「あそこを見て――」

 ハクに呼ばれ、俺達は遂にジニ王国へと入った。ハクは俺達が来るなり険しい顔である方向を指を差した。その先には数人の魔人族。更にその魔人族達は何処か様子が可笑しそうだった。

「“やっぱり”遅かった。ジニ王国中の魔人族達が皆自我を失った様に俳諧しているわイヴ」
「やはりか。昨日襲って来た奴らを見た時にまさかとは思ったがねぇ」

 魔人族を見ながら意味深なやり取りをするハクとイヴの会話が耳に入った。

「どういう事だよハク。やっぱりって、こうなっているのを知ってたのか?」
「ううん。昨日私達に襲い掛かってきた魔人族達がいたでしょ? あの魔人族達の様子は明らかに可笑しかった。それに何より、彼らから“深淵神アビスの魔力”を僅かに感じられたの」
「「……!?」」

 まさかの言葉に俺達は思わず驚く。
 深淵神アビスという名前は幾度となく聞いていたが、実際に奴を見た事もなければ直に感じた事もないから、奴の存在にまるで実感がなかった。しかしここにきて初めてそれを体感出来るのかもしれない。

「何で魔人族の奴らから深淵神アビスの魔力が感じられるんだよ」
「それはまだ定かじゃない。だがラグナレク自体が奴の影響さ。最早この世界に何が起ころうと何の不思議もないのさ」
「そんな……」
「遅かれ早かれ倒さなくてはならん相手。丁度強くなった自分の力を試したいと思っていたところだ。手合わせする為に早く探し出そう」

 深淵神アビスという現実味が急に帯びてきた。皆思う事それぞれだが、フーリンはやはり少し違う。

「お前何時もちょっとズレてるぞフーリン。まぁ今更だけどな。それよりも、先ずどう動くつもりだハク。まさか魔人族も全員相手にする訳じゃないだろうな」
「流石にそこまでは出来ないわね。それに無理に魔人族と戦う必要もない。ここにいるラグナレクを倒せば、恐らく魔人達への影響も無くなるッ……「いや、それはないねぇ」

 ハクが話していると、突如イヴが遮った。

「さっきまではまだ曖昧だったが、今直に奴らの魔力を感知して分かった。魔人族共の魔力は確かにアビスのもの。正確に言えば、ここにいる“ラグナレクの魔力”だねぇ」
「ん、つまりどういう事?」
「思い描いていた中で最も“最悪の状況”さ。魔人族達は既に壊滅している。アレはラグナレクが魔力によって操っている、魔人族の見た目をした人形ってとこだねぇ。思った以上に厄介だよ……。アビスの力が確実に増してきている」

 イヴのその言葉によって、一斉に俺達の体に緊張が走った。

「壊滅しているって、じゃあ目の前にいる魔人族は……」
「だから言っているだろう。アレは魔人族の皮を被ったラグナレクの仕業。ここにいるラグナレクがジニ王国の獣人族を殺して体を乗っ取り操っているのさ」

 おいおい、何だその恐ろしい話は。ラグナレクにはまだそんな力があるのか……?

「ねぇ、グリム。確かフィンスターで戦ったあの第5形態のラグナレクって、ドミナトルの攻撃で復活した後に“喋った”わよね?」
「ああ……確かに喋ったな。俺達人間は敵だとかなんとか」
「これは私の憶測だけど、多分ラグナレク達は進化する程人間みたいに言葉や知力を得るんじゃないかしら。更に魔力も強くなって。
そう考えればこのジニ王国の惨状も頷ける。ここにいるラグナレクが自らの意志で動いているのよ」

 ハクの話を聞いた瞬間、俺は心から“憶測”であってほしいと思った。だってもし今の憶測が現実に起きているとしたら、ここにいるラグナレクは一体どれだけ強い個体だと言うんだ。下手したらフィンスターの第5形態と同じか、それ以上に洗練された個体という事になる。

