♢♦♢
「いやいやいや~! さあさあ、どんどん食べてどんどん飲んでどんどんお代わりして下さいね、真の勇者ジーク様!」
「「勇者に乾杯――!!」」
必死の思いで黒魔術を消す事に成功した僕達は、ミラーナの件に続き村を救った勇者御一行として、絶賛凄まじいおもてなしを受けている次第です。はい。
「いやはやジーク様にはもう何と……本当に何とお礼を申し上げ、何度この安い頭を下げれば御恩を返し切れるでしょうか!」
「もうお気持ちは沢山頂いてますから、やめて下さいよ町長さん。皆無事だった。それでいいじゃないですか」
「おお~、流石真の勇者ジーク様! 有り難きお言葉頂戴致します。もう本当に私はもう一生ジーク様の前で頭を上げられません」
感謝してくれているのはもう嫌と言う程伝わっている。
最早こんな言い方はアレだが、大袈裟すぎる町長さんに僕は何て返したらいいのか分かりません。
「町長さん、やり過ぎると却ってジークさんに迷惑ですよ」
「いや、まだまだこんなものでは全然足りぬよサラ君。はて、この御恩をどう返したら良いか……」
町長さんはずっとそんな事を言いながら頭を抱えていると、急に何かを閃いた様に僕の前に勢いよく座ってきた。
「ジーク様! まだご結婚はされていませんよね!」
唐突過ぎる質問と勢いに圧倒されてしまう。
それにいつの間にかジーク君から“様”に変わっているんだよな。
「え、ええ。勿論まだですけど……」
「そうでしたか!でしたら是非“サラ君”はどうでしょうか!」
「えッ⁉」
「ちょ、ちょっと町長さん! 何言い出してるんですか⁉」
まさかの展開に驚いているのは僕だけじゃなくサラさんもだ。そりゃビックリするよ、急にそんな事言われちゃ。
「サラ君は私の可愛い娘同然! 大事な彼女が変な男に捕まるぐらいなら、私はジーク様の様な素晴らしい方と是非結ばれてほしいと思っていた所存です! 余計なお世話でしょうが」
ごもっともです。
……と思わず言い掛けてしまったけど、町長さんには微塵の悪気もないんだよなぁ。それだけ僕に感謝してくれているのは有難いけども。
「ほ、本当ですよ町長さん! そんな事言われたらジークさんが困るじゃないですか!」
「それはそうだがね、サラ君に幸せになってもらいたいと言うのは私の本音。ダメでしょうかジーク様? サラ君はタイプじゃないですか?」
また何を言い出すんだ町長さんは。
「い、いやッ、ダメなんてとんでもない! 寧ろ僕には勿体ないぐらい綺麗でしっかりされてますよサラさんは! 結婚される方が羨ましい限りです。それにそもそもサラさんが僕なんかを相手にしないですってば」
「おお、そうですか! だとすれば後はサラ君どうかね。ジーク様じゃ不服かな?」
「不服なんて言い方失礼ですよ! ジークさんはもう2度も村を救ってくれている勇者様です。皆を守ろうとする姿はとても強くて格好良くて素敵で、私みたいな女が一緒にいたら逆にジークさんの品位を下げてしまいますから……」
謙遜しているがサラさんは素直に綺麗な人だ。スタイルも良ければ性格も良い。僕なんかじゃ釣り合わないよ。
「だからそんな事ないですって! 逆にサラさんは綺麗過ぎて僕には勿体ないッ――」
そこまで言いかけた瞬間、場に妙な空気が流れたのを察知した。ふと周りからの刺さる様な視線を感じ、僕は皆の方へ振り返る。
レベッカとミラーナからは殺意のある視線を。
ルルカからは軽蔑する様な冷たい視線を。
そしてイェルメスさんからは僕を茶化す様な視線を向けられていた。
刹那、僕もハッと状況を気付かされる。
よくよく考えてみればこんな必死でサラさんを褒めていたら、まるで僕がさらさんに好意を抱いているみたいじゃないか……?
町長さんの勢いにでいつの間にかこんな展開になっていたけど、何なんだこの居心地の悪い空気は。
「成程、よ~く分かりましたよ! つまり、お互いに好意を持っているが、お恥ずかしいという事ですな! ハハハハ。何だ、そういう事だったら早く言ってくれれば良かったのに2人共!」
「いやッ、それはまた違いますって町長さん! ね! そうですよねサラさん!」
「は、はい……。でももしジークさんが本当に宜しければ、私は何時でも――」
なッ、何ぃぃぃッ⁉
ここにきてなんだそのサラさんの奥ゆかしい恥じらいは!
思わず抱きしめたくなって……って、違うだろ僕!
「アーハッハッハッハッ! やはりモテる勇者は大変だなジーク君」
イェルメスさんの何気ない余計な一言によって、レベッカとミラーナから更に強い殺意を感じ取った。
「ちょっと! 私の王子様と勝手に結婚なんて絶対に許さないわよ!」
「初めて気が合いましたねミラーナさん。私もジーク様にお仕えする身として、その結婚は到底認められません! ジーク様の結婚相手は私が認めた方でなければ断じてさせませんよ!」
「何でなんよ! 命を懸けて村を救ったのは俺だぞ村長! 普通俺にサラちゃんを勧めるだろ」
「ルルカは絶対ダメじゃな。論外」
もう止めてくれ……。
「私はジークさんと結婚なんて厚かましい事は考えていませんよ。ただジークさんが私に好意を抱いてくれている様なので、私もきちんと向き合いたいと思っているだけです」
おいおい、サラさん。そんな事を言ったら話がもっとややこしく――。
「あら、何かしらその上から目線の態度は。ジークアンタの事好きだなんて一言も言っていないわよ」
「そうですサラさん。勘違いされては困りますよ」
「確かにまだ好きとは聞いていませんが、今の発言は誰が聞いても“そういう事”だと思いますよ。だから決して勘違いではないと思うけど」
「有り得ない。こうなったら表でやり合うしかない様ね。全員ベヒーモスの力で蹴散らせてあげるわ」
「こらこらこらッ……! 皆そこまで――!」
こうして、何とかクラフト村を救えたのはいいものの、思わぬ修羅場を引寄せた今日という長い1日は幕を下ろした。
この後色んな意味でこの場を鎮めるのが大変だったのは言うまでもないだろう――。
~クラフト村・冒険者ギルド~
「――いやー、最近どうもポーションの入荷が悪いらしい」
「そうみたいだな。なんでもポーションの原料となる“魔草”がめっきり取れなくなっちまったそうだ」
「そりゃ困ったな。ここらの他の冒険者達も手に入れるのに苦労しているらしいし。何で急に魔草が取れなくなったんだ?」
「詳しくは分からない。でも聞いた話によると、今まで魔草が取れていた南の渓谷に“サラマンダー”が住み着いちまったらしくてな。奴の炎の影響で渓谷一帯が干からびてるらしいぞ」
「何ッ、サラマンダーだって⁉ アレは確かSランクモンスターだろ! 本物なのか⁉」
「さぁな、それは俺も分からない――」
昨日の修羅場から一夜明け、クラフト村はすっかり落ち着きを取り戻していた。
起きた事が事なだけに町長さんは村の人達に「ゆっくり休んで下さい」と呼び掛けていたが、皆思った以上に元気であっという間に日常に戻ったんだ。
まぁ色々慌ただしかったけど、僕も晴れて冒険者となった。だからこれから新しい依頼を受けようとサラさんがいる冒険者ギルドに来たのだが、話はここからまた急展開を迎える事になった――。
「ジーク君、君達はこれからどうするんだい?」
僕にそう聞いてきたのはイェルメスさん。
レベッカは当然ながら、もう当たり前の様にルルカとミラーナも隣にいる。
「そうですね……特に決めてはいませんが、これからは冒険者として1つ1つ依頼をこなしていきたいなとは思っています。生活もありますので」
「ハハハ、そうかそうか。ごもっともな意見だね」
「なんか流れでイェルメスさんにも同行させてしまいましたけど、イェルメスさんはもう戻るんですか?」
「本当はそのつもりだったのだがね。んー、どうもジーク君に見せてもらったあの赤い結晶に気になる事があるのでな。少し調べようと思っているんだ」
イェルメスさんは少し険しい顔をしてそう言った。
やっぱりアレは何か特殊な物なんだな。
「そう言えばまだ君にお礼を言っていなかったね。このクラフト村は私も昔に世話になった事がある大事な村だったんだ。町長を始め、村を救ってくれ本当にありがとうジーク君」
「そ、そんな! お礼を言うのは寧ろ僕ですよ! 急に押し掛けたにも関わらず色々教えて助けてもらって、本当にありがとうございました!」
イェルメスさんに感謝してるのは僕の方だ。
皆は村を救ってくれた勇者なんて言ってくれているけど、僕1人の力なんてとても小さい。レベッカ、ルルカ、ミラーナ、そしてイェルメスさんがいたからこそ結果この村を助ける事が出来た。
そもそもミラーナの件も今回の件も、元はと言えば全ては“僕のせい”なのかもしれない。
僕のこの『引寄せ』の力が、少なからず皆を困らせた可能性がある……。
でもイェルメスさんはこの力が世界を救える力だとも言ってくれた。魔王を倒した本物の勇者にはきっと足元にも及ばないだろうけど、それでも僕のこの力で救えるものがあるのなら、僕はこの力を人の為に使いたい――。
「イェルメスさん! 良かったらその調べるの手伝わせてもらえませんか? 僕もずっと気になっていて」
イェルメスさんがそれを調べると言うなら当然僕も力になりたい。大した事は出来ないけど。
「ジーク様、次のご依頼は決まりましたか?」
「ああ。決まったと言うか、イェルメスさんと一緒にこの結晶を調べようと思うんだ。って、いいですかねイェルメスさん?」
「勿論だとも」
「レベッカはどうかな?」
「私はジーク様がお決めになった事なら何処までもお供します」
この異様な赤い結晶の正体を知りたい。
初めて見た時から何となく胸がザワつく“嫌な予感”みたいなものを感じていたんだ。まぁ気のせいならいいんだけど。
と、そんな事を話していた瞬間、突如ギルドの扉が勢いよく開けられた。
――バンッ!
