――――――それはまさしく祈りのような。
『コオテ、コオテ』
戦の始まりを告げるその鐘には、ふたつの顔がある。表は怒り、裏は悲しみ。
その意味を、誰もが忘れてしまっても……。
『ユカン、ユカン』
その拙い言葉は、意味を成さないはずなのに、何となく分かる。
哀愁を帯びたその詩は。
『トヨメカセ、トヨメカセ』
悲しみ、苦しみ、寂しさ。
『オオセヨ、オオセヨ』
けれどその中で見つけた。
『ミマシ、ミマシ』
呼んでいる。
『ミコトノリ』
破壊と、
『ミコトノリ』
破戒。
『コオチノ、カダン』
それを望められればどれだけよいか。
『ササゲン、ササゲン』
けれど、それを捧げられれば。
この世界が滅びてしまうことだけは分かった。
たとえどんなに生き辛くとも。
どこにも味方がおらずとも、ひとりぼっちでも。
それでこの世界が……滅びてしまえばいいとは思えない。
オーケストラのように止まぬことのない喧騒も、異界の言葉が紡ぐ詩を聴いている時だけは静かな……静かな闇の中。
その中にいられるのなら、それ以上は望むまいと思っていたんだ……。
闇の中。
感じたことのない、しかし懐かしい匂いを掴んで、ふと瞳を開けた。
そこは……見覚えのない森の中。だけど知っているのは……何故。
「やっとお迎えできた……我が主」
そう言って俺の手をとり跪き、顔を上げたのは。赤茶けた髪に赤い瞳を持つ、顔立ちの整った青年だった。
「えと……」
知っているはずなのに、よく思い出せない。
4つの羽根に……6つの脚……。
しかし目の前の青年には羽根はなく、手足も人間と変わらない。
けれどその言葉を受け取り、この世界に『着地』をしたのが分かった瞬間、闇の中に入ってくることがなかった声が、俺の中に入ってきた。
(ヤバい……ショタっ子の年齢より、成長しているはずなのに……っ。主は……確実にハーパン・ニーソが抜群に似合う!そのハーパンニーソの間の絶対領域は……もはや……。いや、文字通り神レベル……っ!!)
え……。
えぇぇ――――――……。
唐突に、この青年に手を取られていることが不安になってきたのだが。
「我が主」
それって俺のこと……だよな……。しっくりくるのに、ちょっとそれは止めてほしい、不思議な感覚。
「きっと我が主のこと。我が望みも容易く見抜かれたことでしょう」
え……えっと……しょ……ショタコン……。このひとショタコン……!?あの……お国柄的に童顔には見えるのだろうけど……。目の前の青年はどちらかと言うと西洋風な顔立ちで大人びている。
とは言え……俺はもう16歳なのだが。身長は平均よりも低い150センチ台だが……。
さすがにハーパンニーソは無理があるのでは……。
「我が主には、ハーパンニーソが確実に似合う……!」
そんなイケメン顔で、そんなことを言われても……!何かが確実に無駄遣いされている……!そのルックスと声で、少女漫画のヒーローのセリフを言った方が確実に生産的ではなかろうか。
「我が主は……ハーパンニーソ!」
(絶対領域絶対領域絶対領域いぃぃぃ――――――――っ!!!)
ひいぃぃっ!?こ……このひと変態だあぁぁぁぁっ!!?
て言うか絶対領域って……メイドさんのスカートとニーソの間に使う言葉じゃないのぉっ!!?うわあぁぁぁぁんっ!
「ま、前座はこのくらいにして」
前座……?前座なの……?これ。
この後何が来るのか……ちょ……恐いんですけど。
「俺たちの屋敷に行こうか」
「……いえ?」
「そうだよ。この森にある。俺たちの屋敷」
「あの……俺は……っ」
一緒には行けない。何故このひとが俺を連れていこうとしているのか……それほどまでに、拒むことはしない。けれど。
「俺は多分……あなたにとって、良くないものを、持っている」
「……そうか……別の世界に一度魂が渡った弊害かな……?俺たちのこと、覚えてない?主」
「……ご、ごめんなさい」
何だかとても申し訳ないことをしたようで。
「んまぁ、そこら辺はレヴィに聞けばいいからね」
レヴィ……?
