我々の住んでいる日本では古くから独自の文化が生まれている。
 例えば武士や忍者、歌舞伎などの伝統芸能、俳句などの歌、魚の生食などの食文化もそうだ。
 計算され尽した美しい木造建築は木が良く育つ日本だからこそ育まれた匠の技。
 そんな日本で30年ほど前に生まれたのがヒーロー文化だ。

 ヒーローとは正義の名の下に悪を穿つ戦闘集団。
 元はテレビで放送されていた特撮の戦隊ヒーローから派生した文化なのだが。
 現在では活躍の場を現実にも広げている。

 彼らの多くが所属しているのが(株)日本ヒーローズ。
 日ヒロ所属のヒーロー達は日々生まれ続ける悪に立ち向かい国民からの信も厚い。
 最近では警察よりも支持率を上げていると言うアンケート結果さえある程だ。

 対してヒーローとは、正しく対になる存在として生まれた悪役怪人文化。
 こちらは戦隊ヒーローの特撮の中に登場する敵役から派生した文化であり。
 現実でもヒーローの敵として存在している。

 悪役怪人の多くが所属しているのが(株)悪☆秘密結社。
 これで読み方は“あくのひみつけっしゃ”と読むのだが、私は悪の秘密結社に所属する戦闘員だ。
 名を戦闘員Aと言う。

 悪の秘密結社は世間的には違法な犯罪集団と思われがちだが、その実情は違っている。
 弊社はあくまでも日ヒロを筆頭としたメジャーヒーロー達の敵役として存在している集団であり。
 犯罪歴のある者は書類審査の時点で落とされる程に徹底した社員の管理を行っている。
 勿論社員が犯罪行為に手を染めた時の罰則も重い。

 日ヒロのヒーロー達は時折不倫疑惑などで週刊誌を賑わせても何食わぬ顔で活動を続けるが。
 我々の場合は週刊誌にすっぱ抜かれた時点で退所通告をされるぐらいには厳しく。
 品行方正で清廉な者達が殆んどだ。

 っとヒーローを貶める様な事を考えてしまったが我々は何もヒーロー達に対して悪感情を抱いていたりはしない。
 何故なら弊社と(株)日本ヒーローズは業務提携を結んでいるのだ。
 大切な取引先の相手に悪感情を抱くなど言語道断だろう。

 そもそも我々悪の秘密結社の仕事が成り立つのはヒーローあってのものなのだから。
 感謝こそすれ彼らに嫉妬したりはしない。
 我々はヒーローでは無く悪役怪人に憧れてこの会社に就職したのだから。

「A先輩、聞いて下さいよ!また珍金戦隊コバルトンのコバルトブルーが新人アイドルと不倫したらしいっすよ!俺らもアイドルと付き合えないっすかねぇ」

 こう言う不埒な輩もいるにはいるのだが我々は望んで(株)悪☆秘密結社に入社したのだ。
 私は既に戦闘服に着替えてしまっているので言葉を話す事は出来ない。
 ペンとミニホワイトボードを使って後輩の愚痴を聞く事にしよう。

「おはようございます!よろしくお願いします!あ!Aさんお久しぶりです!今日も派手なスタントお願いします!」

「イー!」

 無事に後輩の不満を収めて私は今日の現場にやって来た。
 近々取り壊されるビルを利用しての撮影で現場には既に撮影隊が入っている。
 今挨拶に来てくれたのは良面戦隊サワヤカファイブのサワヤカミント君だ。
 流石は最近勢いに乗っているイケメン戦隊だけあってスタッフ達への対応も爽やかである。

「Aさんおはようございます。よろしくお願い致します」

「イー!」

 丁寧な言葉遣いできっちり45度頭を下げたのは(株)攫われ子役劇団に所属する卓君5歳だ。
 (株)攫われ子役劇団とは悪役怪人に攫われがちな子役を派遣する派遣会社なのだが。
 言葉遣いが丁寧過ぎて所属子役達に子供らしさが全く無い。
 けれどもこれでカメラが回ると悪役怪人に恐怖する子供を完璧に演じるのだからプロ中のプロだ。
 ミニホワイトボードで幾らか遣り取りをしていると本番の準備が整ったので撮影が始まる。

