「嘘……。どうしてラグナレクが」
「あの化け物はもうそこら中に蔓延っているからねぇ。別に珍しくもない。ただ、アビスの震源地は間違いなくリューティス王国。そこそこ離れているこのローロマロ王国までアレが現れたという事は、世界がそれだけアビスによって蝕まれているって事さ」

 イヴは3つ頭のラグナレクを見ながら静かにそう言った。

 今こうしている間にも、終焉の影響は着実にその力を広げている。言われてみれば確かに王都に近付く程ノーバディの数が多かった。それにラグナレクも。あれはリューティス王国にアビスの力が強く影響しているからだったのか。

「この辺りも最近ノーバディが増えている様ね」
「ああ、確実に増えているねぇ。とは言っても、ラグナレクとか呼ばれるあの個体がここらに現れたのは初めてだろう。ローロマロ王国周辺を“感知”しても、あのレベルの魔力は他にない」

 まさかのラグナレクの登場にも驚いたが、俺は今イヴがさらっと口にした事の方に驚いている。

「え、ちょっと待って。今ローロマロ王国の周辺って言った……?」
「それがどうした」

 良かった。どうやら驚いたのは俺だけじゃなかった。やっぱ可笑しいよな、エミリア。

「それがどうしたって……。イヴ、まさかそんな広い範囲を“魔力感知”出来るの!?」

 そう。俺が驚いたのはまさにそこ。エミリアも同じ事を思っていた。だって、そんな離れた距離を魔力感知出来るなんて聞いた事がない。ビックリだ。

 確かに人やモンスターの魔力を感知出来るのは珍しい事じゃない。寧ろ当たり前だ。皆少なからず人やモンスターの魔力や気配を感じ取っている。だがイヴの今の話が本当なら、感知している範囲が異常だ。普通なら自分を中心に半径数百メートルが限度だろう。それだってかなり訓練しないと無理なのに。

 ましてやローロマロ王国の“周辺”だと? 1番最短距離だとしても、王国外までここから何キロあるって言うんだよ。流石神……デタラメな力だな。

「当たり前だ。私は3神柱の神だぞ。人間レベルで物を言うんじゃない」

 これまたごもっともな意見。相手は何せ神なんだからな。

「凄いねイヴ……」
「馬鹿者。こんな事でいちいち驚くんじゃないよ。アンタだって出来るんだからねぇエミリア」
「え、私が?」
「そりゃそうさ。アンタには私の力を与えてやったんだよ。妖精の魔力は全種族でもトップクラス、加えて私はその全てを統べる精霊の中の更にトップの神だからねぇ。舐めるんじゃないよ。
私から言わせれば、アンタはまだ魔法の魔の字も扱えていない、ただ木の杖を振り回しているだけに過ぎないのさエミリア」

 これが3神柱の圧倒的な存在感。
 冗談っぽく言っているイヴだが、その言葉の重みと説得力がとてつもないものであった。

「一先ずこの話は置いて、今は奴の戦いを見な。そしていい加減感じ取る事だねぇ。エネルギーの“流れ”を――」

 次の瞬間、ヘラクレスとラグナレクの戦いの合図が鳴り響くと、再び闘技場は揺れる程の大歓声に包まれた。ヘラクレスは鎧の上からでも分かる屈強な肉体共に、手にしている大剣を構えた。

 対するラグナレクは首にデカい鎖の首輪を付けられていた。誰がやったかは分からないが、恐らくあのラグナレクを捕まえてこの闘技場まで連れて来たのだろう。

 しかもアレはケルベロスの様な姿をした3つ頭。
 形態で言えば多分第2形態か第3形態レベルだ。倒すには団長クラス以上の実力がないと不可能に近い。

「良く見て流れを見極めろ。それが出来なければ話にならんぞ」

 ヘラクレスが戦闘態勢に入った瞬間、場が一気に緊張に包まれた。大剣を構えたヘラクレスが一呼吸すると、彼は瞬時に超波動を練り上げラグナレクに突っ込んで行った。

『ヴィギァァ!』

 ヘラクレスの危険を察知し、突如ラグナレクは言葉にならない雄叫びを上げた。突っ込んで来るヘラクレスに対し、ラグナレクは大きく口を開いてあの青白い光を集め出した。その直後、ラグナレクは間髪入れずにヘラクレス目掛けてその咆哮を放ったのだった。

