駅の柱や壁の広告はすっかりクリスマス色に染まっていた。
 バスロータリーの前でサンタの格好をした男がチラシを配っている。
 桜井紘彬警部補は改札口近く柱の前に一人で立っていた。
 二十代後半、しゃれた格好からはとても刑事には見えない。
「なんで俺だけ一人なんだよ」
 紘彬がぐちった。
「仕方ありませんよ」
 スマホから如月風太巡査部長の声が聞こえてきた。
 如月は近くのファーストフード店の窓際に立花桐子巡査と向かい合って座っている。
 カップルでお喋りをしている振りでスマホで紘彬とやり取りしているのだ。

 高田馬場駅近くのファーストフード店でカップルの振りをして張り込みをする事になった時、誰と誰が組むかという話になった。
 他の刑事はすんなり決まった。
 問題は紘彬だった。
 課長は紘彬を甘く見ていた。
 というか紘彬の女性人気を甘く見ていたのだ。

 紘彬が「誰でもいい」と言った途端、パートナーの座を掛けた署内の女性警官達の壮絶な戦いが始まった。
 クリスマス前というのがそれに拍車を掛けた。
 上手くいけば紘彬をゲット出来る上にクリぼっち回避で一石二鳥だ。
 拳銃を持った暴力団員を物ともしない強者(つわもの)揃いの課長達が女性警官達の熾烈(しれつ)な戦いに(おそ)(おのの)いた。
 大惨事世界大戦が勃発(ぼっぱつ)し、血で血を洗う争いになり掛けたところで署長が「桜井は一人で」という命令を下した。
 その結果、紘彬は一人で突っ立っている事になった。

 当然、一人で任務に当たるというのは有り得ないので紘彬が見える位置に他の刑事が張り込んでいる。
 最初はナンパ男の振りをしたのだが、すぐに女性が引っ掛かってしまい仕事にならなかった。
 女性が応じる度に「あ、やっぱりごめん」と言うのを繰り返した挙げ句、不審者として通報されてしまい派出所から警官が来た。
 警察署から張り込みの事は聞いていても通報があれば見に来ない訳にはいかない。
 派出所が警察署に他の方法にしてくれと苦情を入れたため紘彬は待ちぼうけ男を演じる羽目になってしまった。

 紘彬がふと見ると向かいに白いコートの女性が立っていた。
 手にプレゼント用の紙袋をさげている。
 昨日もずっといた。
 おかげで目立たないが元より待ち合わせ相手のいない紘彬はともかく実際に待ちぼうけを食らっている女性に同情した。

 二日続けて待ってるって事は日付を指定した待ち合わせじゃないのか?

 有名人を待ち伏せているなら別だが、一般人を待っているとしたら来る気はないと伝えてやれば良いと思うのだが。
 紘彬がそう言うと、
「悪者になるのが嫌で言えない人がいるんですよ」
 如月と一緒にいる桐子が答えた。
「もしかして桐子ちゃんもすっぽかされた事あるとか?」
「いえ、私じゃありません。友人です」
 桐子が笑った。
「言わなくてもすっぽかせば悪者だろ」
「待ち合わせに行かない事で察してって事です」
「う~ん、確かに来なきゃ嫌われてるって気付くだろうけど……」