勢いよく開けられたドアが壁にぶつかり、ギルドにいた人達が一斉に入り口へと視線を向ける。するとそこには僕よりも少し幼そうな顔付きをした1人の男の子が立っていた。
「ハァ……ハァ……やっと見つけた! “お姉ちゃん”!」
「あら、“ジャック”じゃない。どうしてこんな所に――?」
男の子がお姉ちゃんと呼んだ視線の先にはミラーナが。
そしてミラーナもまたその男の子をジャックと呼んだ。
この2人にはごく自然な会話なのかもしれない。
だが状況がさっぱり分からない僕は困惑する他なかった。
「お、お姉ちゃん……? もしかしてミラーナの……」
そう。
目の前にいる男の子は普通の男の子ではない。
ミラーナ同様、こげ茶色の毛を靡かせながら獣耳と尾を生やした彼は間違いなく獣人族。
そしてミラーナは僕達の戸惑いを一掃するかの如く、その男の子の肩に手をポンと乗せながら「私の“弟”」と言ったのだった。
「そ、そうだったのか。弟がいたんだねミラーナ」
「ええ。別にそんな驚く事じゃないと思うけど。って、何で貴方がこんな所にいるのよジャック」
弟がいた事にそこまで驚きはない。
寧ろそれよりも気になったのは今ミラーナが言った様に、何故こんな所に来たのだろうという率直な疑問と、何故か弟のジャックという子が息を切らしながらとても不安そうな表情をしている事だ。
「お、お姉ちゃん! 渓谷が……皆が……国が大変なんだッ!」
「「……⁉」」
ジャック君の声がギルド中に響き、場はシンと静まり返った――。
♢♦♢
「さぁて、それじゃあ行くとするか。いざ“獣人国”へ――」
「何で貴方まで来るのよ」
元気よく言い放ったルルカに、ミラーナが冷静に物申す。
「気を付けて行ってきなさい。本当にサラマンダーならば奴はSランクだからね。まぁ君がいれば大丈夫だろうがなジーク君。待っている間に私も結晶を調べておこう」
「ありがとうございますイェルメスさん」
「気を付けて下さいねジークさん」
「分かりました」
イェルメスさんとサラさんにそう言い、僕とレベッカもベヒーモス化したミラーナの背に乗った。既にルルカと弟のジャック君も乗っている。だがミラーナは些かご機嫌が斜めだ。
「最近私使い荒くないかしら? 毎回足に使うなんてどういう神経してるのよ」
「そんな事より急いでよお姉ちゃん! ホントに大変な状況なんだから!」
「ごめんなミラーナ。この埋め合わせは絶対するから。今は君だけが頼りなんだ」
「も、もうッ、しょうがないわね本当に! でも私を足に使うのが当たり前だと思わないでよね! 今回はジャックとジークに頼まれたから仕方なくなんだから!」
文句を言いつつ何だかんだ面倒見が良いミラーナ。
弟のジャック君の存在を知ってその理由が分かった。
そもそも何故こんな流れになったのか――。
経緯は割とシンプルだ。
始まりは勿論弟のジャック君。
何でも、数日前からジャック君が住む獣人国の近くに“サラマンダー”が住み着いてしまったらしい。
サラマンダーはSランクモンスターというだけあってその影響は凄まじく、本来自然豊かな渓谷である獣人国は、今やサラマンダーの灼熱の炎の熱さで辺り一帯が干からびてしまっているそうだ。
獣人国は当然ミラーナの故郷でもある。ジャック君は事情を知らないミラーナにこの事を伝える為に、必死で匂いや情報を辿りながらクラフト村にいる姉を見つけ出したのだ。
ギルドにいた他の冒険者達もジャック君の話を聞くなり、最近ポーションの原料である魔草が取れないという情報を僕達に教えてくれた。ジャック君の話が本当ならば、このままだと多くの冒険者にとってもポーションが使えなくないという非常事態になってしまうとの事だ。
そんな話を知ってしまった上に、僕よりも年下のジャック君がここまで懸命に知らせてくれたとなればもう動かずにはいられない。しかも獣人国はミラーナの家でもあるんだから。
ジャック君の話を聞き終えた時には皆が僕と同じ気持ちでいてくれた。一瞬身の危険を考慮した僕はレベッカにクラフト村で待っていてくれと頼んだが、レベッカは直ぐに首を横に振って「ジーク様にお供します!」と力強く言ってきた。
その後直ぐに「もしもの時は俺がレベッカちゃんを守るんよ」とルルカも獣人国へ行く意志を示し、ミラーナにぶつぶつ文句を言われながらも結局皆で行く事となった。
イェルメスさんは僕の『引寄せ』スキルと実際の僕の実力を見て「君がいれば事足りるだろう」と、自分はクラフト村で待ち赤い結晶の事を調べておくと言ってくれた。
そんなこんなで急展開となった僕達は、早速ミラーナとジャック君が暮らす獣人国へと向かったのだ――。
♢♦♢
~獣人国・サンモロウ渓谷~
クラフト村からずっと南の方角。
自然豊かな木々が生い茂り、山から綺麗な川が流れる此処、サンモロウ渓谷。
またの名を“獣人国”――。
言わずと知れた自然溢れる国であり、ミラーナやジャック君の様な獣人族が多く暮らす国だ。
「ヒャハハ。俺獣人国に行くのは初めてだな」
「観光に行くんじゃないわよ。分かってるのルルカ」
「何だか少し暑くなってきましたね」
「それに僕が思っていた景色とはまるで違う。これもサラマンダーの影響なの?」
「うん、そうだよ」
ジャック君の言葉で、改めてこれがサラマンダーによる“被害”なんだと思い知らされた。
一般的に知るこのサンモロウ渓谷は本当に綺麗な自然が生い茂る渓谷の筈だ。それなのに今は木々が生い茂るどころか雑草すら生えていない。獣人国に近付くにつれてどんどん空気は乾燥し、渓谷が干からびていた。
「ほら見て。あそこに山が見えるでしょ? あの山にサラマンダーが住み着いてるんだよ」
ジャック君の指差す先には大きな山が。
まぁつい先日ビッグマウンテン山を見たばかりという事もあって、特別大きくは感じなかった。感覚がマヒしてるな。
「げッ、また山かよ」
「ビッグマウンテンに比べれば大した事無いわよあそこは」
「確か獣人国はあの山の麓でしたね。まだ距離のある此処でも影響が出ているとなると、ジャック君達の獣人国は更に被害が大きいのではないでしょうか」
レベッカの言う通りだ。
これだけの影響を与えているという事は、やはりあそこにいるだろうモンスターはきっとサラマンダーだ。
早く倒さないとマズいッ……『――ギギャア!』
ッ……⁉
獣人国まであともう少しというタイミングで、突如僕達の前方からモンスターが姿を現した。
「おい、“リザードマン”だぞ!」
「何であんなモンスターがこんな所に」
大きなトカゲの姿をし、長い舌をヒュンヒュンさせながら二足歩行をしていたのはBランクモンスターのリザードマン。奴は同じBランクのギガントゴブリンよりも賢くて火も吹ける厄介なモンスターだ。
だが僕達は突如リザードマンが姿を現した事よりも、本来火山付近に生息する筈のリザードマンがこんな所で出て来たのに驚かされた。しかしその疑問は直ぐにジャック君によって氷解される。
「あのリザードマンもサラマンダーのせいだよ。アイツの力が強過ぎて、この辺りは環境も生態系も変わってきているんだ!」
『ギギャ!』
「このまま走るんよミラーナちゃん! 俺が奴に攻撃する」
そう言ったルルカは槍を構えて風魔法を発動させた。
ミラーナはルルカの指示に従いスピードを緩めることなくリザードマンに突っ込んで行く。一方のリザードマンも完全に僕達を敵だと認識して襲い掛かって来た。
そして。
――ドシュ!
