町の方から飛び立つ巨大な影。
 鱗に覆われた漆黒の身体。破壊衝動に爛々と燃える真っ赤な瞳。
 ブラックドラゴンだ。

 凶暴さではレッドドラゴンに劣るものの、竜族のなかで最も邪悪で、最も人間に害を為す種である。

「やはりおりましたね。空の魔物も」
「だね。ブラインさんの予想通りだよ」

 フリックが馬車を止め、荷台から長弓を取り出す。

 パコルデは街壁は高く厚く、そうそう簡単に破られるものではない。
 それがあっという間に陥落してしまったのは、空からの攻撃があったんじゃないかってブラインが予測したんだ。

 上と下が連携して立体的に攻めたら、どんな強固な城市だってもちこたえられないってね。

 私にはちんぷんかんぷんだったんだけど、フリックは大いに頷いていた。
 そしてブラインとすごい意気投合して、その夜はお酒を酌み交わしていた。

 なんでも、聖都の軍本部にいたとき上役に同じことをいって、げらげら笑われたんだってさ。
 お前は空が飛べるのかって。

 ごめんブライン、私もその上役と一緒だわ。
 空と陸が連携したらなにがやばいのか、さっぱりわかんない。

「お嬢様が軍事に関して造詣が深かったらかえって嫌味ですよ。聖女なんですから」
「でも、わかんないところでうんうん頷かれるのは、なんか面白くないのよ」
「でたないつもの負けず嫌い病。素直に頼ってくれれば嬉しいのに」

 ぼそぼそって、聞こえない程度の声で呟いてる。
 たまーにフリックってこういうことやるよね。
 疲れてるのか?

「なんかいった?」
「僕たちだけで八体のドラゴンを相手にするのは骨だなって言っただけですよ」

 そんなセリフだったかしら? 
 ともあれ、ブラックドラゴンが八頭って、普通に考えたらやばい戦力だよね。
 一斉にブレス吐いたら、このあたりぜんぶ焼け野原になってしまいそう。

「骨でもやるしかないでしょ」

 馬車を降りたフリックの右側に私が、左側にメイファスが立つ。
 ちょっと邪魔かもしれないけれど、このポジショニングでないダメなのだ。

「弓矢でドラゴンを撃ち落とそうって人間は、ちょっと珍しいかもですよね」

 くすりと笑い、フリックが弓弦を引き絞る。
 左の指に乗った矢の先に、私はエターナルスリップをかけた。
 そしてメイファスが両手でフリックの背中に触れる。

「正しき力を、あなたに。ホーリーウェポン」

 ささやきとともに光が背中から腕、腕から弓矢へと移動した。

「準備完了だよ。フリック」
「いけるよ。フリックさん」

 ほぼ同時に声をかける。
 軽く頷いたフリックが最も近いドラゴンに狙いを定める。
 近いっていっても、まだ五百メートル以上は離れてるんだけどね。

 放たれる矢。
 信じられない速度で、まるで彗星のように白い軌跡を空中に描きながら飛んでいく。

 はるか視界の先、黒い竜の長首と胴が分かたれたのが見えた。

 ぱぁん、という景気のいい音が、一拍遅れて聞こる。





 一瞬、戦場が凍り付いた。

 ドラゴンの首が飛ばされるというシーンは、そうそう見かけない。
 ましてそれがたった一本の矢でやられたなんて、自分の目で見ていたって信じられないだろう。

 エターナルスリップで空気抵抗から解放された矢は、回避できないほどの速度を持った。

 ホーリーウェポンで神の力を宿した矢は、竜の鱗すら飴細工のように砕く威力を持った。

 そして、月影騎士団の連中すら認めるほどのフリックの技倆である。

 みっつの力がひとつになって、ドラゴンを首ちょんぱしちゃうという頭おかしい結果を招来した。

「次いきます」
「了解!」
「任せて!」

 ふたたびフリックが矢を放つ。
 次のドラゴンは、胴体にこちらからでも判る大穴をあけて墜落していった。

 今度は人間たちから歓声があがる。
 奇術や見間違いではないと、完全に全員が認識した。
 味方は。

 牛頭と馬頭たちは、まだ呆然としたままである。

「いくぞ!」

 激戦のさなかにぼーっとしちゃってる敵を攻撃しないというのは、お人好し揃いの月影騎士団でもありえない。
 団長のアイザックを先頭に騎士たちが切り込む。

 後に続く親衛隊と冒険者たち。
 総勢六十二名。

 魔人はまだ七十体近くもいるのだから数では劣っている。
 しかし、ドラゴンが立て続けに撃墜されるという異常事態を目の当たりにして呆然と立ちすくんでしまった牛頭と馬頭は、数を活かすことができなかった。
 それどころか基礎能力の差すら活かせなかった。

 たとえば、剣の達人のバシンあたりだと、東方から渡ってきたというすげー切れ味の片刃の剣で、牛頭の股下から脳天までをスパーンときれいに斬りあげちゃったりね。
 魔人が縦に真っ二つにされるとか、なんの冗談かと思うよね。
 一対一で魔人と戦える時点で常識ってやつを遠投しちゃってるのにね。

 こんな活躍を見せられたら、親衛隊や冒険者だって黙ってられない。
 さすがに騎士ほどの戦闘力を彼らは持っていないけど、何人かで連携して着実に牛頭と馬頭の数を減らしていく。

 いやあ、冒険者もなかなか強い。

 とくにランブル、華があるね。
 戦場の狂風になびく赤い髪が陽光を照り返し、二刀流の魔法の剣(マジックソード)が瞳と同じく青く輝き、本当に絵になる感じだ。
 声援を送りたくなっちゃう。

 こっちはこっちで、そんな余裕はないけど。

「やりおるわ。人間どもが」

 巨大な翼をばっさばっさはためかせて、ひときわ大きいブラックドラゴンが目の前に着陸した。
 こいつにだけは、矢が当たらなかったのである。
 フリックの腕前を以てしても。

 逆にいえば、こいつ以外の七頭はやっつけたわけだ。

「我は暗黒竜アンディア。人間の勇者よ。楽しもうではないか」

 牙をむいて笑う。
 その目には、もうフリックしか映っていない。

 はあ、と、ため息をついて彼は弓を捨て、腰後ろの隠しからいつものショートソードを引き抜いた。

「竜の血は臭いから、接近戦は嫌なんですけどね」

 おおー、煽る煽る。