「ヴィル……」
俺は無意識のうちに弟の名を零していた。
そして、突然の状況にそれ以上の言葉が出てこない。
俺が辺境の森に飛ばされて8年余り。偶然森を訪れた冒険者達の会話で、父と弟のその後の経緯は僅かに知っていた。
父であるグリードは当時、騎士団創設以来の最年少の記録を打ち立てて大団長となった。だがヴィルはそんな父よりも早く騎士団の大団長となったらしい。あくまで聞いただけの風の噂であったが、堂々とそこに君臨するヴィルの姿を見て確信に変わった。
コイツは“本物”だと――。
目の前の弟はもう幼き頃の弟ではない。面影がしっかりと残っているが、ヴィルは立派な剣聖として成長していた。
気品ある輝きを纏った神剣ジークフリードをしかと握り締めて。
「え、もしかしてこの人がグリムの弟?」
「お前弟がいたのか。しかもかなりの“強者”じゃないか」
場に漂った僅かな緩み。
リリアンと団員達による絶体絶命の包囲網が解かれ、最大の脅威であったラグナレクも倒された。助けてくれたのかは定かではないが実際に助かっている。そしてそんな俺達のピンチを救ったのが俺の実の弟。
その全てが重なり合い、もう体力も残っていなかったエミリアやフーリンは無意識のうちに安堵感を抱いていた。それは2人だけでなく、逃げ惑っていた団員や冒険者達もまた然り。
ヴィルがラグナレクを倒した事により、全員が“全て終わった”という雰囲気に包まれている。
だが皆とは相反するかの如く、終わりの雰囲気に包まれていたこの場で、俺だけが、俺の体の全細胞だけが、目の前のヴィルに“危険”を感じていた。
「ヤバい。逃げるぞお前らッ……『――シュパン』
俺がエミリアとフーリンに向けそう言った刹那、エミリアとフーリンは突如真っ赤な血飛沫を散らしながらゆっくりと地面に倒れていった。
「エ、エミリア!? フーリンッ!」
「バウッ!」
全く見えなかった。
「君達も邪魔なんだよね。俺が用あるのは兄さんとそっちの犬だけだから」
ヴィルはニコリと笑いながらとても冷酷な目で俺達を見て言った。手にする神剣ジークフリードからは鮮血が滴り落ちている。
「大丈夫か2人共ッ! いきなり何しやがるんだテメェ、ヴィルッ!」
エミリアもフーリンも完全に気を失っているが辛うじて呼吸が確認出来た。ハクも瞬時に斬られた2人の傷口を治癒しようとしているがこのままじゃヤバい。
「何しやがるって言われても、俺は国王の命で動いているだけだよ。兄さんと犬は勿論その仲間達も始末しろとね」
「ふざけんじゃねぇ!」
ヴィルのした事と癇に障る態度にイラついた俺は、気が付けば拳を握りしめ殴りかかっていた。
思い切り振り抜いた最初の拳は躱され、続け様に2撃3撃と拳や蹴りを放ったが、それも全て簡単に躱されてしまう。
俺の攻撃を面倒くさそうに躱したヴィルはまるで虫を払うかの如く剣を軽く振り、俺はその強い風圧で体ごと吹っ飛ばされた。
「ぐッ!」
「兄さんの方こそ何してるんだよ。そんながむしゃらに出した拳や蹴りが本当に俺に当たると思ってるの? 有り得ないでしょ」
そんな事は分かってる。だがエミリアとフーリンが傷付けられ、もう武器もない俺にはこうする他ない。
「黙れヴィル……!」
「ハハハハ、相変わらず無様な姿晒してるよね兄さん。昔と全く変わっていない。レオハート家や騎士団、そしてリューティス王国の恥さらしとしてのその姿がさ! ハッハッハッ!
兄さんが犬と一緒に手配されていると知った時、“あーこれはもう絶対俺が動かないと”って思ったんだよね。
だってそうでしょ?
