていることに、ヴィオルが気づいたのか……。
「我としては抱き抱えられるサイズはありがたいですな」
「あー……うん?」
「さて、しっかりと帽子とフードもかぶってくだされ」
ヴィオルが俺の頭に帽子を被せると、その上からフードを被せてくれる。
「では、参りましょうか」
「……うん。……あ、でもレインたちは……いいのかな……?」
「さぁて……?我としてはソラを独占できる時間にわくわくしておりますゆえ、特に考えてはおりませぬ」
「……」
めっちゃ笑顔で言われたんだが。レインとスノウには内緒で行くつもり満々だったのか……。でもそれにもちょっと懐かしい感覚は……あるのだ。
「言わずに参りましょうか。せっかくのソラとの2人っきりの上空散歩。ソラの装束をハーパンやらショーパンやらと茶々を入れられたらかないますまい」
「あー……うん、それは確かにそうだね」
せっかくレヴィラスが用意してくれた衣装で落ち着いたのに、あの不毛な争いが持ち込まれたら困る……。
まだ帰って来ないってことは……まだやってるんだろうしなぁ……と、扉の方を見つめていれば。
「では、ソラ」
「……っ」
視線を戻せば、身体がふわりと宙を舞う。一瞬何が起こったのか、パニックになりかけたが、身体を包み込む体温が意識を平常に保つ。
ヴィオルに抱き抱えられている……。と言うかこれ、俗に言うお姫さま抱っこでは……!?多分……多分代々の俺もさすがにレヴィラスにすらしたことないと思うんだが!?
いやしかし、これ以外に一緒に飛ぶなら……縦抱きかおんぶ……くらいしかないかも。おんぶ……よりは、ましか……うん、きっとましだろうから……。
「でも、ここまだ屋内……」
外に出てから……と、思えば。ふわりと冷たい風が頬を掠める。
「ひぁ……っ」
そこはもう、上空。見渡す限りの青い空に、白い雲。
「転移はまだ慣れませぬか?慣れないと酔いを起こすそうで」
酔い……転移での酔いと言うか、この高さや浮遊で酔いそうなのだけど。
「いや……それは、いいけど。転移なんて使えたんだ」
「ソラに仕える身。これくらい使えねば。あの変態もハーパンニーソは買いに行けませぬ」
「……」
うん、そうかも。何せ周りは森だらけである。
「下にあるのが……今までいた屋敷……?」
「そうですな」
目眩がしそうな高さだが、ヴィオルがしっかりと支えてくれることは分かるので、少し安心する。
それにしても……屋敷だけでもどでかい……そして周りは見渡す限りの鬱蒼とした森。
「あれ……」
「どういたしましたか?」
「あの建物は……?」
鬱蒼とした森の中から飛び出る、まるで城のような……建物がある。
「あれは魔神城。以前の我々の住み処でございまするが、生まれ直しても我々にとっては思い出の地。魔法で朽ちぬよう保管しているのです」
魔王……城じゃなくて魔神城だと言う事実にも驚きだが、しかし魔王……はやっぱり違うな。魔神城でいい。それがしっくりくるから。
でも……思い出の地……か。
ずっとずっと大事に保管してくれていたんだ……。
「森の向こうは……」
どうなっているのだろうか……。
「では、早速向かいましょう」
そう言うと、ヴィオルの翼が大きくはためくのが分かった。
心地よい冷たい風が頬を撫でる。
「風はいかがか?一応バリアは貼ってあるものの、完全になくすと空気がなくなるゆえ」
いや、何か恐いのだけど!?それって呼吸できなくなると言うことでは……!?
まぁ、それでも。
「ちょうどいいよ。ありがとう、ヴィオル」
その心遣いは嬉しくて、ついついはにかむ。
「もったいのうお言葉」
ヴィオルも満足げに微笑んでくれる。
風や空気は冷たいけれど、どこか温かいな……。
「山が見えてきた」
見るからに雄大な、山々が折り重なるように広がる大自然。
「我らが暮らす森も主の許可なく入るものを拒み、そしてこの山脈が、より一層、許可なきものの立ち入りを阻むのです」
「……立ち入ろうとするのもすごいと思うけど」
ヴィオルのように空でも飛べなきゃ無理だろう。
「初代の頃は、一度山々を越えて来たそうですな」
初代の頃に……。
「そしてまだ、世界に魔王がいた頃は、異界より召喚された勇者パーティーがこの山脈を越え、森を掻き分け攻めてきたと伝えられておりまする」
あぁ……あー……この世界にもそう言うの、あるんだよね。何だか納得してしまった。
でも、もうこの世界には魔王がいない。魔王を超える異物が生まれてしまったから……。それこそが……魔神。
そして魔神が輪廻を巡るからこそ、それは生まれない。さらにそうすることで、ヴィオルたちも、レヴィラスたちも、こうして共にあれる。
その事実がすとんと頭に入ってくる。やはりこの世界に還って来てから……思い出すと言うか、代々の記憶が俺の中に溢れてくるのだ。
しかし、魔王のものはない。
あれらは俺たちのように魂を共有しない。しないけれど、記憶は踏襲する。その果てに生まれてしまったものが魔神と言う存在だけれど……。
魔神はその魂の上に覆い被さろうとせん代々の魔王の勇者たちへの恨み、憎しみ、苦しみをポイと捨ててしまった……ような気がする。事実は多分、知ってるんだけど。それらの感情に支配されることはなかった。
こうして俺が俺でいられるのも……初代と先代のおかげなのだろうな。
少なくとも俺の場合は……聴こえてくる力しか未だ、目覚めていないから。
「初代の頃に来て以来は……」
「一度も、この山々を越えてくることはありませぬ。創世神がそれを禁じ、代々の主たちも争うことを望まなかった」
故の森の中の隔絶された暮らし……なのだろうな。
「俺たちが外に出ても……大丈夫なのかな」
今さらだが。その創世神とやらは怒らないだろうか。
「それは特に禁じられてはおりませぬ。むしろ、禁じることなどできぬ。我らは……天界ではなく地上に根付く神ゆえに」
ヴィオルが今、ものすごいこと言わなかったかな……。でも魔神と言われるからには……神の、一種なのだろうが。そこら辺の記憶がまだハッキリとはしないのだ。
「ただ、我らの力が地上を侵さず、静かに暮らすことを創世神は推奨しておりまする」
す……推奨。言い方。でもそれが納得の言い方なのだろうな。そしてそれが、世界のためだから。
「もうすぐ山脈を抜け、人間たちの暮らす区域に入りまする。我が鱗に守られているとはいえ、騒がしいようでしたら……」
「あ……いや……だいじょぅ……」
表面上だけでもそう伝えようとしたのだが。
「この剣を、大地に突き立て黙らせましょう」
そう言って一旦空中で止まったヴィオルは、自身の周りに氷でできたような槍を何本も生じさせた。いや、黙らせるって物理的にいぃぃっ!?いや、恐いから……!!
