「なんで団長はわっかんないのかなっ! バカなの!?」

 むっきーってブラインが怒ってる。
 そりゃ怒るかぁ。誤魔化そうとしちゃったもんなぁ。

「ユイナちゃん。判っててやってるでしょ」
「お、おう……」

 ちゃん付けか。なんか久しぶりで照れるな。

「おいおいブライン。なにを怒っているんだ?」

 苦笑いのアイザックである。
 相手を転ばせるだけの魔法だと思ってればこういう反応だよね。普通は。

 ちらっと団長に一瞥をくれ、ブラインが私を正面から見た。
 降参、と、両手を軽く挙げてみせる。
 完全にばれちゃってるからね。

「種明かしになってしまうけど説明するよ。いいね? ユイナちゃん」
「仕方ありません。誤魔化そうとしてごめんなさい」
「全員、解体作業に入れ!」

 ブラインの号令で、騎士たちがぞろぞろとヘルハウンドの方へと移動する。
 なんで彼が命令するんだろうと思っていたら、なんと月影騎士団の副長さんなんだってさ。

 その場に残るのは、私とフリック、アイザックとブラインの四名だけだ。

「良いかい団長。おおよそこの世のすべてのものには摩擦の力が働いているんだ」
「そのくらいは知っている。だから重い物を運ぶのに荷車を使ったりするのだろう」

 バカにするなとアイザックが返す。
 地面に置いた荷物をそのままずりずりと動かそうとしたら大変だ。それは荷物と地面の間に摩擦力が働いてるから。

 荷車に乗せて運べばラクなのは、車輪を使うことによって摩擦力を弱めてるの。まあ実際はそこまで単純じゃなくて、車軸に摩擦力がかかっていたりいろいろあるんだけど、そこはいったん置く。

 そのまま引きずるより荷車で運んだ方が力が必要ないって認識は、多くの人が持っていると思う。
 つまり摩擦力は弱ければ弱いほど良い、と。

「それこそ最大の誤解なんだよ。じっさい、摩擦力がなくなったら荷車だってまっすぐ動かないし、止まらないからね」

 ブラインの説明にアイザックがきょとんとした顔をする。

 ピンとこないだろうね。
 仕方ないよね。
 当然のようにあるものなんだから、どうしてそうなっているのかなんて、普通は考えないもの。

「ユイナちゃん。団長の手にさっきの魔法使ってくれる?」
「どうしてもやるんです? 実験」
「やんないとわかんないでしょ」

 重ねて言われ、私はアイザックの手に「エターナルスリップ」を使った。

「べつになんということはないけどな」

 自分の手を見て、アイザックが首をかしげる。
 そりゃあ見た目になにか変化がある魔法じゃないしね。

「じゃあ団長。剣抜けるかい?」
「お? おお? 掴めないぞ」

 ブラインに促されたアイザックが面食らう。剣を抜くどころか柄を握ることすら満足にできないのだ。

「不可解な……っ」
「それが摩擦力だよ。それが働かないと物も持てないし紐だって結べない。そもそも立ち上がることもできないんだよ」

 だからヘルハウンドは転倒し、起き上がることができなかったのである。

 私は攻撃魔法そのものは不得手だけど、こういう攻撃に準じる魔法はけっこう得意だったりする。
 代々の研究のたまものだね。

 聖女の奇跡である回復魔法を再現するため、ずっと昔から人間の身体について調べ尽くしてきたのだ。

 どうして立てるのか、どうして物を握れるのか、これもまたその一環。
 他にも、どうして息を止めると苦しいのかとか、どうして病気になるのかとか、そりゃもういろんな研究がされてきたさ。

 なんとなーく人を癒やせちゃう聖女様とは違って、こちとらニセモノなもんで、たゆまぬ努力が必要だったわけですよ。

「つまり、ユイナール嬢の魔法は超強力だという解釈でいいのだな? ブライン」

 すごくざっくりとしたことを言うアイザックである。
 この人けっこう大雑把だなー。
 すごくイケメンなのに。

「その解釈で良いけど普通の魔法使いとは違うからね。運用には気をつけないとだめだよ」

 苦笑するブラインだった。
 つまり、彼が騎士団の頭脳だってことなんだろう。

 あ。良いネタを思いついちゃった。

「ブラインだから頭脳(ブレイン)なもがーもがー!」

 セリフの途中で後ろからフリックに口を塞がれた。

「あははは。お気になさらず。妄言ですので」

 そして愛嬌を振りまいてる。
 ひどい。
 なんて従者だ。




 なんと、午後にもモンスターの襲撃があった。
 オークが三体で、戦力としてはたいしたものではなく、こちらも騎士が二人で余裕をもって撃退している。

 けど、問題は戦力の話じゃない。

「つまりユイナールくんが来たから、モンスターが活性化したということだね」
「えええぇぇぇ……」

 ダンブリンに言いがかりをつけられた。
 私がいったい何をしたというのか。

「というのは冗談としても、聖女の代替わりとモンスターの活性化を切り離して考えるのは、いささか楽観が過ぎるというものだろう」

 夜におこなわれた会議である。
 出席者は代官のダンブリン、駐留している月影騎士団の団長であるアイザックと副長のブライン、そしてなぜか私の四名だ。

「聖女が代替わりすると魔物が強くなる、などという話は聞いたことがないぞ。ダンブリン卿」
「順番が逆だよ。アイザック殿」

「逆?」
「モンスターが強くなったから、ユイナールくんよりずっと強力な聖女が必要になった。だから世代交代がおこなわれたと私は読むね」

 ダンブリンの推理には、私はほうと舌を巻く。
 世代交代ではなく、本当は本物の聖女が出現したわけだが、その理由について考えたことがなかった。

 聖女が現れるとき、それはすなわち、世界に未曾有の危機が迫っているときである。