 夕方、女性の待ち人はまだ来ていなかった。
 その時、三人の若い男達が女性に声を掛けた。
 表情からして待ち人ではない。
 女性は断っているが男達はしつこかった。
 紘彬は溜息をつくと歩き出した。
「その辺にしとけ」
 紘彬が声を掛けると男達が振り返った。
「なんだテメー」
「すっこんでろ!」
「お前達こそ、さっさと帰れ」
「へっ、女の前でいいカッコしたいのかよ」
 そう言って殴り掛かってきた男を、紘彬は右足を引き(たい)を開いて(かわ)すと足払いを掛けた。
「うわ!」
 男が床に転がる。
「テメー!」
 前後から二人同時に殴り掛かってくる。
 紘彬は前の男の腕を掴んでそのまま引っ張った。
「えっ!」「うわ!」
 紘彬の脇を通り過ぎた男が後ろから殴り掛かってきた男とぶつかる。
「ふざけやがって!」
 最初の一人が立ち上がった。
「いい加減にしないと警察が来るぞ」
 紘彬が警告する。
「ポリなんざいねぇよ!」
 そのとき紘彬の隣に現れた如月が警察手帳を見せた。
「そこの派出所まで一緒に行く?」
「一人で三人連れてけんのかよ!」
「一人じゃないだろ」
 紘彬が答える。
 男達は舌打ちすると、
「覚えてろ!」
 と言うお決まりの捨て台詞をはいて逃げていった。
「それじゃ、自分は戻ります」
「助かった」
 紘彬が礼を言った。
「有難うございました」
 女性が頭を下げた。
「迷惑じゃないならそこに立ってていい? 男が隣にいれば絡まれないと思うから」
 紘彬は女性の横を指した。
「私は助かりますけど……お仕事ですよね?」
 今のやり取りで紘彬も警官だと気付いたらしい。
「ご迷惑では……」
 女性が遠慮がちに訊ねた。
「カップルの方が目立たないから。ただ君が待ってる人に誤解されると困るなら離れてるけど」
「私は構いませんけど、どうして一人なんですか? 女性は出来ないとか?」
「いや、他は女性と組んでカップルの振りしてる」
「じゃあ……」
「課長が戦争が始まったとか訳の分からないこと言い出して……」
「……彼女いないんですね」
「え! 分かるの? 見るからにフリーって事!? 女性が近付きたくないカッコしてる? 服? 髪型? どこ直せば女性が寄ってくるようになるの!?」
 怒濤(どとう)の質問攻めに女性が困惑した表情を浮かべたのをファーストフード店から見ていた如月が、
「桜井さん、仕事中です」
 とたしなめた。
 紘彬は肩をすくめると柱にもたれた。

 終電が発車して改札口が閉じられた。
「家、この近く?」
「そこからタクシーに乗ります」
 女性はそう言うと車道の近くで手を上げた。
 タクシーが止まったのを見届けると紘彬達は徒歩で警察署に向かった。

 翌日、紘彬が行くと女性はもう来ていた。
 紘彬は五十センチほど間を開けて隣に立った。
「俺、明日は休みなんだけど……」
「大丈夫です。昨日まで絡まれた事ありませんでしたから」
「もしかして俺があそこに来る前から待ってた?」
一日(ついたち)から」
 となると一週間前からだ。
 紘彬が休みの日は他の刑事が代わりに張り込む。
 ここは見えているから何かあれば助けてくれるだろう。
「ドロボー!」
 その声に振り返ると男が走ってくるところだった。
 動こうとしない紘彬を女性が不思議そうに見上げた時、男が二人の前に差し掛かった。
 その瞬間、紘彬が男に足を掛けた。
 転んだ男が道路に叩き付けられる直前、男のコートの背を掴んで勢いを殺す。
 紘彬はコートから手を離すと地面に伏せる形になった男の腕を後ろ手に回した。
 通報を受けた駅前の派出所の警官が駆け付けてきた。
 警官達はあえて敬礼はせずに頭を下げて礼を言うと男を連れていった。
「こういうお仕事に慣れてらっしゃるんですね」
「いや、俺は派出所勤務した事ないから街中のごたごたはあんまり」
「え?」
「国家公務員試験で警官になると最初から刑事だから」
「そう言う試験で入る人って管理職になるんだと思ってました」
「普通はね。俺はキャリアから外れたから……」
「あ、すみません」
 女性が慌てて謝った。
「気にしなくて良いよ。おかげで転勤ないし書類も報告書と始末書くらいだし」
 問題起こさなければ始末書書かなくていいんですよ。
 スマホで話を聞いていた如月はそう突っ込みそうになるのをこらえた。