俺たちが大人しくしてるのが世界のためなのに……!?あぁ……だから大人しく静かに……が創世神の推奨で、主の俺がいなくてはならないのだった……。
「それはいいから、静かに飛んでくれればいい」
「そうでございまするか……ソラがそう言うのであれば」
ヴィオルは氷の槍をふいっとどこかに消し、そして再び空を駆ける。
――――――その、最中だった。
(……、……っ)
脳に何かか細い声が響いてきたきがしたのだ。
遥か上空に届く声なんて……そうそうあるもんじゃない。
「……ヴィオル、何か聴こえるんだ……。それがちょっと気になって……」
どこか……懐かしいような。この世界に還ってきた魂が……訴えてくるような、不思議な感覚がする。
「ふむ、我の鱗に包まれながらもソラに雑音を届けるだと……?ソラへの妨害は我らへの妨害でもある!我らに敵意を向けるとは許しがたし……!!」
いや、違う違う!何か確実に物騒なこと考えてない……!?しかもまた周囲に氷の槍を出現させてるし……!
やっぱりヴィオルたちには主が必要……!レインは次元が別として、ヴィオルの思考は物騒すぎる!!
創世神もだからこそ俺を早くこちらに帰還させたかったのかもしれない……。俺もまた……こちらの世界に還って来られて、ヴィオルたちに会えて、再会できて救われた気がするのだ……。だからこそ、戻ってくる道標を作ってくれた創世神にも、俺を待っていてくれたヴィオルたちにも感謝しかない。
そしてこちらの世界では、スローライフは推奨されているけれど。それでもどうしてか、その声が届くのならば、何か意味があるのだと感じてしまう。
――――――それに。
「て……敵意はないと……思うよ」
こうして自分の意見を告げることも、地球ではできなかったことだけど。こちらの世界では、ヴィオルたちはちゃんと聞いてくれるし、俺に対して気味が悪いなんてことも思わない。
むしろその言葉が欲しいのだと、求めてくれる。
俺がみんなの言葉を拾うのを喜んでくれる。
だから、告げることもできるんだと思うんだ。
「……ふむ、そうであるか」
「むしろ……行った方がいいような気がする、から」
「ソラがそう言うのであれば」
ヴィオルが快諾してくれる。そして周囲の氷の槍もさっと空気に溶けるように消えていく……。どういうメカニズム……いや、魔法や異能何でもありの世界でそこを考えるのは……よしておこう。
ただでさえ、常識を逸することも起こり得る世界。世界の異物と呼ばれる存在だって、そうして生まれたものだもの。
「大体の場所は分かりまするか?」
「あっち……だと思う」
俺が指を差した方向に、ヴィオルが翼を傾け、ゆっくりと近付いていく。
(……、……)
あ……ちょっと近付いてきた。声が、まだ鮮明には聞き取れないけれど、大きくなってくる。
『……命で……とは、……ませぬ』
その声は、あの時と同じ色の魂の声。昔……まだ俺じゃない頃に聞いた声。
脳裏にこびりつくかのように離れない。多分それは、忘れてはいけない大切なものだと魂が教えてくるように……。
そう、【初代】が感じたもの。
だからこそ、【初代】は選んだのだ。
――――――今を。
うぅん……。その言葉を今の言葉に直すと、確か……。
同じ魂の声を拾ったからか、初代が残したかった、受け継ぎたかったものが不思議なほど鮮明に蘇ってくる。
『私の命で足りるとは思いません』
神に祈るには、願うには……乞い願うには、対価が必要だ。それが彼女が目の前にした神が求める対価だったから。
だが彼女は恐れなかった。
そして続けた。
『……ですがこの者たちは、この世界に自分の意思とは関係なく喚ばれ、世界の宿命からも逃れることもできず、こうするしかなかった者たちです。どうか……彼らの命だけは、お救いください』
彼女の生い立ち、彼らにどのような扱いを受けたのか。初代は知ることができた。初代とは……この受け継いできた魂はそもそもそう言う存在だったからだ。
それでも彼女は、この世界を呑み込んだ悲劇から、失われつつあった神への祈りの言葉を口にした。
『毀《こほ》し給へ、毀し給へ。
いざ、戦《たたか》はん、争《すま》はん。
命《いのち》の言の葉を響《とよ》めかさん。
いざ、祈《ね》ぐは。
いざ、乞ひ願ふ。
祈げ。祈げ。
乞ひ願へ、乞ひ願へ。
然らば毀の斧鉞《まさかり》を下し給ふ』
彼らが怒りを買い、
彼女が前にした、神への祈り。
破戒の祈りを……。
遠い、遠い昔の……もう何百年以上も昔のことなのに。今も記憶の中にある。
「ソラ」
「……っ」
ヴィオルの声に、ハッとしながらも、意識が太古から現代の空に戻ってくる。
「地上に近付きまする」
「うん」
ヴィオルの声に頷いて、前方を眺めれば。人間たちの住まう街の城壁が見えてくる。目指す場所は、その城壁の外であるが。
城壁の外の、森の入り口の高原とおぼしき場所を目指してヴィオルが降下していけば、何やら人影が見える。
数人の男女が、ひとりの少女を囲んでいる。
数人の男女はどこか東洋風の顔立ちだが、いかにも異世界な感じのマントを身に付けていたり、部分鎧を身に付けていたり、杖や剣を携えている。
そして目の前に座る少女は彼らから遠ざかるように地に腰をつけたまま後ずさる。
深い森の色のロングヘアーだが、頭の左右にお団子を作っている。そして服装は……和風ではない、どこか唐風に見える気がするのだが。
記憶ではこの世界は世界共通語があるはずだから、漢字のようなものはなかったはずだが……。しかし東洋風の衣装はあるようだ。俺の服もどちらかと言うとアジアンだし……。
探してみれば、広い世界だ。漢字のようなものも見つかるだろうか……?
――――――とは言え、まずは目の前の少女の件である。ヴィオルがゆっくりと着地すれば、優しく俺を下ろしてくれる。
俺にできることなんて限られてはいるだろうけど……。
「お前を手に入れれば、人智を超える力が手に入るんだろ!?ほら、早くその力を寄越してみろ!」
リーダー格の青年が叫ぶ。
何か……装備がRPGの勇者っぽい……。
――――――と言うか人智を超えるって……神にでもなる気か、挑む気か。それは創世神が召喚者に対して禁じたことである。彼らはいかにも召喚者たち……のように見えるし。
――――――さらには。
(顔だけはかわいいじゃねぇか、異世界はいい女がたくさんいるぜ)
こ……心の中が残念勇者っぽい。
ここを異世界と呼ぶのなら、確実に異界からの……地球からの召喚者だろうな。
「ねぇ、ほんとに手に入るの?この子全くしゃべんないじゃない、気味悪っ」
そして聖職者のような純白の衣装に金色のアクセサリーをじゃらじゃらつけた派手めな美少女が声を上げる。
聖女っぽいと思ったけど……さすがにあのアクセサリーは聖女ではないよね……?