――――――レヴィラス。
一瞬、聴いたこともないけれど、だけど知っているその名が脳裏に浮かんだ。
「問題ないよ。主は俺たちの中で一番強いけど」
一番……強い……?俺が……?
「でもみんな、この世界の異物。主の元でしか生きられないからね」
それって、どういう意味なのだろう。
脳裏に流れてくる映像は、彼が懐かしんでいる映像か。
角を生やした誰かに縋る、4つの影のひとつは……彼である。けれど、彼自身ではない。
そして角を生やした誰かは……。
「少しずつ、思い出していけばいいよ。心配しなくても、俺たちも主が転生するたびに生まれ直してる」
生まれ変わっているのではなく、直してる……?その言葉の使い方はどこか奇妙で、でもしっくりとくるのは何故だろうか。
「我が主」
「あの……」
「ん?」
「その主っての……ちょっと」
「嫌……?」
「……ではないけど」
その呼び方は、幾度となく繰り返されてきた、理が紡ぐもの。けれど。やっぱり地球で、日本人として過ごした身としては……。
「俺は、空。空だよ。ソラって……呼んで」
この世界には、漢字と呼ばれるものはない……はずだ。文字も言葉も違う世界。それでも彼と意思の疎通ができるのは……多分。還ってきたからなのだろうな……。
ずっとずっと、あの鐘の音と、紡がれる拙い詩を覚えていたから。
あの闇の中に、籠っていられたからだろう。
「仰せのままに、我が主。……いや、ソラ」
「……うん……。あの……あなたの名前は……」
「俺は……」
(ハーパンニーソを穿いて、『おにーたん』って呼ばれたい……!)
ヤバいこのひと、やっぱりヤバいひと!!
てか何、『おにーたん』って……!確かに彼の方が年上だと思うけど……その『おにーたん』には違う意味が込められているような気がしてならない。
「レインガルシュ」
彼……レインガルシュが紡いだ名に、どこか納得が言ったように俺の中にすっぽりと収まる。もちろん妙なショタコン……?いや、俺はもうショタとか呼ばれる年齢ではないし。……つまり彼が変態だと言う事実ではない。
彼自身がレインガルシュだと言う点に於いてだ。
「普段はレイでも、ガルシュでも、好きに呼んでいい」
「……じゃぁ、レイン?」
どこか、空とお揃いみたいで、その響きが好きだった。レインは……雨。
「そうか。ふふ……っ」
(今生では、それを選ぶか)
代々……呼び名に差があるのか……。多分俺の名も……、じゃないかな。
思い出せないけれど。それでもレインは俺の眷属神。それだけは、分かった。変態なところは……よく分からないけれど。
レインに続いて森の中を進んで行けば。森の中に大きなお屋敷を見つけた。お屋敷……何か異世界ファンタジーに出てきそうな洋館だな。見た目だけでも立派なのに。屋敷の回りを囲む道はずっと遠くまで続いている。
「普通の人間はここには入れないよ。むしろ森にもね」
「……どうして」
「それがこの世界にとっての幸いだから」
この世界にとっての……。
この世界は……もちろん俺が生まれ育った世界ではなくて。
この世界の空気に、たくさんの言葉に触れて、無意識に刻まれていく事実。
「そして主の……願いでもある」
その主は多分……俺だけではないのだろう。
「ソラはこの世界をどう思うか……これから世界を知って、決めて行けばいい」
(お出掛けにはハーパンニーソを用意しておかなくちゃ)
ひぃっ!?
いや……さすがにハーパンニーソはちょっと……。俺……引きこもりにならないか……?まぁ今までもひとのいないところで、鐘と詩の闇の中に引きこもっていたようなものだけど。
レインが先導する中、屋敷の中へと入る。全て完璧に掃除がされている……。
「魔力でそうなるようになっている」
俺の疑問を読んだように、レインが答える。
「俺に思念を送っても構わないよ。しゃべりたくないことは、こっそりでも」
思念を……送る……?
それはよく分からないけらど……でも知っているような。
(ハーパンニーソをどうしても穿きたくなった時なら……いつでも……!)
それはないと思うけど!?