 その日も女性の待ち人は現れず、紘彬は彼女がタクシーに乗るのを見届けてから帰途についた。

 二日後、紘彬は始発前に駅に向かった。
 紘彬の家は高田馬場駅から歩いて十五分ほどのところだから始発前に来られる。
 やはり彼女は駅が開く前から来ていた。
 二人の目の前で駅のシャッターが開いていく。
 女性が改札口が見える壁の前に立つと紘彬は横に並んだ。
「張り込みって何日も掛かるものなんですか?」
「うん」
「ドラマだとすぐに来るからこんなに何日も待つものだとは思いませんでした」
「ホント、十分くらいで現れてくれれば定時で帰れるのにな」
 紘彬が苦笑いしながら周辺を見回した。
 早朝の駅前には人影が無かった。
「桜井さん、駅前の牛丼屋で強盗です!」
 懐のスマホから如月の声が聞こえた。
 如月が住所を告げる。
 辺りを見ると走って行く男の背が目に映った。
 他には誰もいないからあの男だ。
 紘彬は男を追って駆け出した。
 足音に気付いた男が振り向く。
 振り切れないと気付いた男は、
「来るな!」
 と言ってナイフを振り上げた。
「え……」
 男が驚きの声を上げた時には紘彬は懐に飛び込んでいた。
 ナイフを持っている男の腕を左手で押さえると衿を掴んで背負い投げを掛ける。
 男は路面に背中から叩き付けられた。
「ぐっ!」
 衝撃で動けずにいる男を俯せにすると腕を掴んで後ろ手に回す。
 顔を上げると駅の方から派出所の警官が走ってきた。
「おい、こいつに手錠掛けろ。もう一人はその辺にこいつのナイフが落ちてるはずだから捜してくれ」
 一人が手錠を掛け、もう一人が落ちていたナイフを拾った。
「桜井さん、ご無事ですか?」
 パトカーから降りてきた如月が言った。
「ああ」
 紘彬は頷くと警官の方を向き笑顔で、
「お手柄だったな」
 と言って警官の肩に手を置いた。
「は?」
「強盗捕まえるなんて凄いじゃないか」
「え?」
「後は頼んだ」
 紘彬は後ろ手に手を振って駅に戻っていった。
 警官が訊ねるように如月を見た。
「手柄あげるから報告書書いといてって事」
「しかし、捕まえたのは警部補……」
「手錠かけたの君でしょ。桜井さんも手錠持ってるけどわざと君達に掛けさせたの。報告書書くの嫌だから」
「えぇ……」
 制服警官二人は顔を見合わせた。

 駅に戻ると女性が同じ場所に立っていた。
「捕まえたんですか?」
「派出所の警官がね」
 紘彬の言葉に女性は頷いた。

 夕方、駅前のロータリーで男性がギターを弾きながら歌い始めた。
 公開中の映画の主題歌が、アメリカ人歌手がカバーしている『Last Christmas』だからか数曲に一回の割合で歌っている。
「クリスマスに失恋の話なんかよく観る気になるな」
 紘彬がぽつりと言った。
「失恋の話なんですか?」
「違うの?『Last Christmas』が主題歌なら失恋の話じゃないかと思ってたんだけど」
『Last Christmas』の歌詞は解釈の余地はあるが、おおよそのところは、
 去年のクリスマスに告白したが翌日振られた。
 だから今度は別の人に愛を捧げる事にした。
 でも君に誘惑されたらまた好きになるだろう。
 けど来年は別の人に愛を捧げるから。
 と言うような事をクリスマスパーティの会場らしきところで振られた相手を見ながら心の中で呟いている感じの内容である。
「ハリウッド映画だから歌詞の意味が分からないって事はないだろうし」
 紘彬の言葉に女性が笑った。
「俺、なんか変な事言った?」
「私、学生の頃、歌詞を知らずに聴いていて、片想いしてる人にこの曲が好きだって言っちゃったんです」
 後になって歌詞の意味を知った。
「きっと変な子だって思われましたよね」
「どうかな。歌詞を知らない人結構いるらしいから」
「そうなんですか?」
「結婚式でこの曲流したやつがいるって聞いた事がある」
 紘彬がそう言うと女性が再び笑った。
「あのさ、俺は仕事だけど君は? 学生じゃないよね?」
「有休消化です。入社以来使った事なかったので」
「十二月によく休めたね」
「すっごい嫌な顔されました」
「だよね……アイドルとか待ってるわけじゃないよね?」
 この辺に有名人が住んでいるとは聞いていない。
 わざわざ届けを出す必要があるわけではないので紘彬が知らないだけという事も無くは無いのだが、有名人が住んでいるとトラブルが起きる事が多いし警邏(けいら)中の警官が見掛ければ警察署内で噂になるのでいれば嫌でも地元警察の耳に入る。
「知り合いです」
「知り合い? 恋人とかじゃなく?」
「残念ながら」
「ここ通るの?」
「山手線に乗ってれば上は通りますけど高田馬場では下りないと思います」
 高田馬場駅は改札口は一階だがホームは階段を上ったところにある。
 線路は高架上にある。
 二人がいるのは線路の下だ。
「そう」
「良くないですか? ここにいるの」
「警察に捕まるかって意味なら、ここにいる分には人に迷惑かけてないから問題はないよ。ストーキングでもなさそうだし」
「違います」
 女性が笑った。
「ただ待ち合わせをすっぽかされたなら、そう言う相手はやめた方がいいんじゃないかと思って」
 紘彬の言葉に女性の表情が悲しげにくもった。
 その時、制服を着た高校生らしい女の子が茶色い革ジャンの男と一緒に路地に入っていくのが見えた。
「如月、派出所に連絡しろ。女子高生が革ジャンの男と裏の方へ向かってる」
「今一人が警邏中でもう一人は派出所に来た人の対応に当たっています」
 如月が答えた。
 紘彬は舌打ちした。
「しょうがない。見張り頼む」
 如月にそう言うと革ジャン男と女子高生のあとを追った。