『ギッ……⁉』
風を纏わせ鋭さを増したルルカの槍が、ミラーナのスピードも加わり強烈な攻撃となって見事リザードマンを貫く。食らったリザードマンは血飛沫を上げながら瞬く間に地面に倒れたのだった。
まさに疾風の如き一撃。
「へぇ、やるじゃないルルカ」
「上手くいったみたいだな。流石に一撃で仕留められるとは思っていなかったけど」
「ありがとうルルカ。助かったよ」
ルルカにお礼を言った僕は、ふと自分の目の前の光景が不思議に見えた。
レオハルト家を追い出されたからまだ1ヵ月も経っていない。
それなのに僕の横には当然の如くレベッカがいて、思い返せば凄い出会い方をしたルルカとミラーナがいつの間にか一緒に行動をしている。少し前の僕からは想像も出来ない日々の連続だ。
「もう着くわよ、獣人国――」
不意に干渉に浸っていた僕を戻すかの様にミラーナの声が響いた。
あれが獣人国……。
僕達の目と鼻の先。
そこには獣人国の広大な景色が広がっていた。
だが、目の間に広がる獣人国はやはり僕のイメージしていた光景とはまるで違うものだった――。
~獣人国~
「思った以上に凄い事になってるわ。皆は無事なんでしょうね」
「うん。まだ誰もサラマンダーに直接的な被害は受けてはいないよ。でもこの暑さと渓谷が干からびたせいで、色々獣人国にも被害が出てるんだよ」
これは確かに酷い状況だ。
空気が凄い乾燥している上に、肌もジリジリと焼けるぐらい暑い。時折吹く風がまるで熱風を食らっているかの様にさえ感じる。
辺りは草木や花が一切なく、干からびた大地と建物だけが広く続いていた。
「おお、ジャック! それにミラーナじゃないか!」
獣人国に入ると、そこにはミラーナとジャックの事を心配していたであろう多くの獣人たちが一堂に駆け寄って来た。
「良かった。無事にミラーナを見つけて来た様だなジャック!」
「そっちの人間達は誰だい?」
「皆お姉ちゃんの仲間なんだって。凄い強いよ! 今も来る途中で出て来たリザードマンを1発で倒しちゃったんだから!」
「リザードマンを? それは凄いな」
獣人達は見慣れない僕達を警戒していた様だが、ジャックのお陰でその警戒が消えた様子だ。
「皆大丈夫なの? 何で急にサラマンダーが?」
「それは俺達も分からねぇ。数日前に突然現れたと思ったら、そのままあそこの山に住み着いちまったみたいなんだ」
「お陰で穀物や渓谷もこの有り様だよ。サラマンダーをどうにかしないと獣人国が潰れちゃう!」
次々と皆から零れる不安の声。
それだけサラマンダーが獣人達を苦しめているんだ。
「大丈夫よ皆。絶対私が何とかしてあげるわ。“ジジ神様”はどこ?」
じじがみさま……?
僕が一瞬頭を悩ませた次の瞬間、突如誰かの大きな声が響いてきた。
「ミラーナ! アンタはまた勝手に何処に行ってたんだい馬鹿者がッ!」
乾ききった獣人国に鳴り響いた怒号。
振り向くと、そこには綺麗な白銀の毛を靡かせた1人の獣人がいた。
「あ、ジジ神様」
「あ、ジジ神様。じゃないんだよミラーナ! 今度は何処で道草食ってたんだい! ええ!」
“凄い勢いのお婆さん獣人”――。
これが率直な僕の気持ちだった。
「あ、あの~……」
「ん? なんだい、アンタ人間じゃないか。もしかしてアンタがミラーナを唆して外に連れ出しているねぇ!」
「えッ⁉」
意を決して声を出した事に後悔した。
ジジ神様と呼ばれた彼女は凄い剣幕と怒号で僕の顔面ギリギリまで迫ってきた。
やば、怖。
「違うわよジジ神様。ジークは私を助けてくれた命の恩人なのよ。そんなに怒らないでくれるかしら」
「ミラーナの命を? それはまたどういう事だいアンタ」
「色々話せば長くなるんだけど――」
そう言って、ミラーナはジジ神様という人にこれまでの経緯をサラッと説明した。
♢♦♢
「成程。一先ず良からぬ事を企んでいる馬鹿者ではないという事は分かった。ミラーナを助けてくれた事には獣人国の“長”として誠に感謝するぞ“シェイク”よ――」
一通りの経緯をミラーナから説明されたジジ神様は、さっきとは違う落ち着いた雰囲気で僕にお礼を言ってくれた。
名前が違うけど……。
「“ジーク”ね。私の王子様の名前間違えないでよ」
「大して変わらぬだろう。彼に感謝している事は事実だしねぇ。なぁ“ギーク”よ」
「だからジークだって!」
ハハハ、もう別に何でもいいよ。ジジ神様は感謝してくれているみたいだからね。それよりも……。
「ジジ神様、僕達はジャック君の話を聞いて獣人国に来ました。例のサラマンダーとやらはどうなっていますか?」
「ああ、そうだったねぇ。今聞いた話じゃアンタ相当強いんだろう? まさかベヒーモス状態のミラーナを倒すなんてねぇ。それも一撃で。もしかしてアンタ勇者かい“ジンク”」
「いえいえ、勇者なんてとんでもないです」
もう当たり前の様に名前を間違えるなジジ神様。僕も自然と受け応えちゃった。
「ジークは勇者だったんだね! じゃあさっきのルルカよりももっと強いんだ!」
「当たり前でしょジャック。ジークは私の王子様なんだから」
それは答えになっていないよミラーナ。それに話がまたズレてる。
「サラマンダーはあの山にいるんですよね?」
「そうだよ。数日前にいきなり姿を現したかと思ったらこのザマさ。全く有り得ないねぇ本当に。何とかしようと腕に自信のある奴らがサラマンダーに挑みに行ったが、奴に辿り着く前にリザードマンにやられちまったのさ。
単体ならいざ知らず、行った者の話によればリザードマンが7~8体群れで動いていたそうだよ。Aランクの冒険者がパーティ組んでも厳しいよ。その上本命はサラマンダーとくるんだからお手上げさ」
シシ神様は顔を険しくし、他の獣人達も皆困った様子で顔が俯いてしまっている。
「もう大丈夫よシシ神様! 私も戻った事だし、こちらにはジークという最強の王子様がいるんだから。サラマンダーを倒してくるわ」
「ほ、本当かミラーナ!」
「あのサラマンダーを倒せるのかい⁉」
「任せなさい」
ミラーナの言葉で皆の顔がパッと明るくなった。相変わらず少し上からの口調だけど、ミラーナはやっぱり面倒見が良いから放っておけないんだろう。
そりゃそうだよね。自分の大事な故郷なんだから。
「って事で、早速行きましょうかジーク。2人で」
ミラーナはそう言うなり僕の腕にギュっと抱きつき、直後レベッカから凄まじい殺意が飛んできた。