兄さんがレオハート家に残した一族最大の汚点と不名誉はもう一生消える事はない。恥さらしの遺産を俺は背負い、またこれからの世代にも引き継がれてしまう。一族の問題は一族である者が清算しないとダメだよね。
だからさ、俺がその負の遺産と共にお前を殺してやるよ。兄さん――」
ヴィルは間違ってもラグナレクから俺達を守った訳ではない。
ただただ自らの決意の元、直接己の手で俺を殺したかったに過ぎなかったのだ。
見下しながら高笑いするヴィルに対し、俺は抵抗する手段が何も残っていない。辺境の森で過ごし身体能力も人並み以上ではあったが、こんなお粗末なパンチでは神器を使いこなす今のヴィルには到底相手にならない。
さっきからただ向かい合っているだけなのに体が小刻みに震えてやがる。実の弟と話しているだけなのに、全身から危険信号が発せられているみたいだ。本当に俺は無様で情けない。
今のラグナレクですら倒せなかった俺には、当然ヴィルに勝てる見込みなど1%もないだろう。
「この状況じゃ流石につまらな過ぎるからさ、コレ使いなよ」
――カランカラァン。
ヴィルはそう言いながら、何処からともなく取り出した剣を俺に放り投げてきた。
「俺は別に何を言われようと何をされようが構わない。だが、エミリアとフーリンを傷付けた事は絶対に許さねぇぞッ!」
「言葉より行動で示しなよ」
次の瞬間、双剣を手に取った俺は自身最速のスピードでヴィルに斬りかかった。
俺はヴィルという圧倒的な力を前にしていつの間にか弱気になっていた。
だが俺だって、あの辺境の森で死に物狂いで8年以上剣を振り続け強くなった。ラグナレクだって後一押しで倒せただろう。言い訳ではないが、この呪われた世代というハンデがなければ、手にする剣がもっと強ければ、俺はもっと、ヴィルよりもっともっと強い。
今手にしている剣は恐らくAランク。
図らずも、俺が今まで使った双剣の中で1番ランクが高く強い武器だ。これならイケる。
最速のスピードでヴィルの背後を取った俺は、既にヴィルのうなじ目掛けて双剣を振り下ろしている。肝心のヴィルはまだ前を向いたままだ。
もらった。
――スパァン。
「ッ!?」
次の刹那、俺の視界は突如スローモーションに変わった。
そこに映るのは粉々に砕かれた双剣の刃がゆっくり飛び散っていく瞬間と、その奥で静かに微笑んでいるヴィルの姿。
俺の視界全てが、赤い鮮血に染められてゆく――。
何が起きたのかも分からない。俺は全身の力が抜け、溢れ出す鮮血と共にその場に倒れたのだった。
「はい、俺の勝ち。ハッハッハッ! 弱ッ! ……ん?」
双剣と共にヴィルに斬られたであろう俺は、力が抜け今まさににその場に倒れる寸前だったが、本能がギリギリの意識を保ち反射的に倒れるのを堪えていた。
「ハァ……ハァ……」
「あれ、まだ生きてるの? っていうか兄さん、ちゃんと意識ある?」
「ハァ……ハァ……」
ぼんやりと視界に映るヴィル。
心臓の音がかなりデカく聞こえる。
耳鳴りも酷い。
全身が焼ける様に熱いし。
今にも倒れそう。
眠い。
寒い。
怠い。
痛い。
指1本動かす気力もない。
俺は何をしている?
「しぶとさだけは尊敬するよ。その程度の実力にも関わらず、今日まで辺境の森で生きていたんだからね。ホント、兄さんには色々驚かされるよ。色んな意味で」
ヴィルが何を言っているのかしっかり聞き取れない。
だが俺は朦朧とする意識の中で、折れた剣をヴィルに向けていた。
「ハハハハ。そんな状態で何する気? 全然面白くもないから、もう死になよ兄さッ……『――ゾク』
ヴィルは突如、振り下ろそうとしていた剣の動きを止めた。何故だかヴィルは俺を見て固まっている。
「な、何だよ“コレ”は……。
(殺そうとした瞬間、何故か兄さんから凄まじい殺気を感じた。こんな死にかけの状態で有り得ない。
いや、でもあのまま斬りかかっていたら、間違いなく“殺されていたのは俺”――。
何故だ? もう指で押すだけで倒れる状態なのに、何故俺は間合いに飛び込めずにいる? まさかビビってるのか。この俺が? 俺より確実に弱いこんな死にかけの兄さんに?
しかも、兄さんから発せられているこの悍ましい“波動”は何なんだ)」
理由は分からないが、ヴィルはまだ止まったまま動かない。相変わらず体は怠いし痛いし熱いし重い。でも何故かな、今残された体力を全て振り絞って攻撃すれば、何故かヴィルを倒せそうな気がする。
次の瞬間、俺の体は無意識のうちに剣を振りかぶっていた。
「……! コレで終わりだよ兄さんッ!」
俺が動いたのを見て、ヴィルも神剣ジークフリードを振りかぶった。
攻撃はほぼ同じタイミング。
しかし俺の剣は既に折れていてヴィルに届かないかもしれない。だが、もうこの最後の一振りを止める事も出来ない。
――ガキィィン!!