「そう言えばソラは不思議な服を着ているね」
「あ……学ラン?」
俺みたいな親からも捨てられた気味の悪い子どもでも、世間体とか、行政の都合とかで、学校には通わせてもらえたから。
「それが異界のコスチューム?」
「……うん。でもレインも知ってるの……?異界のこと」
俺はレインにとっての異界からやって来たこと。いや、だからこそか。レインが俺を迎えに来てくれたのは……。
「それが先代の願いだったからね」
先代って……前の、いわゆる俺の前世だよね。
「けど、いられるとしても十数年かそこらだ。ソラは……ソラの魂はこの世界に帰属する。そして俺たちも。創世神も俺たちも、待てるのはせいぜいそれくらいだ」
「待ってた……の」
レインと……まだ会えていない、そのひとたちは。
「そうだねぇ……俺たちの居場所は、主の側にしかないから」
それでも……行かせてくれたのか。あちらでは常に奇妙な、気味の悪い子どもだと扱われてきた。親にも捨てられ、施設も転々とした。それでも前の俺は……望んだのか。
どうして……。
もっと早く、レインたちの元へ還りたかったはずなのに……。
「そうだね」
レインは俺の深意を汲み取ったのか、俺の頬に流れた涙をそっと拭う。
「それでも先代はそれが必要だと判断した。本当は……あちらにはこちらの世界の魔法や、スキルは何も持ち込めず、魂の中にしまわれるはずだったのだけど……。ハーパンニーソショタっ子の話題に普通にしている以上は、あちらでも……だよね」
いや、ハーパンニーソ大好きショタコンには普通にしてない……!ドン引きしてるけど……!
いい話っぽくなってきたのに雰囲気台無し……!!!
いや……それは取り敢えず置いておいてもいいか。
「俺のこと……ひとの心の声が聴こえるのは……」
「本来はあちらの世界にはないものは持っていけないと踏んでいたのだけどね。こちらでは、ひと以外のも拾うだろう」
そう……か。あちらでも獣の声は……拾うことはできたから。こちらでもひとや獣……きっとそれ以外も示しているのだろう。
本来は持っていけないはずだったもの。だからこそ先代もそれを選んだのか……。だが所詮はこちらから見れば異界。現地のものしか知り得ない微細な事実もあるだろう。特に伝説とか、科学的に証明できていないこととか、存在とか。
「……こう言うのは……テレビでも超能力者の特集があったし……地球でもありだとされたのかも」
「それは盲点だったかもねぇ……。他は神の力由来や、魔法由来だったお陰か出なかったようだけど」
……他にもこう言うのがあるのか……。
「大丈夫だよ」
レインは俺の表情を読んだのか。ぽふっと頭に掌を乗せてくれる。見たことはあっても……初めての、温かい感覚。
「こちらでは、俺たちがいるから」
「……うん」
その言葉はとても温かく、力強いものだった。
「……何だか……」
「……ん?」
「……お兄ちゃんがいたら、こう言う感じなのかなって」
思ってしまった。施設では常にひとりぼっちだったから、他の子がしていた、年上の子をお姉ちゃんやお兄ちゃんと呼ぶこともなくて。
「……ソラ……」
(もしかして、ハーパンニーソで『おにーたん』って呼んでくれる!?)
「そ、それはないから……!」
ついついツッコんでしまい、やってしまったと口を噤む。
ひとの心の声に反応するだなんて……。また、気持ちが悪いと言われてしまう……。親に捨てられて、施設を転々として、ずっとずっと、分かっていたことじゃないか……っ。
それなのにまた……やってしまった……。
「ごめん……なさい」
レインはせっかくよくしてくれたのに。今までもよくしてくれたひとはいたけれど。必死で隠しても、肝心なところでボロを出す。或いはどこかしらで奇妙な子どもだと勘づかれて、またひとりになる。
「それは何に謝ってるの?俺たちは、心の中までソラと繋がっていたい」
心の……中まで……?そんなこと……初めて……いや、本当はずっとずっとそうで……。
ただ、忘れていた……思い出せなかっただけなのだ。
意図せず拾ってしまうのなら。
『主の声も、聞かせて』
そう、望んでくれたのだ。
『だって主は、俺たちの唯一だから』
(レイン)
「うん」
久々に伝えるその声に、自身はなかったけれど。確実にレインには届いており、レインは俺にあいづちを返してくれる。
(ありがとう)
「こちらこそ」
にこりと微笑み、再び頭を撫でてくれる掌は……やはり、温かい。