再生した魔王は、先刻までとまったく変わらない姿だった。
 しかし顔が異様なまで白い。

「アンデッド化したの……?」
「その通りだ、ニセ聖女。命まではすぐに再生ができぬからな。それまでは死者の器ということになる」

 ユイナールの言葉に愉快そうに答え、ザガリアは横たわるランブルの手からショートソードをむしり取った。

「……七つに分かたれたという七宝聖剣のかけらか。まさか実在しているとはな」

 遠くへと投げ捨て、ついでにランブルも蹴り飛ばす。

「あるいは、彼の英雄たちの末裔なのかもしれぬな。汝は」

 数メートルも飛んで、ぴくりとも動かないランブルに言葉を投げた。

 残酷なのではなく、それだけ魔王にとってこの冒険者は危険な存在だということである。
 慎重を期すほどに。

 それを見たフリックが、無言のままユイナールの近くに戻り、彼女を守るように立った。

 ランブルの次に警戒されているのはユイナールだろうから。
 聖女メイファスではなく。

 自らを盾として使ってでも守らなくてはいけない。

「ニセ魔王が負けたときから警戒はしていた。しかし、まさが予が本当に人間に殺されるとは思わなかったぞ」

 笑いながら、一歩二歩と近づいてゆく。
 聖女でなく、勇者でなく、勇者や聖女の因子をもった者たちですらなく、本当にただの人間によって殺された。

「だからこそ面白い」
「私はまったく面白くないけど?」

 魔王が進んだ分の距離を、ユイナールとフリックは後ずさる。
 もう打てる手がない。

 フリックひとりでザガリアと接近戦を演じるのはいかにも厳しいし、ユイナールの奥の手であるスプリッツァーは生物以外にはまったく効果がないのだ。

「そういうな、ニセ聖女よ。もっと楽しもうではないか」

 黒い瞳に底知れぬ深淵を宿し、魔王がにたりと笑う。
 勝利を確信した笑み。

「いいや? アンタはもう終わりだよ。ユイナに殺された時点で詰みなんだ」

 言ったメイファスが、歌を紡ぎ始める。
 聴く者すべてに安らぎを与える祝福の歌だ。

「うわぁぁぁっ! やめろ!! その歌は!!」

 狼狽する魔王の顔から険がとれていく。
 言葉とは裏腹に。

 柔らかな光に包まれ、優しげな表情で、ザガリアの身体が末端から光の粒子に変わっていった。

 滅びるのではなく昇天。
 魔王ザガリアの終焉は、この上なく穏やかなものだった。






「祝福の歌が魔王に効くとか、想像の斜め上すぎてコメントに困ってしまいますね」
「ホントは効かないと思う。言ったでしょ、ユイナの魔法が決まった時点で勝負はついてたんだよ」

 フリックの感想にメイファスが笑った。

 ホーリーサンダーでは魔王を滅ぼすことができない。攻撃力が足りないから。
 しかし、攻撃力も相手の防御力もまったく関係なく、問答無用で倒す手段が存在する。

 それが祝福の歌。
 アンデッド以外にはまったく効果がないが、この歌を聴いたすべてのアンデッドモンスターは絶対に浄化する。
 例外はない。

「だから魔王には一度死んでもらう必要があったってことかぁ」

 感心したようにユイナールが腕を組んだ。
 正直、スプリッツァーで滅ぼせなかった時点でもうダメだと思ったものである。

 しかしちゃんと布石となっていた。
 メイファスのもくろみは大胆というか、思い切りが良いというか。もし失敗していたら後がなかったのである。

 ランブル、マクス、ハンナが倒れ、残る前衛はフリックだけ。
 もう打てる手はほとんどなかった。
 タネの知れたエターナルスリップにかかってくれるほど魔王は甘くないだろう。