 今日の撮影は日ヒロのウェブCM用なので尺は短目なのだが。
 クレーンでビルの一部を破壊したり爆発の演出も入るので一発勝負の気合いの入る仕事である。

「よーい!スタート!」

 監督の掛け声で撮影が開始され、私が卓君を抱えて走る。
 同僚達が私の後に続いて弊社の若手のホープである悪魔怪人デビサタン君のもとへ卓君を届けた。
 ビルの中は危険なので場所はビルの外である。
 そこへ何処からともなく登場するサワヤカファイブの面々。

「悪役怪人よ少年を離せ!淀んだ悪はミントの香りで浄化する!例え歯磨き粉の匂いじゃんと罵られようとも!サワヤカミント!」

 サワヤカファイブの前口上が始まり先程挨拶をしてくれたサワヤカミント君がセンターで格好良いポーズを取った。
 私はデビサタン君の右斜め前方に立っているので特等席でヒーローの姿を見られるのも役得だ。
 しかしながら。
 私は悪役怪人に憧れて(株)悪☆秘密結社に入社した戦闘員Aだ。
 戦闘員の代表として戦闘に入るタイミングを逃す訳にはいかない。

「良面戦隊!サワヤカファイブ!」

 5人全員の前口上が終わってSの文字を作った。
 ここまでがサワヤカファイブの登場シーンなので次はデビサタン君の台詞だ。

「またもや我に歯向かうかサワヤカファイブ!お前達!やっておしまいなさい!」

「「「「「イー!」」」」」

 デビサタン君はほんのり時代劇の影響を受けているので時々ちょっと古臭い言葉遣いをするが気にしてはならない。

 デビサタン君の言葉を受けて我々戦闘員の出番だ。
 まずは切り込み役として私がサワヤカミント君目掛けて駆け出すとB、C、D、E、Fと総勢30名からなる戦闘員が続々とサワヤカファイブに襲い掛かる。
 私は真っ先にサワヤカミント君と対峙して右のパンチを繰り出し、サワヤカミント君は左腕で流す。
 右腕を引いた私が左ローキックを繰り出すとサワヤカミント君は後ろ宙返りをしながら躱した。
 二度三度と攻防を繰り広げて私がやや優勢の雰囲気を出した所で卓君の声が上がる。

「頑張れー!サワヤカミントー!」

「てやぁ!」

 卓君の応援を力に変えたサワヤカミント君は力一杯の右ストレートを私に叩き込んだ。
 叩き込んだとは言っても実際に叩き込まれているのではない。
 リアリティを追及する為にヒーローは全力で攻撃をするが。
 そこから先はプロ戦闘員の仕事である。

 サワヤカミント君の拳が頬に掠った瞬間、首を捻りながら衝撃を受け流し後方へと飛ぶ。
 空中で縦に二回転と二回の捻りを加えた私が得意とするやられ技でもって戦場を離脱した私は。
 地面を転がりながらカメラの画角から外に出た。

 戦場を離脱した戦闘員は既に仕事が終わっているので後は撮影の見学である。
 今日も良い仕事が出来たと自画自賛だ。

 撮影は進み戦闘員は全員がサワヤカファイブにやられて退場した。
 デビサタン君は捕まえていた卓君を返すふりをしてサワヤカファイブに攻撃を加える。

「ぐあっ!卑怯な!少年は今の内にこの場から離れるんだ!」

 サワヤカミント君が卓君を逃がしてデビサタン君との戦いが本格化する。

「我の力を思い知れ!アイアンフィスト!」

 デビサタン君がビルを背にしたサワヤカファイブに向けて両拳を振るうとビルで爆発が起こり窓ガラスが割れる。
 同時にクレーンの鉄球がビルを叩いて大きく揺れ、瓦礫が上空から降って来た。