「「……!?」」
俺は無意識のうちに弟の名を零していた。
そして、突然の状況にそれ以上の言葉が出てこない。
俺が辺境の森に飛ばされて8年余り。偶然森を訪れた冒険者達の会話で、父と弟のその後の経緯は僅かに知っていた。
父であるグリードは当時、騎士団創設以来の最年少の記録を打ち立てて大団長となった。だがヴィルはそんな父よりも早く騎士団の大団長となったらしい。あくまで聞いただけの風の噂であったが、堂々とそこに君臨するヴィルの姿を見て確信に変わった。
コイツは“本物”だと――。
目の前の弟はもう幼き頃の弟ではない。面影がしっかりと残っているが、ヴィルは立派な剣聖として成長していた。
気品ある輝きを纏った神剣ジークフリードをしかと握り締めて。
「え、もしかしてこの人がグリムの弟?」
「お前弟がいたのか。しかもかなりの“強者”じゃないか」
場に漂った僅かな緩み。
リリアンと団員達による絶体絶命の包囲網が解かれ、最大の脅威であったラグナレクも倒された。助けてくれたのかは定かではないが実際に助かっている。そしてそんな俺達のピンチを救ったのが俺の実の弟。
その全てが重なり合い、もう体力も残っていなかったエミリアやフーリンは無意識のうちに安堵感を抱いていた。それは2人だけでなく、逃げ惑っていた団員や冒険者達もまた然り。
ヴィルがラグナレクを倒した事により、全員が“全て終わった”という雰囲気に包まれている。
だが皆とは相反するかの如く、終わりの雰囲気に包まれていたこの場で、俺だけが、俺の体の全細胞だけが、目の前のヴィルに“危険”を感じていた。
「ヤバい。逃げるぞお前らッ……『――シュパン』
俺がエミリアとフーリンに向けそう言った刹那、エミリアとフーリンは突如真っ赤な血飛沫を散らしながらゆっくりと地面に倒れていった。
「エ、エミリア!? フーリンッ!」
「バウッ!」
全く見えなかった。
「君達も邪魔なんだよね。俺が用あるのは兄さんとそっちの犬だけだから」
ヴィルはニコリと笑いながらとても冷酷な目で俺達を見て言った。手にする神剣ジークフリードからは鮮血が滴り落ちている。
「大丈夫か2人共ッ! いきなり何しやがるんだテメェ、ヴィルッ!」
エミリアもフーリンも完全に気を失っているが辛うじて呼吸が確認出来た。ハクも瞬時に斬られた2人の傷口を治癒しようとしているがこのままじゃヤバい。
「何しやがるって言われても、俺は国王の命で動いているだけだよ。兄さんと犬は勿論その仲間達も始末しろとね」
「ふざけんじゃねぇ!」
ヴィルのした事と癇に障る態度にイラついた俺は、気が付けば拳を握りしめ殴りかかっていた。
思い切り振り抜いた最初の拳は躱され、続け様に2撃3撃と拳や蹴りを放ったが、それも全て簡単に躱されてしまう。
俺の攻撃を面倒くさそうに躱したヴィルはまるで虫を払うかの如く剣を軽く振り、俺はその強い風圧で体ごと吹っ飛ばされた。
「ぐッ!」
「兄さんの方こそ何してるんだよ。そんながむしゃらに出した拳や蹴りが本当に俺に当たると思ってるの? 有り得ないでしょ」
そんな事は分かってる。だがエミリアとフーリンが傷付けられ、もう武器もない俺にはこうする他ない。
「黙れヴィル……!」
「ハハハハ、相変わらず無様な姿晒してるよね兄さん。昔と全く変わっていない。レオハート家や騎士団、そしてリューティス王国の恥さらしとしてのその姿がさ! ハッハッハッ!
兄さんが犬と一緒に手配されていると知った時、“あーこれはもう絶対俺が動かないと”って思ったんだよね。
だってそうでしょ?