「ほんと、そういう作戦なら最初から言ってよね」
「ユイナなら言わなくても判ると思ったよ!」

 ユイナールのぼやきに、やや遠いところからメイが答えた。

 頭上で大きな丸を作っているのは、倒れた三人が一命を取り留めたという意味だろう。
 回復は間に合ったらしい。

 それは良いとして、なぜ距離を取っているのか。

「なにやってんの? メイ」
「お別れっぽい。魔王倒したからね」

 少しだけ寂しそうな笑みだ。
 魔王がいなくなれば聖女も勇者も必要ない。
 ここからは人間たちの物語である。

「平和が訪れたら、さよならと告げて去って行く。そこまでが役割だよ」

 かつて世界を救った勇者と聖女もそうだった。
 国政に関わることもなく、名誉と富貴に彩られた人生を歩むこともなく、いずこともなく去って行った。

「あたしもそうしなきゃ」
「なんで?」

 心底不思議そうにユイナールが首をかしげる。

「強すぎる力は混乱を」
「生まないよ」
「えええぇぇぇ……」

 かぶせて言われ、ユイナールの癖が感染してしまったような声を出すメイファスだった。

「たしかに聖女の力は強力だよ。この力を利用したいって考える人はいた(・・)かもしれないね」

 過去形を使い、人の悪い笑みをユイナールが浮かべる。
 聖女の力を利用して栄達しようとした人はどうなったかな、と。

 ハルセムとその一派がやり方を間違ったから、聖都イングウェイは混乱の淵に叩き落とされた。
 内乱の一歩手前まで。
 まさに手痛い教訓になったわけだ。

「その教訓が生きてる間は、メイを利用しようなんて人は現れないよ」
「そうなのかな……?」

「ぶっちゃけると、べつに聖女の力がなくても国が回るようになったからね。いてもいなくても同じなのに、わざわざ去る必要はないよ」
「ぶっちゃけすぎ!」

「それでも去るっていうなら、すっころばしても確保するけど」
「嫌すぎ!」

 ひどい会話である。
 寂しげだったメイファスの表情が、どんどん明るくなっていく。

 なにより彼女自身が離れがたく感じていたのだ。
 ニセ聖女と愉快な仲間たちから。

「それに、まだ魔王を倒しただけです。魔王軍は残っています」

 フリックが指さす方に視線を向ければ、魔王軍が整然と撤退していく様子が見える。

 素人のユイナールやメイファスから見ても自然で、まるで満ちていた潮が引くようだった。

 つけいる隙などまったくない。
 もし無理に追撃すれば囲まれて押しつぶされる。離岸流に巻き込まれて溺れる人のように。

「軍団の指揮を執っていたのは魔王ではなさそうですね」

 やれやれと肩をすくめる。
 つまり、ただ魔王がいなくなったというだけで、魔王軍との戦いは別にラクになったわけではない。

「そういうこと。まだまだメイの力は必要だね」
「いてもいいのかな? あたし」

「つーかいないと困るよね。最低限、メイのやらかしの後始末に使ったお金を回収するまでは」
「無理じゃん! 国に請求するっていってたじゃん!」

 ユイナールが提供したのは、一般的な世帯なら百四十億年ほどは暮らせるという天文学的な金銭である。
 個人レベルでどうこうできるような額ではない。

「国が返してくれるとは思うけどさ、一括のわけないし。少しは私たちも補填しないとご先祖様に申し訳たたないでしょ」
「いま複数形にしたね? ユイナ」

「新旧聖女二人のユニットとして、地方を回りながら説法して金を稼ごうぜ」
「ドサ回り! 聖女として間違ってるじゃん!」

 あんまりな提案に、ついにたまらなくなったメイファスが吹き出した。

 なんだかよくわからないうちに、絶対に返しきれない額の借りができていたらしい。
 借金奴隷より性質が悪いな、などと冗談交じりに思いながらメイファスは右の拳をユイナールへと差し出した。

「仕方ないな。頑張って稼ごうぜ。相棒」
「頼むぜ。相棒」

 応えて、こつんとユイナールが自らのそれをぶつける。

 寸劇めいたやりとりを、フリックは優しげに目を細めて見つめていた。
 魔王軍と戦いが決着したわけではない。しかし、この二人なら、漫才をしながら乗り切るだろう。

 それは、確信めいた予感であった。

 平野を渡る風が、聖女たちの金と茶の髪をなびかせている。








おわり