荷ほどきも終わらないうちに警鐘が鳴りひびく。
 私とフリックは顔を見合わせた。

 敵襲を報せる時の叩き方だったから。
 そして魔の森とオルライト王国の境界にあるコロナドを襲うものというのは、魔物だと考えて間違いないだろう。

「モンスターまでお嬢様を歓迎しているのでしょうね」
「ぜんぜん笑えないし。ていうかここ十五人しか戦闘員いないんでしょ。どうするんだろ」

 そう言って私は魔術師の杖を手に取った。
 慣れ親しんだ聖女の錫杖じゃないから、ちょっと違和感がある。

「いくんですか?」
「私の魔法くらいでもないよりはマシだろうからね」
「枯れ木も山の賑わいですね。お嬢様」
「そこは肯定しないで、ちゃんと褒めてよ!」

 どたどたと部屋を飛び出す。
 地理不案内なのでどこに行けば良いかわからないから、さしあたり上司のところに向かおう。

「ユイナール嬢。ここだったか。きみも騎士団の戦いぶりを見物するといい」

 ところが、道すがらダンブリンに出会った。
 妙にワクワクした感じだ。

「襲撃、ですよね?」
「うん。ギャグドだって報告があったよ」
「ギャグドて……」

 ワイルドボア(大イノシシ)の最上位種だ。
 体長は四メートル、体高は三メートル、重量に至っては三トンを超えるものもいるという。

 有り体にいってバケモノである。
 そんな魔獣を十五人の騎士で迎え撃つとか、正気の沙汰とは思えない。

「今夜はイノシシ料理のフルコースだねぇ」
「えええぇぇぇ……」

 なんでこの人、こんなにのんきなんだろう?
 本当に英傑と呼ばれた男なんだろうか。



 黒々とした森の中から、立木を押し倒しながらギャグドが姿を見せた。

「でっか……」

 思わず呟いてしまう。
 三メートルの体高って、ちょっとやばい。

 あと巨大な牙が怖い。
 もしあんなのに貫かれたら、人間なんかふつうに真っ二つにされそうだ。

 そのギャグドの前に一人の騎士がずんずんと進んでいく。
 え? なに? 一人でなにをするつもりなの?

 意味が判らなくて視線をさまよわせると、アイザックと目が合った。
 にこりと笑みが返ってくる。

「大丈夫ですよ。ユイナール様」

 なにが?

「ジルベスはギャグドごときに遅れを取りません。悪くいうと馬鹿ですので」

 意味が判らないよ。

「良くいうと?」
「勇猛果敢とか、一騎当千とか、そんな感じですかね」
「そっちで言ってあげてくださいよ……」

 馬鹿ってなにさ。馬鹿って。
 なんで悪い方で言うんだよ。

 あと、ギャグドごときとか、意味不明すぎ。

 私とアイザックのやりとりの間にも、ギャグドとジルベスの距離は縮まっていく。

 頭を下げ、戦闘衝動に赤く目を光らせ、地軸を揺るがすような勢いで突進してくるギャグド。
 剣も抜かず自然体で近づくジルベス。

 変化は突然だった。

 ジルベスの右拳が、唸りをあげてギャグドの顔面に炸裂する。
 牙が折れ飛び、それだけではなく巨大な魔獣そのものも吹き飛んだ。
 重力を無視して巨体は十メートルも飛行し、木々をなぎ倒しながら止まる。

 そしてもうぴくりとも動かない。

「えええぇぇぇ……」

 私は目が点だ。
 ちょっと頭が追いつかないかなあ。

 なんで人間がギャグドを殴り飛ばせるんだよ。むしろ、なんで騎士がグーパンチで魔獣をのしちゃうんだよ。

 騎士たちがギャグドに群がって手際よく解体していくのを、私はぼーっと眺めていた。

 あー、肉になっていくねー。
 世の中は肉だねー。

「お嬢様。お嬢様」
「は! ちょっとべつの世界に旅立ってたわ!」

 フリックに肩を揺すられ、私は目の前の現実に意識を戻した。

 だいぶ解体が進んでる。
 ていうかジルベスって、川の近くに獲物が飛んでいくように計算してパンチしたんだね。

 うん。この人、やっぱりバカだよ。たしかに。

 魔獣ってのは、そういう存在じゃないじゃん。
 なんの盛り上がりもなく、パンチ一発で倒しちゃったら、サーガにもなんにもならないじゃん。
 吟遊詩人たち泣いちゃうじゃん。

「なかなか常識外れな戦闘力ですね。騎士というのは」
「だね。でもフリックならギャグドにも勝てるんじゃない?」
「勝てはしますけど、あんなふうに正面から一撃で倒すなんてのは無理ですね。僕には」

 肩をすくめてみせるフリック。
 彼は幼少の頃から厳しい訓練に耐えてきた。もちろん私を守るために。ニセモノの聖女は本物と違って殺せば死ぬから、護衛が必要なのである。

 そして死んでしまったらニセモノだとばれるため、護衛の従者には高い戦闘力が求められるのだ。

「ギャグドを倒せるほどの戦士か。それは一度手合わせしてみたいな」

 興味津々といった体のアイザックだが、フリックは穏やかな表情で首を横に振る。

「僕の剣はお嬢様を守るためのもので、誰かと競うためのものではありません。アイザック卿」
「そうか。それがきみの騎士道なのだな」
「僕が勝手にそう思ってるだけです。騎士道なんて立派なものじゃありませんよ」

 苦笑するフリックにそうかと笑い、アイザックはすっと解体されたギャグドの方を指さした。

「今夜は肉祭りだ。二人の歓迎会にちょうど良い」
「いきなり魔獣が襲ってくるのは、ずいぶん手荒い歓迎ですけどね」
「逆に考えるんだ。ユイナール嬢。獲物の方から来てくれたとね」
「そんなばかな」

 いつの間にかアイザックは平易な言葉遣いになっていた。
 騎士に傅かれるのは聖女だった頃までで充分。この方がずっと気がラクで良い。

「ここは出世街道から足を踏み外して、でもべつに気にしない連中ばかりだからな。聖都なんかに比べたらずっとのどかなものさ」

 魔獣が襲ってくる場所がのどかとか。
 なかなか私の常識では計り知れない。

 時間には追われないけど、魔物や魔族との戦いがある。そんなスローライフとやらがスタートしたのである。