「ダメに決まっているでしょう。何故ミラーナさんがジーク様と2人で行くのです? 意味不明過ぎますよ」
「や、止めてくれ2人共! ミラーナも離れて。相手はSランクのサラマンダーなんだよ。皆で力を合わせて討伐しに行こう。早くこの状況を変えなくちゃ」
こうしている間にもどんどん影響が広がってしまう。
「さっきは上手く倒せたと言え、リザードマンの群れなんて流石にヤバいんよ。ジジ神様が言う様にAランクパーティでも倒せるか分からないぞ」
珍しくルルカの表情から緊張が伝わってくる。それだけ敵が危険だという事だ。確かにリザードマンの群れは厄介だろう。何か手を考えた方がいいな。
そんな事を思っていた刹那、突如山の方から強烈な咆哮が響き渡った。
『ヴボォォォォォォォォッ――!』
「「……⁉」」
地響きと共に空気が震える。
姿を確認した訳でもないのに、今の咆哮がサラマンダーであるという事を皆が感じ取っていた。
「凄まじいな。距離があるにも関わらずここまで響いてきたんよ」
「急ごう皆! いつサラマンダーが獣人国を襲って来るか分からない」
「そうですね」
「山までの道は分かるか? ミラーナ」
「当たり前でしょ。付いて来て」
「気を付けるんだよアンタ達!」
一旦ジジ神様達に別れを告げた僕達は、サラマンダーを倒すべく奴の元へと向かった――。
~サンモロウ渓谷・山~
「あぁぁ~、暑っっつ……!」
「ちょっと止めてくれるかしらその言い方! 余計暑苦しいわ」
山の麓に位置する獣人国でさえサラマンダーの影響で熱波と乾燥が凄かったが、サラマンダーがいるであろう山は更に厳しい環境になっていた。
歩くだけで汗が溢れる。
普段元気なルルカとミラーナも明らかにぐったりだ。気が付けばレベッカも口を開いていない。幸いビッグマウンテン山と比べればかなりマシな道中だけど、如何せんこの暑さが問題だった。
「皆頑張ろう。ビッグマウンテン山に比べれば全然だよ。それにもう頂上が見えてる」
暑さにやられながらも、気が付けばもう頂上付近まで来た。後少しだ。
『『ギギャア!』』
ッ……⁉
暑さに気を取られて反応が遅れた。
「ここで出やがったやんよリザードマン」
「本当に暑苦しくて嫌になるわね」
「レベッカ、下がってて。後“槍”をお願い」
「分かりました」
ジジ神様から聞いていた通り、僕達の前に現れたリザードマンは計8体の群れで姿を現した。奴らは見るからに僕達に殺意を向けている。敵と認識しているんだ。
「ここで体力は使いたくない。僕が一気に片付ける」
「ジーク様どうぞ」
レベッカは空間魔法で予め準備しておいた槍を出してくれた。数は相手のリザードマンと同じ8本。
よし。
“さっきみたいに”やれば大丈夫な筈――。
槍を手に取った僕は『必中』スキルを発動させ、勢いよくリザードマン目掛けて投擲した。
――ドシュン!
『ギガァ……!』
「よし!」
投擲した槍は見事リザードマンの胸に命中。槍を食らったリザードマンはそのまま崩れ落ちる様に地面に倒れた。
「やりましたねジーク様!」
「ああ、このまま一気に倒すぞ」
そう。
僕達は山を登る前、何とかリザードマンの群れを効率良く倒せないかと考えていた。勿論遭遇しないのが1番だが、もし遭遇したのなら戦闘は免れない。
とは言っても急にそんな都合のいい案が思い浮かぶわけもなく、僕達は半ば諦めつつ最低限の準備を整えていると、そこへ徐にジャック君が木の棒を持って僕達の所に来た。そしてジャック君は「僕も戦う」とその木の棒を力強く掲げてみせたのだ。
僕よりも小さいのにとても勇気があるなと感心した。
でも流石にこんな危険な場所へ連れて行く訳には行かない。駄々を捏ねるジャック君を皆でなだめていたが、彼は「じゃあ離れた所から木の棒を投げつける!」とまるで手に負えない状態だった。
ジャック君なりに獣人国を守ろうとしていたんだろう。
僕はそんなジャック君を懸命に止める皆の姿を微笑ましく眺めていたのだが、直後ジャック君が言った“木の棒を投げつける”という言葉にハッとした。
そこで僕はある1つの仮説に辿り着く。
もし『必中』スキルを施した“遠距離攻撃”が出来たら――。
結果は成功。
実際に確かめるまで半信半疑だったけど、ジャック君の発言からまさかの思い付きで試した実験が成功した。
レベッカ達にも事情を説明した当初、「だったら弓放てば全部倒せるな」とルルカが極論を言ったけれど、流石に『必中』スキルを使っているとは言え、根本攻撃力の低い弓では倒し切れないだろうという結論に至った。
そこでレベッカが「なら剣や槍を投擲してみては」と徐に言い出したのだが、コレが大正解となり今に至るんだ――。
そして。
『『ギギャア⁉』』
僕が全部の槍を投げ終えると、8体のリザードマンも綺麗に全て地面に倒れ込んだのだった。
「ふう。上手くいって良かった」
「やりましたねジーク様!」
「本当に凄い強さよね、ジークって」
「この調子でサラマンダーもサクッと倒すんッ……『ヴボォォォォォッ――!』
リザードマンを倒して喜んでいたのも束の間。次の瞬間ルルカの言葉をサラマンダーの咆哮が掻き消した。
空気を裂く様な咆哮。ここにきてグッと暑さが増した。
僕達の目と鼻の先には確実にサラマンダーがいる。
僕達は互いに頷きあった後、改めて気持ちを切り替え士気を高めた。
「行くぞ!」
登り切った頂上。
焼ける様な熱さの中、僕達の視線の先では凄まじい豪炎を身に纏う巨大なモンスターの姿があった。
『ヴボォォォォォォォォォッ!』
「「……⁉」」
サラマンダーはその激しい咆哮と共に強烈な熱波を周囲に放つ。
くッ、暑い……!
コイツがサラマンダーか。
リザードマンよりも遥かに大きな体格をし、全身を炎に包んだサラマンダー。まるでとてもデカいトカゲの様なその姿は、凄まじい存在感と強力な魔力を発していた。
「威圧感が半端じゃないんよ。流石Sランク」
「感心してる場合じゃないわ。早く倒してこの暑さ何とかするわよ」
「レベッカはあっちの岩陰に隠れていてくれ」
「分かりました。皆さんお気をつけて。何か必要な物がありましたら直ぐに私に仰って下さい」
そう言ってレベッカが岩陰に避難すると、サラマンダーはそれが合図と言わんばかりに一気に僕達との距離を詰め、鋭い牙がついた口を目一杯広げる。更に直後、その広げた口から灼熱の炎が勢いよく僕達に向かって放ってきた。
――ブオォォォォン!