それとも今時の聖職者がそうなのか……勇者っぽいリーダー格と同じく東洋風……日本人のような顔立ちだから、彼女の趣味なのか……。どちらにせよ、ヴィオルの方がよほど聖職者っぽい格好をしている……。
――――――しかも。
(何この女……っ。異世界ってレベル高めでちょっとびびったけど、こんなNPCまでこのルックス……!?でも大丈夫よ。私が一番美しいわ!)
何か色々失礼すぎるのだが。生きてる人間をNPC扱いなんて……。ここは本当の現実の世界で、ゲームの中ではないのだが。
「そうよ!こんなモブ、とっとと装備だけ奪ってさよならしましょうよ」
と、勇者の次に強そうな剣士風の……こちらも美少女。
(聖女のやつ……っ、絶対自分の方が美人よおほほほほとか心の中で叫んでるんだわ。あー、鬱陶しい!)
聖女……!?やっぱり彼女が聖女なのか……!?うぅーん……残念勇者もいるのなら、ちょっと違う感漂う聖女がいたとしても……おかしくはないよな。
……てか、女の子って……恐い……。聖女が心の中で思ってたこと、バレてる……!
この子たちは、心の声が聴こえるわけではないのに。あと、やろうとしていることが完全に追い剥ぎである……。
「だったらよぉ、まずはこいつを倒せばいいんじゃねぇ?」
と、大きいけども、よく見知っているものと比べるとだいぶ脆そうなまさかりを持つ戦士風の青年。顔立ちは整っているが、何だか荒くれ者っぽい印象を覚える。
さらには……。
(倒したらもしかして、お決まりの○○?NPC相手なら何やっても許されるよな……!)
その戦士の心の声は、聞きたくもない最低なもので……。
いや、魔神たちや魔王だって、昔は色々やってきただろうけど……でも……やっぱり現代日本人の感覚からしたら、それは最低なものに代わりはない。
それに……何の対価でもなく、完全な私利私欲。
さすがにどうにかしなければ……でも、どうやって……?俺には何の力も……
レインたちは、あぁ言ってはくれたけど、やはり俺には心の声を聴くことしか……。
しかしその時、男女に囲まれていた彼女が彼らをキッと睨みながら……こう、叫んだ。
(((((うおぉぉぉぉぉ――――――――――っ!!破戒の神レヴィラスよおぉぉっ!毀て毀て、いたいけな乙女に迫る傍若無人な勇者どもに破戒の鉄槌をおぉぉぉぉっ!!戦はん、争はん!勇者どもの内蔵を破裂させ、ミンチにさせたも――――――――――――おっ!!然らば毀の斧鉞を下したもおぉぉおぉ――――――――――ぉっ!!対価には……!この、勇者の右腕と聖女の右腕を捧げたも――――――――――おぉぉぉ――――――――――っ!!!)))))
いや……一体何叫んでるんだ……っ!?心の中とはいえ、その地上で強く祈れば、さすがに現し神には……レヴィラスに届く……!ここは……そう言う世界だ。
「あ、あの……ちょっと……さすがにそれはまずいから……っ」
ことの重大さに、慌てて彼女の側に駆け寄る。万が一その祈りが、願いがレヴィラスに届いたら……彼女は……っ。
「……っ!?」
(え……?)
「あ……」
彼女が驚いたようにこちらを見ている。や……やってしまった……。これはもう取り返しがつかない……。彼女は声を外に出していないのに、俺が彼女が心の中で唱えた祈りの言葉のことを言ってしまえば……そんなの……っ。
「……っ」
(まさか、あなたも他人の声が聴こえるの?)
え……あなたも??
「……っ!」
彼女がすっくと立ち上がり、胸元で手を組み見つめてくる。
その空色の瞳は透き通るように美しく、吸い込まれそうなのだが。その前に。
「……」
(あなたも……っ、破戒の神レヴィラスさまへの推し神活動をしませんか……!?あぁ、これが噂の……オフ会……!)
いや何かいろいろと違う……!!
てか推し神活動って何だ……。
だけど俺が伝えたいこと以外は、彼女には届いていない。この力は便利なものなのか、それとも魔神仕様なのか。俺が自分の意思で放たない心の声は届かないようになっているようだ。レインやヴィオルたちに、俺の心の声……念話のようなものを飛ばすときと同じで。
「あの……とにかくさっきのは危険だから……むやみに……」
「……」
(あぁ……危険……ゾクゾクする素敵な匂いがします……!うおぉぉっ、我が右目が疼くぅ……っ!!)
ダメだ逆効果だこれ!てか中二……?この世界でも中二思考ってあるの……か!?
あれ、この子の魂……。
(前世は……地球にいたのか……)
初代との邂逅の後……彼女の魂は地球に渡ったのか……?
世界間の移動と言うのはいろいろと誓約がある。この世界→地球の場合は、魂だけならば神の導きのもとでなら例外的に渡ることができる。この世界での能力を魂の中に封じることで許可されるが、魂にこの世界の魔力や異能などが刷り込まれていることに代わりはないので、いずれは俺のように転移、そして彼女のように転生と言うかたちで戻って来なければならない。
逆に地球→この世界の場合は、魂を器……肉体ごと持ってこられる。
しかし持ってきた際に魂と肉体がこちらの世界に馴染むよう変質する。それゆえに変質した肉体を地球に持ち込めないので、元の世界……地球には帰れない。帰れるとすれば、こちらで変質した部分を封じ込めた魂だけで、肉体を持ち込めないため、生まれ変わることになるのだ。
(そんなことまで……!?)
あ、まず。これは聞かせてはいかなかったかも……。
(もしやあなたも……っ!前世からの運命的な出会い的なイベントですか……!?)
そ、そうくるの……!?彼女の前世は……知らないけれど、でも【初代】の記憶は彼女の魂を知っている……。
そのことには気が付いていない……と言うか、彼女は少なくとも現し神ではない。普通の人間だし、勇者や聖女のように、そこまで特出した能力は感じない……。
あとは……喉……。あそこに何かあるくらいだ。
恐らく彼女がしゃべらないのも……。
(いや、俺は日本人だけど。どちらかと言うと転移……だよ)
(は……っ、確かに……!)
彼女の納得にほっとしていたら、その場に他にいた人物たちの声が響いてきた。
「ちょっと、突然現れて何なの?」
(何この2人、お互い見つめあっちゃって、キモ)
剣士の少女だ。
さらには。
「お……お前……っ!」
勇者が俺を指差してくる……!?
(こいつ、間違いない……!)