 あんな化け物が知力や自我を持って自ら動いたとなれば、これほど恐ろしい事はないぞ。

『ヴオォォッ!』
「「……!?」」

 次の瞬間、俺達を見つけた魔人族2体が一切の躊躇なく襲い掛かって来た。

 ――ガキィン!
 突然の魔人族の攻撃に対し、咄嗟に俺とヘラクレスさんは剣で攻撃を受け止めた。だが今の物音で近くにいた他の魔人族の奴らにも気付かれてしまった。俺達を見つけた奴らは次々とこちらに向かって走ってきている。

「気付かれてしまったな。イヴ様、コイツらを元に戻す方法はあるのでしょうか」
「ない。もう死んでいるんだよ。しっかり葬ってやるのが唯一の救いかもねぇ」
「くッ! マジかよ!」
『ヴガァァァ!』

 確かに目の前のこの魔人族達はとても正気とは思えない。それによく見ればどいつもこいつも怪我して大量の血を流している。イヴが言った様に、コイツらはもう本当に死んでいるんだ……。その上で亡骸をラグナレクに操られている。

 胸糞悪いぜ。

「お前に恨みはないけど、せめて安らかに眠ってくれ」

 ――ザシュン!
 俺は受け止めていた攻撃を払いそのまま目の前にいた魔人族1体を
斬ると、奴はそのまま地面に倒れ込んでしまった。だが全く安心は出来ない。俺達に気付いた他の魔人族達が既に四方からこちらに近付いて来ていた。

「こんなの全部相手にしてる暇ないぞ。早くここから逃げッ……『――ヴヴゥゥ』
「「……!?」」

 俺が皆まで言いかけた刹那、倒した筈の魔人族が再び立ち上がってきた。

「いや、ちょっと待て! コイツらもしかして」
「ヒッヒッヒッ、こりゃ倒しても無駄だったねぇ」
「皆あっちだ! 向こうの道なら魔人達がいないぞ!」

 ヘラクレスさんの機転の利いた誘導で、俺達は即座にその場から走って立ち去った。魔人族に見つからない様隠れながら走ってはみたものの、辺りを見回せばそこかしこに魔人、魔人、魔人。

「こりゃ次見つかったら瞬く間に囲まれるな」
「まさかジニ王国がこんな状態だったとは……」
「グリム、彼らが倒せないと分かった以上、もうラグナレク本体を叩くしかないと思う」
「ああ、俺もそのつもりだ。どの道それが目的だし」
「今度のラグナレクはどれ程の強者か楽しみだな」

 ラグナレク本体を叩くと決めた俺達は、明らかにこのジニ王国で1番異質で強力な魔力を発している王国の中心街に向かう事にした。ラグナレクがいるならばそこしかないだろう。そう断定出来るぐらい強力な魔力だ。

「よし、なるべく魔人達に気付かれない様にしつつ、一気にラグナレクの元へ向かおう」

 俺達は互いに顔を合わせて頷き、ラグナレクがいる中心街を目指して動き出した。

 だが次の瞬間――。


「お待ちなさい、そこの少年達」


 俺達が動き出したとほぼ同時、突如誰かの声が響いた。俺は一瞬仲間の誰が声を発したのかと思ったが違う。声が聞こえた方を振り返った瞬間、その考えは既に掻き消されていた。

「ホッホッホッ。どうもお初にお目にかかります。邪神御一行様」
「何を挨拶なんてしているんだローゼン神父。さっさと終わらせるぞ」

 振り返った俺達の視線の先。
 そこには面識のない2人の男の姿があった。

 1人は神父の様な装いに白い髭を蓄え手に大きな杖を持った穏やかそうな老人。もう1人は長い髪を束ね、武闘家の様な装いをしている隙を感じさせない男。

 2人共顔も名前も全く記憶ない。

 だが、俺はこの2人が只者ではない事だけを瞬時に感じ取っていた――。