 革ジャン男と女子高生は工事現場の前に立っていた。
 こんなところで何をしているのかといぶかしみながら、
「失礼ですが……」
 紘彬が声を掛けると革ジャンが振り返った。
 この前女性に絡んで紘彬が追い払った男だった。
「なんですかぁ」
 男が嫌な笑いを浮かべる。
 女子高生が男から離れたかと思うと工事現場から数人の男が出てきて紘彬を取り囲んだ。
 全員鉄パイプや角材を持っている。
 紘彬が声を掛けた革ジャン男も道の脇の壁に立て掛けてある鉄パイプに右手を伸ばした。
「なるほど」
 どうやらおびき出されてしまったようだ。
「如月……」
 懐に入ってるスマホにそう言い掛けたとき革ジャン男が左手でポケットの中から取り出した物をひらひらさせた。
 電波を妨害してるのか。
「それ、俺の分は無いよな?」
 紘彬が鉄パイプをさした。
「ねぇよ!」
「やっちまえ!」
 革ジャンが鉄パイプを振り下ろす。
 右足を引くと体を開いて避ける。
 紘彬は腰の後ろに隠していた特殊警棒を右手で抜きながら目の前を通り過ぎた革ジャンの背中を左手で押す。
 革ジャンが、紘彬の背後から襲い掛かってきた青いジャケットの男に倒れ込む。
「えっ!」「うぉ!」
 二人の脇から黒いスカジャンの男が飛び出してきて角材を勢いよく横に振った。
 紘彬は数歩後ろに下がった。
 勢いの付いた角材が壁にぶつかる。
 衝撃で黒いスカジャンがよろけて角材を取り落とした。
 赤い上着の男が走り寄ってきながら鉄パイプを突き出した。
 体を開いて避け足を掛ける。
 赤い上着が地面に転がる。
 前方と左右の斜め後ろから男達が同時に襲い掛かってきた。
 紘彬は素早い寄り身で前にいる水色のスカジャンの懐に飛び込むと足払いを掛けて転ばせた。
 反転して警棒を振り上げ右の男の鉄パイプを弾く。
 そのまま上から振り下ろして左の男の鉄パイプを思い切り叩く。
 男達の手から鉄パイプが落ちる。
 倒れていた水色のスカジャンが落ちている角材に手を伸ばす。
「やめとけ」
 紘彬が角材を踏む。
 背後から鉄パイプが振り下ろされる。
 それを避けると、その腕を掴んで背負い投げを掛けた。
 水色のスカジャンの横に革ジャンが転がる。
 その時、
「警部補! ご無事ですか!」
 派出所の警官達が駆け付けてきた。
 紘彬との通信が途切れた事に気付いた如月が連絡を入れたのだろう。
 警官を見た青ジャケットと黒いスカジャンが反対の方向に逃げ出す。
 紘彬は警棒と鉄パイプを男達の足に投げ付けた。
 足を取られた男達が転倒する。
 警官達が革ジャンと赤、水色に手錠を掛けている間、紘彬は地面に転がっている青ジャケと黒ジャンが起き上がれないように抑えていた。
「手錠、五つあるか?」
「一つ足りませんが……」
 片方の警官が紐を取り出す。
 警官は紐でも拘束出来るように訓練を受けている。
 もう一人の警官が署に連行用のパトカーを要請した。
 紘彬はパトカーが到着するのを見届けると駅に戻った。