何か……勘ぐられた……?勇者のチートか何かだろうか……。
「お前、寒咲空だ!」
は……?何で俺のフルネームを知ってるんだ……?他人のステータスを視るスキルだろうか?それでもこの勇者に俺のステータスが見れるとは思えないのだが。
(間違いねぇ。こいつ噂になってた……っ!)
う……噂……ねぇ。まぁ何と言われていたかは予想がつくけれど。
「俺のこと、分かるだろ!」
(御手洗探に決まっているだろう……!?)
「その……すみませんが……知りません」
名前はその……聴こえて来たけども。決まってると言われても……。有名人なのだろうか……?えらく顔立ちは整っているが……そんな有名人と関わりを持つ機会なんてなかったしなぁ……。
施設の関係者くらいは……聞き覚えがあるとは思うけど……。
彼のことは、……知らない。
「なんだと……!?気色悪いくせに、生意気だぞ……!この……っ」
(懲らしめてやる……!)
ひ……っ。
勇者の剣幕と、こちらにずんずんと近付こうとせん言動にぶるりと身を震わせるが……。次の瞬間、見慣れた紫の鱗と、翼の内側の闇色が俺の視界を塞いだ。
「ヴィオル」
名を呼べば、俺を翼の内側に隠しながら、ヴィオルが勇者たちの方を向き、睨む。
「ひ……っ、化け物……っ!?」
ば、化け物って……。さすがにそれは失礼では……。
(何で……何であいつまでこの世界にいるんだよ……!それにこんな化け物まで連れて……!)
一応地球ではなるべく目立たないように生活していたつもりだったのだが……フルネームを覚えられてそこまで言われるほど……何か関わりがあったのだろうか……。全くわからん……。
いや……分かるかな……。
本来【初代】も【先代】も持っていた力だ。そしてだからこそ、【初代】は【彼女】のことを把握した。
(やだ……っ、でも顔はイケメン……!)
(勇者なんて目じゃないほどの魔獣……!誘ったら家来になってくれないかしら……!)
聖女と剣士……あぁ、彼女は魔法と剣士に適正のある魔法剣士だ……。何となくその情報が入ってくる。2人がヴィオルを好き勝手言ってるが。まぁヴィオルは月すら霞むようなイケメンだとは思うけど……家来とは。ヴィオルが聞いたら激怒するな……これ。あと、魔獣扱いだなんて不敬すぎる。
あぁ、そうだ。勇者。勇者は俺とどう関わっていたのかを知ろうと思ったんだった……。
この勇者……御手洗探と、言ったか。
「……」
そっか……このひと……俺を気味が悪いと聞き付けて、バケツで水をかけたり、机に罵詈雑言を書いたひとか……。
今までにそう言うひとも多かったから、別に覚えてなかった。むしろその後俺が掃除をさせられたり、机は学校の備品なのだからと落書きを消すようにと教師に言い付けられて、帰りが遅くなったことで施設のひとたちに怒鳴られる……。もちろん晩ご飯は抜き。そっちの方が印象に残っていたから……ひとは覚えてなかったな。
「ソラがやることを我はそれを尊重する。だからこそ静観していたが。ソラに敵意を向けるのなら、黙って見ているわけにもいくまい」
あぁ、殴ってこようとしたことだけじゃなくて、敵意を向けた時点でヴィオルたちの敵対案件になっていたか……。うん、昔からそうだったかもしれない。
「魔獣がしゃべった!?」
(高位魔獣……魔族ってことか……!)
勇者が叫ぶ。
しゃべる魔獣はいるが、そもそもヴィオルは魔獣じゃない。あと、魔族は種族名で、彼らは魔獣のくくりには入らないのだが。
魔王になる素質を持つものは魔族から出ることが多く、魔神の根幹も元を辿れば魔族である。だからこそ彼らは昔から人間と言うくくりの種族たちと対立してきた。
でも今は……【初代】が争うことをやめてからは、平和……なはずだし、創世神がまず勇者に魔族と争うことを使命としていない。
今召喚される勇者パーティーたちは、魔獣による災害や天災に於ける対策のために呼ばれているはずだ。
「魔獣なら、私の家来になりなさい!あなたをテイムしてあげるわ!」
(チャンス到来!ついに私の天下が来たのね……!)
と、魔法剣士。いや、何言ってんの……!?
(ソラよ)
ヴィオルが俺に念話を飛ばしてくる。
ヴィオルの鱗に守られていても、強い意思は伝わるし、何より俺とヴィオルは主従の関係で結ばれているから、その念話を繋ぐことは、他者よりもずっと容易なのだ。……俺も拒みはしないから。
(どうしたの?ヴィオル)
(この不敬な人間どもを駆逐してもよいであろうか)
やっぱりヴィオルの沸点も限界値を超えそう……!?顔は無表情だが、ヴィオルに於いて言えば、無表情ほど恐いものはない。
(取り敢えず……その、吹き飛ばしてくれればいい)
ここから去ってくれるのであれば、それで充分だ。
(では、吹き飛ばして木っ端微塵に粉砕……)
(なるだけ無傷でお願い)
「……」
(何故このような不敬なものたちに情けを……っ)
あうぅ……ヴィオルの気持ちも分かるけど……。
(召喚されたのなら、創世神が絡んでいるかもしれない。魔神は創世神と争うことを望まない)
そう、伝えれば。
(確かに……そうではあるな……)
ヴィオルも渋々頷き、翼をはためかせて腕を勇者たちに向ければ。
竜が暴れんばかりの暴風が、彼らにだけ吹き付けられる。
『ぎゃあぁぁぁあぁぁあ――――――――――っ!!』
思い思いの悲鳴を上げながら、勇者パーティーが城壁の向こう……街の中目掛けて飛ばされて行った。
「まぁ、着地に於いては我の知るところではないゆえ」
「……うん、ヴィオル」
それくらいは……勇者や聖女のチートで何とかなるだろ。街の中に聖職者もいるだろうし。
そうして高原に残ったのは……俺と、ヴィオルと……彼女である。
彼女はヴィオルをじっと見つめる。や……やっぱり驚い……
「……!」
(ヴィオル……まさか……竜神ヴィオルさま……!)
ヴィオルを、知ってる……?
(でも私の推し神は、破戒の神・レヴィラスさまですから!!)
そう心の中で叫んだ彼女は……服の中から団扇のようなものを取り出し、対抗するように掲げた。
その団扇には日本語が書かれている。
【破戒の神・レヴィラスさま・LOVE】
……。は、ハカイの【戒】の字……!
いやある意味合ってはいるけど……彼女の求めるハカイの字とは……違ってたあぁぁぁ――――――――っ!!
「ふむ……ひょっとして娘よ。ソラと念話をしているのか……?」
ヴィオル、鋭い……!