サラマンダーによる炎ブレスの範囲が広過ぎて避け切れない。
瞬時にそう悟った僕は、握る剣に『無効』スキルを発動させ思い切り炎目掛けて横一閃で剣を振るう。
無効スキルはあらゆる魔法を無効化させるもの。
僕はサラマンダーの炎を一刀両断した――。
「大丈夫、2人共!」
「危ねぇ! 助かったんよジーク」
「思った以上に強いわね。どうやって倒すのよ」
モンスターを倒すには核を破壊する。これしかない。でもサラマンダーの核は何処にある? ここまで大きいと必中スキルで狙った場所と核が離れ過ぎていたら、逆にこっちが隙を与える事になる。
そう考えた僕は足元に転がっていた石を手に取り、必中のスキルを発動させてサラマンダーの頭部目掛けてその石を投げた。
――ヒュー……カァン。
「成程、丁度腹部の辺りか」
投げた『必中』スキルの石は、奴の頭部から大きく曲がって胴体の真ん中に当たった。
以前ここは焼ける様に熱いし足場も悪い。長期戦は僕達が圧倒的に不利だ。
「ルルカ、サラマンダーの注意を引き付けてくれないか? その間に僕とミラーナが奴の懐に入い込んで核を狙う!」
「OK。頭もボーっとしてきてるし、チャチャッと終わらせるとしようか!」
「ミラーナ、ベヒーモスの姿で僕を上の大きな岩まで運んでくれないか! 奴の死角から攻撃を仕掛ける」
「分かったわ。一撃で決めてねジーク」
作戦を練った僕達は一斉に動き出す。
『ヴボォォォォォ!』
激しい咆哮と共に次の攻撃動作に入ったサラマンダー。奴は長く太い尾を勢いよく振り回してきたが、ミラーナの背に乗った僕はミラーナの俊敏な動きで尾を躱し、ルルカは風を纏わせた槍を思い切り振りって、その風圧で体を飛ばして尾を避けた。
無情にも空を切ったサラマンダーの攻撃だったが、奴の攻撃は周り一帯の岩を勢いよく破壊し、砕かれた岩が辺りに散らばった。
当たれば一溜りもないぞ。
「いちいち攻撃がデカいんよ。もうちょっと大人しくしてな」
『ッ……⁉』
ルルカはサラマンダーの注意を引く為に連続で風魔法を繰り出す。疾風の如き速さのルルカの攻撃は見事にサラマンダーを攪乱していた。
「今の内だミラーナ!」
サラマンダーよりも高い位置にある岩の崖を目指して僕はミラーナに運んでもらう。そして大きな岩に辿り着いた僕は『分解』のスキルを発動させ、思い切り岩を斬り砕いた。
――ズガァン!
大きな破壊音と共に、分解によって砕かれた岩が霰の如くサラマンダーの体に振り注ぐ。
そう。
この間新たに習得した『分解』は、魔法のみに効果のある『無効』スキルとは逆に、魔法以外の“物質”を対象として効果を発揮するスキルだ。
「じゃあ行くわよジーク。さっき投げた石が当たった胴体を狙えばいいのね?」
「ああ。頼む!」
僕がそう言うと、ミラーナは僕を背に乗せたまま思い切りサラマンダーの上に飛び降りる。砕かれ落下する岩々を器用に足場と化し、連続でジャンプしたミラーナと僕はサラマンダーの背中……奴の核がある胴体の真上に来た。
そして。
「はあッ!」
ミラーナの背から飛んだ僕は『必中』スキルを発動させ、両手で振りかざした剣を力一杯振り下ろした。
――バキィン!
『ギゴァァァァ……ッ!』
よし。
核を砕いた確かな手応えと同時に、悲鳴のようなサラマンダーの呻き声がサンモロウ渓谷一帯に奏でられた。奴は一瞬の呻き声を上げ終えると身を纏っていた炎が瞬く間に消え去り、静かにその巨体を地面へと倒したのだった。
サラマンダー討伐成功――。
「うっし! やったなジーク!」
「流石ジーク! 本当に一撃でサラマンダー倒しちゃったわね」
「皆さんお怪我はありませんか!」
見事サラマンダーを倒した僕達は一堂に駆け寄り、互いに無事を確認しながら討伐成功を喜んだ。
♢♦♢
~獣人国~
「戻りましたわ――」
サラマンダーを討伐した僕達は獣人国へと戻った。
「おお! ミラーナ達が帰って来たぞ!」
「無事だったの皆⁉」
「おいおい、急に暑さがなくなったけどよ、もしかして……」
「そうよ。サラマンダーならちゃんと私達が倒してきたわ」
「「おお!!」」
ミラーナのドヤ顔と共発せられた言葉によって、獣人達は歓喜の声を上げた。
サラマンダーを討伐した事によって焼ける様な暑さも干からびる様な乾燥もなくなり、サラマンダーの影響によって枯れていた草木や川はみるみるうちに新たな命を芽吹かせ、元の自然豊かなサンモロウ渓谷の姿へと戻ったのだった。
どんどん戻っていく辺りを見て、ジジ神様や獣人国の皆は笑顔と歓喜に満ち溢れている。
皆のその笑顔を見ているだけで、思わず僕もつられて笑みが零れていた。
「まさか本当にあのサラマンダーを倒すとはねぇ。恐れ入ったよ。初めはミラーナを唆した悪い人間だと思っていたが、アンタは獣人国を救ってくれた英雄だよ“ギミック”! 誠に礼を言うぞ」
歓喜で溢れる獣人達を横目に、ジジ神様は真っ直ぐ僕に向かってお礼を言ってくれた。
今までで言われた中で1番僕から遠ざかった名前で――。
ま、いっか。
誰にも被害が出ずに無事に解決出来たみたいだから。
「いえいえ。少しでも獣人国の皆さんのお力になれたのなら良かったです。ミラーナも凄く頑張ってくれましたから」
「そうかそうか。ミラーナも頑張ってくれたか。あの子は獣人の中でも希少なベヒーモスの獣人でな、しかもそれに加えて変化まで出来るから、将来は頼もしい獣人国の守り神の様な存在になってもらいと思っていたんだ。
だが見ての通りミラーナは昔っから好奇心旺盛でプライドも高いからな、よく獣人国を勝手に抜け出しては私に怒られていたんだよ。幸い他の者よりは確かに強いからねぇ、ミラーナがどこかでやられるとは思っていなかったけど、それでも毎回心配になるからこっちは取り越し苦労だったよ」
溜息をつきながら、呆れ口調でミラーナの事を話すジジ神様だったけど、僕はそんなジジ神様からミラーナに対する深い愛情をちゃんと感じた。
「ハハハ。ミラーナっぽいですね。昔からそうだったんだ」
僕が何気なくそう言うと、ジジ神様は突如改まった表情に変わり僕の顔を覗き込んできた。
「そこで頼みがあるんだがねぇ“シーグ”」
惜しい。
「え、何ですか?」
「私は珍しくミラーナよりも強い者に会った。だからアンタにミラーナを任せたい。また何時何処を彷徨うか分かったもんじゃないからねぇ。私としてはそんな事をされるよりも、このままアンタと一緒にいてもらう方が気楽さ。あの子もアンタを気に入っている様だしねぇ――」
悪戯にそう言うと、ジジ神様はニヤリと笑みを浮かべていた。
「え⁉ いや、でも……そればっかりはミラーナが決める事ですしし、ジジ神様や僕が言ったところでッ……「こらジーク。用も済んだんだから早くクラフト村に戻るわよ。なんか結晶とやらの事をまだ調べるのよね?」
僕とジジ神様が話していると、割って入ってきたミラーナが当然の如く言い放った。
「ハッハッハッハッ! じゃあそう言う事で決まりだねぇ」
戸惑い僕を他所に、ジジ神様は大笑いをしながらそう言った。まぁミラーナが決めた事なら僕はいいけど――。
こうして、何とかサラマンダーを倒して無事に獣人国を助けられた僕達は、再びクラフト村へ帰る事にしたのだった。
支度を済ませた僕達がいざ獣人国を後にしようとすると、ジジ神様を始め皆が見送りに来てくれた。
「なんだ、お前も行くのかよミラーナ」
「当たり前よ。私は縛られるのが嫌いなの」
「ったく、相変わらずだなミラーナちゃんは」