兄さんがレオハート家に残した一族最大の汚点と不名誉はもう一生消える事はない。恥さらしの遺産を俺は背負い、またこれからの世代にも引き継がれてしまう。一族の問題は一族である者が清算しないとダメだよね。
だからさ、俺がその負の遺産と共にお前を殺してやるよ。兄さん――」
ヴィルは間違ってもラグナレクから俺達を守った訳ではない。
ただただ自らの決意の元、直接己の手で俺を殺したかったに過ぎなかったのだ。
見下しながら高笑いするヴィルに対し、俺は抵抗する手段が何も残っていない。辺境の森で過ごし身体能力も人並み以上ではあったが、こんなお粗末なパンチでは神器を使いこなす今のヴィルには到底相手にならない。
さっきからただ向かい合っているだけなのに体が小刻みに震えてやがる。実の弟と話しているだけなのに、全身から危険信号が発せられているみたいだ。本当に俺は無様で情けない。
今のラグナレクですら倒せなかった俺には、当然ヴィルに勝てる見込みなど1%もないだろう。
「この状況じゃ流石につまらな過ぎるからさ、コレ使いなよ」
――カランカラァン。
ヴィルはそう言いながら、何処からともなく取り出した剣を俺に放り投げてきた。
「俺は別に何を言われようと何をされようが構わない。だが、エミリアとフーリンを傷付けた事は絶対に許さねぇぞッ!」
「言葉より行動で示しなよ」
次の瞬間、双剣を手に取った俺は自身最速のスピードでヴィルに斬りかかった。
俺はヴィルという圧倒的な力を前にしていつの間にか弱気になっていた。
だが俺だって、あの辺境の森で死に物狂いで8年以上剣を振り続け強くなった。ラグナレクだって後一押しで倒せただろう。言い訳ではないが、この呪われた世代というハンデがなければ、手にする剣がもっと強ければ、俺はもっと、ヴィルよりもっともっと強い。
今手にしている剣は恐らくAランク。
図らずも、俺が今まで使った双剣の中で1番ランクが高く強い武器だ。これならイケる。
最速のスピードでヴィルの背後を取った俺は、既にヴィルのうなじ目掛けて双剣を振り下ろしている。肝心のヴィルはまだ前を向いたままだ。
もらった。
――スパァン。
「ッ!?」
次の刹那、俺の視界は突如スローモーションに変わった。
そこに映るのは粉々に砕かれた双剣の刃がゆっくり飛び散っていく瞬間と、その奥で静かに微笑んでいるヴィルの姿。
俺の視界全てが、赤い鮮血に染められてゆく――。
何が起きたのかも分からない。俺は全身の力が抜け、溢れ出す鮮血と共にその場に倒れたのだった。
「はい、俺の勝ち。ハッハッハッ! 弱ッ! ……ん?」
双剣と共にヴィルに斬られたであろう俺は、力が抜け今まさににその場に倒れる寸前だったが、本能がギリギリの意識を保ち反射的に倒れるのを堪えていた。
「ハァ……ハァ……」
「あれ、まだ生きてるの? っていうか兄さん、ちゃんと意識ある?」
「ハァ……ハァ……」
ぼんやりと視界に映るヴィル。
心臓の音がかなりデカく聞こえる。
耳鳴りも酷い。
全身が焼ける様に熱いし。
今にも倒れそう。
眠い。
寒い。
怠い。
痛い。
指1本動かす気力もない。
俺は何をしている?
「しぶとさだけは尊敬するよ。その程度の実力にも関わらず、今日まで辺境の森で生きていたんだからね。ホント、兄さんには色々驚かされるよ。色んな意味で」
ヴィルが何を言っているのかしっかり聞き取れない。
だが俺は朦朧とする意識の中で、折れた剣をヴィルに向けていた。
「ハハハハ。そんな状態で何する気? 全然面白くもないから、もう死になよ兄さッ……『――ゾク』
ヴィルは突如、振り下ろそうとしていた剣の動きを止めた。何故だかヴィルは俺を見て固まっている。
「な、何だよ“コレ”は……。
(殺そうとした瞬間、何故か兄さんから凄まじい殺気を感じた。こんな死にかけの状態で有り得ない。
いや、でもあのまま斬りかかっていたら、間違いなく“殺されていたのは俺”――。
何故だ? もう指で押すだけで倒れる状態なのに、何故俺は間合いに飛び込めずにいる? まさかビビってるのか。この俺が? 俺より確実に弱いこんな死にかけの兄さんに?
しかも、兄さんから発せられているこの悍ましい“波動”は何なんだ)」
理由は分からないが、ヴィルはまだ止まったまま動かない。相変わらず体は怠いし痛いし熱いし重い。でも何故かな、今残された体力を全て振り絞って攻撃すれば、何故かヴィルを倒せそうな気がする。
次の瞬間、俺の体は無意識のうちに剣を振りかぶっていた。
「……! コレで終わりだよ兄さんッ!」
俺が動いたのを見て、ヴィルも神剣ジークフリードを振りかぶった。
攻撃はほぼ同じタイミング。
しかし俺の剣は既に折れていてヴィルに届かないかもしれない。だが、もうこの最後の一振りを止める事も出来ない。
――ガキィィン!!
「「……!?」」