 二十五日の夜、紘彬と女性は相変わらず駅に立っていた。
「来ちゃいましたね」
 女性が言った。
「え?」
 紘彬は思わず周りを見回した。
「そうじゃなくて、クリスマス。あと数時間で終わっちゃいますね」
「あぁ」
「……すっぽかしたの、私の方なんです」
「え?」
「クリスマスに誘われたんです」
 女性がテーマパークの名前を言った。

 ネズミがいるとこか……。

「ネズミ、嫌い?」
 女性でも好きではない人はいる。
 紘彬の問いに女性は苦笑いして首を振ると、ぽつぽつと語り始めた。

 中学の時、友達に誘われて新宿の超高層ビル前で行われるイベントを見に行った。
 都内の高校の吹奏楽部や管弦楽部が交代で演奏するものだ。
 その中に先輩がいた。
 都立高校のオーケストラ部の部員の一人として演奏していたのだ。
 女性は先輩に一目惚れした。
 親に頼み込んでフルートを買ってもらい、中学の吹奏楽部に入った。
 必死で勉強してかろうじて先輩のいる高校に受かりオーケストラ部に入部した。
 オーケストラ部や管弦楽部のある高校は総じて偏差値が高い。
 部活でフルートの練習をしながら勉強するのは大変だったが同じ高校に通いたい一心で頑張った。
 女性が入学したとき先輩は三年だったから部員として一緒にいられた期間は短かったが親しくなれた。
 卒業後も先輩はオーケストラ部の演奏会は必ず聴きに来てくれた。
 女性も先輩が演奏会に出る時は必ず行った。
 会えたのはその時くらいだったから高校三年の冬、クリスマスに会わないかと誘われた時は驚いたが同時に嬉しくもあった。
 高校は都立だったから同じ学校に通えたが先輩が進学したのは音大である。
 音大はお金が掛かるから先輩と同じ学校に通いたいと言うだけの理由で行くのは無理だ。
 彼女は普通の私立大学に推薦で受かった。
 合格の報告をしたらテーマパークに誘われた。
 きっと先輩は合格を祝ってくれるために誘ってくれたんだと思った。
 先輩に誘われて舞い上がり約束の日を楽しみにしていた。
 わざわざ誘ってくれたのだから先輩も自分を想ってくれているかもしれない。
 意を決して約束の日に告白する事にした。
 服を選び、プレゼントも悩み抜いて決め、お化粧の練習もした。
 だが約束の前日、友人から先輩の外国行きが決まったと聞かされた。
 留学ではない。
 外国の楽団員になる事が決まったのだ。
 先輩に電話して確かめると事実だと告げられた。
 クリスマスはその話をするつもりで誘ったのだと。
 様々な感情が交錯して頭が一杯になり何も考えられなくなった。
 思わず「明日は行かない」と口にしていた。
 来るまで待っているという先輩の言葉が終わる前に電話を切っていた。
 彼女は待ち合わせに行かなかった。

「ひどいですよね、クリスマスにすっぽかすなんて」
 年明けに友人から先輩が外国へ行ったと聞かされた。
「在学中だったんだよね? 大学やめてまで入りたかった楽団だったの?」
「音楽家として食べていくのは大変なんですよ」
 ソロの音楽家なら大学に通い続けられる。
 元々音大の楽器専攻は音楽家を養成するためにあるようなものだからコンサートのために休んだところで文句は言わないし、そもそも人気と実力があって世界中から引っ張りだこになるほどでもなければ大学に通えないほど頻繁には呼ばれない。
 仮に通えなかったとしてもプロとしてやっていけるのなら学歴は関係ないから中退しても構わない。

