洗濯機が回る振動が伝わってくる。
 部屋には先ほど飲んだコンソメスープの香りが残っていて、傍らのお盆には梅湯が置いてあった。
 ティエンは昨日から不調だった私の代わりに、いろいろな家事をやってくれた。風呂やトイレの掃除、汚してしまった服やシーツの洗濯まで、事細かくこなしてくれて、申し訳ないくらいだった。
 彼が買い物に行っている間、私は伯父からの手紙を読み返していた。

『げっかさんへ』

 初めて伯父がくれた手紙は、まだ日本語を覚えたてで、たどたどしい文章だった。

『ひとり、だいじょうぶですか。
 こまったら、いつでも、たすけます』

 小学校を卒業する頃、両親が亡くなって、私は母の故郷である日本に移り住んだ。

『大丈夫です。小さい頃から一緒の天駆がいます。』
『てんくは、いぬです。げっかさん、まもれないです。』

 伯父は繰り返し、私を心配する手紙をくれた。一番最近の手紙でもそうだった。

『月華さんへ
 こんにちは。生徒会の役員になったそうですね。誇らしいです。
 成績表も送ってくれてありがとう。よく勉強していますね。

 あなたががんばるたび、私は嬉しさと、心配が混じります。
 がんばると、傷つくことも増えます。
 もしあなたが泣いていても、側で大丈夫と言えないのがもどかしいです。』

 私がつらかったことも、伯父は気づいていたようだった。
 私は緊張に弱い。生徒会の役員選挙では震えていて、観衆に笑われた。模試のときに頭が真っ白になってほとんど何も書けず、帰ってくるなり泣いたこともある。
 私は体を起こしてテーブルを引き寄せると、伯父に手紙を書き始めた。

『伯父さんへ
 こんにちは。ティエンさんをよこしてくださってありがとうございます。
 私はちょっと素直でなくて、つい強がってしまうことがあります。
 伯父さんには見抜かれてしまって、恥ずかしいです。
 でも……』

 私は棚に飾った生徒会役員の任命賞状と、壁に張った勉強のスケジュール表を見上げる。

『何度泣いても、やっぱり強がってしまうんです。
 伯父さんと天駆に、がんばっているところを見せたいから。
 伯父さんは遠くからでも私を見ていてくれますし、天駆は側にいてくれる。』

 生徒会役員の任命賞状は二枚ある。一枚は学校から渡されたもの。もう一枚は伯父がお祝いとして、立派な書にしてくれたもの。
 勉強のスケジュール表は、模試のときのような失敗をしないように、その日の夜に作った。
 作り終えてぐずぐず泣きながら眠った私の側で、天駆は私を暖めるように身を寄せていた。
 あのぬくもり、感じた安らぎ。天駆は犬で、私とは違う生き物だけど、側で眠ったあのとき、私はとても大切なものを天駆から受け取った。

『愛なんて言葉は大それていて、簡単には信じられません。
 けど伯父さんが私を愛してくださっていることは、疑ったことがありません。
 そして、天駆は……』

 私はペンを傾けて、一瞬考える。

『私にとって天駆は……』
「月華さん」
 入口からティエンに呼ばれて、私ははっと我に返る。
「いけませんよ。暖かくしていないと。ほら、靴下も履いて」
 親が子どもにするように言って、ティエンはタンスから靴下を取り出してくる。
 そういう所在まで知っているのは、やっぱり彼を思い出す。
「月華さんの生理は三日くらいで落ち着くと聞いています」
 ティエンはそう言って、心配そうに私を見た。
「私は明後日には伯父様のところに戻らないといけません。一人で大丈夫ですか?」
「天駆がいますから」
 私は体を休めた分、気負わずに答えた。
「いつも素直に言えないですけど、天駆がいてくれて、ずっと心強いんです」
 ティエンはそれを聞いて、困ったように笑ってみせた。
 そっと微笑んだ彼の目が、とても懐かしい。
 午後の日差しが、柔らかく差し込んできていた。