(何で分かるの……!?やっぱり神さま…!?でも私の推し神さまは負けません……!)
「いや、争ってないから」
今までのイメージで言うと……ヴィオルは割と大人で、レヴィラスが子どもみたいな感覚だったし……。
「それはその喉の印のせいか」
え……、ヴィオルも分かるんだ。いや、当然か。ヴィオルはそう言った術とかに詳しい。破邪や無効化の力を持つから、当然無効化する術や印も見ただけですぐ把握するくらいだ。まぁ大体俺に関わらないものには、願われない限り興味を持たないだけだ。
しかし……彼女の喉に刻まれた印には興味を持ったのか……?珍しいこともあるもんだな……。
「我の知らぬところでソラと念話など……人間の小娘ごときが不敬である……!」
いや、単なる嫉妬――――――――。
そ……そんなに俺が他人と念話するの嫌かな……?嫉妬するの……?いや……まぁ……普通にしそうだなと今、納得した。
そしてヴィオルが彼女の喉元に指を向けると、カチンと何かが外れた。
「それを掛けたのは我が信徒の竜族か。汝も半分その血を引いているようだが」
え、この子、竜族の血を引いてるのか……!?竜族の特徴全くないから気が付かなかった……!いや、魔神の力を使えばいくらでも探れるんだろうけど……プライバシー……とか考えてしまうのは、現代日本育ちだからだろうか。
「我の前で我が主君のソラと堂々と念話するとは、命が惜しくはないのか、小娘」
いやまぁ、命が幾つ合っても足りないこと心の中で叫びまくってたけど……。ほんとよくレヴィラスに食われなかったな。多分ハカイの字と彼女の願いが一致していなかったからこその幸運なのだろうけど。
そして口をぱくぱくと動かした彼女は、小さく声を漏らす。
「……ぁ」
この子は、念話の能力とあとひとつ、特別な力を持っている……。それゆえに喉を封じられていたのだろう。
(いけない……っ。私の喉が、声が解放された時……っ、この左目に疼く邪眼が目覚めてしまうぅぅっ!)
いやいや、この子は邪眼は持ってない……!瞳は普通の目だよ……!
「心配しなくても、俺たちに言霊は効かないと思うよ」
そう、告げれば、彼女が驚いたように俺たちを見る。
(何故……私の封じられし真実を……!)
「あー……うん、その……ヴィオルは君たちが崇める神さまだし……ヴィオルは俺の眷属神だから」
ま、魔神の魂持ってることって……公にしていいのだったっけ……。ヴィオルに聞いたら……絶対大々的に人間たちに知らしめようとか言うからダメ……!う~ん……そ、創世神に相談……できるのだろうか。できるとしても……どうやって……?
「わ……わたし……」
彼女がゆっくりと声を絞り出す。やっぱりその声は……言葉が魂を宿すように、異質な力を帯びている……。
(俺たちには効かないものだけれど。ね、ヴィオル)
ヴィオルに言葉を飛ばせば。
「無論だ。それは竜族たちの祖である竜が持っていたスキルで、末裔のそなたらの中にも未だに受け継ぐものが出ると言うだけ。神の力の前では意味を成さぬ」
だよね……!良かった、合ってて……!
「その、わたし……」
不思議な力を帯びてはいるが……でもやっぱり、普通の女の子のかわいらしい声で……。
「私は竜神さまなんて嫌いです……!竜族の血を引いてはいますけど……!特徴的にまーったく受け継いでないですし!スキルだけ受け継いでも迷惑でしかないんです!でもスキルがあったから竜巫女とかさせられましたけど……!竜神さまに祈りを捧げたことなんてありません!私が崇めているのは破戒の神・レヴィラスさまですから……!私の祈りは全て……レヴィラスさまのもの……!」
そ……そう言えばこの子……異常にレヴィラス推してたな……。祈りの言葉まで唱えて……。しかし、当の竜神を目の前にして堂々と言えるのはすごいな。ヴィオルはもしやショックを……?
「ほう……竜族が我に祈るための竜巫女とやらを置いているのは知っていた。ここ最近は竜巫女の唱える祈りの言葉も届かぬ。てっきり飽いて辞めたのかと思うておったわ。まぁ時折竜神への祈りの言葉が聴こえるゆえ、種族が滅びてはいないとは分かったが」
「そ……そう言う認識だったの……?信徒は……」
竜神の主な信徒は竜族である。あとはその加護を求める他種族たちがちらほらと。
「別にどうとも思いませぬ。地上の人間たちが何を崇めるかなど自由であるし、地上に生きる現し神は現し神として、存在し続ける。生まれ直すのであれば生まれ直す。それだけぞ。我らはただ、ソラの側に在れればそれでよいのでありまする」
創世神のような天界に在る神を啓き神と呼ぶ。対して冥界に在る神は隠り神。その中間に位置するのが、特殊な神……現し神と呼ばれるもの。天界と冥界の神とは異なる性質を持つ存在だが、地上に生きる神であるもの。竜神ヴィオルしかり、魔神しかり、レヴィラスしかり。
そして現し神の中でも異質な魔神の側にいられればそれでよいと言う、同じく異質な力を得た眷属神たち。ヴィオルやレヴィラス、スノウ、レイン。
「なのでこの娘がレヴィラスの信徒だと言うのならばよいではありませぬか。若き娘だと言うに、その身を犠牲にする覚悟があるとは、またあっぱれな」
「いや……ヴィオル、この子は……レヴィラスへの対価に勇者と聖女を生け贄に捧げようとしてたけど……」
「何を隠そう、私は勇者と聖女を生け贄にすることによって、レヴィラスさまへの対価として差し出すことが許された一族なのです……!」
そんな一族は……聞いたことがないのだけど。
レヴィラスに願ったものたちはみなその対価となった。そしてレヴィラスに願った対価が願ったものだけで足りるわけもなく。太古、啓き神をも巻き込んだ悲劇が起きた……。
「私の人間のご先祖さまはそうしてレヴィラスさまに許されたのです!」
「……ソラ、もしやと思うが……この娘、初代主の時の……」
「同じ魂だし……そうだと思うよ」
「その魂が、こうして末裔に」
「……うん」
俺たちの会話に彼女はこてんと首を傾げる。
だがヴィオルは完全に初代とのあの記憶に出てくる彼女だと把握したらしい。
「あの……その話なんだけど……それはその時だけで、子孫にまで許すとはなってないはずだけど」
そもそもあれは、俺……いや、初代がレヴィラスに命じてそうなっただけで、命じなければ多分レヴィラスは暴走していた。
「そうであるぞ。そなた、そんなんでようレヴィラスに食われなかったな……。生け贄を用意したところで、願えばその願ったものを対価に持っていくのがレヴィラスぞ。そなたは全く特別でもないただの小娘ぞ」
(本当に、食われなかったのが不思議であるな)
ヴィオルが俺に念話を送ってくる。
(それは……その、レヴィラスの神としての名前と、願いの内容を間違えていたから……だと思う)
そうヴィオルに直接念話を送りつける。
「アホであるな、この小娘」
直球――――――っ!でも本来、ヴィオルたちは主以外を慮ると言う思考がない。むしろ主が人間に情けをかければ、嫉妬して何やらかすか……。
彼女の祖先の時だって、相当不満そうにしていたけれど、レヴィラスが正常に戻ったことで手打ちにしたんだよ。何で今まで忘れてたんだ……。
「はぇ……く……くわ……?」
「あの、大丈夫……?そう言えば名前……」
まだ聞いてないな。
バタンッ
「え……」
彼女は気が抜けたように地面に倒れていた。
「気絶しおったのか……?全く、人間とは軟弱な生き物であるな」
「あー……うん、それは、そうだね」
俺の身体は地球から持ってきた人間の身体だけど……それでもこの異世界に魂が馴染めば、いずれ取り戻すのだろう。
「で、ソラよ。レヴィラスの元へ行くのではなかったか?」
「それはそうだけど」
彼女が気絶したことでしれっと蚊帳の外に放り投げた!いやまぁ昔から主のことしか見えてない連中なの、思い出してきたけど……!