 だがソロでやっていけるのはほんの一握りだ。
 運が良ければどこかの楽団へ入れるが、大半の卒業生は音楽教室で教えたり、教員免許を取って音楽教師になったりする。
 どうしても音楽家になりたいがソロでやっていけるほどではない者はバイトで食いつなぎながらどこかの楽団に空席待ちをしている状態だ。
 学生のうちに楽団から声が掛かるのは幸運なのだ。
 その話を蹴ったら次の機会は一生ないかもしれない。
「学生のうちに話が来るくらいなら次もあるんじゃないの?」
「定年退職があって毎年一定の空きが出来るサラリーマンとは違いますから。楽団って基本的には定年がないので」
 先輩が断って他の人がその席に座ってしまったら次はいつ欠員が出るか分からない。
 皆一度あり付いたらしがみついて離さないからだ。
 仮に席が空いても再び誘ってもらえるとは限らない。
 ソロとしてやっていけるだけの実力が無い者にとっては一生に一度のチャンスかもしれないのだ。
「もしかして毎年ここで……」
「まさか」
 彼女が笑った。

 先輩が高校を卒業する年のクリスマス、三年生も誘って部員達で高田馬場にあるカラオケボックスでパーティをした。
 その時、部員の一人が十年後にこの店で同じメンバーでパーティしようと言い出して全員が同意した。
「じゃあ、今日はその時の人達がパーティしてるの?」
「してないと思いますよ。そのお店、もうありませんし」
 卒業した後まで連絡取りあってる人はほとんどいない。
 まだ付き合いのある友人達は他の予定が入っている。
 毎年三年生が出て行き、新入生が入ってくる部活で特定の年の部員だけでと言うのは無理がある。
 ただ、一縷の望みを掛けたのだ。
 他に先輩とした約束は無かったから。
 紘彬はなんと言えばいいか分からずに黙り込んだ。

 その時、不意にヴァイオリンの音色が聴こえてきた。
 振り返るとバスロータリーの前で男性が『Last Christmas』を演奏していた。
「へぇ、ヴァイオリンでこういう曲ひけるんだ」
 そう言って彼女を見ると頬を涙が伝っていた。
「……先輩」
「え?」
 紘彬が聞き返した時には女性は駆け出していた。
「先輩!」
 走り寄ってくる女性に気付いた男性が演奏をやめた。
 女性が男性の前で顔をおおい、男性が困ったような顔で頭をかいた。
 道行く人達が足を止めて成り行きを見守っている。
 一頻(ひとしき)り女性とやり取りをした後、男性が『Love's Greeting(愛の挨拶)』を弾き始めた。
「お、上手くいったのか」
 そう言った紘彬の懐のスマホから、
「ドラマみたいですね! すごい!」
 桐子のはしゃいだ声が聞こえた。

 演奏を終えた男性が女性に連れられて紘彬のところにやってきた。
「おめでと、で()いんだよね?」
「はい!」
「『Last Christmas』は彼女が好きな曲だから?」
「いえ、あなたと一緒にいるのを見て、やっぱりもう彼氏がいたのかと思って……」
「ああ、未練たらたらの曲だから……」
「桜井さん!」
 スマホから如月の突っ込む声が聞こえてきた。
「あ、ごめん」
「いいんです」
 男性が笑った。
 彼の方も十年前の約束に望み掛けて一時帰国したのだ。
「彼女が男に絡まれないように側にいて下さったそうで」
 男性が頭を下げた。
「これからどうするの? 一緒に外国行くの?」
「実は私、先輩の所属する楽団がある街の支店に転属願いを出そうかずっと迷ってたんです」
 だが彼が既に他の女性と付き合っていた場合、転属したらそれを見る事になってしまうかもしれない。
 それで迷っていたのだ。
 彼の方も彼女の事をずっと想っていてくれたなら心置きなく転属願いを出せる。
「じゃあ、これからは一緒にいられるんだ」
「はい!」
「良かったね。お幸せに」
「ありがとうございます」
 二人は紘彬に礼を言って改札口に消えていった。

「……で、俺達の待ち人は?」
「どうやらあの二人の再会がサンタさんの最後のプレゼントだったみたいですねぇ」
 如月が言った。
 懐に入れたスマホから『Christmas Eve』が聴こえてきた。
 如月達がいる店内で流れているのだ。
 紘彬は溜息を()いた。
 待ち人はその日も現れないままクリスマスの夜は更けていった。