 ――ブオォォォンッ!
「「!?」」

 しかし刹那、確かにヘラクレスに向かって放たれた筈の咆哮が、いつの間にか天に向かって放たれていた。しかもヘラクレスはその咆哮を放ったラグナレクの頭1つを片腕でそっと抑えていた。

「今のは……!」

 ヘラクレスの一連の動きは一瞬だった。だけど俺は今確かに彼の動きを捉えていた。見間違いじゃない。ヘラクレスはラグナレクが咆哮を放つとほぼ同時に、そっと頭部に触れて“向きを変えた”。

 それも魔法や力技で強引にではなく、まるで自然の流れに沿うかの如き滑らかな動きだった。

 俺達がそのヘラクレスの一瞬の動きに目を奪われていると、次の瞬間ヘラクレスは練り上げた超波動を纏った強烈な一振りでラグナレクをいとも簡単に葬り去った。

「「おおぉぉぉぉぉぉぉッ!!」」

 ヘラクレスが勝った事により、闘技場はこの日何度目か分からない歓喜に溢れ返っている。一体この中のどれだけの人が今の戦いの凄さを理解しているだろうか。

 偉そうな事を言う訳じゃない。ただ俺はラグナレクの強さを分かっている。だからこそあのヘラクレスという男の凄さが余計に分かるんだ。

 俺は洞窟と石碑で“たまたま”ラグナレクを倒し切れただけ。フィンスターでの第5形態ラグナレクと戦うまで、奴らを倒す為の核がある事を俺は知らなかったし見極められなかった。その結果があのザマだ。ヴィルの野郎はラグナレクを一撃で仕留めた。

 今ヘラクレスが倒したのは勿論第5形態よりも弱いが、問題はそこじゃない。どこまでラグナレクについて知っているのかは分からないが、彼は奴の弱点でもある頭を斬り落とした訳ではなく“胴体”を一刀両断した。しかもその一撃で確実に仕留めた手応えがあったのか、直ぐに大剣を降ろして波動も消してしまった。

 マグレやたまたまではない。

 ヘラクレスはちゃんと理解した上で、ラグナレクの本当の弱点である核を狙い破壊したんだ――。

「強い……」
「ヒッヒッヒッ。何か分かったかい?」
「具体的な事は分からない。だけど、ヘラクレスはまるでラグナレクの事を“分かっていたみたい”に対応していた気がする。

頭じゃなくて胴体を狙ったのも、そこに核があると見極めていたから。奴の咆哮を強引にではなく自然と捌いたのも、攻撃がくると分かっていたから。

結局それが何なのかは分からないけど、俺には今のヘラクレスの動きにそう感じたんだ。これがもしかしてイヴ達の言うエネルギーとやらと関係しているのか?」

 俺が改めてイブにそう聞くと、イヴはまんざらでもない表情で笑い出した。

「ヒーヒッヒッヒッ。ギリギリで合格……って事にしてあげようかねぇ。これ以上時間も無駄に使えないし、まぁ初日で気付いたならば良しとしておこうか。
明日からは私とシシガミが特別指導してやるから覚悟しておきな――!」

 最後の最後の本当に一瞬、俺はイヴが再びあの悍ましい笑顔を覗かせたのを見逃さなかった。

 今日ほど“何も分からない事が怖い”と思わされた日はない。明日もまた何が起ころうとしているんだ? 特別指導とは? 俺は明日生きているのか?

 そんな恐怖に襲われながら、俺は今日という目まぐるしい1日を終えたのだった――。