「きたぞ! 迎撃用意!!」

 半鐘を打ち鳴らしながらタニスが叫ぶ。

 聖女たちがコロナドを離れて二日、ついにモンスターが襲ってきた。
 一日に何度も襲撃があった先日までと比較したら、ずいぶんと間隔が空いている。

「夕食のとき、このまま何事もなければ良いか、などと言ってしまったのがまずかったかな」

 軽口を飛ばしながら、ジョンズが物見櫓に登ってきた。

 もともとは左大臣マーチスの補佐官を務めた中年男で、現在は聖女メイファスの補佐職である。
 本当はメイファスたちと同行しなくてはいけない立場なのだが、コロナドに残留した。
 現在は、代官代行という曖昧なポジションだ。

 もちろん彼が残ったのには、いくつかの理由がある。

 彼自身に武の心得がまったくないため、同行してしまうと護衛のために人材を割かないといけなくなる、ということ。

 メイファスの補佐はユイナールに任せてしまって大丈夫だ、ということ。

 そして、幹部のうち誰かがコロナドに残って全体の指揮を執らなくてはいけない、ということだ。

「魔の森での勢力争いが一段落した、ということではないでしょうか? ジョンズ代行」

 生真面目にタニスが返す。
 するとジョンズはおおげさに息を吐いた。

「タニスくん、そこは「えええぇぇぇ……」と返さないと。ユイナールのように」
「代行は俺に何を求めてるんですかね?」

 すごく嫌そうな顔をするタニスだったが、笑いの発作に耐えかねて、ぶっと吹き出してしまう。
 前はいつもしかめっ面をしていたジョンズが、じつはこんな愉快な為人だったとは。

 さすが前聖女ユイナールの知己だけのことはある。
 ずっとあれ(・・)の近くにいたのだったら、そりゃあ人格形成に影響があるだろう。
 おそるべき汚染力だ。

「いま、とても失礼なことを考えなかったかね? タニスくん」
「誤解です。気のせいです」

「ふむ。誤解ならば仕方がない。本題に入るとしようか」
「仕方なく入られたんじゃ、本題さんも浮かばれませんがね」

 冗談を飛ばし合いながらも、二人の視線は森の外縁部に固定されている。

 見えるのは猪鬼(オーク)が三十体ほど。
 それなりに怪我をしている個体もいるから、タニスが予想したとおり森の中での勢力争いがあったのだろう。

 勝ち残った猪鬼どもが、晴れて人間の領域への侵略権を手に入れたというわけだ。

「オークごときが勝ち残るとは、魔の森の凋落も甚だしいね」
「強敵と戦いすぎて感覚が麻痺していますが、代行、オーク三十匹って普通にやばい戦力ですよ?」

 人口が千人以下の普通の村や宿場だったら、最終的には撃退できたとしてもかなりの被害を被るだろう。

 戦闘訓練を受けていない成人男性だったら、三対一くらいでなんとかオークに勝てるかな、という程度に戦闘能力に差があるのだ。
 そもそも、ど素人が簡単に勝てるような相手だったら怪物(モンスター)などと呼ばれない。

「いや、ごときさ。この程度を簡単に倒せなかったら、騎士団も親衛隊も安心してコロナドを留守にできない」
「……まったくですね」

 に、と笑ったジョンズに、タニスが頷いた。

 自分たちのことは捨て置いて進んでくれ、と、大見得を切ったのである。
 ちょっと強いモンスターが出たくらいでびびっていては、お話にならないのだ。




 どすどすと重い足音を立ててオークが迫ってくる。

 粗末な街壁の外で遊んでいた子供たちが気づき、わーっと声をあげて一目散に逃げ出した。
 オークどもにとっては、最もおいしそうなエサである。
 逃がしてなるものかと足を速める。

 が、突如としてなにかに足を取られ、次々と転倒した。

「よし。長槍隊、攻撃開始だ」

 壁の陰に隠れていた老人たちが、おー! と鬨の声をあげて突進する。
 五メートルもある長い槍を水平に構えて。

 長すぎて取り回しが大変なのだが、ただまっすぐに突くだけならこのくらい長い方が相手の攻撃範囲に入らなくて良い。

 ましてオークどもは転んでもがいている。
 ただの的だ。

 たちまちのうちに、三十匹のオークが槍先にかかる。

「オーク全滅! こちらに損害なし!」
「うむ!」

 報告するタニスが右手を挙げ、ジョンズがぱぁんと自らのそれを打ち付けた。
 まさに作戦通り。

 そもそも警鐘が鳴っているのに、子供たちが壁の外で遊んでいるはずがない。
 つまり囮部隊である。

 人を捕食するモンスターにエサを見せびらかすことで、まずは冷静な判断ができないようにした。
 必死に逃げる子供たちを捕まえようとして、オークたちは全力疾走する。

 すると足下がおろそかになるのだ。
 その瞬間を狙ってぴんと張られたロープに気づかないほどに。

「全力で走っているときに転んだら、それ自体が大ダメージになる。ユイナールが言っていた通りになったな」

 ジョンズが口髭を撫でて独りごちる。
 三十匹ものオーク相手に危なげなく勝利してしまった。
 こちらには、老人と子供しかいないのに。

「ユイナール様が考案した戦術は恐ろしいですね」

 出てもいない汗を右手でタニスが拭った。
 戦術というかエターナルスリップは悪戯の類いだけどな、と、ジョンズは思ったが口には出さなかった。
 前聖女を神聖視する若者の夢を、わざわざ壊す必要はないのである。

 金髪碧眼のメイファスに比較すれば、茶色い髪と瞳のユイナールは俗っぽい容貌だが、ちゃんと美人の範疇には入っていることだし。