 今日は本当に大掛かりな撮影だなぁ。

 そんな風にのほほんと上を見上げてから地上に視線を戻すと。
 降り注ぐ瓦礫の先に卓君がいた。

 大人びたプロ子役として活動していても卓君もヒーローに憧れる5歳の少年である。
 カメラの画角からは外れながらも良いポジションで撮影を見学したいと考えてビルに近付き過ぎてしまったのかもしれない。

 っと今はそれ所じゃない!
 戦闘員の何人かが卓君に気付いているが走って届く様な距離ではない。
 寧ろ自分も巻き込まれる可能性があるのだから足が動かなくても仕方が無い。
 ここはヒーローも悪役怪人も撮影隊もプロの集まりだ。
 当然子役もプロなのだから撮影中に何かが起きたとしても自己責任である。
 だがしかし。

 そんな事はどうだって良い!
 子供が事故に巻き込まれるのを黙って見過ごす大人が何処にいると言うのか!

 私も卓君までの距離は遠い。
 そして降り注ぐ瓦礫の範囲が広い。
 つまり卓君のもとまで間に合ったとしても彼を抱えて瓦礫の範囲を抜けなければならない。
 私と同じ事を考えたのか同僚の数人が動き出したが彼らの足では足らない。

 ではどうするか。
 ここはヒーローの力を借りる事にしよう。

 この位置から卓君を救うには速筋戦隊ゼンリョクルスのゼンリョクレッドさんが使う超加速ミラクルダッシュを模倣するしかない。
 好都合な事に戦闘員の纏め役である私は同僚達の戦闘訓練の為にヒーローの技を模倣してヒーロー役をやっている。
 速筋戦隊ゼンリョクルスとの撮影も何度も経験しているのでかなり高いクオリティで再現出来ている。

 私はクラウチングスタートの体勢を取ってから頭の中でスターターピストルの音を鳴らして低い姿勢のままダッシュする。
 ゼンリョクレッドさんの超加速ミラクルダッシュは低い姿勢を取って空気抵抗を極限まで排除する事で爆発的なスピードを生み出す技である。
 そのスピードは人類史上最速とも言われる程。

 私はゼンリョクレッドさん程の速度は出せないが近いスピードで走る事が出来る。
 速度を上げて一気に卓君までの距離を詰める。

 上から迫る瓦礫に気付いた卓君が腰を抜かしてへたりと地面に座り込んだ。
 私は卓君の目前まで迫っているが。
 私と卓君の距離と卓君と瓦礫の距離が同じぐらいだ。
 つまり私は瓦礫の落下速度を上回る速さで卓君を抱え、瓦礫の範囲を抜けなければならない。

 普通の人間であれば不可能であろう。
 だが。
 今の私はヒーローを模倣した戦闘員だ。
 この状況でヒーローが卓君を救出出来ないなんて事が有り得るか?
 否、有り得る筈が無い。

 私は更に体勢を低くして殆んど四足歩行の動物の様に走る。
 短距離走のスタート直後の前傾姿勢を続ける感じで足に猛烈な負荷が掛かるが。
 数秒あまりであれば持つだろう。

 速度を上げた私はゼンリョクレッドさんが使う超加速ミラクルダッシュからの必殺技。
 超速弾道タックルの要領で卓君を抱え上げた。
 落下する瓦礫との距離は僅か十数センチ。

 間に合え、間に合え、間に合えぇぇぇええ!

 ゴンゴンと地面を鳴らす大きな瓦礫の音を背に聞きながら私は卓君を地面に下ろした。

「うわぁぁぁぁぁああ!ごめんなさいぃぃぃ!」

 命が危険に及ぶ恐怖心を感じたのか子供の様に泣きじゃくる卓君。
 いや、プロと言えども彼は間違いなく子供である。

 カットがかかったのかこちらに気付いて。
 ヒーローも撮影隊も集まって来た。
 これから卓君は注意を受けるのかもしれないが、それも命あっての事である。

 兎に角卓君が無事で良かった。
 単なる戦闘員でしかない私だが。
 日頃の訓練が誰かの役に立って良かったと心の底から感じる瞬間だった。