♢♦♢
~王都・エスぺランズ商会~
――コンコンコン。
「どうぞ」
「失礼致します、ジーク様」
レイモンド様とのお話合いの後、私達はエミリさんのご厚意でエスぺランズ商会に招かれる事になった。
流石王都一の大商会。
2日後に控えたレイモンド様からのご依頼を受ける私達は皆エスぺランズ商会で寝泊まりのご用意までしていただいてしまいました。エミリさんにはお世話になってばかり。
しかも贅沢な事に1人に1部屋ずつ用意していただいたのですが、ジーク様に用があった私は今しがたジーク様の部屋を訪ねる事に。
「どうしたんだレベッカ」
部屋に入る私にそう言いながら、ジーク様はエミリさんに渡されていたシュケナージ商会の情報が記さている紙を見ていた。
国王様に頼まれた依頼、しかも魔王軍団という者達との繋がりもあるシュケナージ商会の調査という事もあり、私達はここに泊りがてら皆で作戦を練ろうと話し合ってもいたのだ。
紙に視線を落とすジーク様を見て、思わず胸の奥が静かに高鳴った。
「ん、レベッカ? どうした」
「あ……い、いえ、何でもありません」
「変だな。取り敢えず座りなよ」
ジーク様は笑いながら私を促すと、自分が腰掛けているベッドの隣に「座りなよ」と言った。
どうしたものでしょう……。
ジーク様と2人きりなどこれまで数え切れない程あると言うのに、とても久しぶりな感じがして妙に緊張してしまっている。
「で、何か話でもあるのか? レベッカ」
「はい。あの~……不躾で申し訳ないのですが、ジーク様は何故レイモンド様にシュケナージ商会の事をお聞きになったのでしょうか……?」
私はジーク様とレイモンド様がその話をした時からずっと気になっていた。何故ジーク様はわざわざそんな事を知ろうとしているのか、毎日一緒にいる私でも知らなかったからだ。
私の問いが困らせてしまったのか、ジーク様は少し頭を悩ませる様な仕草をした。だがその後静かに頷くと、ジーク様はゆっくりと私の方を見て話し始めたのだった。
「えーと、それはね、僕の余計なお世話だって事はわかっているんだけど、何時かレベッカを本来の“家族”にまた会わせてあげたいなと思ってたんだ――」
やっぱり。
私の思った通り。
「ジーク様……」
私が思い出せる1番古い記憶は、物心着いたばかりの頃に誰かに連れ去られていく記憶だ。
奴隷として捕まった私は、当時奴隷商をしていた者達によってこの王都まで連れてこられたのだ。それまで暮らしていた町はクラフト村の様な小さな町。あの時はまだ魔王軍団の生き残りがあちこちにいて、彼らによる被害も少なくなかった事を覚えている。
私がいた町もそんな被害の1つというだけの事。
今思えば私のいた孤児院は狙いやすかったのだろうか。
大人の割に子供は多いし、小さな町には強いモンスターや魔王軍団の残党などに立ち向かえる者など到底いなかったから。
運悪く奴隷商に狙われてしまった私達が辿り着く先は勿論奴隷としての商品。当時各地で私と同じ子供達を攫っては人身売買をしていたのが今のシュケナージ商会との事。
そして奴隷として売られた私はここで初めてジーク様とお会いしたのだ――。
私以外の孤児院の皆がどうなったのかは分からない。生きているのか死んでいるのかさえも。あの時はただ逃げるので精一杯だった。
私は長年ジーク様にお仕えしているが、“この話”をしたのは恐らく片手で収まる程。
でもきっとジーク様の事……この方はきっと私の話を聞いた時から、ずっと1人でこの事を考えていたに違いない。それはジーク様の今の言葉で明らかにもなったし、これでレイモンド様との会話の内容も全て辻褄が合う。
本当に。
この人はどうして何処まで周りの人に寄り添える事が出来るのだろうか。
「あれ、やっぱり気を悪くした? レベッカにはちゃんと話しておくべきだったよね。黙って勝手な事してごめんねレベッカ」
ジーク様の優しさに思わず涙が零れそうになる。
私はグッと涙を堪え、ジーク様に首を強く振った。
「ジーク様、私は別に何も怒っていません。貴方が優し過ぎるから泣きそうになっているだけです」
自分で言葉にしたら更に目の奥がツンと痛くなった。