「どこに行ってもいいけどさ、迷子にはならないでよねお姉ちゃん」
そんな会話をしながらミラーナが皆と別れを済ませていると、ジジ神様がスッと僕の元に寄って来るや否や、最後にこう言った。
「ありがとうねぇ。アンタは本当に獣人国の英雄だよ。ミラーナの事も頼んだよ。何かあれば今度は私達が力になろう。また何時でも遊びにおいで……“ジーク”や――」
「ッ⁉」
ジジ神様はとても穏やかな顔で僕にそう告げた。
初めて間違えずに僕の名を呼んで――。
それはズルいよジジ神様。
そんなこんなで、皆に別れを済ませた僕達はクラフト村へと帰ったのだった。
♢♦♢
~王都・レオハルト家~
ジーク一行がサラマンダーを討伐している頃、王都のレオハルト家では何やら重い空気が漂っていた――。
「グレイ、これを見てみろ」
徐にそう口にした父キャバルは、何か文面が書かれた紙の束をテーブルの上に雑に投げ置く。
「どうしたのですか父上。ひょっとして兄さんが何処かでくたばった情報とか? ハッハッハッ、それだったら面白いですけど」
グレイは金色の髪を揺らしながら、キャバルが置いた紙を手に取り目を通した。彼は心底兄ジークの事をどうでもいいと思っていながらも、ジークがどれ程惨めな人生を歩んでいるのかもまた気になっていた。
だがグレイが手にした紙には、そんな兄とは全く関係ないであろう“冒険者”の情報が書かれていた。
「これは冒険者の……。父上、こんなものが一体何なのでしょうか」
グレイはキャバルの意図が全く理解出来なかった。
だがそれも仕方がない。
今グレイが見ている紙は特に珍しくもない、王族から一般庶民まで、王国中に配布されているただの冒険者情報。シンプルに言えばただのニュースみたいなもの。
既に『勇者』のスキルを引き当てたグレイにとって、冒険者になる必要もなければ他の冒険者の情報も大して気にならない。依頼は多く集まる挙句に実績を積めば国王や王族直属の依頼を受けられるから。
しかも冒険者情報など知らなくても、国王の依頼ともなればグレイ同様実力あるゴールドの腕輪の持ち主が当たり前に選ばれるからである。仮にパーティを組む時だってその選抜された者達と組むだけなのだ。
半ば投げやりにキャバルに尋ねたグレイであったが、そんな彼の思いとは裏腹に、キャバルは厳しい口調で再度「見ろ」と促した。
「冒険者の名が載っている1番下。そこをよく見てみろ」
「1番下……」
言われるがまま、グレイは面倒くさそうに視線を下に移す。
すると、そこには驚きの名が――。
「え……ジーク・レオハルト……? って、まさかアイツ……?」
グレイは記載されているジーク・レオハルトという文字を何度も見返している。
当然文字は読めるが如何せん理解に苦しむ。
(いやいや、ちょっと待て。普通に考えて可笑しいよな……。何で兄さんの名がこんな所に? しかもこれ冒険者の“ランクアップ”情報じゃねぇか……。絶対何かの間違いだろ)
そう。
グレイが今見ている紙にはジークの名と冒険者のランクアップ情報が載っていた。
もし仮に百歩譲ってこれが本当に兄のジーク・レオハルトであったとしても、ジークがレオハルト家を出て行ったのはほんの数日前。出た初日に冒険者登録をしてEランクになったとしても、常識で考えてこんな短期間でランクアップなど到底不可能。
しかもジークは最弱のブロンズの腕輪の挙句に、あの呪いのスキルを手にしているのだから。
考えれば考える程有り得ない状況に、グレイは「ふん」と鼻で笑った。
「何を笑っているのだ」
「いえ。だってこんなの絶対に間違いですよね父上。まさか本気にされているんですか? 有り得ないですよ」
馬鹿にする様に言ったグレイに対し、キャバルはキッと鋭い眼光でグレイを睨んだ。
「馬鹿者! よく見ろとさっきから言っているだろうがッ!」
「……⁉」
突如発せられたキャバルの怒号が、グレイの体を一瞬ビクつかせる。反射的に再び紙に視線を落としたグレイがしっかり読み直すと、ジーク・レオハルトという文字の少し下にこう記されていた。
『冒険者名:ジーク・レオハルト
冒険者ランク:E
功績:クラフト村にてSランクモンスターのベヒーモス討伐。
同じくクラフト村にて起きた原因不明の黒魔術を打ち消し、村人達の命を救う。
上記の事から、ジーク・レオハルトの冒険者ランクはEランクから“Aランク”へと昇格決定――』
余りに信じ難い内容に、グレイはただ目を泳がせて動揺する事しか出来ない。
「な、何だってッ⁉ こんな馬鹿な事が……! アイツが冒険者になっていたのは別に驚かない。だが僅か数日でランクアップなんて有り得ないでしょ普通! しかもEランクからいきなりAランクなんて……こ、こんなの間違え方にも程がある! だって兄さんはブロンズの、呪いのスキル持ち何ですよ⁉」
目の前に書かれた現実が受け入れられない。
いや、信じられない。信じたくない。
グレイの表情はそう物語っている。
「これがもし本当なら前代未聞ですよ父上……! ま、まさか本気になんてしていないですよね⁉」
グレイがキャバルに訴え掛けると、キャバルは静かに「次の紙を見てみろ」と呟いた。
奥底から込み上げてくる何かをグッと堪えながら、グレイはキャバルに促されるまま持っていた紙を1枚捲り上げる。
すると、そこには他の冒険者達と共に再びジーク・レオハルトという名の記載があり、彼らの名前の横には今回のランクアップを推薦した“推薦人”の名前も記載されていた――。
そして。
グレイはその推薦人の名前を見るなり、思考回路が一瞬停止したのだった。
「……イ、イェルメス……バーキーン……」
無意識にグレイの口から零れた名。
それはこの世界に住む者ならば誰もが1度は耳にした事のある“大賢者”の名。
かつて勇者と共に魔王を倒して世界を救った大賢者である、“イェルメス・バーキーン”の名が確かに記載されていた――。
グレイの紙を持つ手が震えている。
ランクアップの推薦自体は何も珍しい事ではない。寧ろ数多いる冒険者の実力を自他共に改めて周知する事が出来る、言わば実力の保証書の役割を果たしていると言って過言ではない。
推薦された者がそれ相応の実力を持つ事は確かながら、推薦人の名がまた実力者であればある程、有名であればある程、当然推薦された者にも自然と信頼や注目が集まるものだ。
「う、嘘だ……。こんなの絶対間違いだ。誰かの名前と書き間違えているに決まってる……」
「グレイよ。今重要なのはそれが嘘か誠なのかという点ではない。最も問題なのは、仮に間違いにせよ、この情報が既に王国中に知れ渡ってしまっているという事だ。勿論国王や王族の者達にな」
グレイはキャバルが何を訴えているのか直ぐに分かった。
つまりこの情報が流れた事で、ジークを追い出したレオハルト家に訝しい目が向けられるという事だ。
しかも記された内容は誰もが目を引くものばかり。
ジークの名前も功績も推薦人の名も全て。
「普通に考えれば、私もお前と同じ事を思っているぞグレイ。そもそも奴は最弱のブロンズの腕輪に加えてあの呪いのスキルを引き当てた落ちこぼれだからな。常識で考えれば有り得ん。
私の憶測では大方何かの間違いか、偶然に偶然が重なった結果の出来事とかだろう」
「や、やはりそうですよね……! 俺だってそう思ってますよ父上」
「事の真相はいずれ明らかになるだろう。それまでは非常に不本意で不快であるが待つしかない。こんな事になってしまった以上な。