「か……彼女も連れていこう?このままにはできないし」
ヴィオルに頼んで竜族の住み処へ……とも思ったが、彼女の喉を術で封じていた一族だからな……。
普通にヴィオルへ祈れば、対価は必要だが異能を和らげる加護か抜け落ちた鱗くらいはもらえたかもしれないのに。
だからそれをしなかった竜族の元へ、戻していいのかがまだ分からない。
――――――それとも忘れてしまったんだろうか。表裏一体の鐘の意味と同じように……。
「えぇと……一緒に連れていけない……か。俺、まだ飛べないし」
「ソラが望むのであれば、我が尾にくくりつけて持っていけばよかろう」
ええぇっ!?
「さすがに扱いが雑すぎるかも……っ!女の子なんだし……!」
「しかしこの娘はレヴィラスの贄であるぞ?」
いやいや、まだそうとは決まってない……!少なくとも今は無事なわけだし!
「ソラがそのような顔をするのなら仕方がないであるな」
え……俺、ヴィオルを心配させるような顔を……?その時だった。ふわりとヴィオルの腕が俺の身体を抱き上げたのだ。これ、縦抱き?しかも、腕1本で……!
「あの、それはさすがに重た……っ」
「これくらい、我らには平気であるぞ?」
う、うーん……まぁ、そうかも?レヴィラスは規格外だし……レインも、ヴィオルも……。力に関しては人間にとって怪力以上の力に等しい。特にレインなんて、普段は武器を使うけど、昔拳ひとつで山ひとたぶっ飛ばしたもんな……。
そして次にヴィオルは、彼女を脇に雑に抱えた。この差は……。まぁ、腕で抱えてくれるだけ……尾にくくりつけられるよりはましな……はずと信じたい。
もうすぐ、レヴィラスに会える。レヴィラスは……今生のレヴィラスは、どんなレヴィラスなのだろう。
「この街にいるのであるな」
「うん」
ヴィオルが街の人間たちに見つからないように俺たちを隠しながら、街の目立たないところに着地してくれた。ヴィオルは術や魔法などに詳しいから、それを自分で応用することもできる。根底にある力は、現し神のもので、人間たちが持つ純粋な魔力とは違うのだけど。
とっさに言い出さなければ今頃街は大混乱である。何せ、俺のこの世界への帰還を知らしめるため、街のシンボル城ひとつ沈めてバーンと登場しようとか突然言ってきたんだから……!
「――――――と言うかこの街、いわゆる王都ってところなんだ」
単に大きな街としか認識していなかったし、先ほどの勇者たちを適当に投げ込んでもらったが。
「ふむ、人間たちが作る国とやらの中心地であるな。レヴィラスはよく赴いていたと聞く。ここであったか」
「ヴィオルは初めてなの?」
「我はあまりヒト族や獣人族とは関係を持たぬゆえ。祈りに来るヒト族や獣人族は大体が群れから外れたものたちである」
ヴィオルが竜族が主に崇める竜神だからゆえか。と言うことはつまり、この国はヒト族か獣人族が中心、もしくはどちらも暮らす国と言うことだ。ちらりと街の大通りを脇道から覗けば、ヒト族も、いろいろなケモ耳の獣人族もいる。エルフ族もたまーにいるようだ。
――――――しかし、あのレヴィラスが人間たちの国へ……何をしに……?さすがにこの活気や平和そうな日常を見るに、暴虐の限りは尽くしていないようだが。
……はっ、待てよ……?
「もしかしてレインやスノウはよく来るの?」
「この国かは分からぬが、人間たちの生活圏へは行くのではないか?」
そ……そうか……あのショタッ子コーデとかは、ここで手にいれていたのか……!?
お金の問題は……多分レインなら素材はいくらでも手に入れる。換金すればいいだけだし。
この世界には、異世界ファンタジーでよくある冒険者ギルドなんかも……。
「あ、この世界ってまだ、冒険者は廃れてないよね?」
初代の前から、歴史のあるこの世界の仕組みなはずだけど。
「うむ。恐らくレヴィラスが人間の街にいると言うことは、そう言うことであろうな」
「……え?」
「我は人間の街はよく分からぬ。だがレインは詳しい。ソラがいない時間、レヴィラスはよくレインについて街に行っていたようである」
そう……だったの……?まぁレインが一緒ならレヴィラスのことも安心だけど……。
「……あ、待って。レインと……!?まさか……変態の知識……レヴィラスに刷り込んでないよね……?」
「……ソラよ。瞳がまるで代々のように変化したであるな。そんなに心踊る話題であるか?」
え、瞳が……!?それは無意識で……っ。鏡もないしよく分からないけど!心は踊らない!むしろ逆効果だって……!
「その……違くて。レヴィラスは……ハーパンとニーソ……好きかな……ってこと」
まさか……まさか……レイン……!
「その服をわざわざ用意していた時点で違うのではないかと思いまする」
ド正論……!そ、そうだよね!もしレインの変態が移ってたら安全な衣装にはならないよね……!と……取り乱しすぎてたかも、俺。
「よ、よし、レヴィラスのところにいこ。ヴィオル、竜族……は目立つかな?竜族のように……見せられる?」
「うむ、まぁ見慣れておるからな。現し神のまま行ってもよいが……ソラが望むのであれば」
そう言うとヴィオルは幻術をかけ、頭の角を竜族らしい竜の角に変える。
そして竜の鱗は緑に。今は……緑が主流なのかな……?でも紫だと現し神の鱗になっちゃうから、仕方がないか。あまり目立つのもどうかと思うし。当然ながら、現し神は竜族よりもエルフ族よりもさらに稀少な種族だから。
そしていざ、レヴィラスの元へ……!