ジーク様の事だから私の事を思って今まで黙っていてくれたんだ。それに私はここにきて“まさか”と思ってしまった事がある。
まだ確定した訳じゃないのに、そうだったと思うだけでまた涙が込み上げてきてしまう。
「ジーク様……思い上がりだったら申し訳ないのですが、もしかして……ジーク様が昔から“いつか強くなって国王様に会いたい”と仰られていたのは――」
あ。ダメだ。
もう涙が堪え切れない。
私が皆まで言う前に溢れてしまった涙を拭うと、滲む視界の中でジーク様が優しく微笑みながら私の背中にそっと手を置く。
刹那、ジーク様のその表情と温もり全てが“答え”だと直ぐに私には分かった――。
もう何を思ったらいいのか分からない。
ただ自分の体ではないと思える程に涙が溢れ出て止まらない。
たかだか使用人の私を包み込むような優しさで受け止めてくれるジーク様。
貴方のそんな姿を見れば見る程、私は貴方と出会えて、貴方にお仕え出来た事がとても嬉しく誇らしい。これからもジーク様の為になりたい。
でも私は使用人としてのそんな思いが募る一方で、何時からかそんな思いが使用人とは少し“違う思い”に変わっている事に最近自分でも気付き始めたのだ。
しかしそれは余りに身分不相応。
使用人の……ましてや奴隷出身の私なんかが抱いて良い感情ではない。
このまま思わずジーク様の胸に飛び込みたいと思ってしまった愚かな自分の気持ちを抑えつけ、私は懸命に溢れる涙を堪えた――。
♢♦♢
「あら、こんな時間までどうしたのかしら。眠れないの?」
ジーク様の部屋を後にして暫く経ったが、眠りにつけなかった私が建物の廊下を歩いているとエミリさんに声を掛けられた。
直ぐ近くの部屋の扉からは僅かな灯りが零れ、その部屋の中にある机や棚には本や書類みたいな物が沢山置かれている。恐らくここはエミリさんの仕事部屋なのだろう。
「はい。何だかなかなか寝付けなくて」
「そうか。まぁ色々バタバタしていたみたいだし、明後日もきっと大変そうよね」
何気なくそう言ったエミリさんの雰囲気は、とても私と年齢が近いとは思えない落ち着いたものだった。私と差ほど変わらない筈なのにエミリさんは容姿も端麗でこの若さで王都一の大商会を築き上げているのだから本当に凄い方だ。
不意に気になった私は、エミリさんが商会の道に進んだきっかけを聞いてみた。すると、エミリさんは何故か少し笑いながら口を開いたのだった。
「フフフ、私が商会をやろうと思ったきっかけ? それはね、まだ私が幼かった頃に出会ったヒーローのお陰かしら」
「ヒーロー……ですか?」
「うん。なんか改めてそう言われると恥ずかしいんだけどね、そのヒーローの子は当時の私よりも更に歳が下だったにも関わらず、颯爽と現れて1人の奴隷の女の子を救ったの――」
エミリさん話を聞いた瞬間、何故か私は自分が初めてジーク様と出会った時の事がフラッシュバックしていた。奴隷として売り飛ばされそうになっていたまさにその時、ジーク様は大人達の前に堂々と出て私を助け出してくれたんだ。
不意にそんな事を思い出していると、エミリさんが真っ直ぐ私を見つめながら話を続けた。
「そうよ。その時奴隷として囚われていたのは、綺麗な桜色の髪を靡かせた貴方。そしてそんな貴方を何の迷いなく助け出したジーク・レオハルト。彼が私にとってのヒーローであり、今の私の道しるべとなったのよ」
エミリさんはそう言いながら最後にふわりと笑う。更に彼女はこう付け足した。
「恋する乙女は儚くて思わず抱きしめたくなっちゃうわね、レベッカさん」
「えッ、こ、恋だなんてそんな……⁉ 違いますよ!」
「フフフフ、いいじゃない別に。今は私達2人しかいないし今の貴方はあの時と全く同じ、ジークさんを特別な存在として思っている顔をしているわよ。そんな風に顔を赤らめてね」
「……ッ⁉」
悪戯そうに言うエミリさんの言葉にハッとした私は慌てて顔を逸らしたけれど、これはもうどうにも誤魔化せない。
そして私も今ハッキリと自分の気持ちに気付かされた。
そっか。
ジーク様を特別な存在として思っていたのは今に始まった事ではない。
私はきっと……いや、初めてジーク様と出会ったあの時から、私はジーク様の事が好きになっていたんだ――。