まぁお前が早く実力を見せつければ直ぐに解決する事であるがな」
「その通りですよ父上! 何せ俺はあの『勇者』スキルを授かった選ばれ者。一瞬で王国中の名声を手にしてみせます」
キャバルは「期待しているぞ」とグレイに言ったが、彼はとても険しい表情で、まるで今にも爆発しそうな怒りをグッと堪えているかの様な雰囲気を纏っていた。
(ぐッ、何だ父上のこの視線と態度は……! 何故俺がそんな目で見られなければいけないんだよ)
キャバルは自分や一族の面子が汚れる事を最も嫌う。キャバルが苛立っているのは明らかだった。
「そうだグレイ。それともう1つ――。
今回の予期せぬ事態によって既に我々に懐疑の目を向けている者もいるだろうが、この件とそんな奴らを一掃する為にも、次の“モンスター討伐会”では絶対に1位を取るのだ。分かったな?」
「勿論です。必ずや俺が1位を取ってみせます!」
グレイは思い切り奥歯を噛み締めそう言うと、ジークへの殺意染みた形相と共に部屋を後にするのだった――。
♢♦♢
~クラフト村~
「あ、お帰りなさい皆! その様子だと無事に問題解決出来たみたいね」
クラフト村の冒険者ギルドに戻ると、サラさんや町長さんが僕達の帰りを待ってくれていた。労いの言葉もかけてもらい、まるで家に帰って来たかの様な安心感を感じる。
「お疲れさん。サラマンダーも倒せたかな?」
聞かずとも既に分かっていると言わんばかりに、イェルメスさんは僕に尋ねてきた。
「色々大変でしたけど何とか。でもジャック君や獣人国の皆さんの力にもなれましたし、スキルの使い方も新たな方法を発見出来たので良かったです」
イェルメスさんは僕の話を聞いて「そうかそうか」と頷いた直後、急に目を見開いてこっちに指を差してきた。
「ジーク君、また“新しいスキル”も手に入れた様だね」
イェルメスさんの突拍子もない発言に、僕は咄嗟に自分のブロンズの腕輪に視線を落とした。
すると腕輪には新たに『神速』というスキルが追加されていた――。
「わ、本当だ。気が付かなかった」
「ハハハハ、こりゃまた面白いスキルを手に入れたね。君が新たに勇者と呼ばれる日も近いだろうな」
「いやいや、僕が勇者なんておこがましいにも程がありますよ」
イェルメスさんに認めてもらえる事は何よりも自信になりますけど、流石に僕が勇者は言い過ぎだよなぁ。
そんな事を思っていると、またイェルメスさんが思い出したかの様に口を開く。
「あ。そういえば君が獣人国に行っている間に推薦状出しておいたからね」
推薦状?
僕がピンときていない様子を見て、イェルメスさんは話を続ける。
「まぁまた詳しい説明は受付の彼女から聞けば良いが、兎も角ジーク君のこれまでの実績を踏まえて、私が君の冒険者ランクをAまで上げる様に伝えておいた」
「えッ、イェルメスさんが僕を推薦ですか⁉ しかもAランクって……!」
「ほら、これが証拠だ」
イェルメスさんはそう言いながら冒険者の情報が書かれた紙を渡してきた。これは王国に住む者達全員に配られるニュースみたいなもの。
そして何故か確かに僕の名前が書かれている。
しかも次のページにはちゃんとイェルメスさんの名前も。
……え? ちょ、ちょっと待ってくれ。
僕なんかが本当にいきなりAランク冒険者になるのかコレ。そんな馬鹿な!
って、待て待て待て。これって確か王国中に配られてるやつだよね……。って事は当然レオハルト家にも――。
僕が戸惑っているのを他所に、イェルメスさんは悪戯に笑いながら口を開く。
「ハッハッハッ。なにを固まっているのかね。これは贔屓でも何でもない、ジーク君の確かな実力を証明したまでさ。寧ろ君はもうSランクでも何ら可笑しくないんだよ。
本当はSランクに推薦しても良かったんだがね、最後くらいは自分でランクアップしたいかなと思ってな」
イェルメスさんは優しく全てを語ってくれた。
いや、確かに嬉しいわは嬉しいんですよイェルメスさん。でもそこではないんですよ。欲しい優しさは。僕はそもそも目立ちたくないんですって。
僕は戸惑いながらも、イェルメスさんからのサプライズを有り難く受け取り「ありがとうございます」とお礼を言った。
まぁこれはこれで素直に嬉しいし、もう配られちゃっているなら仕方ない。
「そういえばイェルメスさん、赤い結晶の事は何か分かりました?」
話が一段落した僕は気になっていた事をイェルメスさんに尋ねる。
「そうだった。その事だがね――!」
「……!」
イェルメスさんがそこまで言いかけた瞬間、突如ギルドの外から得体の知れない気配を感じた。
なんだこれは……。
その気配を感じ取ったのは僕とイェルメスさんだけ。咄嗟に目を合わせた僕達は直ぐにギルドを出て気配の感じる方向へ走った。クラフト村の直ぐ横に森が広がっている。気配はそっちの方向からだ。
僕とイェルメスさんが少し森を進んだ次の瞬間、僕達の視界に生い茂る木々の色から浮く、真っ黒なローブを身に纏う人影が映り込んだ。
「あれ、可笑しいですね。もう全員死んでいる頃だと思ったのですが――」
「お前は……!」
突然目の前に姿を現した黒いローブの男が口を開いたかと思いきや、今度はそのローブの男を見たイェルメスさんが驚きの声色でそう呟いた。
誰だ、コイツは――。
僕の頭に過った疑問は瞬く間に氷塊される。
ローブの男は不敵に笑みを浮かべると、再び僕達に向かって話し掛けてきたのだ。
「いやはや驚きましたよ。まさか貴方とこんな所でお会いするとはねぇ、大賢者イェルメス」
「ちっ。嫌な予感ばかり当たってしまうものだな。やはり全て貴様の原因であったか……“ゲノム”よ――」
どうやらゲノムと呼ばれたローブの男とイェルメスさんは互いを知っている様子。不気味な模様を顔に施したゲノムという男は、不敵な笑みを浮かべたままゆっくりと1歩前に出てきた。
「イェルメスさん! あの人知り合いなんですか?」
当たり前に気になる事を聞いただけ。でもその答えは僕の想定を遥かに上回るものだった。
「ああ。知り合いなんて穏やかな表現ではないが……奴はかつて私達が倒した魔王軍団幹部の1人、“ゲノム・サー・エリデル”という男だ――」
魔王軍団の……幹部……。
「ヒッヒッヒッヒッ。以後、お見知りおきを」
ゲノムは冗談っぽく言いながら僕を見てきた。
ゲノムが纏う物々しい魔力と雰囲気。間違いなく僕が今まで出会った者の中で群を抜いた存在だろう。コイツが魔王軍団の幹部となればそれも頷ける。
強い――。
そんな事を思っていると、イェルメスさんはグッと鋭い目つきに変わってゲノムに言い放つ。
「お前は確かにあの時私達が“倒した”筈だが……」
「ヒヒヒヒ。そんな事もありましたね、懐かしい」
「この結晶、やはりお前の物だったかゲノム」
イェルメスさんはそう言ってあの赤い結晶をゲノムに見せた。既にイェルメスさんは赤い結晶の正体を見破り、更にその所持者がゲノムという事を分かっていた口ぶりだ。
「流石ですね、大賢者イェルメス。まさかいきなり貴方にお会いするとは予想外でしたけど」
「何を企んでいる。クラフト村の連中に黒魔術を掛けたのも貴様だな」
「あらら、やっぱりそれもバレていましたか」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながらゲノムは言った。
ルルカや村の人達をあんな目に遭わせたのはコイツなのか。
真実を知り、体の奥底から自然と怒りが込み上げてくる。