場所なら分かるから……!
「……文字、変わったかも……」
異世界の文字は地球のものとは違うが、ギリギリ読めてはいる。
これも代々の魂のお陰だろうか。しかし1000年前とは確実に違うわけで……。
「レインやレヴィラスは普通に読みまする。すぐに慣れると言っておりました」
「うん……まぁ」
この世界での最後の記憶は……多分、16年前。それでもそんなに人間の領域との交流をしていたわけではないだろうし、俺の魂の記憶が知っているものと比べると……ね。
レインならその性質上人間との関わりが深いから、すぐに慣れると言う認識だったのだろうけど。
「多分、この建物の中」
赤い屋根に白い壁の、3階建ての大きな建物だ。異世界ファンタジーさながらのコスプレをした……いや、この世界ではコスプレじゃなかった……。装備をした人間たちも出入りしている。
えぇと、建物の看板には……。
「えと……ぼ……けん……ど……冒険者ギルド……!」
……だ。恐らくは……!周りの装備を身に付けたひとたちもそんな感じだし……!レヴィラスはここにいるんだ……!
「ふむ、ここがレインが言っていた例の……脆そうな建物であるな。レインが寄りかかっただけで崩れそうであるぞ」
いや、まぁ現し神の力をもってしてみれば、人間の建てた建物なんて大体そうだと思う……。レインももたれかからないように気を付けたんだろうか。いや、普通に力を制御すればいいだけの話なのだが。
「絡まれたりしないよね」
こちらをちらちらと見てくる鋭い視線やいかつい顔にびくびくしていれば。
「ソラよ。何故そんなにイラついておるのだ?こやつら纏めて氷像にして信ぜよう。好きなだけ破壊してくだされ」
ヴィオルは満面の笑みだった。恐らく、びくついた主と言うものを知らないのだろう。先代も初代も多分こう言う感情は知らなかったであろうし、ヴィオルたちに見せたこともないのだろう。人間たちの恐怖はさすがに区別できるだろうけど、主に関しては完全に別枠で見ているから、今の俺がびくついてるとは思いにもよらず。どうにかして答えを出したところ、【イラついている】と言う結論に至ったのだろう。
――――――が、恐すぎる……!何しれっと恐ろしい催し始めようとしてんの……!
(氷像にはしないで……!)
そう念話を投げつければ。
(むぅ……お気に召されなんだか)
召すわけないでしょーがっ!!初代や先代なら『興味ない』のひと言で放任しただろうけど……!いつものように創世神に泣き付かれて『よせ』と命じただろうけど……。
……。
今までの代々……この世界の創世神、泣き付かせてたんだ。あぁー……思い出してしまった……。
「おい、あんたら」
と、そこへいかつい顔の冒険者らしき男性が声をかけてきた……!?
(我らのソラに声をかけるとは……よほどの命知らずのようであるな)
(殺気たてるな、ヴィオル。手は出すな)
(しかし……っ)
ヴィオルは不満げながらも、ガン睨みである。この睨みを前に、冷や汗をかきながらも声をかけてくれた冒険者さんに、拍手を送りたい。何か……うちの騎士がごめんなさい。
「その女の子、大丈夫か」
あ……あぁ――――――。彼女か。ヴィオルが今もしれっと脇に抱えてくれている、彼女……!
「気絶してるだけで、命に別状はありません」
「……そうか」
冒険者はそう短く答えると、そそくさと去っていき、周りもホッと息を吐くように視線をそらしていく。
――――――原因この子か……!
(いや、でも気絶してるだけだし……。治癒が必要なほどじゃない……よね?)
ヴィオルに語りかければ。
「死んではおりませぬ」
「……そう、よ、よかった……?」
うん。そうだよね。命、大事……!
ヴィオルに頷き、冒険者ギルドの荘厳な両開きの扉を開けば。懐かしい声とともに、求めていたひとかげが姿を見せる。
「お……お待ちください!今あなたさまに去られてしまえば……!王城から勇者パーティーの指南役の依頼も来ておりますし……!」
しかし想像していた中身とはだいぶ違う。ひとりの前に、数人の人間たちが平伏していたのだ。え、何これ……っ。
それに勇者パーティーってあいつら……!?何でレヴィラスに指南役の依頼が来るわけ……!?
「知らん」
冷たくそう漏らしたのは、俺よりも背の高いダークブラウンの髪に黒い瞳の青年で、その姿は人間に近い時の姿である。
俺と似たような装いに、背に大きな両刃の斧……毀の斧鉞を担いだ青年はふいと身を翻す。そして俺が来たことに既に気が付いていたかのように、次の瞬間には俺の前に移動していた。
「ずっと会いたかった。我が主」
あの頃の拙い言葉とは違い、研ぎ澄まされたように滑らかな音階で言葉を紡ぐ。
……みなに段々と似てきたのかな。それともレインに習ったのか。
それでも変わらない。背は……俺の方が小さくなってしまったけれど。
「レヴィラス。迎えに来たよ」
「うん、嬉しい。我が主」
そう言ってレヴィラスは俺とハグをして、16年ぶりの再会を懐かしんでくれる。そして俺も……。
「レヴィラスさま……!一体どういうことですか……!」
その時、耳ざわりな声が再開のひと幕に紛れ込んだ。
耳ざわりな声と共に降ってくるものは、地球では慣れたものだが。
「一体その薄汚いガキは何なのですか……!?」
うす……っ、一応、お風呂には入れてもらえたのだけど……。
平伏す人々の中から立ち上がった、ギルドの職員風の女性が俺を指差す。
周りの人々なんて、女性が急に立ち上がったことでぎょっとして恐る恐る顔を上げてちらちらと見ているし。周りは恐らく……現し神が何足るかを理解している。……が、彼女は……。
「勇者への教育と言う栄誉を与えられておきながら、それを拒まれ、さらにはそのガキを選ぶと言うこと……!?」
えぇと……。勇者うんぬんは置いておいて。まぁ気になるけど。レヴィラスにあの勇者たちへの指南役だなんて……レインなら分かるけれど、分からなくもないのだけど。何故レヴィラスに……。鐘の意味も忘れた人間たちは、やはりレヴィラスがどういう神であるかも忘れてしまったのか……。
(あ、あの……っ、レヴィラス、知り合い?)
ギルドに顔を出しているのなら、面識はあるだろうが……。あそこまでレヴィラスに固執するなら、それなりに関係があるのだろうか?