~王都・エスぺランズ商会~
――コンコンコン。
「どうぞ」
「失礼致します、ジーク様」
レイモンド様とのお話合いの後、私達はエミリさんのご厚意でエスぺランズ商会に招かれる事になった。
流石王都一の大商会。
2日後に控えたレイモンド様からのご依頼を受ける私達は皆エスぺランズ商会で寝泊まりのご用意までしていただいてしまいました。エミリさんにはお世話になってばかり。
しかも贅沢な事に1人に1部屋ずつ用意していただいたのですが、ジーク様に用があった私は今しがたジーク様の部屋を訪ねる事に。
「どうしたんだレベッカ」
部屋に入る私にそう言いながら、ジーク様はエミリさんに渡されていたシュケナージ商会の情報が記さている紙を見ていた。
国王様に頼まれた依頼、しかも魔王軍団という者達との繋がりもあるシュケナージ商会の調査という事もあり、私達はここに泊りがてら皆で作戦を練ろうと話し合ってもいたのだ。
紙に視線を落とすジーク様を見て、思わず胸の奥が静かに高鳴った。
「ん、レベッカ? どうした」
「あ……い、いえ、何でもありません」
「変だな。取り敢えず座りなよ」
ジーク様は笑いながら私を促すと、自分が腰掛けているベッドの隣に「座りなよ」と言った。
どうしたものでしょう……。
ジーク様と2人きりなどこれまで数え切れない程あると言うのに、とても久しぶりな感じがして妙に緊張してしまっている。
「で、何か話でもあるのか? レベッカ」
「はい。あの~……不躾で申し訳ないのですが、ジーク様は何故レイモンド様にシュケナージ商会の事をお聞きになったのでしょうか……?」
私はジーク様とレイモンド様がその話をした時からずっと気になっていた。何故ジーク様はわざわざそんな事を知ろうとしているのか、毎日一緒にいる私でも知らなかったからだ。
私の問いが困らせてしまったのか、ジーク様は少し頭を悩ませる様な仕草をした。だがその後静かに頷くと、ジーク様はゆっくりと私の方を見て話し始めたのだった。
「えーと、それはね、僕の余計なお世話だって事はわかっているんだけど、何時かレベッカを本来の“家族”にまた会わせてあげたいなと思ってたんだ――」
やっぱり。
私の思った通り。
「ジーク様……」
私が思い出せる1番古い記憶は、物心着いたばかりの頃に誰かに連れ去られていく記憶だ。
奴隷として捕まった私は、当時奴隷商をしていた者達によってこの王都まで連れてこられたのだ。それまで暮らしていた町はクラフト村の様な小さな町。あの時はまだ魔王軍団の生き残りがあちこちにいて、彼らによる被害も少なくなかった事を覚えている。
私がいた町もそんな被害の1つというだけの事。
今思えば私のいた孤児院は狙いやすかったのだろうか。
大人の割に子供は多いし、小さな町には強いモンスターや魔王軍団の残党などに立ち向かえる者など到底いなかったから。
運悪く奴隷商に狙われてしまった私達が辿り着く先は勿論奴隷としての商品。当時各地で私と同じ子供達を攫っては人身売買をしていたのが今のシュケナージ商会との事。
そして奴隷として売られた私はここで初めてジーク様とお会いしたのだ――。
私以外の孤児院の皆がどうなったのかは分からない。生きているのか死んでいるのかさえも。あの時はただ逃げるので精一杯だった。
私は長年ジーク様にお仕えしているが、“この話”をしたのは恐らく片手で収まる程。
でもきっとジーク様の事……この方はきっと私の話を聞いた時から、ずっと1人でこの事を考えていたに違いない。それはジーク様の今の言葉で明らかにもなったし、これでレイモンド様との会話の内容も全て辻褄が合う。
本当に。
この人はどうして何処まで周りの人に寄り添える事が出来るのだろうか。
「あれ、やっぱり気を悪くした? レベッカにはちゃんと話しておくべきだったよね。黙って勝手な事してごめんねレベッカ」
ジーク様の優しさに思わず涙が零れそうになる。
私はグッと涙を堪え、ジーク様に首を強く振った。
「ジーク様、私は別に何も怒っていません。貴方が優し過ぎるから泣きそうになっているだけです」
自分で言葉にしたら更に目の奥がツンと痛くなった。
