「見事だ……小僧……」

 地面に縫い付けられた体勢のまま、アンディアが切れ切れに言った。

「名を訊いておこうか……」
「聖女の従者、フリックです」

 おや? 珍しい。
 フリックって訊ねられてもまず名乗らないんだよね。ただの従者ですとか、ただの小者ですとか謙遜して。

 アンディアが首を動かして私を見た。
 ゆっくりと微笑する。

 それからフリックに何か語りかけたようだ。
 もう声も小さくなりすぎて、こっちまで聞こえない。

 やがて、暗黒竜アンディアの瞳から光が消えた。

 一振りだけになってしまったショートソードを腰後の鞘に戻し、フリックが私たちの方へと戻ってくる。

 大きな怪我はしてないようだ。
 打撲やすり傷はいっぱいあるけどね。

 うつむいて軽く息を吐いてしまう。
 ったく。
 無茶なことしかしないんだから。

「どうしました? お嬢様」
「どうしました、じゃない!」

 ぎゅんっと顔を上げ、しかも背伸びまでして、両手でフリックのほっぺたを叩いてやった。
 ばっちんと挟み込むように。

「危ないことをしたらダメだって、いつも言ってるでしょ!」

 ちょっとびっくりしたような顔のフリック。

「申し訳ありませんでした」

 殊勝に謝るけど目が笑ってるじゃん。
 おめー、まったく反省してないな?

「安心して怒れる状態になったってとこだよね。ユイナは」

 きししし、とメイファスが笑う。
 大変に蓮っ葉っぽいよ! 聖女がそんなことで良いと思ってるのかい?

「さて、こっちに三人がかかりきりになっちゃったから、みんなに負担がいっちゃってるよ。助けにいかないと」

 にらんでやると、半笑いのまま話題を変えやがった。
 たしかに大事なことだから反論しづらいなぁ。

 余計な知恵をつけてきたぞ。うちの聖女様。
 ちょっと教育係に文句を言ってやらないと。

「メイファス嬢。お嬢様の悪いところばかりを真似ると、ダメ人間になってしまいますののでご注意ください」

 フリックも!
 たしなめるとかじゃなくて!
 もっと他に言うことあるじゃん!





 じっさい、月影騎士団の状況は甘くはなかった。
 機先を制したし、勢いでも勝っているけれど、やっぱり地力の差が大きい。

 騎士たちは一対一で魔人と互角かやや上、親衛隊と冒険者は、平均して二から三人で牛頭や馬頭と戦えるって感じ。
 ということは、ざっとの計算で魔人側に三十から四十くらい、フリーになるやつらが出てしまうってこと。

 こいつらをどう動かすのかで、戦況は大きく変わってしまう。
 じっさい、二対一で互角に戦っている親衛隊のところに馬頭が一体つっこんでいくだけで、人間側はあっさり負けてしまうのだ。

 そうならないようアイザックとブラインが、うまいこと部隊を移動させて数的な不利を補っている。

「見事なものですね。戦闘と移動のタイミングが完璧すぎる」

 フリックが感歎の息を吐いた。
 前に進み後ろに退き右に攻めこみ左に守り、六十二人しかいない新生月影騎士団が、まるで何百人もいるかのようにみえる。

 とはいえ、ずっと続けられるわけじゃない。
 人間だからね。いずれ疲れ切って動けなくなってしまう。

「お待たせしました! ブラックドラゴン八頭! 倒してきました!」

 戦域に入るやいなやメイファスが叫ぶ。
 事実によって味方を鼓舞し、敵を萎縮させるためだ。

 耳が痛くなるくらいの歓声を上げる騎士団。

 八頭のドラゴンをたったの三人でやっつけて援護に駆けつけたのだ。これで士気が上がらなかったら、どうすれば上がるんだって話である。

「お嬢様、あそこに」
「了解! エターナルスリップ!」

「メイファス嬢、あの馬頭に」
「わかった! ホーリーサンダー!」

 フリックが指さした場所に魔法と奇跡が飛んだ。

 転んだ魔人に冒険者がとどめを刺し、消し炭になった魔人の相手をしていた親衛隊が別の敵に向かう。

 私にもメイファスにも、どこにどういうタイミングで仕掛けたら良いのか判らない。
 だから、フリックが指示出し担当だ。

 乱戦状態でなかったら、なんとなくあそこの連中を転ばせれば面白いことになりそう、とか判るんだけどね。

「手加減が難しい! フルパワーで雷落としたら周りも巻きこんじゃうし!」
「コントロールを身につける練習だと思うといいよ。本当だったら制御を憶えるのが最初なんだから」

 やりにくそうにしているメイファスに私が言った。

 魔法を暴走させないってのが第一段階だから、魔法学校なんかの実習ではまず制御の練習から入る。
 もちろん理論を学ぶのが第ゼロ段階なんだけどね。

 メイファスはそのあたりを全部すっ飛ばして神の力を行使している。感覚だけで。
 魔王軍と戦うとき、それはあんまりよろしくない。

 先制攻撃ドカーン、で、敵を全滅されるなら良いんだけどね。
 今回みたいに細かい支援が必要になる場面だって数多くあるだろう。

 そのときになって周りを巻き込んじゃうかもしれないから支援できません、ってわけにはいかないのである。

「それでも、今教えて今できるようになってるってのが規格外なんだけどね。やっぱりメイは天才なんだよ」
「ユイナの教え方がいいだけじゃん」

「じつは将来、メイの伝記とかが出たとき、師匠が良かったんだって書かれるのが秘かな野望なんだよ」
「伝記になるには魔王を平和を取り戻さないとね」

 くすりと笑い合う。
 魔王ザガリアなにするものぞ。
 絶対にやっつけてやる。

「エターナルスリップ!」
「ホーリーサンダー!」

 二人の声が戦場に響き渡った。