「いや~それにしても驚いた。“生贄”を拾いに来たらまさか貴方がいるなんて。しかも私の仕業だとバレていましたか。……つかぬ事を聞きますが、例え貴方でも私の黒魔術解いていませんよね? 争うつもりはないので、村の奴らの亡骸だけ頂いてもいいですかね」
「ふざけるなッ――!」
気が付いたら僕はゲノムに向かって叫んでいた。
一体何なんだこの不気味な男は。
いや、そんな事よりコイツはさっきから何を言っているんだ。
「お前が村の人達を苦しめた黒幕だったのか! 何を企んでいるのか知らないけど、お前の黒魔術なら僕が消した。二度と皆にあんな事するな!」
「私の黒魔術を解いただと……?」
ゲノムはピクリと眉を動かして険しい顔つきになった。
何故お前がそんな顔になる。起こっているのはこっちだぞ。
「フフフ、どうやら当てが外れている様だなゲノム。残念ながら彼の言う通り、村の連中はもう全員無事だ。誰1人として死んじゃいないよ」
イェルメスの言葉にゲノムは一瞬驚いた様な表情を浮かべ、深い溜息を吐いた。
「ふぅ~。なんと、それは余りに笑えない冗談ですね。それにまだ貴方ならいざ知らず、私の黒魔術を解いたのはそちらの少年だと?」
「ああ。何をする気か知らないが、悪企みなんかやめておけという事だ。いい教訓になっただろう」
納得がいかない表情のまま、ゲノムは徐に僕へと視線を移した。そしてゲノムは僕を見るなり急に付き物が取れた顔付きになると、不気味な笑みで高笑いをしだした。
「ヒッヒッヒッヒッ! そうか……そういう事だったのか。例え大賢者イェルメスといえど、私の黒魔術を解くのは不可能。村に専門のスキル保持者やヒーラーでもいるのかと思ったが、ヒヒヒヒ、まさか遂にその腕輪を手にする者が現れていたとは――!」
高らかに笑うゲノム。何がそんなに面白いのか全く理解出来ないが、次の瞬間、ゲノムは突如禍々しい魔力を練り上げ何かの魔法を発動させた。
「「……⁉」」
「ヒッヒッヒッヒッ。『引寄せ』が現れるのはまだ早いですよ。こちらもまだ“魔王を復活”させていませんからね。そのスキルがあると分かった以上、先ずは最優先で排除させてもらいますよ!」
刹那、ゲノムが勢いよく両手を広げると、辺り一帯の大地が不気味な真っ黒い影の様なもので覆われた。ゲノムがいきなり臨戦態勢に入ったのも驚いたが、隣にいたイェルメスさんはそれ以上に奴の発言に目を見開かせていた。
「ゲノム、貴様……今何と言った。魔王を復活させるだと?」
「ヒヒヒヒ。思わず喋り過ぎてしまいましたね。積もる話もお互いあるかと思いますが、貴方達にはここで死んでいただきましょうか」
ゲノムから発せられる禍々しい殺意を瞬時に感じ取った僕達も戦闘態勢に入った。
コイツを野放しにしておくのはヤバい――。
直感でそう思った僕は、剣を握る手にも自然と力が入っていた。
「ジーク様!」
「レベッカ……⁉ 離れるんだ! ここは危ない!」
「余所見とは余裕ですね」
レベッカに気を取られてしまったまさに一瞬、ゲノムが広げていた両手を合唱させると、次の瞬間地面の真っ黒な影からユラユラと揺らめく異形な形をした召喚獣が現れた。
くッ、この数を一瞬で……!
ゲノムが召喚したモンスターの数はざっと100体を超えている。大小様々な姿形をしているが、どれも見た事がないモンスターばかり。奴特有の召喚獣なのだろう。
「気を付けるんだジーク君。奴の黒魔術は厄介なものが多い。この召喚獣は私が引き受けるから、君はゲノムを確実に仕留めるんだ」
「分かりました!」
そう言うと、イェルメスさんは勢いよく攻撃魔法を繰り出し、辺りの召喚獣をまとめて攻撃し始めた。
僕は今一度ゲノムを視界に捉え、イェルメスさんの作戦通り召喚獣を全て任せて一直線にゲノムに突っ込む。
ただでさえ僕はコイツに関して得体が知れない。しかもイェルメスさんが厄介だという相手なら相当の実力者だ。短期戦で確実に決める――。
「おっと、思った以上に速いですね」
僕は自分に向かって来る召喚獣を全て掻い潜り、真っ直ぐゲノムだけを狙う。そして距離を詰めて間合いに入った僕は剣をグッと構えた。
するとそれとほぼ同時、ゲノムは僕の攻撃をガードしようと瞬時に召喚獣達を自分の前に集結させた。
そうきたか。なら――。
『無効』スキルを発動させた僕は構えた剣を思い切り振り抜いた。
――シュバァン!
「ッ⁉ 成程、これで私の黒魔術の効果を」
一瞬顔を歪めたゲノムだったが、奴は直ぐに地面の影から新たな召喚獣を繰り出し、その召喚獣をたちまち僕に襲い掛かって来た。
反射的にその召喚獣をサイドステップで躱し切った僕は剣を構え、再びスキルを発動させながらゲノム目掛けて剣を振るった。
「なッ⁉」
「決まりだゲノム!」
『必中』スキルを発動させた僕の攻撃は、流れる様にゲノムの首元目掛けて切っ先が伸びる。“対人”で使用するのは初めてだからどうなるか心配だったけど、モンスターの様にやはり急所目掛けて繰り出されるみたいだ。
走馬灯の如くそんな考えが頭を過った直後、僕の剣はゲノムの首を斬ッ……「ヒッヒッヒッ、動くと“女が死ぬぞ”――!」
ッ……⁉
「きゃあッ⁉ ジ、ジーク様……ぁ!」
剣がゲノムの首を捉える寸前、突如僕の後方からレベッカの悲鳴が響いきてた。驚きの余り僕は反射的に振り返る。そして視界に飛び込んできたのは召喚獣に体を拘束されたレベッカの姿。
「レベッカッ!」
「いや~危ない危ない。そんなに強くなさそうだったので舐めてましたよ。ヒヒヒヒ。丁度いい所に丁度いい物があって助かりました」
「おい! 早くレベッカを離せ!」
「おっと。私に手荒な事をすればお嬢さんが死にますよ」
くそッ……!
レベッカが捕まっている以上下手な事は出来ない。
諦めてゲノムに向けていた剣を降ろした瞬間、何処からともなく突如強い突風が辺りを襲った。
そして、場にいた全員がその突風に僅かに気を取られた瞬間、レベッカのいる方向から『グガァァッ!』と召喚獣の呻き声が聞こえると同時、レベッカを拘束していた召喚獣が弾ける様に消え去ってしまった。
「今だジーク――!」
「ッ⁉」」
召喚獣の呻き声が響いてから、時間にしたら1秒にも満たない。
だけど僕はたった今自分の名前を呼んだ声が、レベッカを拘束していた召喚獣を消したのが、突如何処からともなく吹いた突風が……全て“ルルカ”であると直ぐに分かった。
更に木々の間からはベヒーモス化したミラーナが凄まじい勢いで現れるや否や鋭い鉤爪を振り払い、周りの召喚獣達を一掃してしまった。
僕はそんなルルカとミラーナを横目に剣を握る手に再び力を込め、完全に2人に気を取られたゲノムの隙を突いて今度こそ剣を振り抜いた。
――シュバン!
「ぐはッ、まさかこんな事になるとは……!」
斬られたゲノムは悶絶の表情を浮かべながら膝から崩れ落ちたが、斬った筈の奴の体からは血が一滴も流れていない。
しかし攻撃は確かに食らっていた。
地面に倒れたゲノムは血を流す事は無かったが、次の瞬間奴の体はまるで召喚獣と同じ如く、ユラユラと揺らめきながら粒子となって消え去ってしまった。
更にそんなゲノムに連鎖するかの様に、辺り一帯に広がっていた黒い影はみるみるうちに縮小していき、召喚獣達も次々に消滅していくのだった。
「どうやら奴自体も本体ではなかった様だね」
「そうですね……」
ゲノムが消え去った場所を見ながら、イェルメスさんは静かにそう言った。僕は神妙な面持ちのイェルメスさんの顔を見た瞬間、胸の奥をチクリと刺された様な感覚を覚えた――。