ジーク様の事だから私の事を思って今まで黙っていてくれたんだ。それに私はここにきて“まさか”と思ってしまった事がある。
まだ確定した訳じゃないのに、そうだったと思うだけでまた涙が込み上げてきてしまう。
「ジーク様……思い上がりだったら申し訳ないのですが、もしかして……ジーク様が昔から“いつか強くなって国王様に会いたい”と仰られていたのは――」
あ。ダメだ。
もう涙が堪え切れない。
私が皆まで言う前に溢れてしまった涙を拭うと、滲む視界の中でジーク様が優しく微笑みながら私の背中にそっと手を置く。
刹那、ジーク様のその表情と温もり全てが“答え”だと直ぐに私には分かった――。
もう何を思ったらいいのか分からない。
ただ自分の体ではないと思える程に涙が溢れ出て止まらない。
たかだか使用人の私を包み込むような優しさで受け止めてくれるジーク様。
貴方のそんな姿を見れば見る程、私は貴方と出会えて、貴方にお仕え出来た事がとても嬉しく誇らしい。これからもジーク様の為になりたい。
でも私は使用人としてのそんな思いが募る一方で、何時からかそんな思いが使用人とは少し“違う思い”に変わっている事に最近自分でも気付き始めたのだ。
しかしそれは余りに身分不相応。
使用人の……ましてや奴隷出身の私なんかが抱いて良い感情ではない。
このまま思わずジーク様の胸に飛び込みたいと思ってしまった愚かな自分の気持ちを抑えつけ、私は懸命に溢れる涙を堪えた――。
♢♦♢
「あら、こんな時間までどうしたのかしら。眠れないの?」
ジーク様の部屋を後にして暫く経ったが、眠りにつけなかった私が建物の廊下を歩いているとエミリさんに声を掛けられた。
直ぐ近くの部屋の扉からは僅かな灯りが零れ、その部屋の中にある机や棚には本や書類みたいな物が沢山置かれている。恐らくここはエミリさんの仕事部屋なのだろう。
「はい。何だかなかなか寝付けなくて」
「そうか。まぁ色々バタバタしていたみたいだし、明後日もきっと大変そうよね」
何気なくそう言ったエミリさんの雰囲気は、とても私と年齢が近いとは思えない落ち着いたものだった。私と差ほど変わらない筈なのにエミリさんは容姿も端麗でこの若さで王都一の大商会を築き上げているのだから本当に凄い方だ。
不意に気になった私は、エミリさんが商会の道に進んだきっかけを聞いてみた。すると、エミリさんは何故か少し笑いながら口を開いたのだった。
「フフフ、私が商会をやろうと思ったきっかけ? それはね、まだ私が幼かった頃に出会ったヒーローのお陰かしら」
「ヒーロー……ですか?」
「うん。なんか改めてそう言われると恥ずかしいんだけどね、そのヒーローの子は当時の私よりも更に歳が下だったにも関わらず、颯爽と現れて1人の奴隷の女の子を救ったの――」
エミリさん話を聞いた瞬間、何故か私は自分が初めてジーク様と出会った時の事がフラッシュバックしていた。奴隷として売り飛ばされそうになっていたまさにその時、ジーク様は大人達の前に堂々と出て私を助け出してくれたんだ。
不意にそんな事を思い出していると、エミリさんが真っ直ぐ私を見つめながら話を続けた。
「そうよ。その時奴隷として囚われていたのは、綺麗な桜色の髪を靡かせた貴方。そしてそんな貴方を何の迷いなく助け出したジーク・レオハルト。彼が私にとってのヒーローであり、今の私の道しるべとなったのよ」
エミリさんはそう言いながら最後にふわりと笑う。更に彼女はこう付け足した。
「恋する乙女は儚くて思わず抱きしめたくなっちゃうわね、レベッカさん」
「えッ、こ、恋だなんてそんな……⁉ 違いますよ!」
「フフフフ、いいじゃない別に。今は私達2人しかいないし今の貴方はあの時と全く同じ、ジークさんを特別な存在として思っている顔をしているわよ。そんな風に顔を赤らめてね」
「……ッ⁉」
悪戯そうに言うエミリさんの言葉にハッとした私は慌てて顔を逸らしたけれど、これはもうどうにも誤魔化せない。
そして私も今ハッキリと自分の気持ちに気付かされた。
そっか。
ジーク様を特別な存在として思っていたのは今に始まった事ではない。
私はきっと……いや、初めてジーク様と出会ったあの時から、私はジーク様の事が好きになっていたんだ――。