(知らん)
レヴィラスから返ってきた言葉はひどくあっさりしていた。
(人間の顔など、レインに覚えろと言われたものしか覚えていない)
……。レインも一応覚えさせたのは……まぁ褒めてあげたいけれど。
でも必要がなかったら覚えてない。レヴィラスらしいと言えば、らしいよなぁ。
それにたとえレヴィラスが興味はなくても、レヴィラスに傾倒する人間は……信徒は昔から多かった。でもその対価を畏れ、いたずらに願う者は減ったと思っていた。
かつて生贄を用意して対価から逃れようとした者もいたが、逃れることはできなかった。
だからこそレヴィラスへの対価からは逃れられない。そう地上を恐怖に包み込んだ。
でもそれを地上の人々が理解し、啓き神に救いを求めたのはもう……1000年も前。忘れ去られるには充分すぎる果てしない時間である。まぁ長命種ならもしくは……だが。
でもいつの時代も願わずとも、一部の人間にとって魅力的に映るらしいその加護に固執する人間は、まぁいるよなぁ……。
「そんなガキは捨て、私たちをお選びください!さすればレヴィラスさまに更なる栄誉が……っ」
捨てられることには慣れている。地球ではずっとずっと、そうだった。実の親にも捨てられ、施設をたらい回しに遭った。けれど、俺とレヴィラスたちの場合は……俺が、代々の魔神が拾う側であり、そして彼らを捨てるなどあり得ない。
それにレヴィラスにモノを望むことが何だか分かっていないのか……?レヴィラスは……。
――――――その時だった。
レヴィラスの目が……一瞬にして反転した。
白目部分は黒へ、黒目は金色で、瞳孔が縦長に変化する。そして表情からは一切の感情が消え失せる。これは……。
人間を対価として食らう人食いの神。
『俺に主を捨てろと言うことか』
人間のものとは違う、重々しい神の声が地を這う時。空間が赤黒く変色し、ガラガラと地面が揺さぶられる。
レヴィラスに守られている俺には揺れは届かない。そしてヴィオルも平気そうにしている。
――――――――と言うか欠伸してない!?この状況で……!まぁ昔から達観していると言うか、大人と言うか……現し神の中でもおじいちゃん神だからな……。見た目は若いけども。
しかしながらヴィオルの呑気な欠伸とは裏腹に、ギルド内は恐怖に包まれていた。
人々はその揺れか、もしくは現し神が造り出すその神の力を振るわすための空間か、いやどちらもだろうか。それらに恐怖、或いはこの世の終わりとも観れる感情を顔に映し出し、泣き叫ぶ。
――――――古来は見慣れた風景だ。
レヴィラスにひとひとりの対価では手に負えないものを願った結果、訪れる地上を恐怖で呑み込む波。
いや、レヴィラスへ願うもの自体が、ひとひとりで賄えるわけがないのだが。
例外は今まで、1000年の歴史のなかで一度だけ。
勇者と聖女の腕を、啓き神がこの世界に召喚されると同時に与えたスキルとジョブ、加護ごと喰らった時のみ。
しかしレヴィラスが対価とするに値するものなどそう簡単に見つかるわけもなく。そしてあの勇者たちでもかつての勇者たちと同じ糧は用意できないだろう。
かつての勇者たちは……少なくとも使命のために己を鍛え、高めていた。
だからこそ贄を差し出すに足り得た。
現代のあの勇者たちでは……魔王や魔神に挑まんと命を懸けていた彼らには遠く及ばない。
だからこそ、平和になったこの世界でレヴィラスの贄になり得る人間などそうそういない。
それに今回は願い……と言うよりも、レヴィラスの暴走に等しい。
レヴィラスの怒り。それは、勇者たちの腕を喰らった時と同じ。
主を害される、奪われると認識したら、レヴィラスは暴走してもおかしくはない。いや、確実にする。
レヴィラスは創世神さえ手に負えず、多くの啓き神が犠牲となり、主が……魔神が拾うまで地上を破壊し喰らい尽くさんとした災厄。
そしてその災厄を巻き起こした一部が床を破壊し地面から生えて来る。あれは無数のレヴィラスの、牙である。あれはレヴィラス的には一応牙なのだが、今にして思えば先端には蛇のような口があり、胴のような牙の表面には黒地に金の目がギョロリと獲物を捉えている。まさに生きた牙。生き物としての牙。まぁレヴィラスの一部なのだけど。ひどいときなんて街ごと呑み込む口が開く。
『主……ワガ、アルジ……ヲ』
しかもこれちょっとヤバいかも……。レヴィラスが完全に怒ってる。俺よりも背が高いし、ちょっと成長したかなって思ったのだが。レヴィラスはどこまでもレヴィラスで。拾われて以来、代々主にべったりで、主にしか懐かないこのレヴィラスが、主を捨てろとほざかれたのだ。
激怒案件以外には該当しない……!
『アルジをうバ……ウ……毀ツ……喰らウ……』
ひぃっ!?ヤバい、マジでヤバいんだけど……!?
喰おうとしてる……!?
でもそれは対価でもあるから……恐らくこの街……王都ごと強引に破壊はしていくと思う。現し神を怒らせると、こう言う強引な対価吸収があるからまずいのに。今の地上の人々はそれすら……いや、目の前の女性が知らないのか。
「れ……レヴィラス……!」
代々はどうやって止めていたっけ……。確か勇者の腕を……あ、ダメだ。あれはレヴィラスへの祈りの言葉があって成り立ったものだから……っ。
「だ、ダメ……っ」
そのか細い声は、ガラガラと建物を破壊し、人間たちに迫る牙への阿鼻叫喚にかき消されるように、溶けてしまう。
その時だった。
「……ぇ、」
今、何か、聴こえた……?
「きゃあぁぁぁぁっ!生レヴィラスさま、キタァ――――――――――――――ッ!!!推し神キタ最高――――――――――っ!!!」
はいぃいぃぃ――――――――っ!?
ヴィオルを見やれば、その腕に抱えられていた彼女がぐわりと顔を上げ空色の目を見開き、レヴィラスに向かって叫んでいた。
いや、な、生レヴィラスって……。まぁ分からなくもないけど。でもその瞬間、時間が止まったかのように牙の動きも止まった。
彼女の言霊を帯びる声は、祈りの言葉でもない限り現し神を振り向かせるものではない。
しかし、多分……いや確実に、地球の知識がなければこの世界の住民が脳内にハテナを浮かべるセリフである。
それはまさかのレヴィラスの暴走も止めてしまうほどにハテナなセリフに、勢い。
うん、だから良かったんだろうけど。てか、唐突に意識戻ったっ!何でこのタイミング!?ちょっと助かったのは間違いないのだけど……!
そして、長いその場の沈黙の後……赤黒い空間が霧散するように背後で扉が開かれる音が響いた。
「こらこら、レヴィ、何してるの――――――?ソラの……主の前で破壊活動はや~~めなさ――――――い」
それはこの場には不釣り合いな呑気さ。しかし同時に救いを与えてくれるもの。
本来の表の顔とは真逆なのだけど……しかし、彼はそう言う裏面を持つ、現し神である。