昏い、暗い森の奥。
 怪談話に登場しそうな、陰鬱な城が建っている。

「魔王陛下には初めて御意をえます。暗黒竜アンディアと申す愚物にて」

 厳つい鎧をまとった武人が深々と頭を下げる。

「大儀」

 睥睨する黒髪の男が短く応えた。
 魔王アァルトゥイエ。
 彼は魔王ザカリアではなく、まったく別の存在だ。
 この地に降臨して半年ほどが過ぎようとしている。

「出陣の際には、ぜひ我に先鋒を」
「期待しよう。アンディア」

 酷薄な笑み。
 もう一度低頭したアンディアが退出する。

「陛下。お耳に入れたき議がございます」

 すっと身を寄せてきたのは参謀長のハラゾンだ。アンディア同様に人間の姿をとってはいるが、本質はヌエというモンスターである。

「許す。申せ」
「先日、人間の一団が森に入り込みました」
「ようやく重い腰を上げたか」

 にやりと魔王が薄い唇を歪めた。
 魔の森に人間が足を踏み入れる理由などひとつしかない。魔王が復活したか否かを確かめるためである。

 なにしろ、いるのといないのでは戦略がまったく異なるのだ。調べないわけにはいかない。

 ただ、やはり魔の森に入るというのは大変に勇気が必要な行為だ。
 魔の者たちが人間界に出向くのに尻込みしてしまうのと同様に。

「それで、人間たちはどうした?」
「殺した旨、報告が届いておりますが、こちらの損害もそれなりにあったようです」

 地竜が二頭もやられたという。
 他にもゴブリンチャンピオンやオーガーなど、なんやかやで二十近い損害を出している。
 人間五人に対して、だ。

 損耗比率という点では完全に負けである。

「やはり人間は侮れない。準備に時間をかけて正解だったな。ハラゾン」
「御意」

 魔王アァルトゥイエがこの地に降臨して半年。
 当初は血気盛んに人間界へ侵攻しようとした魔王だったが、ヌエのハラゾンが押しとどめた。
 人間侮りがたし、慎重に事を進めるべし、と。

 忠告に従い、アァルトゥイエはまず人材の収集に腐心した。
 兵は精強であらねばならず、将は優秀でなくてはならない。
 かなり強烈で厳しい選別がおこなわれる。

 八割以上のモンスターが、誕生と同時に戦力外の烙印を押されて放逐された。
 それが森の外へと流れていったわけだが、彼らの行く末など魔王の関知するところではない。

 何処かで生きるなら生きれば良いし、野垂れ死ぬなら野垂れ死ねば良い、という程度のものである。
 そもそもモンスターというのは、すべて成体としてこの世界に現れる。保護が必要な幼体などというものはいない。

 もし生きていけないなら、その程度の力しかなかったというだけの話でしかないのである。

「して、今後はどうすべきだと思う?」

 軽く首をかしげ、魔王は腹心を見やった。
 人間と会敵し打ち倒した。これは事態が動いたことを意味している。勝った負けたはさほど関係がない。

 調査隊が戻らなければ、当然のように人間たちは全滅したと考えるだろう。
 当然のように次の手を打つ。
 再度の調査をおこなうか、大規模な兵力を投入するか、あるいは森の外縁部で守りを固めるか。

 いずれにしても、こちらもそれなりの対応が必要になる。

「何度も少数の調査隊を派遣してくれればラクで良いですが、さすがにそれは望み薄でしょうな」

 ハラゾンが右手で顎を撫でる。
 どことなく楽しそうなのは、人間と知恵比べでもしているつもりなのだろうと魔王は推測した。

「こちらが楽な手は打たない。むしろ取られたら困る手を取ってくるのが人間だ。というのが貴様の持論ではなかったか?」
「御意」

 たしなめるように言ったアァルトゥイエにハラゾンが低頭する。
 遊びではないのだ。

 人間を滅ぼし、世界を壊さなくてはならない。
 そのためにアァルトゥイエは「呼ばれた」のである。

「我らにとって最も困るのは、次元門(じげんもん)を閉じられることですな」
「理の当然だな。門がなくては誰もこの世界にこれないのだから」

 魔王や幹部だけでなく、すべてのモンスターはこの世界の存在ではない。
 世界を壊すために呼ばれた『破壊者』だ。

 そしてその企てを阻むため、人間たちのなかに『守護者』が現れる。
『破壊者』が勝てば世界が消滅し、『守護者』が勝てば世界は存続する。何十万年も昔から、その戦いは続いているのだ。

 この世界で五百年ほど前に起こった戦いでは『守護者』が勝利し、安寧のときが訪れた。

「普通であれば、あと二千年ほどは『破壊者』は現れない。しかし、壊す方の神はよほど前回の敗戦が悔しかったのだろうな」
「ここまで不利な条件から再戦するくらいですからな」

 魔王と腹心が笑いあう。

『破壊者』の拠点はこの魔の森一つだけ。戦力を増やすための次元門も一つしかない。
 単純な支配域の比較なら、九万九千九百九十九対一くらいだ。
 勝てたら奇跡だろうというほどの差である。

「それでも再戦を決意したのは、あなた様を呼べたからでしょう。速攻に定評のある、ミスターリアルタイムアタックを」

 大げさな敬称に魔王が肩をすくめた。

「準備は八割というところですが、足りない分は陛下の速攻の妙で補いください」

 それはすなわち、侵攻を開始しましょうという意味である。

「四魔将を呼べ。作戦を伝える」
「御意」

 にっと笑ったアァルトゥイエに、うやうやしくハラゾンが頭を下げた。